2004年11月28日(日)……以下は,10月30日の和歌山『資本論』講座第7講に配布したレジュメです。
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和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む
『資本論』ニュース(第7回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
先日(20日),埼玉の保育関係者の前で,話をさせてもらいました。2ケ所で話をしましたが,その1つ目の会場が「浦和」。県庁の近くなので「埼玉の県庁所在地は浦和だったんですね」というと,「いいえ,いまは平仮名の『さいたま』」です。なるほど,自治体合併が行われていたのでした。「3つの自治体の合併ですが,社会保障はいちばん遅れた自治体に統一されたので,保育所にとっていいことは何もありませんでした」。現場の人の声は重たいです。
今日(23日)は,大阪の門真へ行ってきました。守口市との合併話は,住民投票によって御破算になったようです。全住民の50%以上の投票がなければ考慮しないという,実にキビシイ基準ですが,守口市が50%をこえ,投票者の9割ほどが「合併反対」だったそうです。
ただし,「合併がなくなったことで,従来の財政困難がなくなるわけではない。これからが大変なときです」。門真市職労委員長の声でした。よりマシな社会をもとめる闘いは,いろいろな形ですすむものです。
学習の友社から『軍事大国化と「構造改革」』がようやく出ました。現代史を研究する山田敬男さん,哲学の牧野義広さんとの共著です。軍事大国化と「構造改革」の同時推進の背後に,アメリカへの深刻な従属があることを指摘しています。
昨年夏に山田さんと事実上はじめてお会いし,秋には箱根で一泊の意見交換,冬には神戸で牧野さんもまじえて意見交換。そのうえで2月に東京で研究会を行い,そこでの報告と発言にいろいろと加筆をしてできあがったものです。
筆者3人の専門領域がずいぶんちがうので,同じ問題を見ても,その角度が異なる面白さがあると思います。私自身も,いろいろと学ばされました。私が書いた「はじめに」だけを転載しておきます。本におさめる際には,さらに,その後,若干の書き換えがありましたが。
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はじめに――不安とユウウツをはね返すために
先日,ある学習会で,こんなふうに語ってくれた人がいました。「これから日本はどうなるのだろう。トヨタとか,景気のいい企業もあるようだけど,自分のまわりはみんな生活に追われている。気がつけば,いつのまにか戦争の現場に『自衛隊』が行ってるし,今度は平和憲法の柱になっている第9条を変える話も出てきている。本当に,これからの日本はどうなっていくのだろう」。しみじみとした口調で,それだけになんともいえぬ不安の深さがあらわれたお話しでした。
こういった不安は,きっと,たくさんの人に共通するものなのでしょう。若い人も,年配の人も,女の人も,男の人も,ウンウンとうなずいている人はたくさんいました。自分の10年後,20年後はどうなるのだろう。子どもたちの10年後,20年後はどうなっていくのだろう。それは政治や社会にいつも関心をもっている人だけの不安ではなく,「選挙なんか行ったことがない」という人にも,広く共通する不安のようです。
これは,たんなる「気の持ちよう」の問題などではありません。日本の社会が,もうずいぶん長く,深刻な病気にかかっており,その病気による不調があちこちに見えているから,私たちは「どうも不安だ」と思うようになるのです。原因は社会の中にあるのであって,心の中にあるのではありません。
この本では,たくさんの不調を生み出す社会の病気に,グッと深く,せまってみました。熱やセキが出たり,あちこちが痛くなったりと,人のカラダにそんな不調があるように,いまの社会にも,仕事がない,給料が安い,リストラがある,ホームレスが多い,「負け組」だといわれる,イライラした人が多い,ヘンな事件がおこる,子どもがわからない,戦争している,殺し合ってる,自衛隊がイラクにいる,北朝鮮がコワイ,テロがおこる,日本人が悪くいわれる,などなど,数えきれないほどの不調があります。
私たち三人は,この本のなかで,その不調の根本的な原因をさぐってみました。山田敬男さんは現代史を専門にする歴史学者です。この本では,特に戦争と平和にまつわる戦後の歴史を柱にしながら,さらに経済のしくみの変化についても考えています。牧野広義さんは新しい問題を考える哲学者です。ここでは,経済の不調や戦争する日本づくりをすすめる人の考え方の問題に焦点をあてています。そして,私(石川)は経済学者で,経済の不調を特にアメリカとの関係に力点をおいて考えてみました。
