以下は、「本の泉」社発行の『季論21』2009年春号(第4号、2009年4月20日)に掲載されたものです。
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資本主義の改革とアメリカ一国覇権主義の衰退
『経済』の2009年1月号に掲載した「『資本主義の限界』を考える」には、様々な反響があった。激励をたくさんいただき、何かの学習会のテキストに使ったという声もいくつか聞いた。
「『資本主義の限界』を考える」は、カジノ資本主義の破綻を「資本主義の限界」に結びつけるマスコミの議論を受け、資本主義の枠内での改革と資本主義自身を乗り越えてすすむ改革との関係について、マルクスのそもそも論にも立ち返りながら考えてみたものである。反響の声を聞きながら、歴史を広く見通す大きな論立てが期待されているということを、あらためて感じさせられた。
資本主義の枠内での改革をつうじて資本主義の真の限界をあぶり出す、あるいは資本主義には様々な改革を受け入れる懐の深さがあるなど、わかりやすい言葉を使ったところも、読みやすさにプラスに作用したかと考えている。またそうした資本主義のとらえ方がマルクスの根本矛盾論の本筋の考え方であったという点に対する注目もあった。どのようなものであれ、読者の反応は励みになる。
以下では、よせられた意見や質問も念頭しながら、その後、この書き物に関わって考えてみたことやあらためて気付かされたことなどを紹介し、またアメリカに新しく生まれたオバマ政権の歴史的位置づけや世界構造の変化と資本主義改革の関係についても、私なりに考えるところを展開してみたい。
一、剰余価値の生産と資本主義の改革
一つは、資本主義の枠内での経済改革と、改革が実施されてもそれが資本主義である限り剰余価値生産は行われていくということの関係についてである。これは資本主義の枠内での改革の意義にかかわる問題でもある。
資本主義の枠内での改革は、もちろん剰余価値生産の廃棄をめざすものではない。それは資本主義そのものを乗り越える改革が課題としていく問題である。では資本主義の枠内での改革は、剰余価値の生産に対してどのような意義をもつものなのか――それは、剰余価値生産がどのような姿で行われていくかという、その具体的な形態や程度を左右するものとなっている。
たとえば剰余価値の生産は、今日の日本でのようにたくさんの労働者を過労死に追い込み、また派遣労働者を「景気の安全弁」と平然と呼び、機械の部品と同じものであるかのように扱う姿でも行われるし、他方でEU諸国には週35時間といった法定労働時間のもとで、正社員と非正規社員の均等待遇を実現しようとしている国があるわけだが、そういう形の国の中でも行われる。
どちらの国でも剰余価値の生産が経済活動の主な原動力であることにはかわりがないが、生産の具体的なあり方には、相当大きな相違がある。そうした剰余価値生産の具体的な形態を、より人間的な形に制御していこうとすることが資本主義の枠内での経済改革の基本となっていく。
マルクスは『資本論』の中で、労働者たちが闘いとった工場法のことを、資本主義的「生産過程の自然成長的姿態」――すなわち自分たちの利益を労働者たちの命の上に平気でおくといった資本の自然なむき出しの姿――に、人間社会が与えた「最初の意識的かつ計画的な反作用」という評価を与えている。資本主義の枠内での改革もこれとまったく同じように、剰余価値生産の具体的な「姿態」を左右する取り組みとなるわけである(新日本出版社上製版Ⅰb、825ページ、新書判③828ページ)。
資本主義における生産力発展の原動力は、個々の資本における剰余価値生産の追求だが、その具体的な「姿態」への制御を次第に深める取り組みは、放置すれば労働力や生産手段や自然環境の破壊をともなわずにおれない生産力を、社会全体の利益の枠内に次第に手なずけていくという意味をもつ。
ただし、それはあくまで剰余価値生産を前提とした「反作用」の限りでのことであり、制御の程度にはどうしても限界が生まれることになる。それが改革の積み重ねを通る中で、資本主義の枠内にあっては越えることのできない一線をあぶりだしていくということになる。
二つ目は、資本主義の枠内での改革と資本主義そのものを乗り越えていく社会主義的な変革との関係である。資本主義の枠内での改革は、すでに見たように資本主義による剰余価値の生産を前提し、これへの「反作用」をつうじて経済へのコントロールを深める取り組みである。
