---------------------------------------------------------------------
第2回「ジェンダー研究会をよびかける」
前回は、講義の中で、経済学に男女の関係を組み込む必要を感じさせられたところまでを書きました。それが、具体的な行動につながるのは、2000年になってのことです。大学の女性学インスティチュートという研究所が発行する『女性学評論』に、「癒されるべき企業社会の『病』・女性差別」という論文を書いたのです。これは、私が女性の社会的地位にかかわって書いた初めての論文でした。つづけて私は、同僚たちに、関係する研究会の発足を呼びかけました。これを受けて同年4月に、「神戸女学院大学ジェンダー研究会」が発足します。
「ジェンダー」という言葉は、〈性にもとづく人間の社会的地位の相違〉のことで、それを歴史の中で変化するととらえる点が特徴です。
男女関係や家族を歴史的にとらえるのは、私が若いころから学んできた科学的社会主義と共通します。ただし「ジェンダー」論は、「社会構築主義」(※)という独特の理論と深く結びついている場合があります。それは男女関係にかかわる社会の意識を変えることは重視しますが、今日の男女関係を成り立たせている客観的な現実――たとえば長すぎる労働時間や雇用の男女差別など――の変更には、あまり目と力を届かせることのできない考え方です。その点は補っていく必要があるのだなと、その後、次第に考えるようになりました。
さて、この研究会に集まったのは、文学者、心理学者、歴史学者たちで、30~40代の若い女性メンバーが中心でした。当時43歳の私は、いまふり返ると最年長であったかも知れません。
女性であるがゆえの不利益や不快な体験をもっており、また、すでにフェミニズムの理論に長く接している彼女たちと、ざっくばらんな(ときには激しい)議論をかわすことができたのは、とてもありがたいことでした。
2001年になると、この研究会の中心課題は「ジェンダー問題」での入門書をつくることになっていきます。「大学に入学してくる18歳の学生にも読めるような、総合的な入門書を」ということでした。
彼女たちは「女性問題」という表現をいやがりました。「女性に問題があるように聞こえる」「考えなければならないのは男女の関係であって、女性だけの問題ではない」というわけです。
なるほど、女性差別は、男女間の権利格差の問題ですし、女性が家庭に追いやられることの裏側には、家庭と縁遠い企業人間として育つしかない「男性問題」がありました。解明すべき点が、男女の社会的な関係にあるのはその通りだったのです。
※社会構築主義
1960年代後半からの「第二次フェミニズム」が、深く結びついた社会理論の一種です。①社会は個人の行動を内面から支配する意識によってつくられる、②個人の意識を形成するものを「権力」とよぶ(国家権力ではありません)、③その「権力」の転換によって社会はかえられる、④「権力」は言説(言語にもとづく知識)から成り立っている、⑤そこで社会をかえる取り組みは言説の転換をめざす取り組みとなる、といったことを主張します。
最近のコメント