それぞれが考えて報告し,そしてお互いに話し合いをしました。その結果,(1)たくさんの不調は,そのほとんどが大きく戦争と経済という二つの大問題にかかわっていること,(2)それぞれについてアメリカの日本に対する「介入」が重大な役割をはたしていること,(3)さらにアメリカの「介入」にまるで無抵抗で,国内では大企業・財界のいいなりになっている日本の政治に深刻な大問題があること,これらの点で私たちの意見は深く一致しました。本のタイトルが『軍事大国化と「構造改革」』となっているのは,この二つこそが,私たちのユウウツと不安を生み出す,現代日本の最大の病気になっていると思ったからです。
三人にはそれぞれ先に紹介したような専門分野がありますが,あまりその「持ち場」にこだわらず,それぞれの角度から,自由に二つの大問題にせまるというやり方をとってみました。その方が,きっといろいろな問題がたくさん見えてくるだろうと思ったからです。本の構成は,まず一人一人がたっぷりと報告を行い,それについてお互いに意見を述べ,その意見をうけて,報告者がもう1度発言をする,あるいは報告の補足をする,そういうものにしてみました。これも本の内容にふくらみを持たせたいと思ってのことです。
ところどころにむずかしい言葉があるかも知れませんが,そこはサッととばしてください。「いまの世の中どうなってるんだろう」「どうしてこんなことになったんだろう」。そういう素朴な疑問をもったすべてのみなさんに,また「これから日本はどうなるんだろう」そういう不安をかかえたすべてのみなさんに,ぜひ最後まで読みとおしていただきたいと思います。そして,「じゃあ,日本はどうしていけば良くなるのか」「自分は何をすればいいのだろうか」。そこをいっしょに考えていきたいと思います。
若いみなさん! 大歓迎です。この本を,ぜひまわりの仲間といっしょに読んでください。運動の面でも,あなたの生きる力の面でも,きっと,お役に立てると思います。
ベテランのみなさん! 「若いころは勉強した」という昔話とエンを切り,新しい情勢に対応した新しい理論を,若々しい意欲をもって学びましょう。
全国各地での学ぶとりくみの前進を,心から期待しています。
2004年8月26日
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以下,質問にこたえていきます。質問は表現を変えている場合があります。ご了解ください。
〔質問と感想〕
①不破さんがA、B、Cと記号を付けている表中で、商品の価格を費用価格+22%と決定するところで、疑問を持ちました。定義上、これで正しいのでしょうが、利潤゙率゙をそのままプラスして、価格を求める方法でいいのでしょうか。
●「定義」が先にあるのではなく,平均利潤率が成立しているという現実が先にありました。その現実がどのような内容をもつものであるかを,マルクスは分析しています。
●例に挙げられた5つの資本の平均利潤率が22%にならずにおれないことは,表Bの一番下の欄の計算から出てきます。5つの資本のそれぞれは前貸し資本として100を投下していますから,100の22%は,実際の大きさとしても22になります。商品の価格は「費用価格+平均利潤」となりますから,それぞれの資本ごとに異なる「費用価格」に平均利潤の実際の大きさである22を加えることで,価格は生まれているということになるわけです。
②平均利潤について、別紙表A~Cの説明はよくわかりました。しかし、なぜ平均利潤が形成されていくのかが明確には理解できていません。資本側の意図と直接関係なく形成されていくものなんでしょうか。
●今日の独占資本主義の時代に暮らしている私たちには,たしかに実感がもちにくい問題ですよね。表A~Cの説明は,すでに現実に成立した平均利潤の解明でした。ご質問は,その平均利潤が形成されていく歴史の過程についてです。
●第10章「競争による一般的利潤率の均等化。市場価格と市場価値。超過利潤」がその過程の研究にあてられています。ただし,前回紹介したように,ここはマルクスの文章自体が前後に入り組んでいる個所でした。特に,原ページ205~208を読み返してみてください。平均利潤を実現させるものは,諸資本どうしの競争です。それぞれの資本が自身の利潤を最大にしようとして行動することで,結果的に,自身が意図しなくても平均利潤が形成されてしまうのです。競争が平均利潤をもたらすためには,大きく部門をこえた資本の自由な移動と,労働の移動という条件の形成が必要でした。
③資本主義社会が発展したから(歴史的にも認識も)生産価格での交換が可能になったことがよくわかった。資本や労働者が「もうかる方」に寄っていけば、生産に偏りが生まれ、社会的には利潤が平均化されているとしても、市場のバランスは大きく崩れて、結果的には、「均等化」は成功しなくなっていくのではないでしょうか?