しかし「反作用」は、あくまでも「反作用」であり、いつでも剰余価値生産の追求に対して後手を打って行くものとなるほかはない。そこで、それは剰余価値生産の新たな形態との際限のない「いたちごっこ」を生み出していく。そうした社会状況の体験とそれについての社会全体の認識の深まりは、経済活動の原動力を剰余価値の生産におく経済システム自体の変更に、次第に社会の目を向けさせるものとなっていく。
そもそも剰余価値の生産は、労働力(労働者)が新たに生み出す価値と労働力自身の価値(賃金)――それ自体、労資の力関係に大きく左右されるものだが――との差額の生産であり、そこには労働者を低賃金・過密・長時間労働に追い込めば追い込むほど、資本の利益が拡大するという「富と貧困の対立」がふくまれている。いかに「反作用」があったとしても、「対立」の労働者へのしわ寄せがなくなることはないのである。
そこで剰余価値の生産、私的資本による利益の追求を原動力とするのではない経済のシステムへ――つまり社会構成員全体の幸福を「反作用」をつうじて追求するシステムではなく、その幸福追求を最初から生産の目的とするような経済システムへの、より根本的な経済改革が求められるようになる。
その願いを実現するのに必要な改革の柱が、社会の主な生産手段の所有・運営・管理を社会自身の手にゆだねるという、いわゆる生産手段の社会化である。目的は人間たちの多面的な幸福であり、生産手段の社会化はそれを達成するための手段となる。
こういう角度からとらえるならば、資本主義の枠内における改革から資本主義そのものを乗り越える改革への前進は、剰余価値生産がもたらす様々な弊害の抑制をめざす改革から、そのような弊害を生み出すシステムそれ自体の改革へという改革がめざす課題の深化ということができる。その意味で、両者には明らかに太い連続性がある。ただし、この段階をどこまで進むかの判断は、もちろん時々の社会構成員の判断次第となっていく。社会発展のどの段階も、多数者の合意なしに達成されうるものではない。
二、改革をつうじた権力の変化と人間の成長
三つ目は、資本主義の枠内での改革と、その中での権力の社会的・階級的性格の変化という問題である。資本主義の民主的改革がどこまで進んだとしても、その時々の国家権力が、資本主義的生産関係に基づくものであり、これに照応し、これを維持するものであることにはかわりがない。
それは資本主義的生産の核心をなす剰余価値生産の追求を前提するものであり、その具体的な姿形の制御を行うものではあっても、これに敵対したり、これを解体して他の生産関係に転換しようとする権力ではない。そのようなことをめざす権力は、資本主義からの離脱を果たし、社会主義的な変革をめざす権力である。
しかし、そのことは資本主義の枠内にある権力の社会的性格が、いつでも不変であるということを意味するわけではない。資本主義の形成を促進した日本最初の権力は天皇制の権力だったが、戦後には日本国憲法が主権在民を規定する。また20世紀の資本主義は、大恐慌と第二次大戦を転機として、社会保障を国家に不可欠の政治制度としてつくりあげた。こうした国家の民主的性格の程度やその権力がになう役割の深浅の変化は、今後も様々に起こるものとなる。
たとえば現代日本の国家権力は「財界いいなり」を重要な特徴のひとつとするが、この権力が日本経団連に代表される財界の要求をどこまで実行できるかは、今も社会との闘いによる制約を受けて定まっている。
日本経団連は、消費税増税・法人税減税、大企業奉仕の景気対策、雇用制度の一層の改悪、社会保障水準の引下げ、公務員労働者の切捨て、道州制の実施、憲法の改悪などを要求しているが、今年(09年)の衆議院選挙の結果によっては、労働者派遣法を99年の改悪前にもどし、後期高齢者医療制度を撤廃させることも可能になる。
時々の社会的・階級的な力関係は、国家が実施する政策の内容にこうして反映していくわけで、そこに、むき出しの「財界いいなり」に抵抗し、これを抑制していく漸進的な闘いの意義がある。
ただし「財界いいなり」の権力を交代させていくことは、資本主義の枠内にあっても可能なことである。「財界・アメリカいいなり」を自覚的に推進する勢力から、国民主権を徹底し、アメリカとも対等な関係をつくろうとする勢力への、権力の担い手の交代である。
