「歴史の『真実』を学ぶ旅 ハルモニをたずねて」(第1~4回)
神戸女学院大学・石川康宏
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第1回・「慰安婦」問題に取り組んで
〔今もつづく「慰安婦」問題〕
みなさんは日本軍「慰安婦」問題を知っていますか? かつての侵略戦争で日本軍は,戦場での兵士の性欲を「処理」するために,数万とも数十万ともいわれる若い女性を「拉致」し,長期にわたって一方的なレイプを繰り返しました。被害者には当時植民地とされた朝鮮の女性が多く,10代前半の幼い子どもも少なくありません。1日に60人の相手をさせられたという証言もあります。
「慰安所」は民間業者による商行為だったという主張がありますが,「慰安婦」の輸送や調達,「慰安所」の建設や運用に関する軍の文書も残っており,事実上の経営主体が当時の日本政府と軍であったことはすでに明白です。
被害者の中には,途中で自殺した女性もあり,日本兵に殺された女性もいます。また,たとえ死にいたることなく「解放」(戦争終結)の日を迎え,生まれ故郷にもどることができたとしても,多くの女性を待ちかまえたのは,病気とトラウマ,偏見と差別など自己肯定感とは無縁の長い人生でした。
苦しみに耐え,長く沈黙のうちに身と心を閉じ込めていた被害者ですが,繰り返される日本政府の暴言に怒りをおさえることができず,1990年代には「私が『慰安婦』です」という勇気ある告白を開始します。そして,日本政府に公式の謝罪を求め,歴史教科書をつうじて子どもたちに真実を教え,二度と同じ過ちが起こることのない保障づくりを求める取り組みに立ち上がりました。しかし,このうめくようにふりしぼられた被害者たちの声に,日本政府は今日まで誠意あるどのような対応も行なっていません。
この全体がいわゆる「慰安婦」問題です。「慰安婦」という名の性奴隷を生み出し,「慰安所」という名のレイプセンターで,彼女たちに毎夜のレイプを繰り返したのは60年前の日本人たちです。しかし,その歴史の事実を隠し,謝罪さえしない現在の政府をつくっているのは,今に生きる私たちです。私は,現代日本の誰一人として,その責任から自由ではないと考えています。
〔教室と社会がむすびつく〕
私たちのゼミは2004年・2005年と,この日本軍「慰安婦」問題に取り組んできました。教室で学び,「夏休み」には韓国の「ナヌムの家」にかつての被害者を訪れ,直接その体験をうかがい,併設された「日本軍『慰安婦』歴史館」に学び,またソウルの日本大使館前で日本政府に謝罪を求める「水曜集会」に参加してきました。
2004年の3年生たちは,韓国訪問の後,ここで自己満足してはならないと,学内で報告会を開き,また大学に対して「慰安婦」問題を学ぶ講義を求め,「ナヌムの家」の被害者に大学で証言を行なってもらう機会を要求しました。これらの取り組みは実をむすび,被害者は今年12月20日に大学へやって来ます。また授業科目は「慰安婦」問題を含む「戦時性暴力」をテーマとして,来年4月には開講の予定となっています。
さらに学生たちは,より多くの学生・市民に問題を考えてもらうための本をつくることに挑戦しました。『ハルモニからの宿題』(冬弓舎)がその成果です。ハルモニというのは朝鮮語で敬意を込めて「おばあさん」を呼ぶ言葉です。10月に準備をはじめ,3月には出版というあわただしさでしたが,この学生たちのがんばりが翌2005年のゼミと大学に,ある種の空気を育てる力となっていきました。大学での学びは,いまある社会の問題と結びついている。そのあたりまえの空気が,静かに広がりはじめたのです。
第2回・すべてを疑い,自分の頭で確かめる
〔自分の頭で考える〕
2005年の3年生ゼミの学びは,春休みの宿題からはじまりました。吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書),不破哲三『歴史教科書と日本の戦争』(小学館)の2冊を読んで,全員が要約レポートを書きました。これが,ゼミ開始時点でのゼミ生共通の知的出発点となっていきます。
4月からのゼミでは,まず先輩たちがつくった『ハルモニからの宿題』を学びました。テキストを事前に読み,その中で自分が関心をもった事柄を調べ,その調べてきたことを互いに報告しあって議論するというやり方です。その結果,たとえば4月18日の第2回ゼミでは,早くも日韓基本条約,人身売買,教科書問題,関東大震災と朝鮮人虐殺,キーセン観光,天皇制,クマラスワミ報告など,「慰安婦」問題にかかわる重要なテーマが次々と学生の側から語られていきます。
