以下は、新日本婦人の会「新婦人しんぶん」2010年9月9日、第2857号、第5面に掲載されたものです。
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第6回 「慰安婦」問題との出合い
この旅行の自由時間に、私は同行していた妻と「ナヌムの家」を訪れました。そこにある「日本軍『慰安婦』歴史館」を見学するのが目的でした。
正直なところ、当時の私は「慰安婦」問題にそれほど強い関心をもっていたわけではありません。むしろこれは、旅先で時間を見つけて資料館をまわるという、私のある種の習慣にもとづいた行動といっていいものでした。
日本軍がつくりあげた性奴隷
「慰安婦」というのは、かつてのアジア太平洋戦争で、日本軍が兵士の性欲を満たすためにつくりあげた性奴隷のことです。アジア各地の女性を閉じ込め、レイプする施設は、軍によって「慰安所」と呼ばれました。被害者は数万とも十数万ともいわれています。
歴史館では、常駐の日本人スタッフが私たちのために、たっぷり時間をかけた解説をしてくれました。問題のあらましは知っているつもりでしたが、ここで私は大変なショックを受けます。それまでの自分の理解は、文字づらだけのものにとどまって、被害者1人ひとりの身を裂かれるような苦しさには、まるで届いていなかった。それを痛感させられたのです。
ハルモニの手を握りしめて・・・
言葉少なに帰りのクルマを待っているとき、たまたま目の前を被害者のお1人が歩かれました。カンイルチュルさんでした。スタッフに声をかけられた彼女は私に近づき、笑顔で右手を出してくれましたが、その手をにぎり返す私は、彼女の目を見ることができませんでした。
「私は、あなたにこんなにもひどいことをして、いまだに満足な謝罪もできない政府をつくっている主権者の1人であり、また問題のこれほどの深刻さに、今の今まで気づくこともできずにいた人間です」。心の中は、申し訳なさでいっぱいでした。
この問題に、どう向かい合うべきか。ソウルにもどる車の中でそれを考えました。日本の市民として、大学の教師として、自分にできることは何だろう。スタッフがいった「どうして学生といっしょにこなかったの」という言葉も胸に刺さっていました。
ホテルに着くころには、私は次のことを決めていました。「4月からのゼミのテーマを『慰安婦』問題に変更しよう」「学生といっしょにもう一度『ナヌムの家』を訪れよう」。46歳の終わりのことです。
これが私と「慰安婦」問題との出合いの実際でした。
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