以下は、新日本出版社『経済』2010年5月号、№200号、2012年5月1日発行、6~24ページに掲載されたものです。
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マルクス
経済学のすすめ
大特集
石川康宏さんに聞く
〔神戸女学院大教授〕いしかわ・やすひろ
マルクスの目で現代を見て、社会を変える
【1】 カール・マルクスという人
──今日は、特に「3・11」から1年の現代日本に焦点を当て、マルクスの目でみて、どう社会を変えていくかをお聞きしたいと思います。まず、その前にマルクスという人物についての簡単な紹介をお願いします。
●革命家だからこそ冷静な研究者
カール・マルクスは1818年に、今でいうドイツで生まれて、1883年にイギリスで亡くなった革命家です。
生まれた場所を「今でいうドイツ」といったのは、当時、あの地域には、統一されたドイツという国がなかったからです。マルクスは後の1871年にドイツ帝国がつくられる時に中心的な地位を占めていく、プロイセンという王国に生まれたのでした。
亡くなった場所がイギリスだというのは、イギリス旅行の最中に亡くなったということではありません。
若い頃から革命運動を行い、君主制の政治体制を議会のある国民主権の政治につくりかえようとし、さらにその道をすすんで資本主義から共産主義へ社会のしくみをつくりかえることを目指したため、マルクスは権力者たちから抑圧されて、プロイセンに住めなくなっていったのです。
プロイセンを出た後、パリやブリュッセルなどを転々とした後、結局、長くイギリスのロンドンでくらすことになりました。
マルクスは革命家であると同時に、人間社会のしくみや歴史、社会改革の可能性を根本から探求した巨大な学者でもありました。
この「同時に」ということを、もう少しつっこんでいうと、マルクスは革命家であるがゆえに学者でもあらねばならなかった、そういうタイプの人でした。ややこしい言い方ですが、それはこういうことなのです。
マルクスの以前にも、貧困や差別をなくすための社会改革を訴えた人たちはたくさんいました。
その人たちの多くは、「理想的な社会」の設計図をあたまの中でつくり、その社会づくりに賛成してくれる、特に富裕者の財力にたよって改革を行おうとしました。
それに対してマルクスは、そうした改革は貧困や差別に苦しめられている当の労働者が、知的にも政治的にも成長して実行するしかないし、いわゆる「理想的な社会」というのは、あたまの中で自由に構想することができるものではなく、いまある社会の実際の発展の中に見つけ出さねばならないと考えました。
ちょうどお医者さんが病気を治すために、からだのしくみについての正確な知識を必要とするのと同じように、マルクスも貧困や差別といった社会の病気を治すには、そういう症状を生み出す社会のしくみを根本から正確にとらえることが必要だと考えたのです。
ですからマルクスにとって、革命家であろうとすることは、現実社会の徹底した研究者であろうとすることと完全に一体だったのです。
マルクスに対するひとつの誤解として、マルクスは「革命をせねばならない」というある種の「思い込み」にとらわれたので、人間の社会を偏った一面的な見方でしかとらえることができなかったというものがあります。
しかし、社会のしくみをとらえ損なえば、どんなに崇高な社会改革への願いも決して実現させることはできない。それがマルクスの考え方でしたから、予断をもたず、偏見なく、あるがままに人間社会を冷静にとらえる努力をつづけました。
マルクスは65年間の生涯に、社会改革の運動でも、人間社会の研究でも、多くの人が認める大きな実績を残しました。
ですから、亡くなって約130年もたっているのに、ノートや草稿をふくめた初めての本格的な全集が、国際的な共同事業として今なお出版され、代表的な著作である『資本論』の新訳が、日本で今年も出版されています。
●閉じた教義でなく開かれた発展の理論
マルクスが残した学問は非常に多面的ですが、その成果は、世界観あるいは哲学、特に資本主義社会についての経済学的な解明、資本主義の発展方向の先に見えてくる未来社会論、未来社会への変革の道を探究する革命論という主に四つの領域からなっています。
それらは互いにばらばらにあるのではなく、密接にからみあってひとつの体系的な全体をつくっています。
その全体が、今日「科学的社会主義」と呼ばれるものの出発点となりました。
「出発点となった」というのは、それがマルクスによってすべて完成された、いわば「閉じた体系」ではなくて、マルクス以後の科学の究明により、今も発展をつづけている「開かれた」学問体系であるからです。
この点については、マルクスの終生の友であり、社会改革の同志であり、共同研究者でもあったエンゲルスが「われわれの理論は発展の理論であり、まる暗記して機械的に反復するような教義ではありません」(エンゲルスからケリーウィシュネウェツキへの手紙、1887年1月27日、大月書店『マルクス・エンゲルス全集』36巻、525㌻)と述べています。
マルクスに学びながらも、マルクスにとどまってはならない。そういう発展的な学びを誰に対しても要求するのが、他ならぬマルクスの学問なのです。
【2】 現代の日本社会にもある階級の対立
──そういうマルクスや科学的社会主義の目で21世紀の資本主義を見ると、どんな問題が見えてくるでしょう。
●資本主義社会には客観的な内部の対立がある
「3・11」以後の日本を念頭におけば、まず、震災復興や被災者の生活再建支援の大きな足かせになっているのが、この社会の中の経済的な利害の対立だという問題です。
被災地には全国から多くの募金や物資が届けられ、たくさんの人がボランティアに入りつづけています。
私がつとめる大学の学生たちはグループをつくって、また私の家族も何度か、がれきの撤去や清掃活動に参加しました。
「自分たちにできることが何かあれば」と、被災地や避難先でのみなさんの苦労に心を寄せています。
