以下は、中央社会保障推進協議会『社会保障』№413、2007年夏号、16~23ページに掲載されたものです。
前半は、ゼミの活動や学生の姿についての編集部のレポート、後半は石川のインタビューとなっています。
----------------------------------------------------------------------------
「慰安婦」と出会った女子大生たち
―ハルモニとともに考える日本の侵略と加害―
神戸女学院大学・石川康宏ゼミナールの取り組み
日本が第二次世界大戦中、朝鮮や中国をはじめ、侵略したアジアの国ぐにで女性たちの尊厳を踏みにじり、耐えがたい苦しみを与えた「従軍慰安婦」問題。
日本政府は、元「慰安婦」たちによる「強制連行の事実を認めよ」「公式に謝罪せよ」などの要求に背を向け続けてきただけでなく、安倍首相をはじめとして、「狭義の強制性はなかった」などと歴史的事実を否定する発言を繰り返しています。教育現場では、中学校の歴史教科書から「慰安婦」という言葉が消えてしまいました。
こうしたなか、神戸女学院大学・石川康宏ゼミナールは、「慰安婦」問題をテーマに取り上げ、実際に韓国も訪れて元「慰安婦」たちの証言を聞くなど、“行動的な学び”を実践しています。
研究室での勉強にとどまらず、自分たちの体験を語る活動も続けている学生たちの取り組みを紹介します。(構成・編集部)
私は朝鮮のある村に生まれました。
遠くに山が見える
小さな田舎の村でした。
貧しい生活でしたが、家族で
力をあわせて暮らしていました。
一四歳のある日、日本人に
声をかけられました。
あの頃の朝鮮には、日本の兵隊が
たくさんいたのです。
「いい仕事がある」「学校にもいける」
私は喜んで話を聞きにいきました。
でも、それはまったくの
デタラメでした。
だまされたと知り、「家に帰りたい」
と泣くと、なぐられました。
それでも泣くと、しばられました。
まっていたのは
地獄のような毎日でした。
私は「慰安婦」にさせられたのです。
好きでもない男たちに、毎日、毎日、犯されました。
まだ一四歳の子どもだったのに。
これは、神戸女学院大学・石川康宏ゼミナール編著『「慰安婦」と出会った女子大生たち』の冒頭に掲載されている、元日本軍「慰安婦」たちの物語です(一部を抜粋)。
同ゼミナールで学ぶ学生たちが、ハルモニたちから聞いた証言や、さまざまな史料にもとづいて制作しました(注・「ハルモニ」とは、敬意をこめて「おばあさん」を呼ぶ朝鮮語。ここでは元「慰安婦」被害者たちをさしています)。
ハルモニたちが、どのように「慰安婦」にさせられ、どんな思いを抱えてこれまで生きてきたのかが、ハルモニたちの描いた絵画とともにつづられ、その苦しみや悲しみが読む者の胸に迫ってきます。
石川ゼミでは二〇〇四年から、「慰安婦」問題をテーマにしてきました。実際に韓国にも足を運び、ハルモニたちが暮らしている「ナヌムの家」を訪問。併設されている「日本軍『慰安婦』歴史館」を見学するとともに、ハルモニから当時の体験を聞いています。また、「慰安婦」問題の解決を求め毎週水曜日、ハルモニたちが韓国の日本大使館前で取り組んでいる「水曜集会」にも参加しています。
帰国後には学内で報告会を開催。また、自分たちが学んできた成果を本にするなど、“ゼミでの学習”をこえた活動を展開しています。
こうした取り組みは、前掲の『「慰安婦」と出会った女子大生たち』や、その前年に出版された『ハルモニからの宿題―日本軍「慰安婦」問題を考える』(冬弓舎)にまとめられています。
今年六月には、三冊目となる『「慰安婦」と心はひとつ―女子大生はたたかう』(かもがわ出版)も出版。この本では、ゼミを通じて成長する学生たちの姿に焦点をあてるとともに、「慰安婦」問題について「強制はなかった」とする安倍首相の発言を痛烈に批判しています。
「加害の歴史を知りショックを受けた」
石川ゼミに来るまで「慰安婦」問題についてほとんど知らなかったという学生たち。この問題に出会って、何を感じ、考えたのでしょうか。
