以下は、神戸女学院大学学報委員会『学報』№161、2011年3月15日号に「新刊紹介」として掲載されたものです。
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内田樹著『街場のマンガ論』
「日本語という言語の特殊性が、日本列島におけるマンガの生成と発達に深く関与しているというこの仮説は、日本におけるマンガの突出した生産性と創造性を納得のゆく仕方で説明できる唯一のものだと思います」。
この本でも内田先生の思考の道行は、事柄と向かい合う身体の自然な反応を尊重し、そこに生じた感覚や動作の意味を検討し、それに的確な言葉を与えていく見事でユニークなものになっています。
〈そのような議論は気持ちがよくない〉〈あれは面白かった〉〈そう思ったんだから〉。対象への五感の応答をそのまま表わすこれらの言葉は、読み手にとってもスカッと気持ちのいいものです。
しかし、こうした身体の表の反応は、もちろんそのまま差し置かれるわけではありません。つづいて思考はそれらの根拠に分け入ります。「どうしてそう思ったのかな」という自問です。
それが内田先生の内奥のブラックボックスをへて、何かの「気づき」を生みだすわけです。その「気づき」の新しさは、既知の「知」に対する居着きの有無を重視して評されるものとなるわけです。
「よくそんなにたくさん書けますね」「出版社に機械で身体をしぼられてるような感じだね」。そんな会話を何度かした覚えがありますが、内田先生はそれも身体の赴くままに、ひょっとする「ぬたあん、ぬたあん」(一乗寺の武蔵@『バガボンド』)とさばいて(誰を?)いるのかも知れません。
「井上雄彦論」「マンガと日本語」「少女マンガ論」「オタク論・ボーイズラブ論」「宮崎駿論」「マンガ断想」の6章に、養老孟司さんとの対談「戦後漫画家論」を加えた全7章からなる本です。私には、最初と最後がとりわけおもしろく読めました。
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