以下は、関西唯物論研究会編『唯物論と現代』第45号、2010年12月25日、20~41ページに掲載されたものです。
「特集・マルクスにおける論理と歴史」の中の1本でした。
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マルクスによる「資本主義の発生・発展・死滅」の理論
一 はじめに
私は、この春、神戸女学院大学の同僚である内田樹氏と 『若者よ、マルクスを読もう』 (かもがわ出版、二〇一〇年) を出版した。内田氏流にいえば、これは「マルキスト」と「マルクシアン」との対話の本--往復書簡という形式での--であり、同時に、それぞれの立場から若い世代に対してマルクスを強くすすめる本となっている。
その後、雑誌 『経済』 (新日本出版社) 二〇一〇年一一月号で、お互いの「感想」を述べあったが、内田氏の側からいえばマルクスを「マルキスト」だけのものに狭めないこと、石川の側からいえばマルクスを教養として広く社会に浸透させていくことを、つまり期せずして双方が同じ課題の必要を、それぞれ逆の立場から語ることになった。
いまマルクスを論ずるときに、いかにしてマルクスを社会の教養として広めていくのか、そういう問題意識をもつことが大切だと、私は考えている。
同時に、マルクスを検討し、紹介するときに、マルクスの理論だけでなく、社会に対するマルクスの姿勢、革命家としての生き方を伝えることが、あらためて重要になっているとも思う。マルクスは現実の解釈を目的に現実を分析したのではなく、現実の変革を目的にそれを行った。したがって、マルクスの学問体系には革命論と呼ばれる領域があり、それはマルクスの資本主義理解と深く結びついたものになっている。
また時代の閉塞感が強まる中で、いまある社会に適応するだけでなく、いまある社会をつくりかえる生き方を科学的根拠を示して伝えることは、とりわけ若い世代を強く激励することになろう。『前衛』 (日本共産党) 二〇一〇年八月号に書いた「学生時代にこそマルクスを」で、若いマルクスの理論的成長と同時に、若い時期の革命家としての成長に焦点を当てたのは、そうした思いからのことであった。
一九九一年のソ連崩壊をきっかけに、マルクスを読み、語ることがあたかも時代遅れであるかのような風潮がひろめられたが、状況は着実に変化しており、その変化を意識的に促進する努力が、関西唯物論研究会にも求められていると思う。
さて、以下の報告は、マルクスが発生から死滅にいたる資本主義の全生涯を、どのようにとらえていたかの整理である。
これを行なうことの直接の問題意識は、現代資本主義の歴史的特徴をどうとらえるべきかという点にある。現代資本主義の歴史的・理論的な把握は、もちろん直にそれを対象とした分析を行うことで得られるものだが、同時にそのための「導きの糸」--分析の視角や認識の方法についてのヒントを、マルクスの研究に探りたいと考えてのことである。
ただし作業はまだ始められたばかりであり、以下の内容が研究成果の報告であるより、マルクス等の叙述を整理した研究ノートにとどまるところが多いことを、最初にお断りしておきたい。
二 「歴史的科学」としての経済学
エンゲルスは 『反デューリング論』 (一八七八年) の中で、経済学の「対象と方法」について、次のように書いている。
「経済学は、最も広い意味では、人間社会における物質的な生活維持手段の生産と交換とを支配している諸法則についての科学である」(新日本出版社古典選書版、上二〇七ページ)。
この抽象的な定義を出発点に、エンゲルスは順を追って、その内容を豊かにしていく。具体的な生産と交換の条件は「国ごとに異なっており」、「世代から世代へ変わっていく」。「経済学は、だから、すべての国・すべての歴史的時代にたいして同じものというわけにはいかない」(二〇七~八)。
その意味で「経済学は、本質上、一つの歴史的科学なのである。それは、歴史的な素材を、すなわち、絶えず変化していく素材を、取り扱う。まず、生産と交換との個々それぞれの発展段階の特殊な諸法則を研究する。そして、この研究が終わってはじめて、生産および交換一般にあてはまる少数のまったく一般的な諸法則を打ち立てることができる」(同右、二〇八)。
この文章の二文目がいわゆる「狭義の経済学」を指しており、三文目が「広義の経済学」を指している。
本稿が焦点を当てたいのはエンゲルスが 『資本論』 第一部を念頭して語る「狭義」の資本主義の経済学についてだが、それは人類の経済史「一般」に対して「特殊」の地位をもっている。しかし、研究の状況からすれば、それは、いまだ「一般」が何であるかの最終的な確定にたどりつくことができない認識にとどまっていた。
つづいて、エンゲルスは、ある生産様式が「発展の上り坂」から「下り坂」に入ってしばらく時がたち、「その後継者が早くも扉をたたいているとき」に、人々は「時代遅れになったもろもろの事実を持ち出して、いわゆる永遠の正義に訴えるようになる」、しかし「道徳と法とへのこうした訴えによっては、われわれは、科学上、指一本ほども前進しない」として、そのような歴史的局面における「経済科学の任務」についてこう述べる。
「経済科学の任務は、むしろ、新しく現われてきている社会的弊害を、現存の生産様式の必然的結果であると同時にこの生産様式の分解が迫ってきていることの徴でもあると立証し、そして、この分解しかけている経済的運動形態の内部に、あの弊害を除去する将来の新しい生産および交換の組織の諸要素を見つけ出す、ということである」(以上、同右、二一〇~一)。
永遠の正義やそれにもとづく道徳や法が、社会を前進させることはもちろんあるが、それはある社会、ある生産様式の歴史的に過渡的な性格をあきらかにすることに取って代わるものではない。「経済科学」はそれを行なうのだというわけである。
その上でエンゲルスは、資本主義の経済学について、こう書いていく。
「われわれがこんにちまでに経済科学のうちでもっているものは、ほとんどもっぱら資本主義的生産様式の発生と発展とに限られている」。
「それは、封建的な生産および交換の諸形態の残り物の批判に始まり、資本主義的諸形態がそれに取って代わる必然性を立証し、ついで資本主義的生産様式とそれに見あった交換諸形態との諸法則を、その肯定的側面から、つまり、この諸法則が社会の一般的な諸目的を促進するという側面から展開し、そして、資本主義的生産様式の社会主義的批判をもって、つまり、資本主義的生産様式の諸法則を否定的側面から叙述することをもって、すなわち、この生産様式がそれ自身の発展によってみずからを不可能にする点に向かって突き進んでいる、ということの証明をもって、終わる」。