「慰安婦」問題はなかったとする立場の文献も検討しています。5月16日には,新しい歴史教科書をつくる会『新しい日本の歴史が始まる』(幻冬舎)の座談会を,また6月6日からは1ケ月をかけて西尾幹二・藤岡信勝『国民の油断』(PHP研究所)を読みました。「ここに書かれていることは本当だろうか」と疑問を出し合い,その問題を自分たちで調べ,確かめ,次の回のゼミに報告しあって議論するというやり方です。たとえば6月13日には,幕末日本をめぐる国際的圧力,日清戦争後の国際情勢,琉球の歴史,マッカーサーの北東アジア認識,反日教育の実態などが大きなテーマとなっています。
さらに7月4日には,出版されたばかりの日中韓3国共通歴史教材委員会『未来をひらく歴史』(高文研)に進みますが,この時点ではすでに,どのようなテキストも鵜呑みにすることなく,自分たちが主体となって事実を確かめていくという読み方が定着していました。この読み方は,様々な主張がぶつかりあう問題を自分のあたまで考えていくうえで,非常に有効なやり方だと思っています。
〔歴史をリアルに体感するために〕
他方で,ゼミではたくさんのビデオを見ることに時間を割きました。戦争やレイプ,大量虐殺など,私たちが日常生活では実感しづらい出来事を,できるだけリアルに体感しようと考えてのことです。『証言・侵略戦争』『沈黙の歴史をやぶって』『ハーグ最終判決』『日本の慰安婦問題』『写真に記録された「慰安婦」』『証言・中国人強制連行』『ビルマの日本軍慰安婦』『アウシュビッツからベルリンへ』『大娘たちの戦争は終わらない』等です。「慰安婦」を強制された被害者の苦悩と憤りの強さ,「私が殺しました」と語る元日本兵の涙の声,そして中国人の屍の山,ギッシリとならんだ頭蓋骨,これらの映像が人の人生や命の重みを直接肌に伝えてくれます。
通常の授業は90分ですが,私たちのゼミは3時から8時までの毎週5時間が普通となっています。このハードな学びを了解したうえで学生はゼミに加わっていますし,たくさんのゼミ生が学び調べる主体となれば,5時間は決して長すぎるものではありません。
第3回・「現実」にとびこむことを恐れない
〔直接歴史にふれることができる場所〕
今年も9月12日から15日まで3年生ゼミで韓国を訪れました。3年生たち15名の他に4年生,卒業生,他大学の学生,一般市民の計5名も同行しました。夏休みの集中学習として,8月31日には朝10時半から6時までのゼミも行なっています。その日は『未来をひらく歴史』を検討し,靖国神社の就遊館で手にいれた大本営編集のビデオ『帝国海軍・勝利の記録』も見ています。
韓国のソウルへは,9月12日夜8時の到着となりました。13日の朝からさっそく「ナヌムの家」へと移動します。たくさんの資料がそろった「日本軍『慰安婦』歴史館」では,スタッフの詳しい解説を聞き,時間をかけて学んでいきます。再現された「慰安所」の前では,1人の学生が倒れてしまいました。彼女はほどなく学びにもどることができましたが,それほどまでに,ここにある事実が見る者に与える力は大きいということです。
帰国後の小さなレポートで,ある学生はこう語りました。「衝撃的なことばかりで,ショックを受けました。日本で勉強してきたはずなのに心にズーンと重たかったです。涙が出ました。ここは本を読むだけでは知ることができない体験ができる場所だと思いました。直接歴史にふれることができます。なぜ先生が私たちをここに連れて来たかったのかがわかった気がしました」(F・Yさん)。
夕方には,かつて「慰安婦」を強制された被害者から直接証言をうかがいました。語ってくれたのは,ムン・ピルギ・ハルモニです。「15才で騙されて中国へ連れ去られた。『オマエたちの国は,オレたちが奪った,だからいうことを聞け』そういわれるのが一番悔しかった。焼けた火かき棒を脇腹にあてられ,病院に送り込まれたこともある。週末には1日20人のセックスの相手をさせられた。ようやく家にもどれたのは3年後だった。小泉内閣はどうして謝らないのか。日本人は本当にひどい」。うつむきながらの小さな声での証言ですが,内容は聞くものを圧倒します。このような証言をした夜,ハルモニは眠りながらうなされることもあるのだそうです。
〔「逃げてはいけない」〕
学生たちは書いています。「(話を聞いて)こわくて仕方がなかった。聞くだけでこわくて仕方がないのに,体験したハルモニはどうだったんだろう。私にはわかりきれないのではないかと思った」「話を聞いているとき,自分のおばあちゃんと重なって見えて現実から目をそらしたくなってしまった」「(でも)私たちも逃げてはいけない。ここで逃げたら,またずっとハルモニを苦しめつづけることになる」(F・Tさん)。
