以下は、第53回日本母親大会記録『わたしたちはあゆみつづける』(第53回大会は、2007年8月25・26日開催)、44~48ページに掲載されたものです。
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問題別集会「女性と権利・労働」
講演「安倍首相が描く『美しい日本』と女性(要旨)」
石川康宏(神戸女学院大学)
今日のお話しは、女性たちの働く自由や権利が、財界・大企業によってどのように蝕まれているのか、また靖国派が女性の地位をどのように低めようとしているのかという問題です。
(1)現代日本の女性は「家庭・低賃金・非正規雇用」に追い込まれている
社会的な労働力配置の男女格差を見ていきます。人間の働くエネルギーは職場だけでなく、本来、家の中や地域などいろんな形で発揮されますが、第一に、男性たちはもっぱら、企業社会の中でこれを発揮し、女性たちは、家庭や地域に追いやられているという現状があります。
100人中、何人が働いているかという比率の男女差をみると、先進14カ国のなかで、日本は2番目に格差の大きな国になっています。
それは、男女の一日のすごし方の差に現われます。先進12ケ国の比較で、日本男性の家事労働時間は、週7日を平均して1日27分と最短です。日本女性の家事労働時間も3時間程度で決して長くないのですが、それでも両者の格差は12ケ国中最大です。
第二に見ておきたいのは、全労働力の40%を超える女性が、男性とのあいだに大きな賃金格差をもたされているということです。男性一般労働者の賃金を100としたとき、女性一般労働者は65・7。パートを含む男性労働者を100としたとき、パートを含む女性は51・3で約半分になっています。男性一般労働者を100として時給で比較すると、女性一般労働者は68・8、男性パートは50・6、女性パートは45・2と下がります。正規と非正規の格差にくわえて、そこに男女の格差が絡みついているわけです。
第三は、女性がより多く非正規雇用に追い込まれているということです。いま全労働者に占める非正規雇用の比率は32・6%、働いている人の3人に1人となっています。そして、アンケート調査でみると、非正規雇用を増やすのは、「労務コスト削減のため」と80%以上の経営者が答えています。企業利益のために正規雇用が減らされ、非正規雇用が増やされ、それがワーキングプアの温床となっています。
非正規雇用には、パートやバイト、派遣、契約、嘱託、臨時など、いろんな種類がありますが、その中で一番賃金が低いのはパートです。男性非正規の内訳は、アルバイトが6・0%、契約・嘱託が5・2%となりますが、女性はパートが32・8%を占めており、全女性雇用者の三分の一が、もっとも給料が低いパートの領域に追い込められているわけです。これが女性に貧困をおしつける重要な仕掛けとなっています。働いても安い給料しかもらえない。これは本人の問題ではなく、社会のしくみ、雇用の制度、雇う側の姿勢の問題です。
こうした非正規雇用の増大は、日本女性の年代別労働力率を示す、例のM字型雇用の形にも変化をあたえています。見かけ上変わってきているのはM字の谷の部分があがってきていることですが、しかし、内容は非正規雇用者の増大です。もう一つ、重大な変化は、若い年代は正規雇用が主流でしたが、いまは非正規雇用が増えてきています。結局、見かけ上はM字型が、ヨーロッパの逆U字型に少し近づいているのですが、内実はむしろ、若いときから食えないという働き方が、増えているわけです。これは喜んでよいことではありません。
(2)女性の社会進出を抑えこんできた戦後の政財界
「女性の労働力率」の変化を総務省の資料で見ると、55年56・7%、75年45・7%、05年48・4%と、むしろ数字は下がっているのが実情です。戦争直後は、農業、林業、水産業など、家族労働の一環として働く女性が多かったのですが、高度経済成長でこれらの産業が衰退し、外で雇われて働く人が増えていきます。しかし、1950年代に、結婚定年制などの若年定年制が導入され、いったん就職しても25歳とか、30歳とかで首を切られ、専業主婦でしか生きられなくなってしまう。そういう女性が増やされてきたという歴史があるのです。