ところが、政府の復興支援は遅々としてすすみません。それ以前に、「復興」の方向がそもそもピントはずれなものになっています。
私は、復興にあたっては、一人一人の人間らしい暮らしの再建が最優先だと思っています。
しかし、政府の政策の柱は、自分たちが震災前に決めていた経済政策を、「復興」の二文字を利用して、いわばドサクサまぎれに実行しようとするものです。そのために本当の復興策は、じつにおざなりなものにとどまっています。
今、政府が押し進めようとしている政策は、自民党政権が国民に拒絶される大きな理由となった「構造改革」を「成長戦略」という名前で推進することや、どう考えても東北の農漁民を苦しめることにしかならないTPP(環太平洋連携協定)への加入、法人税を減税しながら消費税を増税し、さらに社会保障を細らせる「税・社会保障の一体改革」などで、どれもこれも被災者の生活再建には、逆行するとしかいえないものばかりです。
昨年、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』という本が翻訳されましたが、副題は「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」でした。いま日本政府が行っていることも「大震災」という惨事に「便乗」して、大資本に新しい経済的利益をもたらそうとする犯罪的なものになっています。
現実がこのようですから、新聞の世論調査を見ても、「震災後の日本政治」や民主党政権による「震災復興と原発事故」への対応については、7~8割の人が「不満」「評価しない」と述べています。09年に誕生した民主党政権への熱い支持は、すでに完全に冷え込んでいます。
なぜ多くの市民が、もっとすみやかに、手厚い被災者支援が行われることを望んでいるのに、市民の代表であるはずの政治がその声にこたえられないのでしょう。
それは資本主義の社会が、必ずしも善意と連帯の精神でひとつにまとまった協同の社会ではないからで、さらにいえば経済的な権力をにぎった一部の人々が自分たちの利益のために政治を大きく左右する社会であるからです。
●疑いようのない事実──階級・階級闘争
じつは、そのような社会内部の分裂や対立の究明は、マルクスの仕事の重要な内容のひとつをなしています。
マルクスは、封建社会から資本主義社会への転換をすすめる政治革命であるブルジョア革命や、成立した資本主義のもとでの資本家と労働者のはげしいたたかいの経過などを研究し、社会内部の大きな対立が経済的利害の対立にもとづくものであることを明らかにしました。
マルクスは、社会や政治のあり方に対するものの考え方の相違が、そうした分裂や対立を生んだのではなく、逆に、各人の意識から独立した各人の客観的な経済的立場の違いが、彼らのものの考え方の違いを生み出し、それが時に内乱や革命と呼ばれる大きなたたかいや社会の変革をもたらすのだと考えました。
それがマルクスのいう社会の階級への分裂や、階級間のたたかいということです。
現代の日本資本主義を見ればわかるように、この社会の経済活動の根底的な推進力は、トヨタ、NTT、ソニー、本田技研など個々の資本による自分たちの経済的な利益の追求です。
それは高い利益を追求するからこそ、新しく便利な製品をつくりもするし、他方で、労働者をいじめたり、自然環境を破壊するなどの大きな社会問題も生み出します。
その内容については後でお話しするとして、このような大規模な利益の追求を行うことができるのは、それに必要な巨大な各種の設備(工場や建物や店舗など)を所有する社会の一部の資本家たちです。
それに対して、現代日本では労働力人口の8割が労働者とよばれる人たちです。
労働者というのは、誰かに雇われてはたらき、その「対価」として賃金を受け取ってくらす人たちのことですが、この人たちが資本家ではなく労働者にならねばならないのは、彼らが経済活動に必要な設備をもっていないからです。
マルクスはこのような経済設備の所有の有無によって、経済的な立場が異なる人々の集団を、「階級」という言葉で表現しました。
社会は誰もが経済的に同じ立場にいる平板なものではなく、資本家階級とか労働者階級といった大きなグループにわかれているというのです。
そしてマルクスは、人間社会の歴史に刻まれるような社会内部の大きな対立は、この経済的利害の衝突を根底にもつ階級間のあらそい、つまり階級闘争を内実とすることを明らかにしました。
この「階級」や「階級闘争」の発見やその「経済学的解剖」はマルクスが初めて行ったことではありません。
それは資本家や労働者が手をつなぎ、貴族や地主たちとたたかい、封建社会から資本主義社会への転換を押し進めるというブルジョア革命を目の当たりにした当時の歴史学者や経済学者にとって、疑いようのない事実だったのです。
(※)「近代社会における諸階級の存在を発見したのも、諸階級相互の闘争を発見したのも、別に僕の功績ではない。ブルジョア歴史家たちが僕よりずっと前に、この階級闘争の歴史的発展を叙述したし、ブルジョア経済学者たちは諸階級の経済的解剖学を叙述していた。僕が新たに行ったことは、(1)諸階級の存在は生産の特定の歴史的発展諸段階とのみ結び付いているということ……を証明したことだ」(マルクスからヴァイデマイヤーへの手紙、1852年3月5日、『全集』28巻、407㌻)。
●日本の労働者たちよ、団結せよ
さきほど、資本家による労働者いじめの問題にふれましたが、それは必ずしも資本家個人の悪意を出発点とするものではありません。
労働者の賃金や福利厚生費をふくめた人件費を抑制すれば資本家の利潤は拡大します。
そういう経済的な関係が労資のあいだに客観的に存在し、そのもとで資本家同士の競争に勝ち抜き、自分の資本を強く、大きくしていこうとすれば、労働者の賃金を押さえ込み、サービス残業を拡大し、あるいは労働組合をつくってたたかう労働者を排除するなどの方向へ、多くの資本家は引き寄せられていかずにおれないということです。