「この批判は、次のことを証明する、--生産および交換の資本主義的諸形態は、生産そのものにとってますます耐えられない桎梏になっている。あの諸形態によって必然的に生じた分配様式は、日ごとにいよいよ耐えられないものになる階級状況を……生み出した。そして、最後に、資本主義的生産様式の内部で生み出された大量の生産諸力は、もうこの生産様式の手に負えなくなっており、計画的な協働を行なうように組織された一社会が自分を取得して、その結果、社会の全成員に生活の資とその諸能力を自由に発達させるための手段とを、それもますます大量に、保障できるようになることだけを、待ちこがれているのである」(同右、二一二)。
長い引用になったが、ここでは資本主義の経済学が、封建制にとってかわる資本主義の「発生」の「必然性」につづいて、その「肯定的側面」と「否定的側面」との両面を含む「発展」の「諸法則」を叙述するものだとされている点に注目しておきたい。
資本主義の「それ自身の発展」が、自らを「社会の一般的な諸目的」あるいは「生産そのもの」にとっての「桎梏」に転化させ、それが一方で現状に「耐えられないものになる階級状況」のもとで、他方で「社会の全成員に生活の資とその諸能力を自由に発達させるための手段」を提供しうる「大量の生産諸力」をつくりだし、それによって「みずからを不可能とする点に向かって突き進んでいる」--それを証明するのが資本主義の経済学だというのである。
資本主義の経済学は、その発展過程--「現代資本主義」もその一つの局面だが--の分析の中で、その肯定面と否定面をとらえ、それによって資本主義の歴史的に過渡的な性格をしっかりと明らかにするものでなければならない。
三 資本主義の発生過程について
〔資本主義時代は一六世紀に始まる〕
マルクスは、資本主義のはじまりが一六世紀にあることを 『資本論』 の中で繰り返し指摘している。
「賃労働者と資本家とを生み出した発展の出発点は、労働者の隷属状態であった。その進展の本領は、この隷属の形態変換に、すなわち封建的搾取の資本主義的搾取への転化にあった。この経過を理解するには、それほど遠くさかのぼる必要はまったくない。資本主義的生産の発端は、すでに一四世紀および一五世紀に地中海沿岸のいくつかの都市で散発的に見られるとはいえ、資本主義時代が始まるのは、ようやく一六世紀からである」(『資本論』 ④、新日本新書版、一二二五ページ)。
そして、それがなぜ一六世紀であったかという理由にかかわって、「地理上の諸発見」がその時期にあり、それによって資本の成立の「歴史的前提」となる「商品流通--商業」の急速な発展が生みだされたことが述べられる。
「商品流通は資本の出発点である。商品生産、および発達した商品流通--商業--は、資本が成立する歴史的前提をなす。世界商業および世界市場は、一六世紀に資本の近代的生活史を開く」(②、二四九)。
「一六世紀および一七世紀には、地理上の諸発見にともなって商業に生じた、商人資本の発展を急速に高めた大きな諸革命が、封建的生産様式の資本主義的生産様式への移行を促進する主要な一契機をなす」(⑨、五六一)。
ただし、商業の発展、商人資本の発展は、「封建的搾取の資本主義的搾取への転化」や「封建的生産様式の資本主義的生産様式への移行」を、それのみで進めることができるわけではない。それはあくまで転化や移行を促進する「一契機」にとどまっている。
資本主義の発生のために、この「歴史的前提」に重ね合わされねばならない決定的な条件は、「労働力の売り手としての自由な労働者」が「市場」に現れるということである。
〔資本の本源的蓄積とりわけ賃労働者の誕生〕
この点について、マルクスは次のように書いている。
「資本の歴史的な実存諸条件は、商品流通および貨幣流通とともに定在するものでは決してない。資本は、生産諸手段および生活諸手段の所有者が、みずからの労働力の売り手としての自由な労働者を市場で見いだす場合にのみ成立するのであり、そして、この歴史的条件は一つの世界史を包括する。それゆえ、資本は、最初から社会的生産過程の一時代を告示する」(②、二九一)。
生産手段から切り離され、他方で労働力の販売を自分の意志で決定することのできる「二重の意味で自由な労働者」が「市場」に現われなければ、資本は形成されることがない。
そして、マルクスはこの文章の終わりにつけた注で、次のように書いている。
「したがって、資本主義時代を特徴づけるものは、労働力が労働者自身にとっては彼に属する商品という形態を受け取り、それゆえ彼の労働が賃労働という形態を受け取る、ということである。多面では、この瞬間からはじめて、労働生産物の商品形態が普遍化される」(同右)。
労働力の商品化が、それ以前の商品生産・商品流通と資本主義を区別する決定的な指標であり、しかも、そのようにして成立した資本主義は商品生産・商品流通をあらゆる労働生産物に強要していくことになるというのである。
この過程は同時に、封建的生産様式の「没落」の過程でもあった。
「自然は、一方の側に貨幣または商品の所有者を、他方の側に単なる自分の労働力の所有者を、生み出しはしない。この関係は自然史的関係ではないし、また、歴史上のあらゆる時代に共通な社会的関係でもない。それは明らかに、それ自身、先行の歴史的発展の結果であり、幾多の経済的変革の産物、すなわち社会的生産の全一連の古い諸構成体の没落の産物である」(②、二八九~九〇)。
マルクスはその経過を「資本の本源的蓄積」、すなわち「資本主義的生産の結果ではなく出発点である蓄積」(④、一二二一) の歴史的分析をつうじて明らかにしている。
封建制の没落を推進したのは、土地所有者であった当の封建貴族であり、国王であり、封建国家であった。羊毛マニュファクチュアのための「牧羊地」獲得に向け、一五世紀の終わりに開始された土地囲い込み--すなわち農民からの土地の切り離しは、一七世紀の清教徒革命や名誉革命などをへて、政治権力がブルジョワジーの手に移行していく過程をこえて、一九世紀の「地所の清掃」などにまで継続された。
農民の手から土地をたたき落とす「教会領の略奪、国有地の詐欺的譲渡、共同地の盗奪、横奪による、そして容赦のない暴行によって行なわれた封建的所有および氏族的所有の近代的な私的所有への転化、これらはみないずれも本源的蓄積の牧歌的方法であった。これらは、資本主義的農業のための場面を征服し、土地を資本に合体させ、都市工業のためにそれが必要とする鳥のように自由なプロレタリアートの供給をつくり出した」(④、一二五七)。
それだけではない。もう一方で国家は、土地から切り離された農民たちに賃労働者への転化を強いる諸立法をつくっていく。
「一五世紀末から全一六世紀にわたり、西ヨーロッパ全体で浮浪罪にたいする流血の立法が行なわれた」(④、一二五八)。
イギリスでは「強健な浮浪人には鞭打ちと拘禁とが科される」(一五三〇年法)、「労働することをこばむものは、彼を怠け者として告発した人の奴隷になることを宣言される」(一五四七年法)、「〔労働能力がないという〕 鑑札を持たない一四歳以上の乞食は、二年間彼らを使おうとする人がいなければ、ひどく鞭打たれ、左の耳たぶに烙印される」(一五七二年法) 等々 (④、一二五八~六二、〔カッコ内〕 は石川)。