多くの先進国で女性の労働力率が高くなった戦後の時期に、日本はなぜそうならなかったのか。それは、政財界によって、男性中心の格別な長時間労働体制づくりが追求されたためです。
戦後の日本の労働時間には、ほとんど変化がありません。1950年だと、西ドイツ2326時間、日本2272時間、アメリカ2171時間、フランス1989時間、イギリス1958時間といた年労働です。これが2003年では、日本がサービス残業こみで2273時間、アメリカ・イギリスは1900前後、フランス・ドイツが1500台前半です。日本とドイツは年間750時間ぐらいの差がつきました。年250日働くとすると、毎日毎日3時間の差です。たった50年ほどのあいだに、このものすごい差ができたのです。
この長時間で、しかも低賃金過密の労働の中で、男性は、心身の健康を守ることに精一杯という状況です。しかし、それで労働者が壊れてしまえば、大企業はせっかくのこの体制のうまみを失うことになってしまいます。そこで、その男性労働力のメンテナンスを行う人間として、意識的に専業主婦が配置されます。かつて職場結婚では女性が退職するのが当然とされました。女性をメンテナンスにまわして、企業は男性をいままで以上に職場にはりつけることをねらったからです。くわえて主婦のもう一つの役割は、未来の若々しい労働者、つまり子どもを確実に育てることです。
1962年に中央産業教育審議会は、「高等学校家庭科教育の振興方策について」という文書で、家庭を「女子がその経営にあたることはおのずから要請される」。だから家庭科教育は「近い将来みずから家庭生活を営むという心構えが芽生えつつある高等学校の段階」に不可欠だとしました。
また68年の文部省の「家庭の設計」という文書は、家庭における女性の役割を、次の5つにまとめています。「第一は家庭管理者しての『主婦』の役割、第二はストレスの多い社会に生きる夫に、よりよき生理的・心理的再生の場を与える『妻としての役割』、第三は、子どもの成長を正しくあらしめる『母としての役割』、第四は、自らも働く『勤労者としての役割』、最後は、社会活動に参加し、よりよい社会をつくる『市民としての役割』」です。こうして、この時期には、子どもへの教育も活用して、男性長時間労働体制確立のために、政財界が力をあわせて女性を家庭に閉じ込めていったのです。
ですから、今日の日本は、先進国中最悪の労働条件と、これまた先進国ではまれに見る女性差別がぴったりセットになって存在しています。これは戦後日本企業社会の重要な特徴となっています。
主婦は生産関係の外にあるものではありません。社会のなかで資本主義が、どうやって日々継続していくかという関係の中で、専業主婦は主に労働力の生産(夫)と再生産(子ども)をになっている。もし資本主義にとって不用であれば、こんなに主婦が増える道理はありません。だから、高度成長の半ばに、男性だけでは手が足りないから女性をパートで活用しようという文書が、政財界からさかんに出されますが、そこにも家庭責任は女性にあるという文言が必ずついていました。
こういう状況の中で、男女平等を求める職場のたたかいは、60年代から裁判闘争という形で発展します。1966年に住友セメントの裁判勝利で、女だけの結婚退職制は憲法違反とされました。その後、女だけの30歳定年制や出産解雇との闘い、男女定年差別との闘いなどがつづきます。そうして一つ一つ、財界や政府の大きな後ろ楯をもった企業との闘いの中で、女性差別の扉はこじ開けられてきたわけです。
1979年には女子差別撤廃条約が国連で採択しれます。男性と同じように働きたい女性には、その環境が保障されるべきだ、そのためには男女共通の労働時間短縮が必要だという闘いが始まったわけです。
ところがこれに対してさすが財界です。政府側の「労働基準法研究会」は、「早い機会に男女平等を法制化することが望ましく……同時に保護規定について合理的理由のないものは解消しなければならない」と述べ、 平等はあくまで「男並み平等」「過労死の平等で」という路線を打ち出します。そうすれば男性中心の長時間労働体制は崩れないからです。85年には雇用機会均等法が成立しますが、99年実施の均等法改正の際には、労働基準法の女性保護規定が全廃されました。財界もなかなかしたたかです。
