以下は,東京土建一般労働組合が発行する『建設労働のひろば』2007年1月号,第61号,5~9ページ,2007年1月1日に掲載されたものです。
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憲法どおりの政治へ向けて 今年も政治がおもしろい
2006年11月30日
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
2007年の政治の動きはどうなるのか。私なりに注目している点について,少し大きな視野から述べてみます。
1)予想をこえる大きな市民の動き
私の職場は兵庫県の西宮にあります。住んでいるのは大阪ですが,すぐ前に見える川の向こうは尼崎(兵庫県)です。その私のまわりに最近起こったいくつかのことを紹介しておきます。
11月3日の「文化の日」に,神戸のワールド記念ホールで「はばたけ! 9条の心」という取り組みが行われました。ここに集まった人の数はなんと7500人。その数日前には「チケットの入金が3000人くらいしかない」ということでしたから,日常的に何かの運動団体にかかわっているのではない,たくさんの市民が自分で参加したということでしょう。同じ日に,広島では7000人,京都でも4000人の集まりがありました。憲法を守り,平和を守ろうとするこの国の市民のエネルギーは,大きな力を発揮しています。全国の9条の会も,すでに5600を超えたそうです。
11月19日には,尼崎で市民による市民のための政治をめざす白井市長が,自民・公明候補を10万1388対4万7487のダブルスコアで退け,見事2選を果たしました。これも直前の予想は「負けはしないが接戦になる」というものでしたから,広範な市民の判断が選挙活動の中心にいる人たちの予想を大きくこえて動いたわけです。白井さんが,どの政党の推薦も受けないという立場をとったこともあってか,新聞報道には政党が独自の役割をはたせなかったというものもありましたが,実際には「白井候補には共産党がついている」といった反共攻撃に,市民が「共産党といっしょで何が悪い」と反撃するなど,政党どうしのぶつかりあいが選挙の結果を左右する重要な要素となっていました。白井さんは,いま全国でもっとも若い女性市長となっています。
2)はつらつとした学生たちの力の躍動
もう1つ紹介しておきたいのは,私のゼミの学生たちの取り組みです。3年生のゼミは毎年韓国の「ナヌムの家」を訪れ,「水曜集会」に参加しています。「ナヌムの家」というのは,日本軍に拉致され,400ヶ所をこえるアジア各地の「慰安所」(レイプセンター)で,「慰安婦」(性奴隷)を強制されたかつての被害者が暮らす施設です。ここには「日本軍『慰安婦』歴史館」が併設されています。その毎年の取り組みについては,『ハルモニからの宿題』(2005年,冬弓舎),『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(2006年,新日本出版社)の2冊にすでにまとめてあります。
今年の3年生たちの,これまでにない新しい活躍は,関西各地での講演活動です。10月にはじまり12月までで,大阪・兵庫・香川など11ケ所,高校の授業での話も3ヶ所あり,話を聞いてくれた人の数は合計1000人に達しています。「日本の政府は誠意ある謝罪をするべき」「それがアジアとの本当の友好をつくることになる」。そういう思いをもって,役割を分担しながら走り回っています。はつらつとして取り組むその姿は,見ていて本当に頼もしいものです。全国各地で青年雇用集会がひらかれていますが,若い世代の取り組みには,9条の会での活動もふくめて,新しい活気が生まれています。これはこの数年の重要な変化ということができます。
3)生活破壊に対する「がまんの限界」
その一方で,きちんとおさえておきたいのは,安倍政権の実力です。本当に強いのかという問題です。2005年9月の選挙に自民党は圧勝しました。その結果,国会での与党の議席は過半数を大きく超えています。しし,それにもかかわらず,06年春の国会,秋の国会はどちらも彼らの思うようには動きませんでした。たいへんな市民の抵抗があったからです。それどころか自民党は07年夏の参議院選挙を心配して,郵政民営化に反対した「造反」議員を何の筋目も通さず「復党」させています。そうしなければ選挙が闘えないとの判断です。そこには強者のゆとりは感じられません。あるのは市民からの反撃に対する恐れと怯えの気分です。