これを達成し、政策の大きな転換をはかっていくのが、いわゆる民主主義的な革命の段階となる。この段階にある権力は、資本主義的生産関係を前提しながら、しかし、社会の構成員多数者の利益のためにそれに率先して「反作用」を加える権力となる。この権力が社会主義をめざす権力へと転換する時に、権力の担い手の大きな交代が起こる可能性が必ずしも大きくないことが、その転換を革命でなく変革と呼ばせる根拠ともなっている。
四つ目は、こうした改革をすすめる上で、人間と社会の知恵の成熟が不可欠であるという点である。
たとえば「財界いいなり」の政治に反対するだけでは、社会の前向きな改革が行われていくわけではない。今日の金融危機と世界的な不況を前に、カジノ資本主義を推進した「新自由主義」勢力をどれだけ厳しく告発しても、それで不況からの脱出が可能になるというわけではないのである。
実際に脱出の方向へと進むためには、安定した内需の育成が不可欠であり、そのために政治は労働者派遣法の改善などによる雇用の安定と、後期高齢者医療制度の撤廃はじめ社会保障の拡充を推進し、GDPの55%を占める個人消費を激励していくことが必要になる。また中小企業・業者向けの融資を縮小し、貸しはがしを行う大銀行に厳しい行政指導を行い、政府自身が農業再生に力を入れていかねばならない。
さらには輸出のアメリカ依存を低め、これを多角化するために特にアジアとの交流を促進する政治姿勢をとらねばならない――このような、ではどうするべきかという対案提示の能力が、改革の前進には不可欠である。こうした提示を重ねていくことが、次第に資本主義の利益第一主義を制御する個人と社会の能力を育むことになっていく。
時々の問題解決のためにどのような政策が必要であるか、そのことを論じ、理解する知恵が社会全体の規模で成熟せねばならない。政治の進路を決める主権者が「不景気だから派遣切りは当然」「生活が大変なのはすべて本人の責任」という財界人等の理屈に簡単にだまされるようでは、「財界いいなり」政治はかえようがない。日本国憲法に記されている人間の基本的人権への深い理解、主権者としての政治に対する責任の自覚、さらには自然と人間との関係、政治や社会のあり方についての知識と体験を、しっかり積み上げていくことが必要である。
資本主義の改革をめざす取り組みは、政治的・社会的教養の豊かな人間社会の育成――自分自身の成長はもちろんだが――を、その中心にすえていかねばならない。
三、改革の具体的過程の模索と探求
五つ目は、資本主義の枠内での改革をつうじて資本主義の「本当の限界」をあぶりだしていく、その過程の探求にかかわる問題である。これについては、何とかシミュレーションをすることはできないのか、山に登るにも地図が必要だという意見もあった。
しかし、たとえば「財界・アメリカいいなり」政治からの転換が、何年くらい先になるといった細かいシミュレーションは不可能である。実際、今日の不況を考えてみても、それがどのような形でいつまで続くのか、その間にアメリカ経済の衰退はどのように進み、BRICs等はどのように地位を上昇させ、ドル基軸の世界体制にはどういう変化の兆しが生まれるのか、また衆議院選挙の結果を受けて日本の政治にはどういう状況が生まれ、国民の政治選択の体験と教養の成熟はどのように進むことになっていくのか――ほんの数年先を見通したいと思っても、このように不確定としかいいようのない要素がいくらでも出てきてしまうのが現実である。
そのそれぞれに確度の低い仮定を与えてつくるシミュレーションは、限りなく無意味に等しいものとなる他ない。それは絵に描いた餅そのものとなる。
だいたい山に登るにも地図が必要だという議論は、すでにその山を歩き、調べた人たちが地図をつくっていることを前提している。あるいは今なら空からくまなく調べることも可能なのかもしれない。しかし、残念ながら、日本社会の改革の道を先回りして調べることは誰にもできることではない。改革の筋道は実践の中で模索するしかなく、それは、それぞれの段階、局面を迎えるたびに、新たに見えてくる景色を分析しながら進むしかないというものになる。
それは個人が人生をどう生きていくかというのと同じ性質をもっている。恐れるよりも、むしろ準備をしっかり重ねながら、状況を楽しむ勇気が求められる。もちろん、実践の中で社会科学を大いに発展させることには、私も可能な責任を負いたいと思っているが。