昨年四月から同ゼミで学び、現在四年生の小谷直子さんがこの問題に出会ったのは二年生の時。石川教授の授業で「慰安婦」問題を知ったのがきっかけでした。
「日本の加害の歴史を知り、とても驚きました。自分と歳の変わらない女性たちが軍のレイプの対象として扱われていた事実がショックでした」
もっと学びたい-その思いから、三年生になって「慰安婦」問題をテーマにする石川ゼミを選択しました。同ゼミは、毎週五時間にわたるハードなゼミで知られます。「友人には“私はよう入らんわ”と言われました」と小谷さんは笑います。
文献や映像を通じて「慰安婦」問題をみっちりと学習した後、九月には、韓国の「ナヌムの家」を訪問。元「慰安婦」の女性たちから証言を聞きました。
「お話ししてくれた姜日出(カン・イルチョル)ハルモニは、壁に何度も頭を打ちつけられて、その後遺症で今でも鼻血が出たり、手が震えたりするそうです。六〇年余り前に受けた傷が、今も彼女たちを苦しめているんです。決して昔の問題ではなく、今の問題だと実感しました」
「日本軍『慰安婦』歴史館」では、当時の「慰安所」を再現した部屋も見学しました。「狭くて暗い『慰安所』を見て、うまく言葉にならないくらいショックでした。実際にレイプが行われた場所ではないのに、被害を受けた女性たちが兵隊たちにされたことをリアルに想像してしまいました。倒れてしまったゼミ生もいます」。文献や映像を通じて知るだけでなく、こうした場所に実際に足を運ぶことによって学んだことは「本当に大きかった」と小谷さんは振り返ります。
「多くの人に知らせたい」伝える活動に取り組む
ハルモニたちは、「慰安婦」として強制連行した事実を日本政府が認め、公式に謝罪することなどを求めていますが、政府はこれに背を向けたままです。こうした現在の状況を「無視できないし、許せない」と小谷さんはいいます。問題の解決に向けて何ができるのか―小谷さんたちは、「慰安婦」問題をできるだけ多くの人に知らせ、広めていきたいと考えるようになりました。
そんな時、高校時代の恩師にすすめられて、これまでの学習や体験を教職員向けに話すことに。これがきっかけとなり、高校生たちに「慰安婦」問題の授業を行うことになりました。
「『慰安婦』問題とは何かについて、ビデオやスライドなどを使って説明するとともに、私たちの意見を話しました。重いテーマですが、年齢が近いせいか高校生たちもうちとけて聞いてくれました。授業後、ダーっと駆け寄ってきて“こんな事があったのは本当ですか?”と涙を流して話してくれた子や、“もっと勉強したい。どの大学に行けば勉強できますか?”と聞いてくる子もいました」
その後もゼミ生たちは、地域で開かれている学習会など、さまざまな場で「慰安婦」問題について話をしています。
「こんなことをしていても何も変わらないのではと、不安になることもあります。でも、私たちの話を聞いてくれた高校生が関心を持ってくれたり、“あらためて考えるきっかけになった”といった感想をもらえると、活動を続けていてよかったなと思います」と小谷さんは語ります。
視野が広がり、主権者意識が芽生えた
ゼミ生たちは「慰安婦」問題をより深く理解するために、日本が過去に行ってきた侵略と植民地支配の歴史や、戦後の日本の政治や韓国・朝鮮をはじめとするアジアの国ぐにとの関係などについても学んでいます。
そして、日本政府が「慰安婦」問題の解決に背を向け続けていること、こうした戦争を反省していない勢力が憲法「改正」を強力におし進めていることなどを知り、現在の政治の問題にも目を向けるようになったといいます。
「『慰安婦』問題との出会いは、私自身の視野を広げるきっかけになりました。日本の加害の歴史を学ぶとともに、日本とアジアの関係や憲法問題など、日本の政治の問題にも関心を持つようになりました。これまでは政府のする事に対しても、どこか人ごとのように考えていましたが、だんだん“目をそらしてはいけない。考えなくちゃ”と思うようになりました」