だから、労資関係には社会的な規制が必要になり、実際、労働基準法をはじめとする労働法は、おかされてはならない労働者の権利を定めることで、労資関係の「公正」性を保とうとしています。
マルクスは、資本主義社会における中心的な利害対立が資本家と労働者のあいだにあるとして、両者のたたかいを資本主義における階級闘争の核心としました。
そういうマルクスの目からすれば、公務労働者と民間労働者、正規労働者と非正規労働者、男性労働者と女性労働者など、労働者同士が互いの処遇の格差のみに目を奪われ、足を引っ張りあうといったことが、資本家たちを利するものでしかないことは明らかです。
特に、最近の公務員バッシングは、住民のくらしに必要な「公務」をなんでも民営化(営利化)という「構造改革」路線で解体し、くわえて正規雇用の公務員の賃金を引き下げながら、大資本に奉仕するための財源を新たに生み出し、その一方で、異常な低賃金を非正規労働者や民間労働者たちに納得させようとするものになっています。
マルクスがこんな日本の現状を目にすれば、「日本の労働者たちよ、何をそんな見えすいた手にのせられているのだ」「すべての労働者は団結せよ」「団結して何より資本家たちとたたかえ」とただちに檄をとばすでしょう。
ここには日本の労働者の階級的な未成熟という問題があるわけです。
【3】 政治権力と経済権力のむすびつき
──資本家階級と政治権力との結びつきは、どのようになっているのでしょう。マルクスの時代とは大きな違いもあると思うのですが。
●天下公認の大資本家団体
現代日本の主な大資本家は、日本経済団体連合会(日本経団連)、経済同友会、日本商工会議所(日商)という、いわゆる財界3団体に集まっています。
彼らは堂々とホームページに組織の目的や方針を示しており、その代表者にはマスコミも取材をし、政府も経済界代表とか民間委員といった資格でいろいろな会議にその代表者を出席させています。
隠れもしない、天下公認の大資本家団体ということです。
マルクスの時代には、このように社会的に強い影響力をもった資本家団体はありませんでした。
個々の資本の規模がまだ小さく、それらがはげしく競い合うというのが資本間の関係の主な内容だったからです。
そこに変化が起こるのは19世紀から20世紀への世紀の転換の頃でした。
特にヨーロッパ社会で、全国的な規模での資本家団体ができ始めるのです。
たくさんの資本が互いに競う自由競争の資本主義から、少数の大資本が手をつなぎ(カルテルやトラストといった業種別の独占団体がまずつくられました)、その一方で労働者だけでなく、中小の資本をも経済的な支配の下におさめる大資本中心型の資本主義、独占資本主義とよばれる段階へ、資本主義の経済が発展したのです。
日本の政府や財界、また彼らと親しい学者の中には、「資本主義は自由競争があたりまえ」「競争のじゃまになる規制は緩和せねばならない」と主張する人たちがありますが(新自由主義の主張です)、それは19世紀と20世紀での資本主義の変化を無視した議論です。
経済構造全体の頂点に君臨する巨大な資本が形成されたもとで、さらに競争を促進する政策をとれば、それは弱肉強食の世界を生み出すことにしかなりません。
結果は最初から目に見えていることで、「構造改革」路線というのは、そのわかりきったことをあえて押し進めて、大資本の利益を拡大しようとするものです。
●政治権力と経済権力の密接な結合
さて20世紀初頭に少数の大資本家が、大きな資本家団体をつくるようになると、それは政治にも直接、強い影響力を及ぼすようになりました。
人脈と金の力でということです。
レーニンが1916年に書いた『帝国主義論』を読むと、20世紀初頭のヨーロッパ社会では「金融寡頭制」ということばが広く使われていたようです。
寡頭制というのは少数者による政治の支配ということですから、「金融寡頭制」というのは当時急成長した銀行資本をふくむ少数の大資本による政治の支配ということでしょう。
実際『帝国主義論』には、大資本家による政治家の買収といったスキャンダルも紹介されています。
また1914年に第一次世界大戦がはじまると、政府と軍需産業の一体化や、そのもとでの政治による経済の統制が進みます。
それは戦争に勝つために政府や軍が経済界を一方的に統制するというのでなく、自分たちの利益が拡大する統制の方法(資源や資金、労働力の配分など)を経済界が政府に求めるという関係をふくむものでした。
レーニンはそのような形をとるにいたった戦時の資本主義を、「国家独占資本主義」ということばで表しました。国家の力と大資本の力、政治権力と経済権力が深く結びつきあった資本主義ということです。
現在の日本経団連(2002年に経団連と日経連が統合して発足)の前身となる経済団体連合会は、敗戦直後の1946年に設立されましたが、さらに、その源流となる日本経済聯盟会が結成されたのは1922年のことでした。
当時の日本は革命後のロシアの政権を倒すという名目で、シベリアに7万人をこえる軍隊を派遣していた頃です。
そこからの撤退の後、日本は1931年に中国東北部への侵略を本格化させ、32年には「満州国」を建国し、37年には中国への全面戦争に入っていきます。
その中で、1940年には日本経済聯盟会が中心になり、戦時経済の統制をすすめる重要産業統制団体懇談会がつくられます。
日本でも大資本家は軍や政府の命令に一方的にしたがうだけでなく、鉄鋼・石炭・石油などの資源や、低賃金あるいは無償の労働力や市場の確保をもとめて、侵略と植民地の拡大を求める推進力の役割を果たしました。
●敗戦後の政治と大資本家たちの復権
このような大資本家団体=財界団体と政治との直接的な結合という関係に大きな変化が生まれるのは、20世紀前半とくに第二次大戦直後のことです。
大資本家団体の前に、国民主権という新しい「敵」が登場してきたのです。
性別や納税額など一切の条件を必要とすることなく、成人男女の誰もが選挙権をもつという普通選挙制度の確立です。