六つ目は、資本主義の高度な発達を体験せずに、資本主義を離脱する道に入った国の前途をどう考えるかという問題である。
中国やベトナムやキューバ、あるいは南米にも新たに社会主義への移行を模索しはじめている国がある。これらの国は、いまから本格的な資本主義の社会にもどり、そこから社会主義への移行に入るわけには、もちろんいかない。
そうであれば、これらの国の権力が、社会主義をめざして進む過渡期の道は、私たちが日本の今後を展望するのとは相当に異なるものとなるほかはない。その道についても、定まったモデルがあるわけではない。
かつての封建制から資本主義への世界各国の移行が多様であったのと同じように、資本主義から社会主義への移行についても、どこかに模範としうるモデルがあるわけではない。いまある社会の民主的な改革や社会主義的な改革は、どういうタイプの国にあっても、それぞれなりの試行錯誤が避けられない、それぞれに模索と探求が必要とされるものとなっていく。
その上であえて言えば、社会主義への接近は、政治や社会の様々な分野における民主主義の実現にすぐれていなければならないことは当然だが、くわえてその社会にくらす人間の生活を、少なくとも共存する資本主義と比べて遜色のないレベルに引き上げるものであらねばならない。つまりそこには、剰余価値生産の追求を原動力とした資本主義の道とは異なる仕方で、いかにして社会に高い生産力を実現するかという課題がある。
その課題の達成を模索する中で、中国やベトナムが選択した道が今日注目される市場経済の活用という道である。両国が市場の破壊的作用の抑制と市場をつうじた経済の活性化とのバランスをどのようにとっていくかという問題は、文字通り人類史の先端を開く挑戦のひとつといっていい。
また、とりわけ中国には、民主主義充実の分野でも、思想や言論の自由などの基本的人権の確立、議会制民主主義など国民主権の制度的徹底、それらをつうじた国民一人一人の自由な個性の成長など、多くの課題が残されている。
四、国境を越えた「反作用」とアメリカ一国覇権主義の衰退
七つ目は、資本主義の枠内での改革と国際関係のかかわりである。ここまでに述べた資本主義の改革あるいは社会主義的変革の展望にかかわる問題は、全体として各国間の相互関係あるいは世界情勢の変化の影響を視野にふくまぬ議論となっている。ここではそれを少し補足したい。
現代における剰余価値の生産は、原材料や製品の輸出入、海外での現地生産や現地販売、資本の流出入など、いくつもの国際関係に支えられている。そして、それらの多くは多国間あるいは二国間の政治的合意に規制されている。
かつての植民地に対する経済進出は、進出する本国の側が現地の法や政治を支配するという条件のもとで行なわれ、したがってそれ自体が自動的に侵略や支配の関係を体現するものとなっていた。また戦後の独立した地域に対する経済進出も、労働者や国民の権利を守る法的・社会的な仕組みが不十分である場合には、「植民地」的低賃金や「収奪」と呼ぶべき事態を生み出しもした。
しかし今日では、旧植民地地域の多くで必要な法的制度の整備が進み、進出先の政府自身が「黙認」しない限りは、その種の「収奪」はしづらいものとなっている。
この経過は、少数大国が世界全体を植民地として分割支配した時代から、戦後植民地体制が崩壊し、あるいは脱植民地化の仮定が進み、旧植民地地域の国々がかつての宗主国との間に対等な政治・経済関係をもつようになるという、歴史の大きな変化に対応している。
古い関係は完全に払拭されたわけではないが、大国から途上国への資本の進出などを、それだけで無批判に「経済侵略」や「経済的植民地主義」などと評価することはできなくなっている。
これは裏を返せば、途上国における政治・経済の発展が大国の諸資本から、国内ではもはや行うことのできない野蛮を海外で行うような、そういう傲慢なふるまいの条件を失わせるということである。
半ば奴隷的な児童労働の活用であれ、地球環境の破壊にかかわる問題であれ、国際機関や国際世論の高まりとあわせて、世界各地の社会の進歩は、資本によるむき出しの剰余価値生産に国境をこえた「反作用」を加えるものとなるわけである。
なお日本では「慰安婦」問題や靖国問題などのように、国際社会の批判を受けた財界が海外での自身の長期の利益を不安に思い、問題の改善に向けた発言を余儀なくされるといった事態も起こっている。これもまた国境をこえた「反作用」のひとつの現れといってよい。