「石川先生は、六〇年以上たった現在も『慰安婦』問題を解決しない日本政府をつくっているのは、私たち国民だといつも話しています。私たちが変わらなければ何も変わらない。“自分には関係ない”のではなくて、私たちがこの国をつくっているという意識をもつことが大切だと感じました」と話す小谷さん。ゼミで学んだ貴重な経験を生かしながら、一日も早い問題解決のために今後も行動を続けていきたいと考えています。
《参考文献》
*『ハルモニからの宿題—日本軍「慰安婦」問題を考える』(冬弓舎、二〇〇五年)
*『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(新日本出版社、二〇〇六年)
*『「慰安婦」と心はひとつ-女子大生はたたかう』(かもがわ出版、二〇〇七年)
(いずれも、神戸女学院大学・石川康宏ゼミナール編著)
※小谷さんの発言は主に、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」主催のシンポジウム「私にとっての『慰安婦』問題」(二〇〇七年六月二日開催)によりました。
■インタビュー
過去のあやまちへの反省がなければ この国の未来は拓けない
神戸女学院大学教授 石川康宏
ゼミの指導教授として、また、ゼミ生とともに「慰安婦」問題を学んでこられた石川康宏教授に、この間の学生たちの学びや成長について、また、「慰安婦」問題について歴史的事実を否定する政治家の発言に対して意見をうかがいました。
――ゼミの学生たちは、「慰安婦」問題を通じて日本の近現代史からいまの日本の政治まで、実に幅広く、かつ深く学んでおられますね。また、ゼミでの学習を通じて「いまの政治を変えるのは私たち」と考えるに至っています。こうした学生たちの成長を、指導教授としてどう捉えておられますか。
教師の意見を押しつけない
石川 神戸女学院は、いわゆる関西の“お嬢様大学”です。地元に根づいた伝統校で、ボランティアや奉仕活動はあっても学生運動や政治的な動きは歴史的にも少ない学校です。
三年生の四月にゼミがスタートする段階では、学生たちは「慰安婦」問題についてほとんど何も知りません。春休みの宿題で本を何冊か読んだだけでゼミにやって来ます。
ゼミは毎週月曜日の午後三時から八時まで、五時間かけて行います。ここで注意していることは、「慰安婦」問題については賛否両論がありますから、教師の意見を押しつけないようにしているということです。これを押しつけてしまうと、自分の疑問が解決せず学生には不満が残ります。問題点や論点は私も提示しますし、相談されれば文献も紹介しますが、それぞれの疑問を解決するのは学生自身に任せています。学生が自分で本当のことを探っていくプロセスを大事にしているということです。
また、映像を多く観るようにしています。今年の三年生がこれまでに観てきたものとしては、「慰安婦」問題を扱ったもののほか、侵略戦争をテーマにしたものや憲法問題、日本の軍需産業、イラク戦争を扱ったものがあります。
戦争やレイプは学生たちが日常的に接する問題ではないため、実感としてなかなか理解できません。私自身は戦後十二年目に生まれていますが、ゼミ生たちが生まれたのは一九九〇年頃で、物心ついたときには二一世紀です。「戦争の悲惨」といっても、頭に浮かぶものが私たちの世代とは全然違うのです。ですから、問題が具体的にイメージしやすいように映像を使って学習しています。
外に向けて発言するように
また、いろいろなところに出かけるようにもしています。この六月には、東京の「女たちの戦争と平和資料館」で、「中学生のための『慰安婦』展」のオープニングイベントとして開催されたシンポジウムに参加しました。この時には、パネリストとして四年ゼミ生の一人が発言しています。その翌日には「しょうけい館」と「靖国神社・遊就館」を見学しました。戦争に対してまったく評価の違う意見に接し、それぞれが自分のアタマで考えずにおれなくなる、という状況を作るようにしています。