●資本のもとに利潤が獲得されるためには,生産された商品が売れていくことが必要です。ある瞬間に「もうかる部門」に資本が集中したとしても,そこで「つくりすぎ」が起これば,商品は売れません。あるいは売るためには,利益の少ない「安売り」をするしかなくなります。その結果,その部門にいったん集まった資本たちは,他の部門に移動していきます。そうした「もっとももうかる部門はどこか」を求める個々の資本の競争と移動の結果として平均利潤は実現します。ですから,それが「市場のバランス」つまり,部門ごとの需要と供給の大きな崩れを恒常化させることはありません。実は,これは需要と供給のバランスを調整する市場の重要な機能の問題でもあります。
④平均利潤率のところを読みながら、小規模な稲作農家は、費用価格すら確保できていない現状を思いました。家族農業のために労賃がいらないからなんとかできているのでしょうか。
●第1部の相対的剰余価値生産のところで,農業問題がふれられていました。工業には機械の急速な発展による生産力の拡大があるが,農業では生産力の上昇が土地の利用という自然の制約をもっているといった話でした。他方,この平均利潤とのかかわりでは,農業には「資本の移動」が自由にならないという特徴があることが重要です。たくさんの資本が「農業がもうかる」と判断しても,農業を行うことのできる土地の面積には限りがありますから,どの資本も自由に農業部門に入ることができる,ということにならないのです。そういった問題については,第6編の地代論が分析しています。もうしばらく先で展開されます。お待ちください。
⑤資本が、Vを減らして利潤率を下げずに利潤を上げていくことで、生産者の購買力が低くなってその生産量とのバランスがとれなくなった時に恐慌が起こる。現在の日本は、その生産量と購買力のアンバランスが是正されずにあるために回復しない。
資本家は、国家、社会という枠でルールを作り、被雇用者への賃金を払いすぎることなく(資本家の立場)、その購買力を確保して、自ら企業の売り上げを期待しなければならない。国、社会全体で、それを決めて守っていくことが結果的には資本主義の発展にもなるのだろうに。それが国民、人の生活を大切にしたルールある資本主義なのでしょう。
⑥社会の消費力を作りあげる、今は個人消費がどう伸びるかにあるということがよくわかった。
●機械の改良による資本の有機的構成の高度化は,利潤率を低下させます。前回は,それに対する反作用の力の大きさを紹介しました。独占利潤や,国家による利益保障もそのひとつでした。生産と消費のバランスの喪失は,イギリスでの最初の恐慌が1825年であったように,機械制大工業の成立の瞬間にはじまっています。しかし,そのアンバランスが恒常的なものではなく,周期的な恐慌としてあらわれるのは商業資本による「流通過程の短縮」が,架空の消費を生み出し,それによって実際の生産と消費に格別の乖離を生み出すことによってでした。
●今日の日本を考えると,個人消費の激励による生産と消費のバランスの回復,またアジアへの輸出の拡大による生産と消費のバランスの回復が大切です。それは競争を野放しにする資本主義を,少しずつ社会が管理する資本主義へとつくりかえていくことです。
⑦前々回アドバイスいただいたとおりに、手帳とペンを常に持ち歩くようにしています。書き留めることにより直面していることをある程度整理できるようになりましたが、当面の問題が明らかになり、同時に自分に不足しているものにも気付くにつれ、今度はどれから手をつけていくべきか(あまりにも様々にありすぎて)優先順位を付けかねている状態です。欲張らず、自分の容量を見極めて、まず、手近なところから…と考えていることころです。少しずつでも進歩と考えて、前向きにいきます。
⑧やはり、予習しなければならないとわかりました。社会的矛盾を生み出してこそ、資本家へとのし上がれることがよくわかりました。
どこがわかって、どこがわからないかがわからないです。「外的分野の拡張」とは、どんなことですか?(たとえば、パン屋がその他の職種に手をのばすということでいいのでしょうか?)。「社会科学と自然科学の方法」は絶版になっているのか、発行はいつ頃だったのかを教えて頂ければと思います。
モーニングズームで、読売紙面で取り上げた「資本論」のことを言っていました。「資本論」を取り上げるとは…それも読売テレビが…すごいなぁ~と思いながら、コメンテーター(しんぼう)の話を聞いてみました。すると、「日本共産党の文献の資本論、私も読んでみましたが、読まなくていい!!ということに達しました」という発言がありました。
