以下は,日本共産党『前衛』2007年2月号(№814,2月1日)の191~192ページに掲載されたものです。
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歴史を拓いた先人の声が聞こえる
不破哲三著『日本共産党史を語る(上)』
歴史の本を読むことは,必ずしも得意なことではないのだが,この本は今に生きる自分の生き方を考えさせるものとして,大変に面白く,スムーズに読み終えることができた。
その第一の理由は,この本が,いつどこで何が起こり,それは後の解明の到達に照らせばどのような評価になるという,歴史のいわば「客観主義」的な解説ではなく,その出来事をめぐる党と諸個人による努力の成果と限界を,リアルに読み取らせるものとなっているところにある。
著者は「歴史の全体を生きた形でつかんでほしい」と述べ,また「開拓と苦闘のその歴史を,その時代に開拓に当たった先人たちの気持ちや姿勢とあわせてつかんでもらう」とも語っている。それは権力との闘いを通して,理論的にも組織的にも,段階を追って成長していく党の姿を,時々にあったありのままの姿でとらえていくということである。
第二に,その方法が大きな力を発揮しているところの一つは,これが「党史」を語りながら,歴史形成の主体を「党」に狭めず,個々の出来事の中で時代を拓くために苦闘した諸個人の役割に,強い光を当てていることである。
そこには弾圧に立ち向かう勇敢さもあれば,逆に怯えの気分もあり,覇権主義に抗する自主独立の精神の創出もあれば,対外事大主義の拭いきれない弱さもあった。
党全体としては,そうした弱さや未熟を乗り越えるために,集団としての努力を重ねていくわけだが,その努力の担い手はいつでも具体的な個人である。そこに光が当たることにより,読む者には,時代を拓いた先人の努力に感動し,驚嘆し,また力の及ばぬところに悔しさを感じ,保身や裏切りに腹を立てるなど,歴史の様々な教訓に感情を込めて接する機会が与えられることになる。
個人を「歴史の歯車」と呼ぶ言葉を耳にする時期もあったが,現実の個人はそのように無個性で活気を失ったものではない。この党の歴史を見てもわかることだが,歴史の中で大きな役割を果たすこともあれば,大きな誤りを導くこともあるのが個人である。だからこそ,より大きな前向きの役割を果たすことのできる人間への,各人それぞれによる成長の努力が重要となる。今と未来の歴史を拓く力は,あくまで個人の力の集合だからである。
第三に,歴史の内容に対する理解を深めさせる点では,特に,敗戦直後の組織上の弱点と「50年問題」に注目したい。「徳田の家父長的個人中心指導」という言葉は,そのお気に入りの伊藤律が「党を切り回す最大の実力者にのしあがった」ことの描写によって,誰にもわかるように肉付けされている。
また46年の第5回党大会で選出された8名の指導部のうち,それに相応しい役割を最後まで発揮しつづけることができたのは,わずか1名だけである。情勢の大きな転換に機敏に対応すべき瞬間の指導部の実情が,このようなものであったことを考えると,つづく「50年問題」の危機を乗り越え,今日にいたる党の土台を短期間につくりだしたその後の歴史は驚異的というしかない。
日本の党を自らの支配下に置こうとするソ連共産党の計画によって引き起こされた「50年問題」は,①スターリンの干渉主義が起こった国際的な背景,②当時の党による「実体験的な歴史」(第7回党大会の総括もこの実体験的な歴史認識の限界内にあった),③ソ連崩壊後の内部文書によって明らかとなった「50年問題」の全経過という三段構えで構成されている。そうしなければ現に「50年問題」を生きた党と個人の苦闘を本当には理解することができないからである。
ここで著者は,スターリンにレーニンの「後継者」としての「絶大」な信頼をおき,ソ連を世界政治の舞台における「平和と民主主義の陣営の大黒柱」ととらえていた「私の当時の見方」を率直に語っている。しかし,そのスターリン等の干渉の思惑も実際の行動の全体も知らずにいながら,現実との苦闘の成果をこの党は自主独立の立場に結実させていく。
当時まだ党本部にはいなかった著者の「これだけの認識から,よくぞあれだけの大きな結論をひきだしたものだ」という感慨には,重い響きがこめられている。それは第8回党大会における綱領確定とあわせて,敗戦直後に比べたこの党の飛躍の巨大さを浮き彫りにするものである。
第四に,この本は党史の重要な構成要素として,理論活動の発展を位置づけている。自民党の地域開発政策への対応から生まれた政策論の基本は,過去に何度も語られたことではあるが,それが今回は目前の問題を解決する上での綱領路線の威力を示すものとして,エピソードも豊かに述べられている。
上巻は60年代の内政までを語りの範囲としているが,ソ連・中国等の覇権主義との闘いとあわせ,とりわけ70年代以後には「スターリン主義」とも呼ばれる科学的社会主義への教条的な理解の克服が急速に進められることとなる。その過程の中心にいた著者が,綱領路線の大きな拡充を含む,今日への創造的な理論発展の歴史をどのように語るかについては,下巻を楽しみに待ちたいと思う。
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