京都のF田酒飲み弁護士のブログに,西日本新聞の慰安婦関連記事が紹介されていた。
ここにも同じものを残しておきたい。
裁判記録の「発見」者は,龍谷大学の戸塚先生だとある。
戸塚先生とは,昨年,歴史問題・東アジア問題でのシンポジウムをご一緒させていただいた。
西日本新聞掲載記事の写しは以下のとおり。ただし,判決全文の掲載はない。
判決の意義については,つづく歴史家たちの検討・評価を期待したい。
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慰安所の前身は「休憩所」 戦前の判決文に記載
戦前、中国・上海で従軍慰安婦を置いていた旧日本軍の海軍指定慰安所の前身が、「海軍指定休憩所」という名称の施設だったことが4日、戸塚悦朗龍谷大教授(国際人権法)の調査で分かった。
日本人女性をだまし、長崎から上海の慰安所に移送したとして、日本人経営者らを有罪とした1936年の2審(長崎控訴院)判決文に、事実関係が記載されていた。
判決文は長崎地検に保管されており、閲覧した戸塚教授は「慰安所の前身の名称が明らかになったのは初めて。国は資料を発掘し、慰安所や休憩所の実態を解明すべきだ」と話している。 2006年05月04日17時27分
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