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ワルモノ世界制覇への道(アルバム)

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1行紹介

北海道生まれのエセ関西人。食う、飲む、政治が大好きです。

紹介文

1957年、北海道札幌市生まれ。立命館大学2部経済学部、京都大学大学院経済学研究科卒業。1995年、神戸女学院大学赴任。2022年3月定年退職、4月より名誉教授。著書に『今、「資本論」をともに読む』(共著)、『先住民族アイヌを学ぶ』(共著)、『いまこそ野党連合政権を!』(共著)、『憲法が生きる市民社会へ』(共著)、『21世紀のいま、マルクスをどう学ぶか』(共著)、『若者よ、マルクスを読もうⅠ・Ⅱ・Ⅲ』(共著)、『日本の民主教育2017』(共著)、『被災地福島の今を訪れて』(ゼミ著)、『本当は怖い自民党改憲草案』(共著)、『変革の時代と「資本論」』(共著)、『マルクスの心を聴く旅』(共著)、『戦後70年の日本資本主義』(共著)、『社会の仕組みのかじり方』、『「おこぼれ経済」という神話』、『「古典教室」全3巻を語る』(共著)、『女子大生のゲンパツ勉強会』(ゼミ著)、『橋下「維新の会」がやりたいこと』、『「ナヌムの家」にくらし、学んで』(共著)など。憲法が輝く兵庫県政をつくる会代表幹事、全国革新懇代表世話人、日本平和委員会代表理事他。兵庫県西宮市在住。

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(1)1957年3月28日生まれ。札幌市立豊園小学校,札幌市立月寒中学(「つきさむ」と読む。アイヌ語で「月の見える丘」という意味・・・たしか),北海道立札幌月寒高校をそれぞれ卒業。
 ※上のアイヌ語理解は誤り。正しくは「チ・キサ・プ(木をこすって火をつけるところ)」に由来するとのこと。

 この高校時代の同窓会は今も札幌で行われている。しかし,卒業直後以外は出たことがない。
 ※60才をすぎてから、初めて参加の機会を得ました。

(2)1975年京都の立命館大学・産業社会学部に入学。北海道に「適当」な大学がなく,「家を離れて下宿するなら全国どこでも同じだ」と,当時,全国の私学で一番学費の安かった立命館大学へ。

 おそるおそる自治会運動に参加。1年生の春には早くも私学助成をもとめる国会請願に参加。どんどん深みにはまり,結局は全力投球。産業社会学部の自治会委員長,Ⅰ部学友会の執行委員も。

 2年生の秋に家庭の事情で「仕送り」と「連絡」がとぎれる。「歩く私学危機」といわれる赤貧生活。ひどい時期はコメも食べられなかった。Ⅱ部に転部して,昼間働けば良かったのだが,その程度の知恵もなかった。

(3)4年生の秋についに体をこわす。腎臓病と鬱病。原因はオーバーワーク。「入院しろ」といわれるが,金がなくてそれもかなわず。バイト先の病院で良くしてもらう。本当に感謝。

 「このまま政治の道へ」と考えていた進路を変更せざるを得なくなる。研究者を目指す。しかし体調不良で大学中退。先の見えない日々が続く。「体は悪いし,カネはないし,家は大変だし」「なんで自分だけ」と深く深く地面の底までヘコむ。休養。