これは封建制の身分社会に「自由・平等・博愛」のスローガンを対峙させた、ブルジョア革命以来の長い市民のたたかいの成果でした。多くの市民にとって、これは新たな人権の獲得を意味するものでした。
しかし、市民は大資本家に都合のいい政治家ばかりを選びはせず、反対に大資本中心の政治や経済を市民本位につくりかえようとする政治家を選ぶ可能性も生まれてきます。
これは財界人にとって重大な危機を意味することでした。
それは戦時期までは半ば神格化されていた天皇から主権を奪い取るものでもあったため、日本の支配層にはかなりの混乱が生まれました。
その混乱を収拾する上で大きな役割を果たしたのは、当時、連合国を代表して日本全土を軍事占領していたアメリカです。
アメリカは第二次大戦後、米ソを中心とした東西「冷戦」の構造をアジアにも形成する中で、自ら草案を書いた日本国憲法(47年5月3日施行)の精神を投げ捨て、アメリカいいなりの軍備増強の道で戦後日本を復興させる方針を固めます。
そして、この方針に従うことを条件に、政財界の大物たちの戦争犯罪や戦争協力を理由にした公職追放を解除します。このような占領政策の転換は、47年から48年にかけてのことでした。
50年には朝鮮戦争をきっかけに、アメリカ側の要請により自衛隊の前身となる警察予備隊が創設され(52年に保安隊、54年に自衛隊)、51年には日米安保条約が調印されます。
朝鮮戦争の時期には、米軍に協力する日本の軍需産業の復活も公然と進み、財界団体からは日本再軍備のための独自のプランも出されます。米軍の占領が公的に終了したのは52年4月のことでした。
その後、55年には、A級戦犯容疑者として「スガモプリズン」に拘束されながら、48年に占領軍によって釈放された岸信介が初代幹事長となって、自由民主党が結成されます。
当時の自由党と民主党を合同してつくられたこの政党は、「自主憲法制定」による9条の改定、つまりアメリカと一緒に戦争のできる国づくりを最大の目標とするものでした。
結局、自民党は改憲の発議に必要な国会の3分の2の議席を得ることはできませんでしたが、岸信介は57年に首相となり、60年には新たに日米共同作戦の義務を負う安保条約の改定を強行します。
こうした戦後の激動の中で、日本の財界は、アメリカによる日本の労働運動の弾圧や公務員からのスト権の剥奪、さらには朝鮮戦争による戦争特需などを背景に、アメリカ占領軍の庇護のもとで、アメリカへの忠誠とひきかえに戦後も支配勢力の地位に復活することをゆるされ、その後もアメリカの対日政策に身をそわせることで急速な成長を達成していきます。
【4】現代日本の財界による政治の支配と世論操作
──そのような関係は、現代の日本ではどのようになっているでしょう。
●日本経団連と「財界いいなり」政治
財界団体は自民党を全力で支援して、国民主権のもとでも「財界いいなり政治」を追求します。
そして実際にも、1955年から2009年までという半世紀に渡る自民党政権(1993年から94年にかけて一時的に野党になった)を実現させ、様々な市民の取り組みへの一定の譲歩は行いながらも、全体としては安定して大資本家の意向を政治に反映させてきました。
その方法の基本は、政党や政治家たちに金と政策を渡すこと、さらに政府の審議会など重要な会議に代表者を送り、政府が決定する政策の立案に大資本家たちが直接参加すること。そして国民には、マスコミや教育をつうじて、財界が望む政治や社会への支持と同意を積極的に調達していくことでした。
これは現在も行われています。
たとえば日本経団連は、90年代末に急速に進んだ自民党の支持率の低下に危機感を抱き、2003年には現在の民主党をつくり(当時の自由党と民主党の合併による)、その後、日本経団連が提示する「優先政策事項」10項目にそって自民党と民主党にA~Eの5段階での「財界通信簿」をつけ、その点数に応じて、両党に企業・団体献金の斡旋を行いました。
長年の蜜月関係もあって自民党に対する「通信簿」の評価は非常に高いものでしたが、民主党への評価はそれほどでもなく、日本経団連は「もっと献金が欲しければ、もっと財界よりに」という圧力をかけつづけました。
自民と民主という二つの「財界いいなり」政党をつくり、アメリカのような二大政党制を実現することで、「財界いいなり」政治を永遠に継続しようとしたのです。
現在の日本経団連には1603人の大資本家や資本家団体の代表が集まっていますが、かれらは70~80の各種委員会にわかれて、日常的に政策立案活動を行っています。
法人税減税と引き換えの消費税増税、社会保障財源をすべて消費税でまかなう、原子力発電を基幹エネルギー源とする、被災地復興を大資本本位の日本改革のモデルと位置づける等、これらの政策はいずれも財界から出てきたものです。
各種委員会がまとめた政策は「意見書」という名でホームページに公開され、重要なものは大臣や首相に直接手渡しされています。
こうして一方の手で政策を渡し、他方の手で献金を斡旋する。長年のこういうやり方は、多くの「財界いいなり」政治家を、自分のあたまで政治の大局を考えることのできない小粒な者たちにするという皮肉な事態も生んでいます。
さらに2011年9月に首相に就任した野田氏は、組閣前に財界3団体への挨拶に出向き、新設する「国家戦略会議」に財界代表が参加することを求めました。
結局、この国の経済政策の決定と実行に関する政府中枢のこの会議には、次の肩書で2人の財界人が加わりました。
「長谷川閑史 武田薬品工業株式会社代表取締役 社長」「米倉弘昌 住友化学株式会社代表取締役 会長」。
長谷川氏は経済同友会の代表幹事で、米倉氏は日本経団連の会長です。
なんのことはない、財界3団体のうち二つの団体のトップが日本政府の経済政策を決定し、推進するもっとも重要な会議の公式メンバーとなっているのです。
