以下は、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会機関紙『アジア・アフリカ・ラテンアメリカ』№583、2009年1月1日号に掲載されたものです。
四ツ谷光子氏(日本AALA理事)、鰺坂真氏(関西大学名誉教授・大阪AALA代表理事)との座談会ですが、石川の発言部分のみをアップします。
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座談会 2009年の世界は、日本は 人間社会の新しい発展の成熟に向け
(オバマ大統領誕生について・1)
そうですね。アメリカ世論が、現状からの転換をもとめずにおれない政治が長くつづいてきた、だから「チェンジ」というスローガンが共感を呼んだのでしょう。ブッシュ政権のもとで戦争政策がうまくいかない、国民の経済生活がいっこうに改善されない、そこに大きな金融危機が覆い被さったこともあって、そういう社会の閉塞状況をなんとか打破してほしいという願いにオバマさんの訴えがうまく響いたということです。
ただ、もう少し長い目でみると、アメリカの支配層の内部に、ブッシュのようなイラク、アフガンの戦争を軸にした外交ばかりやっていていいのかという問題意識が、すでに生まれていたということは注目しておく必要があると思います。それはブッシュ政権の1期と2期で、対中国政策がかなり大きく変わったという形で、すでに現れていたことですが、そういう問題意識が生まれてきたのは、南米やヨーロッパやアジアなどの台頭による実際の世界構造の大きな変化のためでした。そこら、その変化にアメリカ外交がうまく対応できていないという危機意識が生まれてきたわけです。アメリカの外交は、失われた国際的威信の回復に向けた努力を余儀なくされることになるでしょう。
(オバマ大統領誕生について・2)
大統領選挙の途中で、民主党が政策綱領に核兵器廃絶をはじめて書き込み、オバマさんもこれを口にするようになりました。他の国がもっているあいだはアメリカも保有するということですから、率先して廃絶の道に進むというわけではありませんが、それでもこういうことをいわずにおれなくなっていることは重要です。そこには日本を拠点とする原水爆禁止を求める世論の高まりが反映していますし、またアメリカの圧倒的な軍事的優位が崩れるもとで、世界における核兵器の存在が逆にアメリカを危険にさらすという認識が、支配層に生まれ始めているという事情もありました。
(アメリカ発の金融危機について)
そもそもカジノ経済はモノやサービスをつくり、販売し、消費する実体経済の上に成り立つものです。そこで、今日の資本主義経済をカジノ経済と実体経済にわけて考えるなら、実体経済については、まずアメリカが圧倒的な経済大国である時代が、明らかに終わりに近づいているという点が重要です。戦争や平和の問題で孤立を深めているだけでなく、世界の経済構造変化の中で、アメリカは経済的地位を低めています。これにかわって浮上するといわれているのがBRICs(ブリックス)です。ブラジル、ロシア、インド、中国の4ケ国です。2035年には、この4ケ国でG7(7ケ国)よりもGDPが大きくなると見込まれています。
また、先日、CIAなどで構成するアメリカの国家情報会議が「世界潮流2025年・変化した世界」(08年11月20日)という文書を発表しましたが、そこではアメリカ自身が、2025年をアメリカ・中国・インドの3国並立の時代と描いています。経済の中心が欧米と日本だという時代が終わりつつあるということです。あわせて、これは基軸通貨がいつまでもドルで良いのかという議論の根底にある問題です。基軸通貨をめぐる議論は、今回の金融危機ではじめて出てきたものではありません。
もう一方のカジノ経済ですが、これはモノをつくらず、株や証券や為替などを安く買って、高く売り、その差額でもうけようとする領域です。こういう活動が大きくなったのは、実体経済で使い切れない「カネ余り」が生まれ、それを実際に博打に使うことができる「投機の自由」がつくられたからです。
「カネ余り」の根底には資本主義の根本矛盾があります。マルクスが明らかにしたように、資本のもうけは剰余価値から生まれます。そして、もうけのために資本は賃金を抑え込みます。ところが、抑え込まれる労働者は、発達した資本主義の最大の消費者たちでもあるわけです。その結果、1970年代には、もうこれ以上モノをつくっても労働者たちに買ってもらえないという局面がはっきり生まれ、ここから「カネ余り」が拡大します。そして「新自由主義」的な「構造調整・構造改革」の名で、「投機の自由」が世界的に拡大され、今日の巨大なカジノ経済がつくられました。
しかし、簡単に「カネ余り」といいますが、地球人口67億人のうち9億人近くは「飢餓人口」であるわけです。食べるものに困っている人がいくらでもいる。ところが、資本はもうけのためにしかカネが使えない。世界的規模での餓死と「カネ余り」の大量の共存は、資本主義という経済ルールの深刻な限界をあらわすものとなっています。
