以下は、全国保育団体連絡会『ちいさいなかま』2011年11月号、566号、30~37ページに掲載されたものです。
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インタビュー「震災後の政治の動きをどうみるか-『新しい日本』を模索する市民」
1 東日本大震災に対する政府の復興政策をどのように見ていますか?
──まったくひどいものだと思っています。七月二九日に、東日本大震災復興対策本部が「東日本大震災からの復興の基本方針」(以下、「基本方針」)を発表しましたが、震災後四か月以上も時間をかけて、こんなひどいものしかつくれないのかとあきれました。そして、腹が立ちました。
ようするに被災者の生活再建を最重視するという、あたりまえの姿勢がどこにもないのです。反対に、震災復興の名目で、大企業・財界に都合のよい東北をつくるということが、何より強調されています。
一九九五年の阪神・淡路の大震災のあと、政府と財界は「創造的復興」の名目で、被災者の生活再建とは無関係な大型公共事業を繰りかえしましたが、考え方の基本はそれとまったくかわりません。政府の取りくみには、被災者の苦しみに寄りそうという根本の姿勢が欠けています。
大企業本位の復興策を正当化するために、「大企業が潤えば、国民も潤う」という「構造改革」のスローガンを、「東北の大企業が潤えば、被災者も潤う」という形で適用しようとしているのです。
しかし実際には、一九九七年から二〇〇七年までの「構造改革」の時代に、資本金一〇億円以上の大企業は経常利益を一五・一兆円から三二・三兆円に倍増させましたが、その間に日本中の労働者の合計賃金は二七九兆円から二六二・一兆円に減りました。
非正規雇用者の拡大を含む人件費の削減が「大企業が潤う」ための中心政策とされたのです。「大企業を潤わせるために、国民が貧乏になった」というのが現実で、そんな姿勢の復興策が被災者のためになるわけがありません。
2 大企業が漁業権を買って、自由につかえるようにする「水産業復興特区」が話題になっていますね?
──あれほどの大災害ですから、他の地域にない特別の制度をつくろうという発想はあって当然だろうと思います。福祉や年金の充実、医療費や授業料の軽減あるいは無料化など、やれることはいくらでもあると思います。しかし「基本方針」が語る「特区」の制度は、どれも大企業の金もうけのためのものとなっています。
その一つが「水産業復興特区」です。これまで一定の水域で漁業を行う権利(漁業権)は、漁協をはじめ、地元の漁業関係者が優先的に手にするものとされてきました。それを「産業復興」の名目で外から入る大企業に自由に買い取ることができるようにさせ、漁協が決めるルールに縛られない自由勝手な漁を許可してしまおうというのです。
家族経営でがんばってきた漁師たちを、漁業権を買い取った大企業が低賃金の漁業労働者として雇っていくという道も開かれます。
同じ発想は農業の分野にもあらわれています。土地利用再編の手続きを簡単にする特区制度が考えられており、それは大規模開発を容易にするとともに、大企業が農業労働者を雇用する大規模農場をつくることにもつながります。これらはようするに、東北の農漁業を大企業にとっての「もうかる産業」として再編するということです。
この構想は、日本政府のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への加入とセットにされているものです。TPPに加入した国は、あらゆる商品の輸出・輸入に税金(関税)をかけることができなくなります。
日本に加入を求めているのはアメリカですが、アメリカは農林水産物輸出の大国であり、ねらいは日本市場にそれを売りこむことです。農水省の試算によると、これに加入することで日本の食糧自給率は四〇%から一三%に落ちてしまい、雇用の喪失は三五〇万人に達するとされています。
政府がこれを推進しようとするのは、単にアメリカに対する従属の姿勢からだけではありません。
理由の一つは、これで自動車や電子機器や鉄鋼などの大企業の商品輸出がやりやすくなるということです。つまり、大企業の工業製品輸出のために、農林漁業を犠牲にするということです。
二つ目は、海外から安い食料品がたくさん入ってくれば、労働者たちの食費を抑えることができ、それによって全国の労働者に支払う賃金をもっと低く抑えることができるということです。
そして三つ目は、家族経営の農漁業を経営困難に陥れることで、東北の農漁民を大企業が経営しようとする農漁業資本の傘下に入れやすくなるということです。日本の大企業にとっては「一石三鳥」ということです。
これでは「復興の基本方針」でなく、大企業のための新しい「金もうけの基本方針」です。
3 復興の方針に、いわゆる「資本の論理」がつらぬいているということでしょうか?