(※)この会議の重要な位置づけについては、政府自身が次のように書いています。「税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔並びに政策推進の原動力として、総理のリーダーシップの下、産官学の英知を結集し、重要基本方針の取りまとめ等を行うとともに、国の未来への新たな展望を提示するため、新時代の中長期的な国家ビジョンの構想を行う」(「国家戦略会議の開催について」)。
●マスコミや教育を活用した世論操作
もう一方の、財界団体による国民へのはたらきかけですが、たとえば電力10社で構成する電気事業連合会の広報部長が書いた『電力産業の新しい挑戦』(日本工業新聞社、1983年)には、巨額の広告料を武器に「朝日」「読売」「毎日」など大手マスコミを、「原発安全神話」を国民に浸透させる舞台として抱き込んでいく経過が述べられています。
また、それ以前に日本に原発を導入するにあたり、核エネルギーの「平和利用」をすすめるキャンペーンが、「読売」や同系列の「日本テレビ」などで大々的に行われたことは、広く知られていることです。
日本のマスコミは、世界に例を見ない巨大な規模を誇っていますが、それは決していつでも「公正・中立」なものではありません。
いまテレビが毎日のように取り上げている消費税増税をめぐる論議にしても、まるで日本の税には消費税しかないかのようなものが大多数です。
長く法人税率が断続的に引き下げられてきたことや、分離課税と証券優遇税制によって日本の大資産家(日本の長者番付ベスト10はいずれも大資本家そのものですが)の所得税負担率がきわめて低くなっていることも、まったく話題にされません。
財界団体が「原発安全神話」をつくったように、「消費税増税不可避神話」、「日米同盟絶対神話」など、多くの「神話」がマスコミをつうじて国民の中に浸透させられています。
さらに教育を通じた操作も重要です。今年の4月から使用される中学校教科書のひとつに育鵬社版の『新しいみんなの公民』がありますが、たとえば原発についてはこう書いています。
「エネルギー供給は、原子力発電が約3分の1」「温暖化の原因となる二酸化炭素をほとんど出さず、原料となるウランをくり返し利用できる利点があり」「安全性や放射性廃棄物の処理・処分に配慮しながら、増大するエネルギー需要をまかなうものとして期待されています」(178~9㌻)。
これがテストに出されれば、子どもたちは原発は「期待されて」いると回答せねばならないのです。
●階級闘争の三つの側面と前向きの変化
このように日本の財界団体は「財界いいなり政治」の継続・強化のためにありとあらゆる手をつかっています。
しかし、それにもかかわらず自民党の長期安定政権は崩れ去り、その後の二大政党制へのもくろみも破綻の危機に瀕しています。
なぜ、そうなっているのでしょう。それはいまの政治に満足できない多くの市民の抵抗や批判の力がはたらくからです。
先に、資本主義社会の内部に階級間の対立をみるマルクスの議論を紹介しましたが、マルクスは社会発展の原動力は階級闘争なのだと繰り返しました。
階級間のあらそいとか、階級闘争というと、血で血を洗うといった激烈なものばかりがイメージされるかも知れませんが、マルクスの理解は必ずしもそうではありません。
盟友エンゲルスは、晩年に、資本主義社会における階級闘争の三つの側面について述べました。
ひとつは直接的な労資の雇用関係をめぐる経済闘争、もうひとつは労資の対立を軸とした政治の舞台での闘争、三つは政治や社会のあり方をめぐる思想の分野の闘争です。
これらの三つの分野でのたたかいがバランスよく展開されるときに、労働者階級のたたかいは前進するというのです。
つまり、選挙をつうじて自民党政権をたおし、いままた民主党政権に愛想をつかし、新しい政治のあり方を模索している国民の動きは、各人がそう自覚しているかいないかにかかわらず、それ自体が階級闘争の一環をなしているということです。
選挙で選ばれる議員の多くが「財界いいなり」を受け入れる者か、拒否する者かは、大資本家たちにとって決定的な問題です。
そこで財界団体や時々の政権党は、国民の声が国会に正確には反映しないようにする選挙制度改革に執着します。
多くの「死票」を生み出す小選挙区制を導入したり、各地での「一票の格差」を放置したり、あるいは市民による自由な選挙活動に多くの制約をかけるというのはそのためです。
野田首相も消費税増税とだきあわせで、比例選挙で選出される国会議員の定数を減らすということを企んでいます。
他方で、重要な前向きの変化に思えるのは、「原発ゼロ/脱原発」の取り組みで、大手マスコミの情報にはもう踊らされないという気づきを得た若い世代が、大きな役割を果たしていることです。
何が正しいのかを、主にインターネットを使って、自分で調べ、意見を交わし、自分のあたまで判断していく。そして、その判断を自分から社会に発信していく。
ツイッターやフェイスブックを活用した、そういう行動の輪の広がりは、マルクス等の視角にそっていうと、今の社会での世論操作の枠を抜け出そうとするものとして、思想闘争の分野に新しい前向きの変化をもたらすものになっています。
フェイスブックが中東やアフリカの民主化、そして「ウォール街占拠」運動に大きな役割を果たした実例でも、あるいは逆に、大阪維新の会の橋下代表等が精力的にツイッターを活用していることを見ても、インターネットをつうじた人々のつながりの場は、ますます重要な思想闘争の現場となっていくでしょう。
【5】資本主義発展の原動力としての根本矛盾
──なるほど興味深いお話です。ここでマルクスにもどって、その資本主義研究の特徴について、お願いします。
●資本主義を人類社会の進化の過程に
まず用語の問題についてです。私たちは、現代の日本やヨーロッパ、アメリカなどを資本主義の社会とよびますが、近代の人間社会の本質を「資本主義」という言葉で総括したのは、マルクスが最初です。
若い頃のマルクスは「ブルジョア社会」とか「商工業社会」といったよびかたをしましたが、『資本論』にいたる研究の中で、次第にこれを「資本制的生産様式」と呼ぶようになり、『資本論』でもそうした用語を多様します。