九月には韓国を訪問して、「ナヌムの家」でハルモニたちにお会いし、日本軍「慰安婦」歴史館を見学します。当時の「慰安所」が再現された部屋を見学すると、毎年必ず誰かが倒れています。歴史館の見学や、実際に被害者に会うことで、「慰安婦」だった方がたの痛みや苦しみを、学生たちは肌で感じていくわけです。学生たちも、机の上で学習するだけでなく、体で学んだことが大事だと言ってくれます。
「ナヌムの家」訪問の翌日には、ハルモニたちが続けている日本大使館前での「水曜集会」に参加して、発言もします。ここで何を発言するのかについても、すべて学生たちが決めています。昨年は「日本の政治を変えなければダメだ」と発言していましたが、前日の夜の議論のスタートは「(解決のために)政府に協力してもらわなくちゃ」というものでした。「でも、戦後六〇年間、政府は協力していないよね」という話になり、最終的に「政治を変えなければ」との結論になりました。たった一晩の議論で変わっていくわけです。自分たちが集中して考え、責任をもって意思表示をしなければならない立場に立たされたとき、学生たちは一足飛びに変化します。
いまの四年生は、帰国してから、自分たちの体験を語る活動に取り組みました。地域で行われている学習会など、すでに十数カ所に出かけています。学生だけで話に行くこともあり、「“日本政府は謝る必要はない”という人とバトルしてきました。いい勉強になりました」という学生も出ています。なかなか精神的に強くなっているなと感じています。過去三年間「慰安婦」問題をテーマにしてきましたが、みんなで外に向かって発言するようになったのは、この学年からですね。
――予想以上の学生たちの成長に驚いていらっしゃいますか。
石川 このテーマをとりあげた当初は、ハードな政治問題に学生たちがついてくるのかと心配しました。「水曜集会」も、参加するか見学だけにするかは学生たちが決めています。しかし、一年目から学生たちは「参加します」と言ってくれました。これには、正直びっくりしました。
「水曜集会」に行けば、大使館の前に日本の機動隊のように盾をもった警備隊がいて、ものものしい雰囲気です。また、韓国の集会は“絶叫調”で、緊張感もかなりのものです。日本でさえ、そうした集会に参加したことのない学生が、しかも抗議する相手が日本政府となれば、その緊張感から逃げ出したいと思いたくなるのは当然です。そのなかで学生たちは「集会に参加しているハルモニたちの顔を見たら逃げ出すわけにはいかないと思った」という体験をしていきます。
環境さえ与えられれば、いまの若者も政治を良く考えるし成長するということを強く感じています。
「従軍慰安婦の強制連行はなかった」のか
――「慰安婦」について「狭義の意味での強制性はなかった」などの発言が政治家からあいついでいますが、この間、「慰安婦」問題を学んでこられた立場から、ご意見をお聞かせください。
石川 「だまして連れてはいったが、暴力を使って強制的に連れていったわけではない」「業者は強制連行したかもしれないが、直接、軍がやった資料はない」などと言った発言ですね。
しかし、監禁して脱出の許されないなかで数カ月から数年にわたり軍人たちがレイプする、そのことの強制性は彼らも否定しようがありません。そのための施設は日本軍がつくり、女性たちの輸送や性病検査など、軍が徹底的に管理していたのは軍の資料によっても明らかです。ですから、連れていく瞬間だけの「強制性」などという苦しまぎれを言うしかないわけです。
現代の誘拐事件を考えても、「狭義の強制性」を示す資料がないから犯罪ではない、そんな言い分は通りません。目の前で人が誘拐されても、強制性を証明する文書資料など残りません。そこでは、加害者や被害者、目撃者の証言が決定的な役割を果たします。
こんな理屈を通せば、拉致問題の追及もできなくなってしまいます。だから国際社会は、北朝鮮を批判する時と日本の過去を考える時で、まるで判断の基準が変わってしまう日本政府を、卑怯で見苦しいと批判するわけです。過去のあやまちを真剣に反省しなければ、現在の問題も解決できず、未来の歴史も拓けません。
(おわり)
最近のコメント