──そのとおりです。日本は資本主義の社会であり、他の経済大国に比べても大企業のやり放題が格別に広くゆるされた、野蛮で未熟な資本主義の国です。それを市民の安心・安全を支え、これを侵害しない資本主義に成熟させることが課題です。
兵庫ではいまだに「七割復興」ということばが使われます。神戸市や兵庫県が復興は完了したといっているように、見かけ上、神戸の街はキレイになりました。しかし、再開発で建てられた大きなビルのかげには、いまもポツリ、ポツリと空き地があります。長く暮らしたその街に戻ってくることのできない人が、今もたくさんいるということです。
あわせて兵庫には、「復興はたたかいだ」ということばが生きています。復興には全国各地からたくさんの「善意」が集まりますが、他方で、それを金もうけの手段に変えてしまおうとする「資本の論理」も強く働きます。「復興の基本方針」が、こうまでひどいものになることの背後には、日本経団連をはじめとする財界団体の強い要求があるのです。
実は、この国の政治はどの分野でも、日本経団連が「意見書」という名の政策文書を示し、その実行の度合いに応じて民主党と自民党に企業・団体献金をあっせんする、というやり方を強い推進力としています。震災前から「財界いいなり政治」があたりまえであり、だからこそ復興策も「財界いいなり」になっているわけです。
その他に、「復興の基本方針」は法人税の五%減税はやりぬくとしながら、復興財源のために消費税を増税するといっています。大企業は減税で、市民はすべて増税になるということです。
また原発の事故については、東京電力の賠償責任に一言もふれず、さらに原発を減らすという方針はどこにもありません。ここにも財界の金もうけ第一主義と、財界と政府、財界と民主党・自民党との金での汚い結びつきがあらわれています。
こうした関係を正していくには、市民の大きな取りくみが必要です。より成熟した資本主義への転換を訴えるために、先日『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』(自治体研究社)という本を書きましたので、ぜひ手にとっていただきたいと思います。
4 震災後の政治に新しい変化はないのでしょうか?
──いえ、この間の政治体験にもとづいて、多くの市民は民主党の政治に期待をかける局面を乗りこえて、さらに「新しい政治」の探求を進めています。これは非常に大きな変化だと思います。
この数年を振りかえるなら、小泉内閣に代表された「構造改革」の政治によって、日本社会には深刻な「貧困と格差」がつくられました。そのことへの国民の批判が高まったところへ、かつての侵略戦争を肯定する安倍内閣の国際的な孤立が続き、自民党の政権は坂道を転げ落ちるように瓦解しました。
二〇〇九年には、これにかわって「国民生活第一」をスローガンとした民主党の鳩山内閣が登場します。国民はこの政権に、それまでの政治の方向転換と暮らしの改善を強く期待しました。しかし、経済政策や基地政策の転換を許さないとする、財界やアメリカからの強い圧力もあり、鳩山首相は場当たり的な右往左往を繰りかえした末、何の転換もできずに政権を放り出してしまいます。
そして、二〇一〇年六月に誕生したのが菅内閣です。誕生直後の六月一八日に、菅内閣は二〇三〇年までに原発を一四基以上つくるとする「エネルギー基本計画」や、法人税減税・消費税増税・官民一体での原発輸出を盛りこんだ「新成長戦略」などを、ただちに閣議決定していきます。これは、鳩山内閣より前の古い自民党型政治への民主党の完全復活を示すものでした。
その上に3・11の大震災が起こります。すでに見たように、民主党政府からは、被災者・被災地の救援と復興のためのまともな政策は出てきません。福島の原発事故が起こった当時、東京電力の清水社長は日本経団連の副会長でしたが、「財界いいなり」の菅内閣には、これに強い態度をとることができません。事故の収束作業については、今も東電まかせをつづけています。
その結果、菅内閣の支持率は、一〇%台にまで下がりました。新しい野田内閣は「自民党との大連立」をねらっているようですが、政治の基本方針が変わらなければ、市民の信頼を回復することはできません。
政権誕生からわずか二年の間に、民主党への失望は急速に広まり、それは震災をきっかけに決定的なところに達していると思います。これは、民主と自民という二大政党政治の限界を示すものともなっています。
5 そういう状況を前向きに転換する展望についてはいかがでしょう?
──被災者の生活再建を願い、福島の原発事故を収束させ、これ以上の放射能被害を生まないために「原発のない日本」を求める市民の取りくみは、ますます大きく広がるでしょう。
そこで思い起こされるのは、一九六〇〜七〇年代に、公害を垂れながす大企業・財界を世論の力で包囲する市民運動と、ピーク時には全国民の四三%が社会党や共産党を中心とする「革新自治体」に暮らしたという政治の変化のなかで、大企業への「公害規制」を自民党政府に実施させた歴史です。
私は、特に「原発のない日本」をめざす取りくみに、こういう大きな変化をつくる可能性があると思っています。
かつてマルクスは『資本論』のなかで、「資本主義的生産」の何よりの目的は金もうけであり、それは生産力を飛躍的に発展させるが、その一方で、社会に貧困や環境破壊などの害悪を生み、さらに、その害悪を取り除こうとする労働者や市民の持続的な取りくみを生みだしていくと述べました。
そしてイギリスの労働者が自分たちの命と健康を守るためにかちとった労働時間の上限規制を、「社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用」と特徴づけました。資本主義の社会は、「資本の論理」を震源とするそうしたたたかいを通じて、段階的に成熟していくというわけです。
『資本論』と現代日本の社会といえば、長時間過密労働やワーキングプアの形成など、「資本の論理」が無慈悲につらぬくことの例証にあげられることが多かったのですが、今注目されているのは、それが生みだす害悪を取り除き、大企業を、暮らしの安心・安全と両立できる範囲に制御しようとたたかう市民の姿です。
大きな変化の可能性が広がっていると思います。マルクスと資本主義については、『マルクスのかじり方』(新日本出版社)をお読みください。
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