以下は、和歌山学習協主催で行われる
「講座・変革の時代と『資本論』」への
3月13日作成のよびかけ文です。
学習協のニュースに掲載するための文章です。
------------------------
〔和歌山講座よびかけ文〕
講座・変革の時代と『資本論』
和歌山のみなさん、こんにちは。神戸女学院大学の石川康宏です。今年は『資本論』第1部の出版から150年の年ですが、これを記念する和歌山学習協の企画でお話させていただく機会をいただきました。たくさんの方にお会いできると嬉しいです。
〔『経済』5月号の特集をよろしく〕
このよびかけ文を書いている今日は2017年3月13日で、いまは月刊『経済』5月号(『資本論』150年特集号)の原稿をまとめているところです。編集部からの依頼は12000字でしたが、ついつい26000字も書いてしまい、原稿は中をとって18000字あたりにおさまりつつあります。
そのため、うまい具合に(?)、誌面ではカットされる原稿部分がありますので、以下、それをもとに「『資本論』と私」風の思い出話や、『資本論』をめぐる最近の問題意識について少し書かせていただきます。
〔『資本論』を初めて買った1975年〕
家の本棚を探してみると、『経済』の1967年5月臨時増刊号が残っていました。背表紙には「『資本論』発刊100年を記念して」とあり、発行は5月5日となっています。マルクスの誕生日(1818年5月5日)にあわせて出したということです。中を開くと全300ページのすべてに上下二段組の細かい文字がビッシリと。今なら「読みづらい」と言われてしまいそうですが、当時はそうでもなかったようで、手元にあるのは1974年11月1日の5刷です。月刊誌のある号が、発刊から7年たっても新たに印刷されていた。これは驚きですね。
ぼくがこの号を手に入れたのは、1975年に入学した立命館大学でのことでした。先輩のすすめがあって生協の書籍部で買ったものです。初めて『資本論』の本体を買ったのもこの生協でのことでした。新入生歓迎の時期で力が入っていたのでしょう、店内には大月書店の普及版『資本論』(全3部5冊が1つの箱に入ったもの)が、山のように積まれており、他の学生にまじって、18才のぼくもその山をひとつ小さくしたのでした。
〔まるで歯が立たなかった学生・院生時代〕
しかし、言わずもがなのことですが、買うと読むのはまったく別で、大学時代のぼくには『資本論』はまるで歯が立ちませんでした。学生運動の日々に区切りをつけて、大学院への進学準備をはじめた頃に、初めて友人と集団的に読みましたが、それでも理解は各種の解説書に依拠する以上にはなりませんでした。逐条的な解説としては、デ・イ・ローゼンベルグの『資本論注解』(青木書店)をよく使ったように思います。ベテランのみなさんには、この本を覚えておられる方もあるかも知れません。『資本論』のレジュメを文章でつなげたような味気ない本でしたが、当時のぼくには、それが必要なのでした。
院生時代は、鉄鋼産業の日米関係をテーマにした論文書きに精一杯で、『資本論』に正面から取り組んだ記憶はありません。
〔恥をかきながら講義に挑んで〕
そんなぼくが、ようやくまともに『資本論』に向かったのは、神戸女学院大学に就職した1995年になってのことでした。すでに38才になっており、『資本論』との最初の出会いからは20年が過ぎていました。
大阪の関西勤労者教育協会で「基礎理論」の講義に加わりながら、京都労働者学習協議会、和歌山県勤労者学習協会、兵庫県勤労者学習協議会などで『資本論』の講義をさせてもらったのです。和歌山では不破哲三『「資本論」全3部を読む』(新日本出版社)をテキストに、第3部までとおしで講義させてもらったこともありました。
わからない箇所はたくさんありましたが(いまもたくさんあります)、恥をかいても、語りながら学ぼうという気持で行ったものでした。幸運だったのは、95年がちょうどエンゲルスの没後100年になっており、関連の文献が次々出版されていたことです。
『経済』に95年から96年にかけて連載され、97年に出版された不破『エンゲルスと「資本論」』(新日本出版社)もそのひとつでした。これは「『資本論』をマルクス自身の歴史の中で読む」と不破氏が強調する一連の本格的な研究の出発点ともいえるもので、特に『資本論』第二部・第三部への立ち向かい方という点で、後の諸文献ともあわせて大きな刺激を受けたものでした。
〔『資本論』について書くように〕