だから、マルクスは、このようにして行なわれた賃金労働者の形成史を簡潔にこう表現している。
「鳥のように自由なプロレタリアートの暴力的創出、彼らを賃労働者に転化させた血なまぐさい訓練、労働の搾取度とともに資本の蓄積を警察力によって増進させた厭うべき元首と国家の行動」(④、一二七一)。
さらに「資本の本源的蓄積」のもう一方の主人公である「資本主義的借地農場経営者」や「産業資本家」の「創世記」を描いた後に、マルクスは、資本主義的生産様式の誕生と、そこにおける国家の役割を次のように整理する。
「イギリスでは、〔本源的蓄積の〕 これらの契機は一七世紀末には植民制度、国債制度、近代的租税制度、および保護貿易制度において体系化される。これらの方法は、一部は残虐きわまる暴力にもとづくのであって、たとえば植民制度がそうである。しかし、どの方法も、封建的生産様式の資本主義的生産様式への転化過程を温室的に促進して過渡期を短縮するために、国家権力、すなわち社会の集中され組織された強力を利用する。強力は新しい社会をはらむあらゆる古い社会の助産婦である。強力はそれ自身が一つの経済的力能である」(④、一二八六、〔カッコ内〕 は石川)。
もちろんこれらのことは、国家が資本主義を生みだしたということではない。封建的生産様式の内部に、資本主義的生産様式が孕まれており、国家はその誕生の過程を「促進」する「助産婦」としての役割を果たしたということである。
〔商品生産から資本主義への所有法則の転換〕
なお、このような資本主義の発生過程を見る時に、マルクスが重要な視角として位置づけているのは所有法則の転換という問題である。これは後にマルクスが「資本主義的蓄積の歴史的傾向」をとらえる際に、未来に向けた所有の変革を「否定の否定」と表現する、そのはじめの「否定」の内容となる。
「商品生産および商品流通にもとづく取得の法則または私的所有の法則は、明らかに、それ独自の内的で不可避的な弁証法によって、その直接の対立物に転換する」。
「所有権は、最初には、自分の労働にもとづくものとして現われた」。
「〔しかし、労働力が売買される資本主義のもとで〕 所有は、いまや、資本家の側では他人の不払労働またはその生産物を取得する権利として現われ、労働者の側では自分自身の生産物を取得することの不可能性として現われる」。
「〔賃労働者のもとでの〕 所有と労働との分離は、外見上は両者の同一性から生じた一法則の必然的な帰結となる」(④、一〇〇〇~一、〔カッコ内〕 は石川)。
商品生産と商品流通にもとづく世界にあっては「生産物は生産者のものであり、生産者は等価物どうしを交換しながら、自分の労働だけで富を得ることができる」のだが、「資本主義時代においては、社会の富が、絶えず増大する程度において、他人の不払労働を絶えず新たに取得する立場にある人々の所有となる」(④、一〇〇六)。
マルクスは、この転化が商品生産の所有法則にもとづいて、厳密にそれに一致した上で進行することを明らかにして、「商品生産がそれ自身の内的諸法則にしたがって資本主義的生産に成長していくのと同じ程度で、商品生産の所有諸法則は資本主義的取得の諸法則に転換する」と述べていく (④、一〇〇六)。
そして他方で、そのような転化が商品生産を否定するものでなく、反対に商品生産を「全社会」に押しつけることを可能にしたと指摘する。
「商品生産は、賃労働がその基盤となるときはじめて、全社会に自分を押しつける。さらにまた、そのときはじめて、商品生産は隠されたすべての力能を現わす」(④、一〇〇三)。
四 資本主義の発展過程について
〔独自の資本主義的生産様式〕
次に、資本主義の確立と、確立した資本主義--「独自の資本主義的生産様式」--の発展についてである。すでに見た「資本の本源的蓄積」は、この「独自の資本主義的生産」の「歴史的基礎」となるものであった。
「商品生産という地盤は、資本主義的な形態でのみ、大規模な生産を担うことができる。それゆえ、個々の商品生産者の手もとにおけるある一定の資本蓄積が、独自の資本主義的生産様式の前提をなす。だからこそ、われわれは、手工業から資本主義的経営への移行にさいし、このような蓄積を想定しなければならなかったのである。このような蓄積は、本源的蓄積と名づけうる。なぜならそれは、独自の資本主義的生産の歴史的結果ではなくて、その歴史的基礎だからである。この蓄積そのものがどのようにして生じるかは、ここではまだ研究する必要がない。それが出発点をなすということだけで十分である」(④、一〇七四~五)。
ここに登場する「独自の資本主義的生産様式」の内容については、フランス語版 『資本論』 の中に、ドイツ語版のこの箇所に対応して書かれた次の文章がある。
「こうしてある一定の先行的蓄積--その起源についてはのちに検討する--が、近代産業の、すなわち独自の資本主義的生産様式または本来の資本主義的生産様式とわれわれが名づけた社会的結合と技術的工程とのこの総体の、出発点となる」(④、一〇七五の訳者注)。
つまり「独自の資本主義的生産様式」とは、本源的蓄積--アダム・スミスの言葉でいえば先行的蓄積--の到達を出発点にすえた、資本主義の「近代産業」段階のことであり、同時にそれは生産の技術的な方法だけではなく、生産技術と労働者たちの「結合」の両面を含む、より幅の広い概念である。
マルクスは 『資本論』 の中で、相対的剰余価値の生産方法を、協業、マニュファクチュア、機械制大工業の順に分析しているが、そこで「本来的なマニュファクチュアの時代」についてこう述べていた。
「分業にもとづく協業は、マニュファクチュアにおいて、その典型的な姿態をつくり出す。それが、資本主義的生産過程の特徴的形態として支配的なのは、おおよそ一六世紀中葉から一八世紀最後の三分の一期にいたる本来的なマニュファクチュア時代のあいだである」(③、五八五)。
現実の歴史を見れば、この「本来的なマニュファクチュア時代」の後に来るのが産業革命であり、それは機械の発明の時代であり、発明された機械にもとづき資本主義が、それに独自の生産と労働の方法を確立していく過程であった。そうして生みだされたのが機械制大工業である。つまり「独自の資本主義的生産様式」とは、機械制大工業段階に達した資本主義的生産様式のことである。
〔相対的剰余価値生産と労働者の実質的包摂〕
マルクスは「独自の資本主義的生産様式」の確立を、いくつかの角度から分析した。その一つは、これが絶対的剰余価値生産の追求にくわえ、相対的剰余価値の生産を本格的に追い求める段階の生産様式だということである。