しかし、皆が何度も読んで学習して、やっと少しわかるという難本なのに、一度しか読んでいないコメンテーター(しんぼう)が何ということを言うのだと怒りを覚えました。
講座については、不理解のまますすんでしまい、ついていけないと感じるだけでしたので、事前に予習してこようと、そういう努力をしてこそ資本論講座が学べると思いました。
●手帳とペンは,当面の活動(もちろん学習を含めて)を整理するには有効です。しかし,御指摘のように,長期的な見通しをつくるには適切ではありません。私は,それはノートに書いています。あと20年間で何ができるだろうか,何がやりたいだろうか,そのために,当面の数年では何ができるか,そして,この数カ月では何ができるかと。その数カ月計画については,1~2ケ月で新しくつくりかえるようにしています。そして,その1~2ケ月計画を意識的に具体化していく手段として,毎日の手帳やメモを活用しています。
●「外的分野の拡張」については,具体的にページ数を指摘してください。そうでなければお答えが考えられません。『社会科学と自然科学の方法』は初版が1977年となっています。絶版になっているかどうかは,ご自分で確かめてください。なお,絶版になっている場合にも古本として出回っていることがよくあります。これはインターネットの「日本の古本屋」でさがしてみてください。文献をさがし,手にいれる技術を身につけることは,学びを深めるうえで不可欠です。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~1時45分)
◇意見,質問へのコメント。
2)第3部第4篇「商品資本および貨幣資本の……」(1時45分~2時20分)
・第4編の課題と構成――第6冊99~102
◇第16章「商品取引資本」
商業資本の誕生/産業資本の活動とのかかわりで/商業資本の社会的役立ち
◇第17章「商業利潤」
平均利潤の形成への参加/商業利潤の「分割」/分析の前進と歴史の発展/商業労働者の搾取
3)第4篇つづき(2時30分~3時20分)
◇第18章「商人資本の回転。価格」
恐慌の運動論とのかかわりで/恐慌と崩落へ/商業資本が決める価格/商業価格と回転
◇第19章「貨幣取引資本」
信用制度・銀行制度の形成へ
◇第20章「商人資本にかんする歴史的スケッチ」
もっとも古い種類の資本/商品生産を促進する/前資本主義時代の商業資本/資本主義的生産への移行
4)第4編を広くとらえて(3時30分~4時20分)
・「商人資本――歴史研究と『広義の経済学』」(不破哲三『エンゲルスと「資本論」』下,新日本出版社,1997年,56~63ページ)
・補足「日本の歴史のなかでの商業と商業資本」――第6冊142~145
・「再生産過程の『独立化』――商人資本の場合」(不破哲三『マルクスと「資本論」』②,新日本出版社,2003年,142~150ページ)
5)補足と質疑(4時30分~5時00分)
2004年11月7日(日)……以下は,ミニコミ誌への書きものです。
●神戸女学院大学広報誌『Vistas』第6号,2004年11月。
〈ゆとりある男女の共同に向かって〉
年間2200時間をこえる日本の労働時間は世界一です。男性だけだと3000時間に近く,これは「過労死ライン」のギリギリです。これによって,家庭からは男性の姿が消え,「総合職」からは女性がはじき出されています。日本に「男は仕事,女は家庭」の近代家族が例外的に多いのは,この長すぎる労働時間がひとつの大きな理由です。男女とも労働時間が短く,子育てや介護への支援が充実している国ほど,仕事も家庭も男女共同型が多く,賃金や昇進の性別格差が小さくなっています。
「女性学」や「ジェンダー・スタディーズ」は,男性を攻撃すれば女性の地位が上がると考える単純なものではありません。もちろん,差別の思想や制度は取り除かねばなりません。しかし,それには,現代の社会に男女関係がどのように編み込まれているか,なぜそうなっているのか,それらの仕組みの解明が必要です。他方で,職場や家庭での男女平等と共同は,男性にとってもすごしやすい社会をつくるものです。労働と社会保障の充実は,男性にも家族と接する時間や個人の自由な時間を増やすのですから。
本学の「女性学」の授業は,経済学,歴史学,医学,体育学,心理学,法学,社会学,文学などいろいろな分野の教員が毎年交代で担当します。最終講義には,その年の担当者全員が集まりますが,それは学生だけでなく,私たち教員にとっても新しい「発見」のあるエキサイティングな時間となっています。
