以下は、新日本婦人の会「新婦人しんぶん」2010年4月8日付、第5面に掲載されたものです。
----------------------------------------------------
女子大生と学ぶジェンダー問題① 「男女関係」との出合い
こんにちは。これからおよそ1年の連載予定で、私が、社会における女性の地位をどう考えてきたかについて、私の体験にそって書いてみます。
第1回目の今日は、「『男女関係』との出合い」といったところです。
私は、立命館大学の2部(夜間)経済学部を28才で卒業し、30才でようやく京都大学の大学院にすすみました。
経済学研究科の理論経済学・経済史学専攻という、とてもかたい名前のコースで学び、はじめて書いた論文は「鉄鋼産業における日米合弁企業の展開」というものでした。
37才の時に大学院生として書いた最後の論文が「日米貿易摩擦とアメリカ鉄鋼保護貿易政策の展開」でしたから、私は大学院では、ずっと鉄鋼産業を題材に、日米大企業の関係について書いていたわけです。
1995年、38才の時に、私は神戸女学院大学に就職します。ずいぶん遅い就職で、それまでは、いまふうにいえばワーキングプアといった生活ぶりでした。そんな私が、関西では知らぬ人のない「お嬢様大学」に就職するのですから、人生というのはわからないものです。
大学で、私は少人数のゼミのほかに、「経済学」と「生活経済論」という講義を担当しました。「経済学」では「いまの日本経済は」といった話をし、「生活経済論」では「消費者として、生活者として、はたらく者として」といった、学生たちに少し身近な話をしていきました。
そこではじめてぶつかったのが、雇用や職場における女性の地位の問題です。
「日本の職場は、長時間・ 低賃金・過密労働でね、最近は終身雇用がくずされはじめて・・」。女子学生を前に、そんな話をしながら、次第に違和感が深まりました。講義が目の前の学生たちに、「私の人生の話」と受け止められていかないのです。
そして、やがて気づきました。「労働者」の話をするときに、私のあたまにあったのは、いつでも「男性労働者」の姿だったということに。
そこから「男性労働者」と 「女性労働者」を区別し、それぞれの地位や関係の実際を学ぶようになりました。なにせ大学院での私の勉強には、「資本と労働」「独占資本と中小資本」「独占資本と国家」といった用語は登場しても、「男性と女性」という用語は一度も登場しなかったのですから。
経済学に男女の関係を組み込まなければ――私がそう考えるようになった最初のきっかけは、こういうものであったのです。すでに40才を目前にしてのことでした。
最近のコメント