ふりかえってみると明らかなように、女性たちの働く権利と自由を拡大するためには、男性の労働条件もふくめ、この国の労働のあり方を根本から変えるための、政財界との闘いが必要があります。一つは、男性と女性の権利に差をつけない、差別の撤廃です。二つは、男女ともに共通で労働時間を短くするということです。三つは、保育所や介護などの社会保障制度の拡充です。これらを勝ち取るためには、労働者の団結が必要です。正規と非正規、男性と女性がそれぞれバラバラでは勝てません。それを喜ぶのは政財界です。
(3)男女平等を敵視する靖国派の動き
さて、最近、かつての戦争を正しいと主張する靖国派の人たちが、改憲案に「家族の保護」という新しい規定をつくり、「祖先を敬い、夫婦・親子・兄弟が助け合って幸福な家庭をつくり、これを子孫に継承していくという、わが国古来の美風としての家族の価値は、これを国家による保護・支援の対象とすべきことを明記する」といいだしました。そうでないスタイルの家族は保護に値しないということでしょうか。しかし、ここで「わが国古来の美風」といわれているのは、日本史上、女性の無権利がもっとも進んだ明治時代のことです。
安倍内閣のもとでつくられた「教育再生会議」は靖国派の教育方針を政治におしつけ、戦後教育を総否定しようとしています。97年には「日本会議」「新しい歴史教科書をつくる会」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が一度に作られ、その前後からジェンダーフリーに対するバッシングがひどくなってきます。
その彼らがいまねらっているのが、「男女共同参画社会基本法」の廃棄です。廃棄すると、彼らの「美しい日本をつくる会」は言っています。その設立趣意書は、「昨今のわが国の状況をみますと、援助交際や中絶の権利を声高に叫び、学校では青少年の性の淪落を勧める内容が教育という名のもとで行なわれております」「こうした社会や学校の乱れの原因は、共産主義的フェミニズムに根ざした男女共同参画社会基本法でございます」「(これを)廃棄しなければ、遠からずわが国は亡国の危機に直面することになりましょう」といっています。
しかし、この異常な逆流は、さすがに政財界内部にさえいろんな摩擦やあつれきを生みました。アメリカからも強い批判を受けました。またこれは国民が参議院選挙で自民党を大敗に追い込む非常に大きな要因となりました。それにしても、本当に驚くほどの時代錯誤です。
(4)憲法どおりの日本をつくるとりくみを
とはいえ安倍靖国派内閣が、歴史的大敗を喫して、少々靖国派が後退したとしても、改憲の力は、依然強く残っています。私たちは、こういう政治づくりをしようと、めざすべき政治の中身を語る力を鍛えねばなりません。その内容は「憲法どおりの日本をつくろう」ということです。憲法は男女の平等、平和、生存権、労働権、教育権など、国民生活の充実に必要な多くの理想をかかげています。長年の自民党政治がその達成をサボリつづけたため、日本は憲法は立派だが、社会は問題だらけという国になっています。それを憲法を国づくりの本当の指針にしていく政治に転換していく必要があると思います。
それをすすめる上で大切なのは、学ぶ取り組みの充実です。政治をかえるには、何より人間がかしこくならなければなりません。世直しの運動とは、世の中の動きを見通すことのできる人をふやす運動です。そのためには、まずここにいるみなさんが、学びのネジを巻きなおさねばなりません。小さな子どもが6時間も学んでいるのに、日本の平和がと叫んでいる大人が一日30分も勉強しない。これでは夜中が変わる方が不思議です。
全会員が毎日一時間の独習をする。これをみなさんの運動の新しい伝統として、本気でつくりあげていただきたいと思います。
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