以下は、京都学習協の第9回集中セミナー(09年5月10日)のための「よびかけ文」です。
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「資本主義の限界」を理論の根本から考える
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
京都の学習協で話をさせていただくのは何年ぶりのことでしょう。
今回は、雑誌『経済』09年1月号に書いた「『資本主義の限界』を考える」をもとにして、また、その後、これに関連して書いた「資本主義の改革とアメリカ一国覇権主義の衰退」(雑誌『季論21』の第4号〔近刊〕)や「終焉に向かうアメリカ中心の世界の中で」(『女性のひろば』5月号)の内容も紹介してみます。
大胆な問題提起を楽しんでください。
〈資本主義の枠内での改革が真の「限界」をあぶりだす〉
世界の金融危機や同時不況の深まりを背景に、マスコミの一部が「資本主義の限界なのか」「限界だったら社会主義なのか」といった問題の立て方をしはじめました。
『経済』の論文は、こうした社会状況の変化を受けて、そもそも科学的社会主義は「資本主義の限界」をどう考えるかを、あらためて問題提起的にまとめてみたものです。
私なりの問題意識をレジュメ風にまとめてみると、こうなります。
①資本主義が〈永遠につづく社会〉でないのは明らかで、その意味で、もちろん資本主義には「限界」があります。
②ただし、現在の様々な困難や破局が、ただちに社会主義への変化を求めているとは考えません。18~19世紀の産業革命をへてイギリスに初めて確立した資本主義が、今日まで大きく姿を変えて続いたように、資本主義にはその内部で成長し、発展するいわば懐の深さがある。
③その懐の深さは、資本主義が今日直面する課題の克服に際しても大いに発揮されるものとなるでしょうし、それを十分発揮させていかねばなりません。
④資本主義には「限界」がありますが、そこにたどりつくには段階的な発展の手順が必要で、資本主義の枠内での改革をつうじてその手順をしっかり踏むことが、結果的に、本当の「限界」をあぶりだすことになっていくことになると思います。
話は、ここからマルクスの「資本論草稿」の一部に進んでいきます。紹介したマルクスの文章は、スラスラ読めるものではありませんが、現代を考えるヒントのひとつとして、しっかりかじりついておきたいところです。
〈アメリカはもはや遅れた資本主義〉
また、この論文で展開した資本主義の発展観あるいは改革観に立てば、資本主義の成熟というものを、何を基準に評価するかという点にも、新しく見えてくるものがあると思います。この点は、こんな具合に考えています。
①生産力や内政・外交両面での民主主義、平和を実現しようとする力の成熟など、社会発展の度合いをはかる基準は様々に設定できますが、
②これらはいずれも、むきだしの資本の論理を、社会全体の安心や安定、平和や豊かさを求めるその国の労働者・国民がどこまで制御し、管理することに成功しているかという点に帰着します。
③つまり、資本主義の歴史的発展の度合いをもっとも骨太くはかる尺度は、国民による資本主義の民主的な管理がどこまで達成されているかという点におかれるように思うのです。
④私は「アメリカは、いまだ〈植民地なき独占資本主義〉への進化を遂げることができない、遅れた資本主義の『帝国』」だと書いたことがありますが(雑誌『前衛』05年9月号、補筆して『覇権なき世界を求めて』新日本出版社08年)、戦争や植民地政策以外の分野を見ても、京都議定書を拒否した地球環境問題への対応や、むきだしの資本の論理を「新自由主義」の名で世界に拡げようとした行動など、アメリカが北欧やEUの指導的諸国に対して、総体として「遅れた資本主義」になっていることは明らかなように思います。
実際、09年1月に発足したオバマ政権の外交は、このような「遅れ」による国際社会での孤立あるいは「国際的な威信の低下」をなんとかして回復しようとすることを大きな柱としています。
なぜ、ブッシュ政権を継承するとしたマケイン氏ではなく、それを転換するとしたオバマ氏が大統領選挙に勝利したのか――それはアメリカの地位低下をどう見るかという点に深くかかわります。
こうした変化は、アメリカの一国覇権主義が急速に終焉に向かいはじめたことを意味していますが、この点については、最初に紹介した『経済』以後の2つの論文をつかってお話します。
〈資本主義の運動法則の解明を大きな課題に〉
かつて、1980年代半ばには「資本主義の全般的危機」論の克服をめぐる議論がありました。当時、その「理論」の弱点が、それがなぜ大きな理論的影響力をもつにいたったのかという歴史の解明もふくめて、深く分析されたのは大変に重要なことだったと思います。
しかし、その後ただちに、これにとってかわる理論がまとまった形で現われたわけではありません。そのような経過をふりかえってみると、マスコミが「資本主義の限界」を語り、マルクスやマルクス主義への注目が新たに広がりつつある現在は、生成から死滅にいたる資本主義の運動法則の解明に、あらためて研究の力をそそぐ新しいチャンスの時期といっていいのかも知れません。
大いに深く学びましょう。
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