(麻生内閣の行き詰まりについて)
今日の自民党政治の行き詰まりの根本にあるのは、「構造改革」路線による国民生活の破壊だったと思います。生活破壊のあまりのひどさに、国民がたいへんな怒りをいだきはじめている。小泉首相が「痛みに耐えよ」といい、安倍首相は痛めつけられた国民に「再チャレンジ」といわずにおれず、福田首相は「手直し」ばかり、その後につづいた麻生首相はそもそも「構造改革」の転換なしに支持率回復などできるわけがありませんでした。
もう1つ、自民党政治への支持を急速に失わせたのは、日本を戦争に向かわせようとする改憲の動きだったと思います。これに対抗する9条の会が7300組織にふくらみ、いよいよ草の根の護憲運動が国民世論の多数を護憲派にするという状況をつくってきました。
(歴史問題・「慰安婦」問題をめぐって)
やはり、日本の現在の政治については、①財界いいなり、②アメリカいいなり、③靖国史観にとりつかれているという3つの問題を総合的にとらえる視角が必要です。
「慰安婦」問題での国際世論ですが、アメリカ下院が決議をあげたことについては、アジアの成長が根底にあり、その発言力の拡大にアメリカが新しい対応をせずにおれなくなったということがふくまれました。各種の市民運動の取り組みの他、アメリカ政府には、独自の思惑があったと思います。しかし、その後、そうした思惑をこえる形で、カナダ、オランダ、韓国、フィリピン、EU、台湾等で決議が上がってきます。被害者がいる国からだけでなく、戦時性暴力をなくそうという世界的な大きな取り組みの上にそういう決議があがります。そして、これに呼応する形で、国内でも宝塚市、清瀬市、札幌市で「慰安婦」問題の解決を国に求める決議があがるわけです。この取り組みはいまも各地でつづいています。
(衆議院選挙の意義について)
関連して、目前の衆議院選挙には、非常に大きな意味があると思います。07年の選挙で、自民党は参議院で、公明党の助けがあっても過半数が取れない状況になりました。衆議院でも同じになれば、1955年からつづいた自民党やり放題の時代にはいよいよ終止符が打たれることになるわけです。私も18才で学生運動に接して、それから長く政治にかかわってきましたが、ようやくここまでたどり着いたかという気分です。
財界は民主党に期待をかけて2大政党制をめざしていますが、民主党にはいくつかのブレもあります。選挙で民主党が勝てば「財界・アメリカいいなり」の本性が強く表に現れるでしょうが、たとえば共産党のように「構造改革」を転換し、憲法を守ると主張する政党が伸びれば、「後期医療」の撤廃や労働者派遣法を99年以前にもどすなど、民主もふくめた4党合意の実現への道がひらかれます。2大政党制への動きが財界のもくろみどおりに進展しているわけではありません。
(地域共同体の形成について)
東南アジアでも、南米でも、EUでも、脱アメリカ支配・脱ドル支配という方向がかなり明確です。南米では、各国の連帯をつうじて貧困を乗り越え、経済を発展させようという努力が行われています。戦後、植民地体制が崩壊し、大国主導の世界がいよいよ壊れ、世界全体をいかに民主的につくりかえるかということが経済、政治、軍事の分野の課題になってきています。国連加盟国は旧植民地国が過半数を占めていますが、執行部である常任理事国はいぜん大国ばかりです。そこを民主的に転換しましょうということも世界の重要課題になっています。今の世界を行き詰まりとか、崩壊だとか、破綻だとかというのは正しい見方ではありません。現代は古いものから新しいものへ、世界的な規模での脱皮の時期であり、新しい建設の時代です。それを実行しようという力がわき出ているというのが現実です。
とりわけ南米では、脱アメリカ、脱新自由主義の上に、はたして貧困からの脱出が資本主義の枠内で可能なのだろうか、あるいはそれをこえる社会をめざす方が効率的なのか、そういう議論が進んでいる。彼らなりの社会主義への展望が、どういう形をとってあらわれてくるのかは期待をもって見守りたいところです。
(2009年を展望して)
目の前の課題として日本には衆議院選挙があって、それが大きな転換点をつくるだろうということ、それから戦後長く覇権主義的な態度をとってきたアメリカの国際的な地位が低下し、より民主的な世界秩序の模索が様々に進む年になると思います。それは人類自身が大きな成長を遂げずにおれないということにもなっていきます。発達した資本主義国では、貧困、環境などの問題で、いかにして利益第一主義を制御していくかという能力が問われますし、世界的には国連憲章を指針とした平和な世界づくりの力や、人種や性などによる差別を乗り越えていく力の成長など、個人と人間社会の新しい成熟をともなわずにおれない取り組みがたくさん行われる年になっていくと思います。
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