八つ目は、こうした関係のより大規模で象徴的な展開ととらえられるアメリカ一国覇権主義の衰退である。07年11月の「スマートパワー委員会報告」(座長・リチャード・アーミテージ元国務副長官、ジョセフ・ナイ元国防次官補)については、『覇権なき世界を求めて』(新日本出版社、2008年)にすでに紹介しておいた。
それは、①アフガン、イラクの戦争に没頭してきたアメリカは、ヨーロッパやアジア、中南米などの大きな変化に対応できず、国際的な威信を低下させ、世界での孤立を深めている、②この状況を脱するためにアメリカは、「イラクとテロに焦点をあてた狭い物の見方」でない、世界全体を視野におく「より広い目標、戦略」を持たねばならない、③その新しい戦略の柱は、a同盟関係の強化と国際機構の再編、b途上国への開発支援、c市民レベルの外交の推進、d国内外での経済的格差の是正、e環境問題での技術革新などである、④総じてハードパワー(軍事力)とソフトパワー(外交・文化の力)をたくみに結合させたスマートパワーの発揮によって、アメリカは威信の回復に努力せねばならない、とするものである。
ブッシュ外交の継承を主張したマケイン氏でなく、これを転換するとしたオバマ氏が大統領選挙で圧勝したことの背後には、こうしたアメリカ支配層――中心は財界――内部に醸成された危機意識が重要な要因としてあった。
実際、オバマ氏とその政権は、孤立するアメリカからの脱却を外交戦略の基本に位置づけている。選挙中に発表された「アメリカのリーダーシップを刷新する」(『フォーリンアフェアーズ日本語版』07年7月号)で、オバマ氏はすでにこう述べていた。アメリカはヨーロッパや韓国やラテンアメリカやアフリカなど「国際的なパートナー」に適切なシグナルを送ることができなかった、「私は、ヨーロッパとアジアの同盟国との関係を修復し、南米やアフリカ全域とのパートナーシップを強化していく」。
しかし、状況の転換は簡単ではない。オバマ氏が大統領選挙に勝利したその直後、アメリカ国家情報会議は、世界構造の重大な変化を認めた「2025年の世界動向」(08年11月20日)を公表する。
2025年の段階で、①戦後アメリカがつくりあげたアメリカ中心の国際秩序は、ほとんど姿をとどめていない、②中国とインドが多極化時代の新たな大国としてアメリカと影響力を競い合うようになる、③中国は今後20年間、他のどの国よりも影響力を強めていく、④インドも世界の一つの極になっていく等――文書が描くこうした世界変化の見通しは、すでにオバマ政権内に共有されるものとなりつつある。
08年1月に発足したオバマ政権は、クリントン国務長官の最初の外遊先をアジア(日本、インドネシア、韓国、中国)としたが、大統領選挙中にクリントン氏は、21世紀の最重要の2国間関係は米中関係だと繰り返し語り、今回のアジア歴訪にあたっても「世界状況が変わるなかで、中国は決定的な要因だ」(2月13日)と述べている。ここにも世界の変化とアメリカの孤立に対する彼らなりの重大な危機意識がある。
他方、アメリカの支配に抗する現実世界の変化も加速している。08年12月にブラジルで行われた中南米・カリブ海諸国首脳会議は、2010年2月に「中南米・カリブ海諸国機構」を創設することを決定した。
南北アメリカ全土からアメリカとカナダを除き、それ以外のキューバを含む全33ケ国によってつくられる機構の発足は、もはや「アメリカの裏庭」ではないという、これら地域の意志を明快に示すものとなっている。ベネズエラのチャベス大統領は記者会見で「もはや米国が中南米カリブ海地域に命令する存在でないことを示した」「米国の覇権は終わった」と述べている。
振り返ってみると、オバマ氏は08年5月に「米州諸国との新しい同盟」の構想を打ち出していた。しかし、それはベネズエラのチャベス政権を「独裁政権」と呼びながら、キューバへの経済封鎖を継続するとしたものだった。つまりオバマ氏もまた中南米の変化の実態を、明らかに見誤っていたといえる。
オバマ政権がこれらの地域と折り合いをつけ、外交関係の「修復」に成功するとすれば、それはアメリカ一国覇権主義の衰退をアメリカ自身が押し進めることによってでしかない。
なお、ドル基軸通貨体制の再検討という議論は、現在、一時的に後景に退いているが、BRICsなど新興経済大国とアメリカの経済成長率の格差は依然きわめて大きく、また金融危機はスウェーデンやデンマークをユーロ導入に前向きにさせ、東アジアではチェンマイ・イニシアチブにもとづく各国間の通貨協力が着実に強化されている。
