以下は、新日本婦人の会『月刊・女性&運動』2009年6月(322号)、6~9ページに掲載されたものです。
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「構造改革」とは何だったのか
――世界の大きな転換の中で――
年越し派遣村とその後の各地での一日派遣村や、正規と非正規双方の労働者が連帯した労働運動の前進など、「構造改革」路線が生み出す「貧困と格差」の拡大を、社会的な連帯のもとに押し返そうとする国民の力は日増しに強くなっています。
そこに金融危機をきっかけとした世界同時不況が重なり、自民・公明の「鉄面皮」――恥を恥と思わぬ厚かましい人々――政権も「構造改革で日本の未来が開ける」とは、もはや言えなくなっています。
こうした状況のもとで急がれねばならないのは、「構造改革」への国民的な総括であり、その総括にもとづいて新しい日本の進路を見いだすことです。「構造改革」の継承をもはや許さないという決意を込めて、それは「なんだったのか」と事態を過去形で語ることは、いま大変に重要な問題の立て方になっていると思います。
ここでは、①オバマ政権による「新自由主義」の転換、②「構造改革」がめざしてきたもの、③憲法どおりの日本に向けて、という3つの角度から、私なりに総括のポイントを示してみたいと思います。
1・オバマ政権による「新自由主義」の転換
アメリカ資本主義は、①戦後の高度成長が終わった――つまり生産と消費のバランスが崩れ、新しい「金あまり」現象が生まれた――1975年頃から「金融の自由化」を押し進め、②80年代には「強いアメリカ」を口実として、資本の横暴への社会的規制を否定する「市場原理主義」を強調し、③ソ連・東欧崩壊に前後して、アメリカ型の経済体制を各国と世界に強制するようになりました。これが、いわゆる「新自由主義」の政策です。
しかし、今、アメリカ政府はその政策の誤りを認め、経済政策の転換をすすめています。オバマ大統領は、09年1月20日の大統領就任式で「富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない」としながら、他方で次のように述べました。
「今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ」。
統制」を失った市場――それこそ市場原理主義が追求したものだったわけですが――の下では「国の繁栄」は長続きせず、また、これまでの「経済の成功」は、いつでも一部の人々の繁栄でなく、できるだけ多くの人々の繁栄に支えられたものであったというわけです。
変化は言葉だけではありません。史上最大となる7872億ドルの景気対策(09年2月)には、大企業への支援とともに、中間層を中心とした1人最大400ドルの減税や、失業者や低所得者への生活補助、医療補助などがふくまれました。さらに2010会計年度の予算教書には、医療保険制度の充実や高等教育費への補助などが盛り込まれました。
こうした急激な政策転換は、それへの反動を生み出します。「ワシントン・ポスト」(2月27日)に掲載されたコラム「オバマ党宣言」は、オバマ大統領の姿勢を「社民主義」だとして、その政策を「規制が強く、経済は硬直化し、社会は停滞し、過保護な欧州連合」型の社会経済に導くものだと批判しました。また「ウォール・ストリート・ジャーナル」(2月17日)は、予算教書を「トリクル・アップ」と表現し、大企業・大資産家を優遇すれば、そのおこぼれが庶民に回るという従来の「トリクル・ダウン」理論に正面から逆らうものだといっています。
しかし、転換の動きは止まりません。日本に「構造改革」を求めてきた「新自由主義」の本家本元であるアメリカが、すでにその誤りを認めているわけです。これは日本の「構造改革」を総括するうえで、欠かすことのできない視角のひとつといえるでしょう。
2・「構造改革」がめざしてきたもの
「構造改革」と呼ばれる日本の経済政策路線のはじまりは、1980年代の中曽根政権にまでさかのぼります。出発点は、アメリカからの強い要求にもとづいて、元日銀総裁・前川春雄氏を座長とした「国際協調のための経済構造調整研究会」がつくった報告書でした。いわゆる前川レポートです。その柱は、アメリカ等への市場開放、「市場原理主義」の推進に向けた金融をふくむ各種の規制緩和、そして内需の拡大の3つでした。
1989~90年には日米構造協議が行われ、ここでアメリカ政府は、日本経済の「構造」改革を一層強く求めます。「構造改革」という用語が、日本の政策づくりの中心にすわり始めるのは、この会議をきっかけとしてのことでした。ただし、ここでもアメリカは、日本政府に10年で430兆円の公共事業――後にそれは630兆円にふくれあがります――を求めてきます。
この巨額の公共事業は、経済を市場にまかせよとする「市場原理主義」に矛盾しますが、アメリカにとってアメリカに都合の良いすべての政策が対日要求の内容となるのは当然のことでした。アメリカ政府の対日政策は「新自由主義」以外の何ものも認めないという幅の狭いものではなかったわけです。
その後、90年代日本の経済政策は、一方で、世界最大の公共事業費をともなう「ゼネコン国家」の道――大きな政府の路線――を進みながら、他方で、金融ビッグバンをふくむ大企業への規制緩和を推進し、医療・年金・社会保障など国民生活に対する国家の保障を破壊する「市場原理主義」の道――小さな政府の路線――を進むものとなりました。