その後、これがより簡潔に「資本主義」という言葉に転換されて社会に広まり、今日私たちも資本主義という用語を使用するようになっています。
資本主義についての研究ですが、マルクスはその研究の集大成である『資本論』の第一部(初版1867年、その後繰り返し改定)で、この本の「最終目的」は資本主義の誕生から、発展、死滅にいたる資本主義社会の「経済的運動法則」の解明にあると述べました。
それは資本主義という社会を、いまある形のまま、いつまでも変化しないものととらえるのでなく、反対に、はじめもあれば終わりもある、長い人類史のなかの歴史的に過渡的な一段階として研究するということです。
経済学の分野での先達であった古典派経済学者は、資本主義の社会や経済をすくなくとも未来に向けては変わることのない永遠の文明社会ととらえていましたから、人間社会を尽きることのない進化の過程にあるものととらえるマルクスの議論は、それ自体が非常に独創的なものでした。
マルクスはその課題への端的な回答を、『資本論』第一部の最後の部分で与えています。
封建社会の中で進行する、一方における資本の蓄積、他方における労働者の蓄積(農民の手から土地が奪い取られる)について述べた後、マルクスは自立した本来の資本主義の発展を概括し、その中で、まず資本家の側に、強い資本による弱い資本の収奪が進み、また巨大化する強い資本には、ますます多くの労働者の共同なしにどのような生産も行うことができない生産の社会的性格が深まることを指摘します。
「ますます増大する規模での労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術学的応用、土地の計画的・共同的利用、共同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化、そして結合された社会的な労働の共同的生産手段としてのその使用によるすべての生産手段の節約が発展する」(『資本論』第一部第24章。以下『資本論』からの引用は章だけを記します)。
この指摘の背後にマルクスは、労働者のみの共同による生産の可能性の広まりと、生産の成果を私的に享受するために労働者を指揮する資本家が次第に「無用」になっていく歴史の傾向を見ていました。
もう一方でマルクスは、資本主義の発展が、貧困や抑圧や搾取にさらされながら、機械制大工業のもとで訓練され結合され組織される労働者たちの成長と発展の不可避性を見いだします。
それは資本主義の改革をめざしてたたかう力の成長であるとともに、互いに結合しあい、共同で大規模な生産を管理し、運営する能力の発達を意味しました。
ここで簡潔に総括された論点の多くは、『資本論』第一部の労働日をめぐる労資のたたかいや、機械制大工業、さらには資本主義的な蓄積を分析した諸章で、詳しく展開された問題です。
●資本主義を発展させる原動力は
もうひとつ紹介しておきたいのは、マルクスが、そのような資本主義の運動を生み出す原動力の探求に多くの力を注いだことです。いわゆる「資本主義の根本矛盾」の探究です。
世界のありとあらゆるものは生成、変化の過程にあり、永遠不変のものはない。その変化を生み出す力の源は、そのものの内部にひそむ「矛盾」である。
これはマルクスの世界観の重要な内容のひとつですが、彼は資本主義社会の解明にあたっても、この見地をつらぬきます。
私的な利潤を追求する多くの資本によってつくられた資本主義経済全体の変化、発展は何を原動力としているのか。
マルクスはそれを、まず資本主義的な生産力と生産関係の矛盾としてとらえました。
「資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させ、かつこの生産力に照応する世界市場をつくり出すための歴史的な手段であるとすれば、この資本主義的生産様式は同時に、このようなその歴史的任務とこれに照応する社会的生産諸関係とのあいだの恒常的矛盾なのである」(第三部第15章)。
かみ砕いていうと、資本主義の生産様式(もののつくり方)は、生産力(自然にはたらきかけものをつくる能力)と生産関係(ものづくりにおける人と人との関係)の両面からなっています。
それは、一方で個々の資本の利潤追求にしたがい社会の生産力を発展させようとするが、もう一方で生産力の自由な発展にふさわしい生産関係になっていない。
そこに資本主義が資本主義である限り、決して解消されることのない資本主義の「恒常的矛盾」があるというのです。
「矛盾」というのは、互いに依存し、促進しあう関係と、互いに対立し、排除しあう関係が一体になっている関係です。
これもややこしい話ですが、資本主義の生産力と生産関係のあいだには、一方で、資本家による私的利潤の追求を生産の動機とする生産関係が、新しい製品や技術の開発を求め、それによって社会全体の生産力を発展させ、またそのような生産力の発展が資本家による労働者の搾取の度合いを深め(相対的剰余価値の生産)、それによって資本家の利潤拡大への欲求を満たすという、相互依存の関係があります。
ところが、もう一方で、資本家による私的利潤の追求は社会の多数者である労働者に十分な賃金を与えず、それによって社会全体の消費力を抑制し、生産力の自由な発展をゆるさぬ条件をつくるものにもなっています。
また、そこには、生産力の発展の衝動が、労資関係を機軸とする資本主義の生産関係をのりこえる、新しい別の生産関係を求めるという関係もあるわけです。こちらが相互に排除しあう関係です。
この相互の依存と排除がわかちがたく結びついているのが矛盾で、資本主義的生産様式の場合には、生産力と生産関係がその矛盾を形づくっているというわけです。
ですから、マルクスは、これを端的にこんなふうにも表現します。
