以下は、藤岡惇退職記念文集編集委員編『私と世界とアッちゃん先生』に掲載されたものです。
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藤岡惇先生の退任を記念する論集に、こうして一文を掲載させていただけることを大変幸せに思います。
私は1975年に立命館大学産業社会学部に入学し、一旦中退の後、編入学した2部経済学部を1986年に卒業しました。その際、2部の3・4年生ゼミでお世話になったのが藤岡先生でした。
ゼミは、決められたテキストを読みながら、あわせて経済関係の時事問題を学生が報告して話しあうという形のものでした。
累積債務問題の「解決策」として、当時アメリカ政府が提起した「ベーカー構想」について議論したことなどが、なぜか記憶に印象的に残っています。
2年間のゼミの最後には、数人のメンバーで卒業コンパを行いましたが、その席で私の卒業論文について先生から「石川君らしくない論文でしたねえ」と穏やかに指摘していただいたことも覚えています。
じつは卒論の提出が、私の第一子誕生と重なってしまうという事情があり、それにかまけて、私は論文作成に十分に集中することができなかったのでした。
特に女性の同級生からは「そういう事情なら仕方がありませんよ」という助け船の発言もありましたが、振り返ればやはり私自身の若さ、幼さの成せる業だったと思います。
遅い大学卒業の後、私は京都大学の大学院に進学し、95年には神戸女学院大学に赴任することになりました。
その間、直接、藤岡先生にご指導をいただく機会はありませんでしたが、何度かお目にかかり、声をかけていただいたことはありました。
院生時代、私は京都で公的保育の拡充を求める運動に加わっていたのですが、京都市長選挙の取り組みにかかわり、当時学童保育の運動に参加しておられた藤岡先生に偶然お会いすることがありました。
私はフロアの一参加者であり、先生は壇上にあがってお話をされる立場でしたが、教室の外でのそうした先生の姿に初めて接して、とても新鮮な思いがしたことを覚えています。
大学の教員になってからは、基礎経済科学研究所の大会で、二度ほどご一緒させていただきました。
一度は、たしか大阪経済大学での「平成大不況」をテーマとした分科会の中で、二度目は立命館大学での「憲法改定は日本経済をどこに導くか」という全体会のシンポジウムでのことでした。
このシンポジウムは、安倍内閣が改憲への動きを強めるなかでのことであり、どこか、いまの社会状況と重なってきます。
大学を卒業してすでに27年の時が流れましたが、大学の教師として、社会の中の知識人として、現在の私に多少なりとも役割の果たせているところがあるとすれば、それに必要な素養の一部は、間違いなく藤岡ゼミで培われたものでした。
心から感謝しています。
ご退任後の先生の新しい人生が、さらに充実したものとなることを心よりお祈りいたします。
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