「労働日の延長によって生産される剰余価値を、私は絶対的剰余価値と名づける。これに対して、剰余価値が、必要労働時間の短縮およびそれに対応する労働日の両構成部分の大きさの割合における変化から生じる場合、これを、私は相対的剰余価値と名づける」(③、五五〇)。
労働時間延長の自然的限界や、労働組合を結成して労働時間短縮のためにたたかう労働者たちの出現を前に、資本は相対的剰余価値の生産を追求し始める。一日の労働時間である「労働日の延長」によって追求される絶対的剰余価値と異なって、相対的剰余価値の生産には、生産の方法それ自体の変革が必要とされる。変革される生産の方法には、生産手段の変革という技術的側面と、それに対応して労働者たちの力がどのように合理的に結びつけられるかという社会的結合の側面があり、マルクスはその具体的な内容を、歴史的に、同時に概念的に、協業、マニュファクチュア、機械制大工業の順に分析した。
他方で、マルクスは、そうして生みだされた生産様式が、絶対的剰余価値生産を追求する新しい手段となることも指摘している。
「相対的剰余価値の生産のための方法は、同時に絶対的剰余価値の生産のための方法でもあることが明らかとなった。それどころか、労働日の無際限な延長は、大工業のもっとも独自な産物として現われた」(③、八七四~五)。
人間が機械にあわせる労働の確立である。こうして現実の資本は、絶対的剰余価値と相対的剰余価値の生産を、いずれも最大限に追求していくことになる。
もう一つマルクスが「独自の資本主義的生産様式」の歴史的特質として強調したのは、それが労働者の「実質的包摂」を達成する生産様式だという面である。
「相対的剰余価値の生産は、一つの独自の資本主義的な生産様式を措定するのであって、この生産様式は、その方法、手段、および条件そのものとともに、最初は、資本のもとへの労働の形式的包摂を基礎として、自然発生的に成立し、発展させられる。形式的包摂に代わって、資本のもとへの労働の実質的包摂が現われる」(③、八七四)。
この点については「一八六一~六三草稿」に、より詳しい叙述がある。
「剰余価値のこの二つの形態--絶対的剰余価値の形態および相対的剰余価値の形態--が……資本のもとへの労働の包摂の二つの別々の形態が、あるいは資本主義的生産の二つの別々の形態が対応している」「絶対的剰余価値にもとづく形態を、私は資本のもとへの労働の形態的包摂と名づける」(大月書店 『マルクス資本論草稿集』 ⑨、三六九)。
「形式的」と「形態的」で訳語は異なるが、原語はまったく同じである。
「〔形態的な包摂の〕 場合には、生産様式そのものにはまだ相違が生じていない。労働過程は--技術学的に見れば--以前とまったく同じように行なわれるが、ただし、今では資本に従属している労働過程として行なわれる」(同右、三七〇、〔カッコ内〕 は石川)。
「生産過程における支配・従属の関係が、以前に見られた生産過程における自立性にとって代わって現われる」(同右、三七一)。
『資本論』 にも、同様の記述がある。
「絶対的剰余価値の生産のためには、資本のもとへの労働の単なる形式的包摂だけで--たとえば以前には自分自身のために、あるいはまた同職組合親方の職人として、労働していた手工業者が、いまでは賃労働者として資本家の直接的管理のもとにはいるということで--十分である」(『資本論』 ③、八七四)。
しかし、相対的剰余価値の生産は、労働過程そのものの変化にもとづいている。
「資本のもとへの労働の実質的包摂のもとで、すでに述べた、技術学的な過程である労働過程における変化のすべてが始まり、これらと同時に、労働者の自分自身の生産にたいする、また資本にたいする関係におけるすべての変化が始まる。--社会的労働の生産諸力が発展することによって、そしてこの生産諸力とともに、はじめて同時に、自然諸力の大規模な充用、直接的生産への科学と機械装置との適用が可能となることによって、ついに、労働の生産力における発展が始まるのである。つまりここで変化するのは、形態的関係だけではなくて、労働過程そのものである。資本主義的生産様式は--いまはじめて、一つの独自な種類の生産様式として現われる」(『草稿集』 ⑨、三八六)。
「生産への科学と機械装置との適用が可能となる」機械制大工業の段階に入って、労働は実質的に資本によって包摂されるというわけである。
次に、独自の資本主義的生産様式は、資本の規模を拡大する。
「貨幣--が資本として機能できるために個々の資本家の手中になければならない貨幣の最小限の大きさは、資本のもとへの労働のただ形態的でしかない包摂の場合に必要とされる最大限をはるかに上回る。資本家は、社会的な規模での生産手段の所有者または所持者でなければならないのである」(同右、三八七)。
それは包摂の形式的な関係が「ただ、人間形成の仕方や働き方において労働者自身とほんのわずかしか異なっていないような小資本家たちを前提しているだけ」であるのとは対照的なものとなる (同右、三七九)。
さらに独自の資本主義的生産様式は、いわゆる「資本の有機的構成」を高めるものとなる。
「ある一定の程度の資本蓄積が独自の資本主義的生産様式の条件として現われるとすれば、逆作用としてこの生産様式が資本の蓄積の加速化を引き起こす。それゆえ、資本の蓄積にともなって独自の資本主義的生産様式が発展し、また独自の資本主義的生産様式にともなって資本の蓄積が発展する。これらの両方の経済的要因は、それらが相互に与え合う刺激に複比例して資本の技術的構成における変動を生み出し、この変動によって、可変的構成部分が不変的構成部分に比べてますます小さくなる」(『資本論』 ④、一〇七五)。
産業資本において、機械設備などに投じられる資本部分の比率が拡大し、人件費部分が相対的に小さくなるということである。
〔生産に奉仕し生産を混乱させる信用制度〕
次は、資本主義の発展を加速する信用制度の問題である。
本源的蓄積の過程においても、国家や商業資本などに貸付を行なう高利貸資本の発展があったが、独自の資本主義的生産様式の確立は、資本が資本として成り立つための必要最低資本量を飛躍的に拡大し、産業資本への貸付や出資を軸とする信用制度の急速な発展を導いていく。
「信用制度は、私人たちの手もとにおける社会的生産諸手段の (資本および土地所有の形態での) 独占を前提とする」(⑪、一〇六二)。
「信用制度自体が、一方では、資本主義的生産様式の内在的形態であり、他方では、この生産様式をその可能な最高かつ最終の形態にまで発展させる推進力である」(『資本論』 ⑪、一〇六二)。
ただし、信用制度は資本主義的生産様式を発展させるだけでなく、同時にそこに、新しい混乱を生みだすものともなる。マルクスは、信用制度が「ぺてんと詐欺」などの「山師」的活動の領域を広げることを指摘した。
株式会社は「新たな金融貴族を、企画屋たち、創業屋たち、単なる名目だけの重役たちの姿をとった新種の寄生虫一族を再生産する。すなわち、会社の創立、株式発行、株式取引にかんするぺてんと詐欺の全体制を再生産する」(⑩、七六〇)。