中長期的に見たドルの信任低下の展望は明らかであり、それがアメリカによる「ドル特権」の喪失につながるならば、戦後の強いアメリカを内外で支えた大きな条件が一挙に揺らぐことになっていく。
五、覇権なき世界の時代を切りひらく
九つ目は、こうしたアメリカ一国覇権主義の衰退を、大局的な歴史変化の上にどのように位置づけるかという問題である。
独占資本主義を経済的土台にもつ帝国主義の時代は、実は大国が植民地を保有する帝国の歴史の中で、そう長い期間のことではない。19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界の全陸地と人口の1/4を支配下においたイギリスを例にとれば、それがカリブ海と北アメリカ13州による「帝国」を成立させたのは早くも1723年のことだった。
その後、アメリカの独立を承認(1783年)することで「帝国」の中心はインドへ移る。そしてアジアにいたる交通の要所となる南アフリカや、スエズ運河をもつエジプトへの支配を深め、さらにアヘン戦争によって中国から香港を奪い取る。他方、カナダ、南アフリカ、オーストラリアなどにはイギリス人を支配者として定住させ(ドミニオンの形成)、次第にアフリカへの支配も深めていく。
19世紀末の「大不況」を転機とする独占資本主義の形成は、世界全体の植民地分割完了と時期を重ね、大国間の植民地争奪を目的とした帝国主義戦争の時代を生み出していく。この過程ですでに「光栄ある孤立」のゆとりを失っていたイギリスは、英米協調(1901年)、日英同盟(1902年)、英露協商(1907年)と「同盟」の時代に入っていく。
第一次大戦で「帝国の総力戦」に加わりながら、作戦への発言権を与えられなかったドミニオンの「抵抗」が、1920年代に開始される。そして第二次大戦をへて、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドはアメリカの勢力圏に移り、またインドの独立(1947年)、エジプト、ガーナ、マラヤ、アフリカ各国の独立をへて、イギリスは、香港を除く「スエズ以東」からの撤兵を発表せずにおれなくなる(1968年)。
現在、イギリスの海外領土は14の小さな地域のみとなっており、かつて地上最大を誇った「大英帝国」も、もはや「帝国意識」としてしか残っていないのが現実である。イギリスに限らず、旧帝国主義国のほとんどが、戦後、このように植民地なき独占資本主義への進化を余儀なくされる。それは軍事的抑圧を条件とした野蛮な剰余価値生産への重大な「反作用」という意味をもった。
なお、アメリカが帝国主義国への道を急速に進むのは、1898年の米西戦争をきっかけとしてのことである。そして、アメリカがイギリスにかわり世界の最大国としての地位を得るのは第二次大戦後のこととなる。だが、この戦後の時期は世界的な規模で植民地体制の崩壊が進行していく時期でもあった。イギリスからアメリカへの大国中枢の交代は、最大の植民地帝国というその地位の交代を意味するものではなかったのである。
米ソ冷戦体制の中、アメリカは常時戦時態勢をとり、ベトナム戦争やイラク戦争を典型とする侵略戦争を行うが、帝国主義の最盛期を分析してレーニンが語った世界体系としての帝国主義は、そのアメリカの目前で崩壊していったわけである。歴史を大きくとらえるならば、帝国主義時代の最後の尻尾を意味するアメリカ一国覇権主義の今日的な衰退は、国連など各国の協調により運営される新しい世界の時代を開く前奏曲といってよい。
09年2月17日、日本政府は日米軍事一体化路線に何の迷いも持たず、沖縄からグアムへの海兵隊基地移転に関する資金提供の協定を締結した(2月17日)。オバマ新政権にあっても、軍事的従属国としての日本の地位には何の変化も起こっていない。そして、そのオバマ政権がアフガン増兵など古い政策を引きずりながらも、孤立からの脱却のために世界に対する新しいはたらきかけを開始している時に、旧態依然の外交政策を一切転換することのできない日本政治の無知と鈍感は、アメリカをはるかに凌いで滑稽である。いつまでもこのような状態を許してはならない。国民の政治的な覚醒と奮起が強くもとめられている。
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