その根底にあるのが,貧困と格差の進行に対する市民の「がまんの限界」です。この原稿を書いている時点で,NHKは「ワーキングプアⅡ──努力が報われる社会ですか」(仮)を12月10日に放送するとしています。また11月9日の「ニュース23」では,「非正規雇用」の特集が組まれました。事前に労働組合へのかなり突っ込んだ取材があったと聞いています。非正規雇用の賃金は時給にして正規雇用の6割程度,社会保険もない,1日雇用の場合は明日の職場もわからない。いまや日本の全労働者の3人に1人が非正規雇用,15~24才の若い人たちは2人に1人が非正規雇用,過去1年の新規採用者の9割までが非正規雇用。
こういう実態を紹介した上で,非正規で働く労働者の生の声が流されました。「こんな生活でいいわけないことはわかっている」「将来を考えると不安になるので,あまり考えないようにしている」「明日どこの職場にいったらいいかを確かめるため,ケータイは手放すことができない」「自分たちだって正規雇用につきたい,でもどこにもそういう求人がない」。短い特集を見るだけでも,問題が個人にではなく,政府や大企業がつくった雇用制度にあることは明らかでした。こうして全国には,社会に対する大変な不満と怒りがうずまいています。
他にも,医療制度改革反対の署名が2000万に達したり,06年6月の住民税増税で大変な数の人々が役所に押しかけたりと,「もう耐えられない」という市民の爆発はすでに大きな規模で始まりつつあります。これは空疎な看板だけの「再チャレンジ政策」で,決して抑え込むことのできるものではありません。
4)安倍首相の右派への弁明
もうひとつ,安倍政権の大きな弱点となっているのは,その歴史観と内外世論とのあまりに大きな落差です。俵義文氏によれば,安倍内閣18人の大臣のうち11人は「日本会議議連」,13人は「神道議連」,12人は「靖国議連」,11人は「改憲議連」,7人は「歴史教育議連」にそれぞれ属しているそうです。結局,どれにも属していないのは公明党の冬柴交通相,民間からの大田経済財政相,自民党ではただ一人溝手国家公安委員長がいるだけなのです(『安倍晋三の本性』85~89ページ)。まったく見事な「オール靖国」です。
ところが,その内閣の長である安倍首相が,国会では「慰安婦」問題を謝罪した河野談話(93年)や「植民地支配と侵略」を反省した村山談話(95年)を継承するといわずにおれません。そして中国では「日本は歴史上、アジアの人々に大きな損害と苦痛を与えた。歴史を深く反省するという基礎に立ち、平和的発展の道を堅持するというのは日本の既定政策であり、変わることはない」(10月19日,人民日報)といわずにおれなくなりました。それが内外社会の常識であり,靖国史観をふりまわすだけでは誰も相手にしてくれないからです。それは部分的には,アメリカ政府や日本の財界からさえ批判の対象となっています。
そのため,安倍氏は「私が今まで述べてきたこととの関係で批判はあるだろう。その批判は甘んじて受ける」(日経新聞,10月10日)と右派に向かって弁明せずにおれません。さらに下村官房副長官は「一国会議員としての発言と首相としての発言は違って当然だ。首相が考えを曲げたとか、ひよったということではない」(北海道新聞,10月26日)と,懸命のいいつくろいをしています。北朝鮮の「核実験」をきっかけとした核武装発言にもあらわれたように,政権与党の中枢には軍事強行論者がたくさんいます。それが危険であることはまちがいありません。しかし,危険な政権と強い政権はイコールではないのです。私はこの政権と安倍氏個人に「安倍劇場」を演出する力があるとも思えません。この政権を支える基盤は決して強くないと思っています。
5)「憲法を守り,憲法どおりの社会をつくろう」
そうであれば07年の政治の行方は,市民の中の現状に対する不満と怒りの力を,政治の流れを変える力に変換できるかどうか,ここに大きくかかってきます。貧困や格差をめぐる不満や怒りには正当性があること。それを心に秘めず,おもてにあらわす権利が誰もにあること。それが子どもたちの未来を守る大人の義務でもあること。こうしたことを語り合い,励まし合い,市民の中に政治の転換を求める世論を強めることが大切です。
その時に,自民党政治にかわる新しい政治の方向が何かといえば,それは何より「憲法どおりの社会」をめざす政治でしょう。日本国憲法は「平和憲法」であるだけでなく,非常に豊かな内容をもつ「人権憲法」ともなっています。そこに平和を守る市民の世論と,仕事や暮らしにかかわる市民の「がまんの限界」が合流する,大きな可能性があると思うのです。人権憲法のいくつかの条文を紹介してみます。
①「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(第11条)。──日本国憲法は市民ひとりひとりの人権を「侵すことのできない」ものとして永久に尊重するというのです。