すべての個人からの生産諸手段の「収奪は、資本主義体制そのものの内部では、対立的姿態で、少数者による社会的所有の取得として、現われる。そして信用は、この少数者にますます純然たる山師の性格を与える」(⑩、七六二)。
そして、この山師やぺてんの活動は、「現実の生産」を混乱させる「途方もない力」となっていく。
「いわゆる国家的諸銀行と、それらを取り巻く大貨幣貸付業者たちおよび大高利貸したちとを中心とする信用制度は、巨大な集中であって、それはこの寄生階級に、単に産業資本家たちを大量に周期的に破滅させるだけでなく、危険きわまる方法で現実の生産にも干渉する途方もない力を与える--しかもこの一味は、生産のことはなにも知らず、また生産とはなんの関係もない」(⑪、九四九)。
これは、近年の金融危機と結びついた過剰生産恐慌という現象に、直接結びついた論点である。
〔資本主義の発展は意識的な反作用を必然とする〕
同時に重視されるべきは、マルクスが資本主義の発展を、資本の発展という側面からのみとらえたわけではないということである。資本主義は剰余価値生産の追求を根本の原動力とするが、そうであるがゆえに資本に対する労働者のたたかいが生みだされ、両者の衝突のもとで資本主義の具体的な姿形は変わっていく。マルクスはここにこそ資本主義発展の核心的な内容を見出している。
その論理を象徴するのが 『資本論』 中の次の箇所である。
「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問にかんする苦情に答えて資本は言う--われらが楽しみ (利潤) を増すがゆえに、われら、かの艱苦に悩むべきなのか? と」(②、四六四)。
しかし、「自由競争」という「外的な強制」に迫られたこれらの行動は、労働者たちの「反乱」を生んでいく。その闘いの歴史の検討にマルクスは多くのページを割いていく。
一八〇二年から三三年にかけて五つの労働法が生みだされる。ただし、それはいまだ労働者の命と健康を守る実質をともなうものではなかった。「それらは死文にとどまった」(②、四八一)。
一八三三年の工場法以後「近代産業にとってのひとつの標準労働日がようやく始まる」。とはいえ、それがさだめた労働時間は一日一五時間の長さであった。この法律のもとで、工場監督官制度が初めて生みだされる (②、四八二)。
一八三四年には一一歳未満の児童にたいする八時間労働法が制定された (②、四八三)。
一八四七年の「新工場法は、『年少者』 (一三歳から一八歳) およびすべての婦人の労働日が……一八四八年五月一日には最終的に一〇時間に制限されるものとすると確定した」(②、四九〇) 等々。
こうして資本の自由への規制が拡大していくことを、マルクスは「大工業」すなわち独自の資本主義的生産様式の「必然」だととらえている。
「工場立法、すなわち社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用は、すでに見たように、綿糸や自動精紡機や電信機と同じく、大工業の必然的産物である」(③、八二八)。
さらにマルクスは、こうした「反作用」が業種や年齢、性別をこえ、あらゆる領域に浸透していくことが、大工業以前の古い生産形態を破壊し、それによって「資本の直接的なむき出しの支配」を生み出しながら、同時に「資本の支配にたいする直接的な闘争をも一般化」するとして、この検討箇所を次のようにまとめていく。
「工場立法の一般化は、生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(③、八六四)。
つまり「工場立法の一般化」は、一方で生産の「物質的諸条件」と「社会的結合」とを、したがって独自の資本主義的生産様式そのものを「成熟」させるが、他方でそれがはらむ「矛盾」と階級的な「敵対」とを「成熟」させる。そして、そのような「物質的諸条件」と「社会的結合」の双方は「新しい社会の形成要素」としての意味をもち、また「矛盾」と「敵対」の成熟は「古い社会」(資本主義社会) の「変革契機」を成熟させる意味をもつ。
このようにマルクスは、資本主義の発展を、剰余価値生産の拡大を追求する資本自身の運動だけでなく、それへの「必然的」な「反作用」との合力としてとらえていた。
〔資本主義における個人の能力の発展〕
さらに関連して、マルクスは「一八五七~五八年草稿」の中で、資本主義における個人の能力の発展にふれている。
「諸個人の普遍的な発展のうえにきずかれた、また諸個人の共同体的、社会的生産性を諸個人の社会的力能として服属させることのうえにきずかれた自由な個体性は、第三の段階である 〔共産主義〕。第二段階は第三段階の諸条件をつくりだす」(『資本論草稿集』 ①、一三八、〔カッコ内〕 は石川)。
ここでの「第二段階」は人間社会の資本主義段階ということだが、その内容についてマルクスはこう述べている。
「普遍的に発展した諸個人は、彼らの社会的諸関係を、彼ら自身の共同体的諸関連として、やはり彼ら自身の共同体的な諸統制に服させているのであるが、このような普遍的に発展した諸個人は、自然の産物ではなくて、歴史の産物である。こうした個体性 〔個性〕 が可能になるための諸力能の発展の程度と普遍性とは、まさに交換価値の基礎のうえでの生産を前提しており、この生産によって初めて、個人の自己および他者からの疎外の一般性がつくりだされるとともに、他方では個人の諸関連と諸能力との一般性と全面性もまたつくりだされるのである」(同右、一四五)。
資本のもとに包摂された個人は「自己および他者からの疎外」のもとに投げ出され、他方で新たに、資本によって「関連」づけられ、資本のもとで「諸能力」を高めていくというのである。ただし、その関連や能力は、資本が労働者に一方的に与えるものだけでなく、資本との闘いをつうじて労働者が自ら獲得していくものを含めてとらえる必要があろう。
五 資本主義の死滅過程について
〔収奪者が収奪される〕
資本主義の死滅については、発生から発展、死滅にいたる資本主義の生涯を描いた 『資本論』 第一部第二四章末尾の「資本主義的蓄積の歴史的傾向」に、その基本線がまとめられている。
そこでマルクスは、生産手段の自己所有にもとづく「小経営」の破壊から資本主義の発生を描き出す。
「その破壊、個人的で分散的な生産手段の社会的に集積された生産手段への転化、それゆえ多数者による小量的所有の少数者による大量的所有への転化、それゆえまた広範な人民大衆からの土地、生活手段、労働用具の収奪、この恐るべき、かつ非道な人民大衆の収奪こそは、資本の前史をなしている。この収奪は、一連の暴力的方法を包括しており、われわれはそのうちの画期的なものだけを資本の本源的蓄積の方法として検討した」(④、一三〇四)。
