以下は,総合社会福祉研究所『福祉のひろば』2007年3月号(3月1日発行),48~51ページに掲載されたものです。
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侵略を反省し,平和な日本づくりの決意をあらたに
第4回・ハルモニの笑顔を裏切りたくない
最終回です。今回は,学生たちが韓国訪問の旅行に何を学び,それを帰国後の行動にどう結びつけていったかを紹介します。
〔ハルモニはやさしかった〕
9月14日の朝10時すぎ,旅行の全日程を終え,私たちは帰国のために仁川空港へ向かいました。その途中,貸し切りバスのなかで,全員が旅行の感想を語ります。以下は,その時の学生たちの発言です。
「韓国へ来るときのフライト時間の短さに驚いた。『ナヌムの家』にいくまでは,半分観光気分もあった。日本が植民地にしていた国で,そんな気分でいいのかと思いなおした。ハルモニにはきびしいことをいわれるのではないかと思っていたが,日韓が兄弟のようにといってくれたのがうれしかった。日韓の若い世代が,手をとりあって関係をかえていかねばと思った」(Tさん)。
「ハルモニはやさしかった。7月にWAM(女たちの戦争と平和資料館)へ行った時とは違う実感。被害者が生きて,話してくれる。謝罪しない日本政府に,あらためて憤りを感じた。『水曜集会』に韓国の中学生がたくさん来ており,日韓の歴史教育の落差を感じた。イ・ヨンスハルモニが『あなたたちを愛している』といってくれたのがうれしかった」(Wさん)。
「半年勉強して,それなりに知識はあるつもりだった。でも自分の目で見て,感ずるものはまったく違った。ハルモニの証言も,歴史館の内容も。夕食のあと,リビングへおじゃました。手をにぎってくれて『ドラマを見ていきなさい』といってくれた。手がすごく小さかった。こんな小さな人につらい思いをさせたのかと,本当にショックだった。日本で何が自分にできるかをしっかり考えたい」(Hさん)。
「『ナヌムの家』で感じたことはとても大きかった。ハルモニは病院に通いながら,日本政府とたたかっている。それをいままで知らなかったことをくやしく思った。『タプコル公園』では鳥肌がたった。その場に立つことは,とても勉強になる。すでに中学や高校の歴史の先生たちとのつながりがあり,『9条の会』とのつながりもある。日本は変わっていけると思うし,あきらめないで取り組むことが大切だ」(Kさん)。
「4月にゼミがはじまってからは,ものすごく濃い時間だった。『慰安婦』という言葉も知らなかった。知っても,最初は同情だけだった。ハルモニの証言のはりつめた雰囲気にはとまどった。でも,食事の時など甘えてみると,手を握ってくれた。抱いてもくれて,胸がしめつけられる思いがした。この旅行を無駄にしたくない。若い力で社会をかえたいし,憲法を守っていきたい」(Tさん)。
〔自分の目で見て,肌で感じることが大切〕
「ハルモニの証言を聞いて泣いてしまった。私の祖母と顔も年も良く似ていた。祖母がそういう被害を受けてもおかしくなかった。『ナヌムの家』で実感することの大切さを感じた。いろんな意見があるけれど,自分は揺らがない。決意がかたまった。私は石川ゼミではない。不安だったが,今回,いい仲間ができたと思う。韓国語を学びたい」(Kさん)。
「初日の夜エステに行ったが,あまり会話もなく,私たち日本人をどう思っているのだろうと思った。『ナヌムの家』へいくのは,すごく怖かった。WAMでも貧血で倒れた。今回も再現された『慰安所』や,たくさんのハルモニの顔のパネルに緊張した。『水曜集会』の朝,集会にいけないムン・ピルギさんと握手した。その時に,来てよかったと思った。勉強をつづけて良かった。子どもたちに本当のことが教えられる教師になりたい」。(Uさん)
「つらく悲しい思いもした。ハルモニと一緒にゴハンを食べるなど,楽しい思い出もできた。『水曜集会』のあとや食事の時は楽しかった。日韓が仲良くしなければならない。ゼミ生ではないのに,最初から仲良くしてくれてうれしかった」(Mさん)。