②「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(第13条)。──自分の幸福を追及するのは市民の当然の権利であり,政治はこれを最大限に尊重せねばならないというわけです。
③「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(第25条)。──政治は国民の生存権を守るために,社会保障の充実に努める義務を負っているのです。
④「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(第26条)。──お金がないことを理由に,教育を受ける権利が奪い取られる子どもがいてはいけないのです。
⑤「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」(第27条)。──勤労の権利のために,政治は最大限の努力をするのが当然であり,リストラやり放題など本来あってはいけないのです。
⑥「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」(第28条)。──正社員からアルバイトまで,はたらく者が組合をつくり,組合活動を行う権利は誰によっても侵すことができないのです。
安倍政権の政治が,これら憲法の精神にまるで反していることは明らかです。第25条と第27条をあわせて読めば,勤労権の中味が生存権を守る水準でなければならないことは明白であり,「ワーキングプア」を生み出すような勤労(非正規雇用)は,それ自体が憲法の理想に反するものとなっています。医療や社会保障の切り捨ても,高齢者いじめの増税も,経済的理由にもとづく子どもの学校中退も,どれもこれも本来あってはならないことなのです。
安倍首相は,この憲法を時代遅れだといいますが,それは憲法の理想が気に入らないということでしかありません。この憲法の理想に少しでも近づこうとする政治をつくるのか,あるいはこれを投げ捨てる政治をつくるのか,そこが今の日本の大きな分かれ道となっています。「憲法をまもり,憲法どおりの社会をつくろう」。このスローガンを高くかかげ,広範な市民の連帯と共同を育て,政治転換の力を鍛えていきましょう。
6)憲法を基準に選挙と政党を考える
2007年4月には一斉地方選挙があり,7月には参議院選挙が連続します。ここで憲法投げ捨ての勢力,平和・人権投げ捨ての勢力に負けるわけにはいきません。
9条の会など憲法を守る取り組みは,特定の政党を応援するものではありません。そこには様々な政党の支持者や構成員がふくまれており,また政党とはまったく無関係だという人も多いでしょう。しかし,この2つの選挙で改憲勢力を勢いづかせてしまえば,それが憲法を守る取り組みに大きな痛手となることは明らかです。そこで考えたいのは,日本国憲法に対する各政党の態度を学ぶ取り組みです。9条の会の取り組みは,学習を土台とするところに特徴があり,それがこの活動の強さとなっています。しかし,今のところ学習の内容は,多くが自民党の「新憲法草案」に焦点をあてており,他の政党がどういう態度をとっているかにまでは,十分視野が広がっていないように思います。
公明党は,選挙でも国会でも自民党政治を支え,自民党の「構造改革」や改憲の動きを支えています。憲法については,現憲法に新しい条項を加える「加憲」の立場をとっていますが,06年9月には加憲の内容に「自衛隊の法的認知」「平和への貢献」の名での海外派兵を盛り込みました。集団的自衛権については明確な態度表明ができていないようですが,海外派兵に道をひらくその立場は明確です。
民主党については,自民党の暴走を止めたいとの思いから,期待を寄せる人も少なくありません。しかし日本経団連が,自民・民主の二大政党で安定した財界本意の政治体制づくりを狙っているように,民主党は大枠では自民党と同じ路線の中にあります。05年11月の「憲法提言」には「制約された自衛権」の名で集団的自衛──アメリカが攻撃されたら一緒に反撃する──を盛り込み,また「国連の集団安全保障」の枠内であれば「武力の行使を含む」ともしています。これが9条第2項の制約を解き放つものであることは明白です。また非正規雇用拡大の「構造改革」路線についても,民主党は自民党とその速さを争う態度をとっています。
こうして共産党や社民党もふくめ,各政党の憲法への姿勢を学ぶ取り組みは,平和憲法の危機を憂う人々や,大企業大儲けのもとで非正規雇用・増税に苦しむ人々の力を,それぞれが願う政治の実現につなげる重要な役割を果たすものになると思います。現場の実情に応じて,ぜひ工夫をしてみてください。「政治のおもしろい一年」を,今年も私たちの力でつくりあげていきましょう。
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