同時にそれは、私的所有から資本主義的取得への取得法則の転化の過程を含んでいた。
「自分の労働によって得た、いわば個々独立の労働個人とその労働諸条件との癒合にもとづく私的所有」は「他人の、しかし形式的には自由な労働の搾取にもとづく資本主義的私的所有によって駆逐される」(④、一三〇四~五)。
こうして資本主義が「自分の足で」立ち、独自の資本主義的生産様式を確立させるようになると、生産手段の集積は「諸資本の集中」という新しい形態でも進行する。
マルクスはこう述べている。
「この転化過程が旧社会を深さと広がりから見て十分に分解させてしまえば、労働者がプロレタリアに転化され彼らの労働諸条件が資本に転化されてしまえば、資本主義的生産様式が自分の足で立つことになれば、ここに、労働のいっそうの社会化、および、土地その他の生産手段の社会的に利用される生産手段したがって共同的生産手段へのいっそうの転化、それゆえ私的所有者のいっそうの収奪が、新しい形態をとる。いまや収奪されるべきものは、もはや自営的労働者ではなく、多くの労働者を搾取する資本家である」(④、一三〇五)。
「こうした収奪は、資本主義的生産そのものの内在的諸法則の作用によって、諸資本の集中によって、なしとげられる。一人ずつの資本家が多くの資本家を討ち滅ぼす」(④、一三〇五)。
このような「少数の資本家による多数の資本家の収奪」の過程で、資本主義は次のような諸側面を発展させる。
「ますます増大する規模での労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用 (搾取)、共同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化、結合された社会的な労働の生産手段としてのその使用によるすべての生産手段の節約、世界市場の網のなかへのすべての国民の編入、したがってまた資本主義体制の国際的性格が、発展する」(④、一三〇六)。
資本主義のもとでの生産の社会的性格の深まりである。
同時に、こうした資本主義の発展の中で労働者階級が成長する。
「絶えず膨張するところの、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大する」(④、一三〇六)。
その結果、少数者による「資本独占は、それとともにまたそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的な外被とは調和しえなくなる一点に到達する。この外被は粉砕される。資本主義的私的所有の弔鐘が鳴る。収奪者が収奪される」(④、一三〇六)。
以上の歴史過程を、マルクスは取得法則の転換という視角から、次のように総括する。
「資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、それゆえ資本主義的な私的所有は、自分の労働にもとづく個人的な私的所有の最初の否定である。しかし、資本主義的生産は、自然過程の必然性をもってそれ自身の否定を生み出す。これは否定の否定である」(④、一三〇六)。
この二つ目の否定によって資本主義は死滅するが、その内容については次のことが指摘されている。
「この否定は、私的所有を再建するわけではないが、しかし、資本主義時代の成果--すなわち、協業と、土地の共有ならびに労働そのものによって生産された生産手段の共有--を基礎とする個人的所有を再建する」(④、一三〇六)。
つまり「否定の否定」は、自己労働にもとづく私的所有を再建することで、時代を資本主義以前にもどすのではなく、資本主義がもたらした生産手段の事実上の「共有」を土台に、社会的に結合した労働者たちが共同の労働によって生産する成果を、各人がそれぞれに所有する「個人的所有」を再建するというのである。その所有の対象は、当然、生活手段が主となる。
〔資本主義の死滅における信用制度の役割〕
なお、右の論理は 『資本論』 第一部の末尾に展開されたものであり、第二部以降の解明を含んだものとはなっていない。とりわけ補足が必要なのは、信用制度の役割である。
株式会社は「それ自身社会的生産様式に立脚して生産諸手段および労働諸力の社会的集積を前提とする資本が、ここでは直接に、私的資本に対立する社会資本 (直接に結合した諸個人の資本) の形態をとるのであり、このような資本の諸企業は、私的諸企業に対立する社会的諸企業として登場する。それは、資本主義的生産様式そのものの限界内での、私的所有としての資本の止揚である」(⑩、七五六~七)。
「株式会社においては、機能が資本所有から分離され、したがって労働も、生産諸手段および剰余労働の所有からまったく分離されている。資本主義的生産の最高の発展のこの結果こそ、資本が生産者たちの所有に、ただし、もはや個々ばらばらな生産者たちの私的所有としての所有ではなく、結合された生産者である彼らの所有としての、直接的な社会的所有としての所有に、再転化するための必然的な通過点である。他方では、それは、これまではまだ資本所有と結びついていた再生産過程上のすべての機能が、結合された生産者たちの単なる諸機能に、社会的諸機能に、転化するための通過点である」(⑩、七五七~八)。
つまり株式会社は、もはや個人が所有する私的資本ではなく、諸個人が集結して初めて生みだすことのできる「社会資本」となっており、それは依然として資本主義的生産様式の枠内にある資本だが、それにもかかわらず、すでに再生産の機能と資本所有が分離された資本となっており、それによって資本が社会的所有に転化する通過点――また再生産の機能が互いに結合しあう生産者たちの機能に転化するための通過点となっている。
加えて重要なのは、株式会社のこうした過渡的性格が、すでに見たような資本主義の「山師」的性格を拡大し、それによって資本主義の無政府性を拡大するという問題である。
「これこそは、資本主義的生産様式そのものの内部での資本主義的生産様式の止揚であり、それゆえ自己自身を止揚する矛盾であり、この矛盾は明らかに新たな生産形態への単なる過渡点として現われる。この場合にそれは、こうした矛盾として現象にも現われる。それは、一定の諸部面で独占を生み出し、それゆえ国家の干渉を誘発する。それは、新たな金融貴族を、企画屋たち、創業屋たち、単なる名目だけの重役たちの姿をとった新種の寄生虫一族を再生産する。すなわち、会社の創立、株式発行、株式取引にかんするぺてんと詐欺の全体制を再生産する。これは、私的所有の統制を欠く私的生産である」(⑩、七六〇)。
すべての個人からの生産諸手段の「収奪は、資本主義体制そのものの内部では、対立的姿態で、少数者による社会的所有の取得として、現われる。そして信用は、この少数者にますます純然たる山師の性格を与える」(⑩、七六二)。
このように述べてマルクスは、株式制度の検討を次の言葉で総括する。