こうして始めた私なりの『資本論』修行は、2000年代に入って「マルクス主義フェミニズム」とのかかわりで『資本論』をジェンダー視角から読むとか、相対的過剰人口の問題にとどまらず人口爆発や少子化など長期的な人口変動の論理を『資本論』の中に探求するといった形で、少しずつ姿を現わすようなりました。これが、もう50才近くなってのことでした。さらに2010年代になると、出版社に請われて『若者よ、マルクスを読もうⅠ・Ⅱ』(かもがわ出版、内田樹氏との共著)や『マルクスのかじり方』(新日本出版社)など「マルクスのススメ」本も書くようになりました。これらは韓国語にも翻訳されて、どちらも結構読まれているようです。
振り返ってみれば、知り合って40年、まともに読むようになって20年、それについて書くようになってから10年と、つきあいの濃淡はありましたが、『資本論』とは人生の2/3を超える長いつきあいです。ぼくにとって、それだけ『資本論』は魅力的な本だということなのでしょう。
〔レーニンの資本主義段階論への疑問をもって〕
さて話題を転換します。じつは今年の『経済』5月号の原稿から、丸ごと落とすことで、次の原稿に活用することになった問題に、日本資本主義の確立・発展論がありました。この2年ほど、この問題を勉強しつづけています。きっかけは『経済』の2015年1月号に書いた論文「資本主義の発展段階を考える」でした。
詳しい内容は、読んでいただくしかないのですが、誤解をおそれずに簡潔に言えば、レーニンの独占資本主義論は「死滅しつつある資本主義」論と一体で、国家独占資本主義論は「社会主義の入口」論と一体で、いずれも資本主義の発展段階をとらえる基軸の理論としては妥当性を失っているのではないか、というものでした。これらのレーニンの理論の根っこに『空想から科学へ』などでのエンゲルスの資本主義発展理解があり、それとマルクス『資本論』との間にはある程度の理解の違いがあるということについても少しふれました。
〔日本資本主義の発展を考える〕
しかし、これはあくまでこれまでの理論に対する批判的な問題意識の提示です。それを本当に乗り越えるためには、これにぼくなりの資本主義発展論を対置することが必要です。そう思って、その時から日本資本主義の歴史あるいは日本の近現代の歴史の勉強を始めたのです。
その最初の書き物が「日本資本主義の発展をどうとらえるか」(『経済』2015年11月号)でした。またそれをかなり書き直して渡辺治他『戦後70年の日本資本主義』(新日本出版社)に収録した同じタイトルの論文でした。
その後も、この検討を深めることを目的に、2016年秋には関西勤労者教育教会で「日本資本主義講座」(全4回)を担当しました。明治維新から戦後にいたる近現代史や日本資本主義の歴史に関する研究について、たくさんの文献を紹介しながらぼくなりの解説を加えるというものでした。
〔日本での資本主義社会の確立は〕
これもまた詳しい内容は、とりあえず先の論文を読んでいただくしかないのですが、やはり誤解を恐れず簡潔に述べるなら、これまでの研究では1910年前までの「産業革命」で日本社会は基本的に資本主義の段階に達したとされていますが、実際には明治維新から敗戦にいたる期間は、封建制社会から資本主義社会への過渡期であって、資本主義が経済社会全体で支配的な要素になるのは戦後の「農地改革」(寄生地主制の解体)と「労働改革」(労働三権の確立)と天皇制国家の解体をつうじてのことではなかったか、というものです。
つまり日本社会がはっきりと資本主義の段階に達したのは戦後のことで、その後の資本主義社会としての日本の歴史はわずかに70年程度しかないのではないかというものです。このように歴史を整理する上で、ぼくなりに指針にしたのは、レーニンの資本主義論ではなく、マルクスの資本主義論でした。
〔2回の講義のタイトルは〕
今回の講座では、以上2つの問題意識を柱にすえて、マルクス『資本論』についてのお話をしてみたいと思っています。今のところ、2回の講義のタイトルは次のようなところでしょうか。
第1回「マルクスの目で見て社会を変える」
第2回「日本資本主義の発展をどう見るか」
とはいえ、講座は、まだ4カ月以上も先のことです。それまでの間にぼくなりの研究や問題意識に何かの変化があるかも知れません。いえ、あってほしいと思っています(研究の進展に期待するということですね)。もしそうなれば、その新しい成果を組み入れて、お話をバージョンアップさせたいと思います。ですから、この呼びかけ文は、あくまで3月13日段階のものとしてご了承いただけるようお願いします。
では、みなさんとお会いできることを楽しみにしています。
最近のコメント