90年代の終わりには、この二つの道のバランスに新たな変化が生まれます。97年には、橋本内閣が6大構造改革(行政改革、財政構造改革、社会保障構造改革、経済構造改革、金融システム改革、教育改革)を叫び、「市場原理主義」をより前面に出そうとします。しかし、その後をついだ小渕内閣は「世界一の借金王」を自認しながら、「ゼネコン国家」路線の堅持を求める揺り戻しをすすめます。
争点の中心は財政構造改革にふくまれた、ゼネコン予算の大小でした。この動揺の背後には、鉄鋼やゼネコンを柱とした「重厚長大」産業から、自動車や電気機械などの製造業多国籍企業への財界中枢勢力の交代と両者の一定の対立がありました。
これに決着をつけたのが小泉内閣です。ここで「構造改革」の中心に立った竹中平蔵氏――経済財政・金融・郵政民営化など改革の柱となった諸問題で担当大臣を歴任しました――は、日本経済を大きな政府に守られた非効率な「山の国」(農業・金融・公共事業)と、海外との競争に立ち向かう効率的な「海の国」(製造業多国籍企業)が併存するものと特徴づけ、国際競争力を強めるには「山の国」主導から「海の国」主導への構造転換が必要なのだと述べました。そして、この段階で、こうした転換をすすめることが「構造改革」と呼ばれるようになってきます。
「抵抗勢力」との闘いを強調しながら、この改革を国民に支持させるために小泉首相が語ったことは、大企業が潤えば国民も潤う――これはすでに見たアメリカ流「新自由主義」のトリクル・ダウン理論そのものです――、だから国民はしばらく痛みに耐えよというものでした。
しかし、小泉「構造改革」のもとで、日本経済と国民生活の破壊はますます深刻なものとなっていきます。第一に、日本経済の成長率が下がりました。第二に、財政赤字が拡大しました。第三に、労働者はじめ国民の平均的な生活水準が下がりました。第四に、海外の投資家に対する大企業の依存が深まりました。第五に、日本経済の海外市場依存――特にアメリカ依存が深まりました。
こうした経過を見ると、日本の「構造改革」は、①アメリカからの「新自由主義」的改革および公共事業拡大の圧力に端を発し、②財政赤字の拡大および財界主流の交代という新しい条件のもと、政策の重心を製造業多国籍企業により有利なものへと移行しながら、③国民への犠牲の転嫁を「改革」の名で合理化する大企業本位の経済政策、とまとめることができそうです。
なお、竹中氏が「山の国」と呼んだ金融業界、ゼネコン関連業界は日本経団連の会長・副会長企業に今も顔をならべており、額を減少させたとはいえ、日本は依然として世界最大級の公共事業費を活用するゼネコン国家となっています。「構造改革」の推進という新しい看板のもとに、古い公共事業が温存・継続されているわけです。
3・憲法どおりの日本に向けて
小泉内閣をひきついだ安倍内閣は、最初から「再チャレンジ内閣」を標榜せずにおれませんでした。また福田内閣は、「構造改革」の「手直し」を言わずにおれず、二代つづいた政権投げ出しの後を受けた麻生内閣は「麻生が、やりぬく」「麻生はブレない」と言うだけで、もはや経済政策の方向性については何も語ることができなくなりました。いずれも「構造改革」に対する国民の批判が強まったことによるものです。
大きな視野からとらえるならば、今日における「構造改革」の継続がまるで時代遅れであることは誰の目にも明らかです。それは日本でも世界でも、すでに「試されずみの失政」です。かつてサッチャー首相が「新自由主義」的改革を推進したイギリスでも、ブラウン首相が「野放しの自由市場の原理が最終的に追放された」(09年1月1日の国民向けメッセージ)と述べ、08年末からは不況対策の一つとして消費税の減税を行っています。かつての「レーガン・サッチャー・中曽根イズム」の中で、残されているのは日本だけだということです。
アメリカが進めた「金融の自由化」は、G20や国連でも強い批判をあびており、EU27カ国は、ヘッジファンドをも監視対象とする金融監督機関を緊急に創設することで合意しています。
また「市場原理主義」については、オバマ政権からの大規模な財政出動の要請に対し、「しっかりした失業者対策があるEUを米国と同様に考えるべきではない」(オランダ・バルケネンデ首相)、「EUでは社会保障が自動安定化策として機能する」(フランス・サルコジ大統領)など、EU各国が「社会的市場経済」と呼ぶルールある資本主義の優位性を誇っていることも重要です。
底抜けの貧困を野放しにする「市場原理主義」の敗北と歴史的後進性は、不況対策の面でも浮き彫りになっているということです。
行きづまりの中にある麻生内閣の景気対策には、「ゼネコン国家」路線を再強化するかの動きも見えますが、それもまた90年代の歴史の中で充分に「試されずみの失政」です。
日本経済の安定した再建には、何より国内の消費需要(個人消費)によって景気を支える経済構造づくりが必要です。そのために政治がただちに行うべきことは、雇用の改善と社会保障制度の充実です。日本国憲法第25条の生存権、第26条の教育を受ける権利、第27条の勤労の権利、第28条の団結して闘う権利・・・こうしたすぐれた社会づくりの設計図を、本気で実行していく政治こそ、日本経済の新しい発展を導くものとなるでしょう。
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