「信用制度に内在する二面的性格--一方では、資本主義的生産の動力ばね、すなわち、他人の労働の搾取による致富を、もっとも純粋かつ巨大な賭博とぺてんの制度にまで発展させ、社会的富を搾取する少数者の数をますます制限するという性格、しかし他方では、新たな生産様式への過渡形態をなすという性格」(⑩、七六五~六)。
他方でマルクスは、資本主義が発展させる銀行制度についても、未来社会--「結合された労働の生産様式」--への移行におけるその役割という角度からの分析を行なっている。
「銀行制度は、形式的な組織と集中という点から見れば……およそ資本主義的生産様式が生み出すもっとも人為的でもっとも発達した産物である」「この銀行制度とともに、社会的規模での生産諸手段の一つの一般的な記帳および配分の形態が、ただしその形態だけが与えられるのであるが」(⑪、一〇六二~三)。
つまり銀行制度は、資本主義の目的に従いながら、しかし株式会社とは別の形で、個人の私的資本とは異なる「社会資本」を形成し、さらに生産手段の社会的配分のための形態をつくり出すというのである。
ただし、社会変革における信用制度の役割には、次のような留保も加えられる。
「資本主義的生産様式から結合された労働の生産様式への移行の時期に、信用制度が有力なテコとして役立つであろうことは、なんの疑いもない。とはいえ、それはただ、生産様式自体の他の大きな有機的諸変革と連関する一要素としてでしかない」(⑪、一〇六四)。
「大きな有機的諸変革」の中心をなすのは、先に見た生産手段の社会的所有ということであろう。
〔資本主義の死滅の過程はいつまでか〕
最後に資本主義の死滅、すなわち共産主義の生産様式--結合的生産様式--への移行にいたる過渡期をマルクスはどのような指標でとらえようとしていたかという問題である。
『資本論』 第一部の段階では、その過程は比較的短期間のものと考えられていた。
「諸個人の自己労働にもとづく分散的な私的所有の資本主義的な私的所有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産経営にもとづいている資本主義的所有の社会的所有への転化よりも、比較にならないほど長くかかる、苦しい、困難な過程である。まえの場合には少数の横奪者による人民大衆の収奪が行なわれたが、あとの場合には人民大衆による少数の横奪者の収奪が行なわれる」(④、一三〇六~七)。
しかし、一八七一年のパリコミューンの経験を踏まえて、マルクスは資本主義と共産主義とのあいだに「革命的転化の時期」が必要だとの見解に達していく。
その「転化」の内容に立ち入った検討を加えているのは、『フランスにおける内乱』 の第一草稿である。そこには次のような叙述がある。
「労働の奴隷制の経済的諸条件を、自由な結合的労働の諸条件とおきかえることは、時間を要する漸進的な仕事でしかありえないこと (その経済的改革)、そのためには、分配の変更だけでなく、生産の新しい組織が必要であること、言い換えれば、現在の組織された労働という形での生産の諸形態 (現在の工業によってつくりだされた) を、奴隷制のかせから、その現在の階級的性格から救いだす (解放する) ことが必要であり、その調和のとれた国内的および国際的調整が必要である」(大月書店 『マルクス・エンゲルス全集』 ⑰、五一七~八)。
「労働の奴隷制」つまり資本主義から「自由な結合的労働」つまり共産主義への「経済的諸条件」の転化は、「時間を要する漸進的な仕事」でしかありえず、そこでは豊かさの平等をめざした「分配の変更」だけでなく、むしろ「生産の新しい組織」の形成こそが重要になる。互いに結合しあう生産者たちの自由な意志にもとづく新たな生産の組織づくり、そして、それら生産諸組織間の「国内的および国際的調整」がその内容である。
さらにその過程が「既得権益と階級的利己心の諸抵抗」に再三押しとどめられることを指摘したマルクスは、より具体的に、転化に必要な時間のスケールに言及する。
「現在の 『資本と土地所有の自然諸法則の自然発生的な作用』 は、新しい諸条件が発展してくる長い過程を通じてのみ、『自由な結合的労働の社会経済の諸法則の自然発生的な作用』 によっておきかわりうること、それは 『奴隷制の経済諸法則の自然発生的な作用』 や 『農奴制の経済諸法則の自然発生的な作用』 が交替した場合と同様である」(同右、五一八。以上、訳文は不破哲三 『革命論研究・下』 新日本出版社、二八七による)。
「経済的諸法則の自然発生的な作用」というのは、国家による強制を必要とすることなく、それら諸法則が自力で展開するということであり、資本主義でいえば、それは独自の資本主義的生産様式が確立した段階以降の状態となっていく。それが、さらに「自由な結合的労働」の社会に移行するには、奴隷制が農奴制に、農奴制が資本主義に「交替」したのと同じように「長い過程」が必要になるというのである。
六 資本主義の歴史を展開させる根本矛盾
以上に見てきた資本主義の全歴史を展開させる原動力が、資本主義の根本矛盾である。マルクスは「一八五七~八年草稿」でこう述べている。
「資本は、一方ではたえず、より多くの剰余労働をつくりだそうとする傾向をもつととともに、それらの剰余労働を補完する、より多くの交換点をつくりだそうとする傾向をもつ。……つまるところ、資本にもとづく生産あるいは資本に照応する生産様式を普及させようとする傾向をもつのである」「まさに資本にもとづく生産を、資本の立場からすれば自然生的な、それ以前の生産諸様式に代置しようとする」(『資本論草稿集』 ②、一五)。
その結果「資本主義的生産および交換のこの圏域の外に現われるようなものは、いっさいなくなる。このようにして、資本がはじめて、市民社会 〔ブルジョア的社会〕 を、そして社会の成員による自然および社会的関連それ自体の普遍的取得を、つくりだすのである。ここから資本の偉大な文明化作用が生じ、資本によるひとつの社会段階の生産が生じる」(同右、一七~八)。
しかし、こうして成立した資本主義の無制限的な発展の衝動は、それが資本主義である限り、乗り越えることのできない制限の内にある。
「資本は……既存の諸欲求の、一定の限界内に自足的に閉じこめられていた、伝来の充足と、古い生活様式の再生産とを乗り越えて突き進む。資本は、これらいっさいにたいして破壊的であり、たえず革命をもたらすものであり、生産諸力の発展、諸欲求の拡大、生産の多様性、自然諸力と精神諸力の開発利用ならびに交換を妨げるような、いっさいの制限を取り払っていくものである」(同右、一八)。