「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。資本とその自己増殖とが、生産の出発点および集結点として、生産の動機および目的として、現われる、ということである。生産は資本のための生産にすぎないということ、そして、その逆に、生産諸手段は、生産者たちの社会のために生活過程をつねに拡大形成していくためにだけ役立つ諸手段なのではない、ということである」(第三部第15章)。
マルクスはこの矛盾を、主に恐慌論の分野で具体化しました。
資本による熱狂的な投機と生産の後に、社会全体の消費力を超える過剰生産があらわになり、そこからものが売れなくなり、生産が縮小され、中小資本や時には大資本も倒産し、大量の失業者がつくられ、社会の消費力はますます抑制される。そういう悪循環が周期的に発現する過程を、マルクスは恐慌の運動論として探究しました。
それは資本主義が周期的な恐慌をふくむ、独特の経済循環をへて急速に発展する過程を究明するものでした。
ただし、マルクスはこの矛盾の現れを恐慌にだけに限定したわけではありません。
これは要するに、生産力の急速で多面的な発展の衝動に、これを豊かで健全に発展させるのにふさわしい生産関係が対応していないということです。
だから、地球環境の大規模な破壊、国内外での貧富の格差、原子力発電の推進による放射能汚染の危機、ハイテク兵器による戦争、マネー経済による実物経済の混乱なども、この矛盾の現代的な現れとしてとらえることができるものです。
利潤の拡大が生産の目的であるために、生産力が人間社会の安定や平和を破壊する役割を果たしてしまうということです。
【6】階級闘争の前進と生産力の発展、質の転換
──そのような経済的な矛盾の展開と階級闘争の関係はどのようになるでしょう。
●階級闘争をつうじた社会と生産力の発展
マルクスは資本主義の根本矛盾が、人間の具体的な生活やたたかいから離れて、自動的に展開すると考えたわけではありません。
たとえば生産関係の軸をなす労資関係の具体的なあり方は、時代に応じて、地域に応じて、両者の力関係に応じて変わります。
またどのような製品や技術を開発するのか、原発か再生可能エネルギーかも、具体的な生身の人間が判断することです。
つまり資本主義的な生産力も生産関係も、現実には、いずれも具体的な人間の行動や判断によって肉付けされたものとしてあるわけです。
そこでマルクスが注目したのは、資本主義の生産関係のもとで、互いに対立し、衝突せずにおれない資本家と労働者のたたかいの展開が、生産力の発展や生産様式全体の発展にどのような影響を与えるかという問題です。
その問題をマルクスは『資本論』第一部で、労働時間の上限規制をめぐるイギリスの労働者たちのたたかいや、機械制大工業の歴史を分析する中で明らかにしました。
「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問にかんする苦情に答えて資本は言う──われらが楽しみ(利潤)を増すがゆえに、われら、かの艱苦に悩むべきなのか? と」(第一部第8章)。
それが資本の本来の性質であるということを、マルクスは過労死をふくむたくさんの事例をあげて指摘します。
しかし、そうだからこそ労働者たちは生きるためのたたかいを強めずにおれず、イギリスでは半世紀におよぶ「内乱」をつうじて、1833年に15時間労働法、1834年に児童にたいする8時間労働法、1847年には10時間労働法を成立させていきます。
そしてマルクスは「工場立法、すなわち社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用は、すでに見たように、綿糸や自動精紡機や電信機と同じく、大工業の必然的産物である」と述べます。
労働者階級のたたかいは、むきだしの利潤追求の欲求を意識的に制御するものであり、それを可能にしたのは、一方で労働時間を無限に延長する条件を生み、他方で労働者たちを結合し、組織させる機械制大工業の成立だったというわけです。
さらに、マルクスはこうも述べます。
「工場立法の一般化は、生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(第一部第13章)。
たたかいの成果である工場立法(労働者保護法)が、どの産業でも、性別や年代をこえてすべての労働者に適用されるようになった結果、資本主義にはどういう変化が生まれたのか。それをマルクスは、三つにまとめています。
一つは、労働時間の上限規制が生産技術の新しい発展をもたらしたということです。
それは「生産過程の物質的諸条件」(機械設備)の拡充と労働者の「社会的結合」(労働組織)を押し進め、生産力を急速に発展させる条件となりました。マルクスはそれを相対的剰余価値の生産として分析しました。
二つは、資本主義以前の半ば封建的な労働者への支配が法によって一掃されたことで、労働者たちのたたかいが「資本の支配にたいする直接的な闘争」に純化されたということです。
相たたかう階級関係が鮮明になったということです。
そして、三つは、両者の総括ともなりますが、それらをつうじて資本主義を乗り越える「新しい〔未来〕社会の形成要素」(物質的条件と労働者の社会的結合)と「古い」資本主義の「変革契機」(労働者たちのたたかう力)が成熟していく、ということです。
労働者のたたかいの前進による労資関係の改善が、生産力の発展を押しとどめるのではなく、逆にそれを発展させるというこのマルクスの研究は、その後の歴史によっても実証されます。
たとえば20世紀以後の資本主義は急速な生産力の上昇と、社会保障制度の創設、労働時間の短縮をはじめ職場の労働環境の改善、男女平等の普通選挙権、労働者をふくむ人間の平均寿命の延長などを同時に実現させています。
資本は、労働者による「反作用」の制約を受けても、その制約の中でさらなる利潤を追求し、生産力を発展させる旺盛な活力をもっており、そうして生み出される新しい生産力は、労働者たちのより人間らしいくらしを追求させる新たな条件にもなるということです。
●人間と自然の調和を追求しうる社会のあり方