「証言は,言葉ではどう表現すればいいかわからないほど私に重たくのしかかった。ハニモニが日本人たちは本当に憎いとおっしゃったときは,ずさっと胸に突き刺さった。日本が憎くてもいい。当然だ。せめてハルモニが日本に望むことを知り,それをかなえる努力をしたいと今は思っている」(K・Rさん)。
夕食づくりを楽しんだあと,学生たちはペ・チュンヒ・ハルモニとカラオケを楽しみました。屈託なく笑い,ハルモニとふれあい,お菓子を食べて歌を歌う。しかし,その心の中には,この日,自分たちが見聞きした事実や,自分たちがおかれた立場をどうとらえ,どう消化するかについての問題整理の過程があったのでしょう。この日の体験の力は,翌日の「水曜集会」につながります。
第4回・歴史をうけつぎ,歴史をひらく
〔「水曜集会」に参加〕
9月14日朝,私たちは「ナヌムの家」を後にして,8人のハルモニとともにソウルの日本大使館前へと向かいました。日本政府に「慰安婦」問題の誠意ある解決を要求する第674回の「水曜集会」に参加するためです。集会でひろげる横幕は,前日の夕食の前につくっておきました。「謝罪しよう。私たちは本当の日韓友好を実現したい」。白い布の中央に,こう大きくハングルで書きこみました。そして,そのまわりに全員が日本語で一言ずつを書き込んでいます。
会場へ向かうバスのなかで,集会での発言者を決める「あみだくじ」が行なわれました。この方法に誰からも不満が出なかったのは,誰が当たっても,その役割を引き受けるという構えがあったからでしょう。1時から集会がはじまり,大使館を警護する警官隊と70~80人ほどの集会参加者のあいだに横幕を広げ,学生たちは次のように発言しました。
「この横幕には『謝罪しよう』と書きましたが,ここには日本政府だけではなく,日本国民みんなで謝ろうという思いが込められています」(H・Tさん)。「昨日証言してくださったハルモニの手はすごく小さくて,体も小さくて,こんな小さな体で,大きな軍人の相手をしていたかと思うと本当に胸が痛みました」(Oさん)。「歴史は『知らなかった』ではすまされません。私たちは選挙権を得て,日本という国をつくっていく立場になりました。自分たちが学んでいることや,実際に見たことを友人やまわりの大人に伝えていきます」(N・Aさん)。集会の最後には,日韓の若者たちが手をつないで力をあわせる,韓国流のにぎやかなパフォーマンスにも参加しました。
〔歴史の「担い手」として〕
帰国後の私たちには,この体験と「慰安婦」問題の解決にむけた願いをどう広げるかという課題が残されました。ある学生はこう書いています。「毎週毎週,違う日本人がきて,『きれいごと』をならべて,自己満足して帰っていった。ハルモニたちに,そう思われない行動をこれから示さなきゃいけないと思っています」(H・Tさん)。「私たちは『歴史の目撃者』であると同時にその担い手でもなくてはいけません。目撃した後のステップが大切だということを自らの水曜集会への参加という体験でも身にしみて実感することができました」(S・Mさん)。
秋の第1回ゼミでは,さっそく次の取り組みが具体化されました。まずは学内報告会です。韓国での行動を記録したビデオを上映し,あわせて「慰安婦」問題とは何か,私たちはそれをどう考えるかについての導入学習的な報告を行ないました。新しい本づくりについては,つくりたいという声と手にあまるという声の両方が出ています。他方,韓国の国会が元「慰安婦」のための記念館建設を決議し(2004年),「戦争と女性の人権博物館」が2006年にソウルに建設される予定である一方,同じソウルで交流した韓国の学生たちの多くが「慰安婦」問題に強い関心を示さなかったことは,学生たちに新たな整理の課題をなげかけてもいるようです。
いま大学には「9条の会」や,映画『ベアテの贈りもの』の上映(主催は学院)に取り組む学生たちがいます。2004年に始まった私たちの「慰安婦」問題への取り組みは,学内のこうした活動を生み出すうえで,大きな力を発揮したと思っています。私たちのゼミのスローガンは「はげしく学び,はげしく遊ぶ」です。この連載では紹介できなかった「遊ぶ」の部分もふくめて,詳しい韓国旅行の様子については,次のサイトをご覧ください。(http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/)。
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