「だが、資本がそのような限界のすべてを制限として措定し、したがってまた観念的にはそれらを超えているからといって、資本がそれらを現実的に克服したということにはけっしてならない。そして、そのような制限はいずれも資本の規定に矛盾するので、資本の生産は、たえず克服されながら、また同様にたえず措定される諸矛盾のなかで運動する。そればかりではない。資本がやむことなく指向する普遍性は、もろもろの制限を資本自身の本性に見いだすのである。これらの制限は、資本の発展のある一定の段階で、資本そのものがこの傾向の最大の制限であることを見抜かせるであろうし、したがってまた資本そのものによる資本の止揚へと突き進ませるであろう」(同右、一八~九)。
無制限的な発展への衝動と同時に、その実現を妨げる制限が他ならぬ資本の内から生みだされるというのである。
それを恐慌という具体的な現象に引きつけて展開したのが次の箇所である。
「これらの矛盾はもろもろの爆発、激変、恐慌をもたらすが、そのさい資本は、労働の一時的な停止や資本の大きな部分の破壊によって、自害することなくその生産力を引き続き十分に充用できるような点にまで、強力的に引き戻される。それにもかかわらず、規則的に生じるこれらの破局は、さらに高い規模でのそれらの反復に、そして最後には、資本の強力的な転覆にいたることになる」(同右、五五九)。
周期的な恐慌の体験を通じて、資本主義的生産様式は労働者階級による「資本の強力的な転覆」を準備せずにおれない。
さらにマルクスは「六一~三年草稿」で、これを一層整理された形で繰り返す。
「生産のための生産、--、諸欲求の、事前に規定し規定されたどんな制限にもよることのない、人間の労働の生産力の発展、のちにさらに詳論するであろうが、このこと自身が資本主義的生産の内部で、それをめざして努めるのは傾向としてであるにもかかわらず、この生産の固有の諸制限と矛盾する。というのは、資本主義的生産はこれまでのいっさいの生産様式のなかで最も生産的なものである一方、それは自己の対立的性格に従って生産の諸制限を含んでおり、たえずこれらの制限を乗り越えようとするのであって、そこから恐慌、過剰生産等々が生じるのだからである。だからこそ生産のための生産は、他方でそれの正反対物として現われる。それは、人間の生産性の発展としての生産ではなく、人間的個人の生産的発展に対立する物象的富の表示としての生産なのである」(『資本論草稿集』 ⑨、三九〇~一)。
資本主義的生産は、無制限的な発展を一方の傾向としているが、それにもかかわらずこの衝動は、資本主義的生産それ自体がもつ「固有の諸制限と矛盾」する。そして、その制限は、資本主義的生産が「人間の生産性の発展としての生産」ではなく「物象的富の表示としての生産」すなわち資本の利益を目的とする生産であるところにあるというのである。
だから 『資本論』 は、より端的に次のようにいう。
「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。というのは、資本とその自己増殖とが、生産の出発点および終結点として、生産の動機および目的として、現れる、ということである。生産は資本のための生産にすぎないということ、そして、その逆に、生産諸手段は、生産者たちの社会のために生活過程をつねに拡大形成していくためにだけ役立つ諸手段なのではない、ということである。それゆえ、生産者大衆の収奪と貧困化にもとづく資本価値の維持と増殖が、その内部でのみ運動することのできる諸制限--このような諸制限は、資本が自分の目的を達成するために使用せざるをえない生産諸方法と、たえず衝突することになる。それゆえ、資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させ、かつこの生産力に照応する世界市場をつくり出すための歴史的な手段であるとすれば、この資本主義的生産様式は同時に、この生産様式のこのような歴史的任務と、これに照応する社会的生産諸関係とのあいだの恒常的な矛盾なのである」( 『資本論』 ⑨、四二六~七)。
資本主義にあっては、生産は資本のための生産であり、生産者たちの生活の豊かさを目的としたものではない。そこから資本の無制限な発展への衝動と生産者の貧困との衝突が起こるというのである。
以上を歴史的な角度からとらえ返せば、資本はそれ以前の生産様式を押し退けて、資本にもとづく人間社会の段階を生みだすが、そうして自分の足でたった資本主義的生産様式は、生産力の発展と資本主義的な「社会的生産諸関係」との「恒常的矛盾」を特徴とし、それによって、自らもまたいつまでもそこにとどまることのできない、歴史的に過渡的な存在だということである。
その過渡的性格を具体的に実証するのは、労働者・国民の闘いであり、それは、資本主義をその枠内で改革・発展させることにより根本矛盾を前進的に展開させる闘いと、資本主義をその次の段階へと移行させることにより根本矛盾の解消を目指す二重の内容をもつものとなる。
七 おわりに
冒頭に述べたように、現代資本主義の理論的な把握は、そこに示された具体的現実の具体的な分析を通じて行なわれるのであり、マルクスの解明からの一方的な類推や演繹によるものではありえない。だが、そのことは、マルクスの探究成果を「導きの糸」として活用することを否定しない。
反対に、マルクスの探究成果と現代資本主義の具体的な諸現象を意識的に突き合わせていく作業は、一方で現代的な諸現象の分析に一定の指針を与え、他方で、マルクスの歴史的制約を明らかにすることで、理論の新たな発展や修正に道を開くものとなる。
そうした検討を行なう時に、大前提として重視されるべきは、資本主義の全生涯に資本主義の「現代」を位置づけていくという視角であり、また「現代」を生み出し、それを次の資本主義段階に移行させる原動力を、根本矛盾の具体的な展開としてとらえていくという視角であろう。
以上のような問題意識にもとづく私なりの研究に、いまだ端緒的でしかないが、次のようなものがある。本稿とあわせて、ご検討をお願いしたい。
①「書評・鶴田満彦著 『グローバル資本主義と日本経済』」(経済理論学会 『季刊・経済理論』 二〇一〇年四月)。②「書評・森岡孝二著 『強欲資本主義の時代とその終焉』」(『経済』 二〇一〇年九月号) ③「資本主義の発展段階と戦後日本経済史」(『季論二一』 二〇一〇年秋、第一〇号)。
なお現代資本主義の理論となれば、レーニンの独占資本主義論・国家独占資本主義論の検討を欠かすわけにはいかない。
私は、それらの諸理論に対しては、①後にレーニンも撤回した戦時共産主義論に引きつけられた国家独占資本主義論の弱点、②エンゲルスの基本矛盾論に依拠したことによる帝国主義段階論の制約、③資本主義における国家と経済の関係の大きな転換に着目した国家独占資本主義論の先駆性、④はたして独占資本主義は国家独占資本主義に先行する自立した段階といえるのか等の問題意識をもっている。これについては別稿を用意したい。
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