この点に関連して重要なのは、現代日本の「原発ゼロ/脱原発」をめざす取り組みや地球環境の破壊をゆるさないとする取り組みが、大資本によってつくられた生産力を量的にでなく、質的に、人間社会の存続や発展にふさわしいものに制御しようとするものになっている点です。
マルクスは資本主義による人間と自然の物質代謝の攪乱と再建について次のように述べています。
「労働は、まず第一に、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然とのその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、管理する一過程である」(第一部第5章)。
ここでの物質代謝には、不要物の廃棄あるいは自然への返還が当然ふくまれます。
しかし「資本主義的生産様式は……人間と土地とのあいだの物質代謝を、すなわち、人間により食料および衣料の形態で消費された土地成分の土地への回帰を、したがって持続的な土地豊度の永久的自然条件を攪乱する」、そして「それは同時に……その物質代謝を、社会的生産の規制的法則として、また完全な人間の発展に適合した形態において、体系的に再建することを強制する」(第一部第13章)。
これは直接には目先の利潤のための農業生産力の拡大が、土地そのものを疲弊させるものになっており、そこには社会の改革をつうじて「再建」されねばならない人間と土地の関係があるとしたものです。
文中の「土地」を「自然」と読みかえるなら、それは地球環境破壊や、放射性廃棄物の処理方法を持たないままでの危険な原発の運転という、現代的な問題にもあてはまります。
マルクスは、物質代謝のこのようなゆがみは、資本主義的な生産関係によってもたらされたものであり、生産関係の根本的な変革によって正されるべきだと考えましたが、それは資本主義の枠内での「反作用」をつうじた生産関係の改善と、何をどれだけつくるかではなく、どのような方法でつくるかという、生産力の質の是正との関係にもつうじるものだと思います。
つまり資本主義の枠内での階級闘争の前進は、労働者の労働条件や生活水準の改善を実現することをつうじて資本に生産力発展の新しい刺激を与え、同時に、発展する生産力の質を、人間社会の安定した発展にふさわしいものに修正していく力になるということです。
ただし、これは資本主義の基本矛盾を解消させるものではありません。
資本主義的な生産力と生産関係の矛盾は、階級闘争の具体的な進展による肉付けをまといながら、資本主義が資本主義のままにとどまることのできない「恒常的矛盾」として存続します。
●生産力を制御できる「自分自身の主人」に
生産力の質の是正に関しては、人間の自由についてのエンゲルスの議論も大切です。エンゲルスはヘーゲルの自由についての一節を引いた上で、こう述べます。
「自由は、もろもろの自然法則に左右されないと夢想している点にあるのではなく、こうした法則を認識するという点に、そして、これによってこの諸法則を特定の目的のために作用させる可能性を手に入れるという点に、ある。このことは、外的自然の法則についても、人間そのものの肉体的および精神的存在を規制する法則についても、そのどちらにもあてはまるのである」「自由のなかみは、だから、〈自然必然性の認識にもとづいて、われわれ自身と外的自然とを支配する〉、ということである。自由は、したがって、どうしようもなく歴史的発展のひとつの産物である」(『反デューリング論』)。
たとえば原子力発電の危険性に対する「自然必然性の認識」が科学の世界にあったとしても、資本主義の社会はそれだけでただちに適切な対策をとるものではありません。
危険性をどの程度に重視(軽視)し、どのような対応をとるかについては、その「社会」の独自の論理がかかわります。
とりわけその危険物が大資本に多くの利潤をもたらす場合には、事実をゆがめ、認めまいとする彼らの力は極めて強固なものとなります。
またエンゲルスは、こうも述べます。
「社会的生産の無政府状態が消滅するのに応じて、国家の政治的権威もねむりこむ。人間は、彼らの独自な仕方による社会化の主人になり、それによって同時に自然の主人に、自分たち自身の主人になり──すなわち自由になる」(『空想から科学へ』)。
これは直接には、資本主義をこえた未来社会の実現により、人間は初めて「自分たち自身の主人」となるとしたものですが、注目すべきは、それが「自然の主人」になる(自然との関係を適切にコントロールできるようになる)ことと「同時」の関係にあるとされ、その双方によって人間は初めて「自由になる」とされている点です。
現代日本社会が直面しているのは、そのような未来社会への直接の移行などではありませんが、しかし、人間と自然との関係を制御する自由を手にするには、両者の関係に対する知識を深めるだけでは不十分で、その科学的知識が求める行動をそのまま実行することのできる社会をつくることが必要だとする点は、現代の私たちにも、重要な指針を示すものとなっていると思います。
──長時間、ありがとうございました。
〔石川さん「私のすすめる本」〕
①マルクスやエンゲルスについては新日本出版社がシリーズで出している『科学的社会主義の古典選書』をおすすめします。マルクスとエンゲルスの著作から14冊が出版されています。ほかに、同じ出版社から出ている『資本論』(新書判13分冊、上製版5巻)は、マルクスが心血を注いだ代表作です。ぜひ挑戦してください。
②これらを読む上での道案内としては、不破哲三『古典への招待』(上・中・下)、『「資本論」全三部を読む』(全7冊)などが格好です。
③もう少し手前から助走をつけたいという方には、門井文雄・紙屋高雪他『理論劇画 マルクス資本論』(かもがわ出版、09年)、不破哲三『マルクスは生きている』(平凡社、09年)、石川康宏『マルクスのかじり方』(新日本出版社、11年)などをおすすめします。
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