〈「はたらく」ことの大変さを考えながら〉
「年収1000万円以上の人と結婚して専業主婦になりたい」。学生たちにはそんな願いもあるようです。しかし,全サラリーマン男性のなかで,年収が900万円を越える人は,わずか0.7%(2002年)。さらに,リストラや離婚の増加を考えると,専業主婦を選ぶリスクは小さくありません。くわえて60才前後で定年となるご両親をあてにできる期間は,ごくわずかです。こうして具体的な条件を考えると,現代女性の生き方にそう多くの選択肢は残りません。
経済学をやっている私のテーマは「はたらく女性を考える」です。授業では,できるだけ卒業生のリアルな体験を紹介します。楽しくはたらく先輩たちがいる一方で,セクハラ,昇進や賃金の差別,「寿退社」の強要なども少なくありません。パートナーの転勤による退職もあれば,ひどい労働条件でからだをこわす先輩もいます。そういう苦労を知ると,学生たちは,まずショックを受け,次に社会に出ることがこわくなり,その次の段階で,ようやく社会に出て行く覚悟をかため始めます。スローガンは「したたかに生きる」です。「はじめて自分の未来を本気で考えた」といった感想もでてくる瞬間です。
ただし,これは授業の半面です。こうして今ある社会に適応し,直面する困難にくじけない学生を育てることは大切ですが,それ以上に重要なことは,理不尽や不十分さを改善し,生きる困難のより少ない社会をつくる知恵と力を育てていくことです。それでこそ大学らしい大学の役割だろうと思います。性差別をなくし,男性にも女性にもすごしやすい職場や家庭のあり方を考える「女性学」の役割は,ますます大きくなると思います。
なお,「はたらく」ことの大変さを知るこの授業は,苦労して自分を育ててくれたご両親への感謝を深めるきっかけにもなっているようです。うれしい副産物(?)です。
●神戸女学院『学報』に寄せた同僚の本の書評です。
高橋友子著『路地裏のルネサンス』(中公新書,2004年)
どのような罪を犯した者が,ロバの背に後ろ向きに座らされたのか。中世イタリアでの出来事だが,みなさんは想像がつくだろうか。正解は「夫婦間の性道徳に対する侵犯者」である。罪の種類を周知するこの見せしめにより,罪を問われた者は生涯の名誉を失うことになる。
楽しく,気軽に読むことのできるこの本は,フランコ・サッケッティの『三百話』を案内役に,14~15世紀フィレンツェ庶民の日常とその周辺事情を描いたものである。著者の高橋先生は,これを10年以上も前から書きたいと思っていたという。生活空間,衣食,田園,夫婦と子ども,売春,同性愛など,これらのテーマの選び方に,歴史に対するこの人の問題意識が良く表れている。
上層男性市民は30才前後で結婚し,家業と市政の役職に従事する。その一方で,女性市民は10代で結婚し,家の中で,もっぱら家事と出産に時間を費やす。そこには同じ市民であっても,性によって区別される対照的な人生があった。それは,この時代,この都市におけるジェンダーの具体的なあり様である。ちなみに,中下層の女性は家の外でたくましく生きている。ただし,そこは性暴力の危険と隣あわせの世界であった。
実は,冒頭の「性道徳の侵犯」は,もっぱら女性によって犯されたものである。女性の姦通には死刑をふくむ過酷な刑が加えられ,男性は相手が既婚者でないかぎり罪を問われることがない。それが,当時の「法」だったからである。
おしまいは当時の「子づくりの秘法」。だが,残念ながら字数が尽きた。あとは本文をご自分で読んでいただくしかない。人の歴史は面白いものである。
●京都平和委員会機関誌のコラム「平和の風」に書いたものです。
□この夏,3年生と韓国の「ナヌムの家」に行ってきました。4月から日本軍「慰安婦」問題を学んだ上での訪問です。かつて「慰安婦」を強制されたハルモニの話をうかがい,日本大使館前での抗議活動に参加してきました。「若いみなさんを恨んではいません。いっしょに変えていきましょう」。ハルモニの重い言葉です。□4年生とは初めて沖縄に行ってきました。「ゼミでしか行けないところに」と,学生たちは戦争史跡や米軍基地を選びます。現地では琉球大学の3年生にガイドをお願いしました。□「日本と韓国には米軍基地撤去という共通の課題がある」「そのためにも,日本と韓国の連帯の回復が大切だ」。韓国でいっしょに飲んだある運動家の言葉です。アジアの願いに逆行し,日本国民を再び侵略の国民とする,憲法の改悪を許すわけにはいきません。
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