「『水曜集会』が一番印象的だった。証言の最中は,こわくてハルモニが直視でなきかった。『ナヌムの家』に来たことを後悔する気分もあった。でも集会の最後に,ハルモニがいってくれた。『大好きだよ』『これから仲良くしてくれたらいいから』と。その笑顔を裏切りたくないと思った。集会に私たち以外の日本人がたくさんいたことにも感動した」(Nさん)。
「ショックだったのは,ハルモニがクニに帰れず,父の顔を忘れてしまったと言われたこと。普通の生活ではありえない。集会でハルモニが叫んでいる時には,自分が追い込まれていくような気持ちになった。でも発言の時に,前からハルモニの顔をみると,がんばらなきゃいけないと思えた。韓国はコワイ国だと聞かされていた。でもとても暖かい。『ナヌムの家』のまわりの景色も日本と何もかわらない。知ることが大切だと思った」(Tさん)。
「韓国へ来るのがすごくこわかった。WAMでたくさんのことを知っていたから。歴史館の内容は,知識としては知っていることが多かった。でも再現された『慰安所』はとてもショックだった。ハルモニは人と人の絆を大切にしようといっていた。加害国の人間にそう語るのはすごいことだと思う。『水曜集会』の発言内容をみんなで考えた。みんなが一致団結しているという雰囲気が大好きだった」(Nさん)。
〔バスガイドの李さんの感激〕
学生たち全員が発言を終えたあと,これは思わぬ出来事だったのですが,ガイドの李仁姫さんが立ち上がって,私たちにこう語りかけてくれました。
「私はいまとても感激しています。仕事でたくさんの日本人に会いますが,歴史の問題をこんなにまじめに考えている日本人には初めて会いました。私は32才ですが,本当に生まれて初めてです。『日本が占領したから,おまえたちの国は発展した』と日本人のおじいさんに直接いわれたこともあります。そういう時には,私はガイドですから黙るしかありません。いまはとても感激しています。ガイドではなく1人の韓国人としてとてもうれしいです。私もがんばります」。
小さくはあっても,市民同士の大切な心の連帯が実感できた瞬間でした。学ぶだけでなく,こういう交流をすることが大切なんだと,あらためて感じさせられました。
〔ハルモニの笑顔を裏切りたくない〕
帰国後の学生たちのがんばりは,いろんな形であらわれています。学内ではたくさんのポスターやビラをつくって,韓国訪問旅行の報告会を行いました。「絵本がつくれないだろうか」と,いくつかの出版社との相談もさせてもらいました。過去2年の先輩ゼミ生たちとは違った形で,社会にアピールしたいと願っての行動です。
そのなかで,今年の3年生たちが明らかに初めて道を開いたのは,たくさんの人の前で自ら「慰安婦」問題を語る取り組みです。「学生さんの話を聞かせてください」。こういう依頼をいただくことには,先輩たちがつくった本の力が大きいです。しかし,その要請にこたえ,学び体験し感じたことを自分の言葉で語り,次々と依頼がつづくような実績をつくっていったのは,今年のゼミ生たちの力です。
大阪夕陽丘学園高校,尼崎小田高校,鈴蘭台西高校と3つの高校で計700人もの生徒を前に話をしました。いくつかの教育研究集会では学校の先生たちの前でも話しています。他にも,総合社会福祉研究所で,母親大会連絡会で,新日本婦人の会で,関西勤労協でと,語りの場所はすでに10数カ所に達しています。多くが学生たちだけでの講演です。遠くは香川にも出かけました。
すでに就職活動が始まっていますが,それでも「都合のつく限り」と,語りの要請にこたえるゼミ生たちの構えは変わっていません。依頼は半年先まで入っています。当面3月3日には,あらためて香川の国際婦人デーの取り組みに参加します。ゼミ旅行をかねてゼミ生全員で出かける計画です。また「どうして私たちは『慰安婦』問題を語ろうとするのか」,その内面の変化や成長に光をあてる新たな出版企画もスタートさせています。
忙しい毎日ですが,互いに励まし合い,がんばりをつくりだしあう彼女たちの合い言葉は「ハルモニの笑顔を裏切りたくない」です。若い世代の成長に力をもらいながら,私もさらに新しい試みを重ねていきたいと思っています。〔完〕
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