 この頃,気分転換の意味もこめて京都府庁生協で1年間メシづくりをした。思い出深いバイトの1つ。おかげで今も料理は苦にならない。

 体の様子を見ながら立命館大学・経済学部のⅡ部に編入学。初めてまともに授業にでる。2年で卒業。といってもようやく大学をでたのは1986年。ずいぶん長い学生時代。

(4)試験にすべりながらも,1987年,京都大学大学院経済学研究科に入学。日本経済史のゼミに所属。

 あいかわらず鬱病とのつきあいが大変。いくらかでも上手につきあえるようになったのは博士課程も終わりの頃か。しかしゼミは自由な気風に満ちていた。

 鉄鋼産業の日米関係について論文を書きながら,マルクス,レーニン,グラムシ,ネオ・マルクス主義など理論問題をずいぶんとやる。

 関西社会福祉専門学校,大阪情報経理学院,聖母女学院短期大学などで非常勤講師を経験。

 他方,京都保育運動連絡会の役員として,児童福祉拡充の運動にも力を注いだ。たくさんの人に出会い,たくさんの人に世話になった。感謝。

(5)1995年震災の年に神戸女学院大学の専任講師に。98年から助教授。文学部でただ1人の経済学者。

 学生たちの幅広い関心に対応する必要から,自然,こちらの守備範囲も広がっていく。鉄鋼産業研究はアッサリやめた。まずはレーニンの独占資本主義論など理論問題にグッと比重をうつす。

 その次に,経団連など日本財界の経済・外交戦略や,女性労働をめぐる問題にも少しずつ手を出す。

 学生時代から長くあたまをおおった鬱もようやく晴れてくる。学生たちとのつきあい。自由な研究。気持ちの良い同僚。そしてメシくらいは自由に食える少しのおカネ。家庭。いろんなものの相乗効果。

(6)95年から大阪・京都・兵庫で働く人たちの学習運動に参加。おかげであちこちの労働組合などからたくさんの講師依頼をいただいている。

 研究と教育。学習・研究と社会活動。このバランスをうまくとるのがなかなか大変。95年からくらした長岡京をひきはらって,2000年に大阪へ。

 長岡京にはたくさんの思い出がある。公私にわたる大きな転換点をすごした街。いまは少しずつ大阪人化している。現在,同居人1人。

(7)たくさんの人に世話になった。きっとこれからも。だから少しでも多くの人に力を返したい。

 ちゃんと研究もしたいし,できるだけ多くの講師依頼にもこたえたい。

 「はげしく学び,はげしく遊ぶ」。このウチのゼミのスローガン゙ンは,自分自身がめざす生き方のスローガン。

 楽しく生きよう,でもやるべきことはしっかりがんばろうという。

 学生たちには期待している。まともな世の中づくりのバトンをうけてほしい。その能力と誠実さが学生たちにはある。そう確信している。

〔以下、追記〕

(8)2002年,「あびこ」を離れ「加島」に転居。大阪市最南端から最西端への移動であった。

 04年から教授。日本軍「慰安婦」問題との出会いが,ジェンダー問題を政治や植民地・民族問題とのかかわりでリアルに考えることのきっかけとなる。

 あわせて,20世紀世界の前進のなかでの,日本の歴史的立ち遅れという問題についても考えさせられる。

 06年6月,同居人が2人に増える。

 10年,『若者よ、マルクスを読もう』をきっかけに、マルクスについて書くようになる。

 11年11月,同居人が3人に増える。

 12年,ゼミのテーマを「原発・エネルギー問題」に転換。

(9)2012年8月、「加島」をはなれ「西宮」に転居。

(10)2022年3月、神戸女学院大学を定年退職。4月より同名誉教授。


〔所属学会〕

経済理論学会 基礎経済科学研究所
関西唯物論研究会 日本科学者会議


〔役職(自分で忘れてしまわないために)〕

2001年12月~関西勤労者教育協会・常任理事
(2015年12月~同副会長)
2002年09月~2018年8月 総合社会福祉研究所・理事
2006年02月~兵庫革新懇・代表世話人
2006年07月~憲法が輝く兵庫県政をつくる会・代表幹事
2007年03月~兵庫県自治体問題研究所・理事
2007年05月~11年06月 労働者教育協会・常任理事
2007年09月~関西唯物論研究会・委員
2011年06月~労働者教育協会・理事
2013年02月~子どもと教科書全国ネット21・代表委員
2013年05月~全国革新懇・代表世話人
2017年06月~日本平和委員会・代表理事

興味

学生をからかうこと,椎名誠,東海林さだお,小池真理子様,吉本新喜劇,ごきげんブランニュ(終わってしまった),酒,寿司,沖縄屋,吉田戦車、井岡会長、マルクス