以下は、「しんぶん赤旗」2007年9月26日付、学問文化欄に掲載されたものです。見出しは編集部がつけてくれたものです。
一部の句読点やいいまわしを直してアップします。
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「靖国」「慰安婦」摩擦で追いつめられた安倍政権
今回の政変と日米関係
9月12日の午後1時すぎ、私は安倍首相辞任のニュースを、ゼミの学生たちと一緒にソウルの食堂で知りました。学生のケータイ画面に映った、たった2行の記事が最初です。
「一体何があったんだろう」。たくさんの疑問が浮かびましたが、それでもそのわずかの文字は、16名の学生たちに歓喜の声をあげさせるのに十分でした。直前の昼休みに日本大使館前で行われた「水曜集会」で、学生たちは日本軍「慰安婦」問題の解決に向け、日本の政治を変えることの決意と意欲を語ったばかりだったのです。
その後、慌ただしく福田新総裁が決まっていきますが、9月24日の「朝日新聞」には、福田氏は靖国や「慰安婦」問題と結びついておらず「日本の近隣外交に柔軟性が出れば、米国にも良いことだ」というアメリカ上院外交委員会スタッフの発言が紹介されました。私は、この問題を今回の政権交代がはらむ重要なポイントの一つだと考えています。関連する経過を振り返ることから始めてみましょう。
「慰安婦」決議
原動力は何か
小泉内閣から安倍内閣への政権交代が行われた2006年、ブッシュ大統領は小泉首相やポスト小泉氏に対して靖国神社参拝の中止を初めて強く求めるようになります。下院の外交委員会が、日本政府を批判する「慰安婦」決議を初めて可決したのもこの年です。小泉首相の靖国参拝は2001年から続いており、また「慰安婦」決議もそれまで何度も提出されていましたが、これが2006年になって初めて日米関係の大きな焦点とされたのです。
ポスト小泉氏には、アメリカの意に反して靖国派の「期待の星」である安倍首相が就きました。その後、安倍氏は自身の歴史認識や政治信条と、これに反する内外の圧力とのあいだで揺れ動き、公然たる靖国参拝を回避して中国・韓国への謝罪訪問を行う一方で、「慰安婦」問題では謝罪の必要がないと述べて、世界各国を驚かせます。その発言の後、ブッシュ大統領は2007年4月の日米首脳会談で「河野談話」からの後退は許さないと安倍氏に直接釘をさし、また下院は「慰安婦」決議を今度は初めて本会議で可決します。安倍首相はこうしたアメリカとの軋轢によっても、靖国派としての進路を塞がれていきました。
では、このようなアメリカの動きの原動力は何だったでしょう。根本には、イラク戦争を推進するアメリカ政府にとってさえ、侵略や「慰安婦」問題に対する日本政府の態度は異常に見えるという問題があります。しかし同時に、そこには、アメリカの国益をかけた外交戦略上の明白な意図もありました。
あくまで対米従属のなかで
一つは、中国など東アジアへのはたらきかけをすすめる上で、歴史問題で孤立した日本政府は役に立たないという判断で、もう一つは、日米戦争の開戦責任をアメリカに押しつける靖国派の台頭は、日米同盟に新たな軋みをもたらすのではないかという懸念です。これが2006年以降、急速に展開されるアメリカの動きの原動力です。そして、その動きが日本の外交をあくまで「アメリカいいなり」の枠内に押しとどめようとするものであったことは、「慰安婦」決議を可決させた同じ下院が、「対テロ戦争」での対日感謝決議を満場一致で採択したことにも示されています。
こうして考えると、辞任した安倍首相の胸には、靖国派としての信念の実現が、アメリカという「主人」に阻まれたことへのある種の絶望もあったかも知れません。また自民党の総裁選で、より柔軟な東アジア政策をもつ福田氏への支持がただちに集められたところにも、アメリカの求めの力が少なからずはたらいただろうと思えてきます。
戦後日本の支配層は、本来アメリカを敵視する靖国派であると同時に対米従属派であるという政治イデオロギー上の矛盾をもってきましたが、安倍政権の破綻と福田新政権の誕生は、両者の関係においてあくまで対米従属が優先されねばならない日米関係の現実をあらためて強く示すものとなりました。福田内閣の前には、一層純化された従米の道が開かれているということです。
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