以下は,神戸女学院大学『学報』(148号)のために書いたものです。
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「知識人」足り得ているのか
私は1975年の大学入学です。当時の大学には,学問を現実社会とむすんで語る若い熱気があふれていました。その中で私が次第にあこがれをもつにいたった「知識人」は,単なる専門研究者ではなく,あわせて社会の進路にかかわる重大問題に,果敢な発言を繰り返す研究者や評論家のことを指していました。
年をへて「知識人」足り得ているかを,若い世代から問われる立場となりつつあるいま,時代の要請にあわせて仕事を組み立てる姿勢の大切さを,あらためて強く考えさせられています。
もちろん私の力で手の出せる研究範囲には限りがあるわけですが,しかし,それでも自分の道行に先に型をはめてしまうのではなく,様々な社会の要請に応える中で,結果としてできあがる自分の将来を楽しみに思う──それが自分の自然な生き方ではないかと思い始めています。
そうした考え方の上で,現在および近い未来の自分に期待している研究のテーマは,概ね次のようになっています。1つは,世界構造の大きな変化とその中での日本の地位と進路の探究です。特に急成長する東アジア経済とこれへのアメリカの関わり,靖国問題に象徴される東アジアでの日本の孤立といったテーマはここに入ってくるものです。もう1つは,ジェンダー視角を新たな要素とする資本主義分析の豊富化です。企業社会や家庭のあり方,社会保障などの制度の問題とともに,いわゆる風俗産業の隆盛や性暴力へのこの社会の「寛容」という現象についても考えてみたいと思っています。
具体的な研究作業で重視していることは,原理的な社会・経済理論と現状分析との相互対話と,対象をいつでも大きな歴史的視野のもとにとらえる努力です。いずれも「言うは易く,行うは難し」の大問題ですが,それでも何をどこまで達成できるかについては,ずうずうしくも自分の将来に期待しつづけたいと思っています。
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