以下は、労働者教育協会『学習の友』2017年1月号に掲載されたものです。
---------------------------------------------------
市民と野党の共闘で、「平和と安心の日本」をつくろう
1 2017年を「とうげ」を越える画期の年に
「危機」(Crisis)という言葉には、もともと、事態の一方的な悪化という意味だけでなく、状況がよい方向にも悪い方向にも変わりうる「分岐点」という意味が含まれています。テレビドラマなどで、時々、病人を前にしたお医者さんが「今夜がとうげですね」なんて家族に語る場面がありますが、あの医学用語としての「とうげ」はCrisisです。
安倍政権の暴走が生み出した日本の政治状況を「危機」的と評する場合には、その「危機」は、この「とうげ」という意味でなければなりません。なぜなら、そこには、改憲派が参議院・衆議院両方の2/3議席をもち、安倍政権が「戦争する国づくり」に異常な執念をもやす事実がある一方で、そうした企みをはねかえし、日本国憲法をこの国の政治の本当の指針にすえようとする、戦後史になかった画期的な社会の力も生まれているからです。その核心をなすのが国政では戦後初めてとなった「市民と野党の共闘」です。
「市民と野党の共闘」は2016年夏の参院選で、安倍政権の暴走にブレーキをかけ、政治を民主と平和の方向に転換する大きな力をもつことを事実で証明しました。その後、この共闘は、地元のみなさんに「もはや新潟は保守王国ではない」といわしめた新潟県知事選挙での米山隆一さんの勝利など、地方政治の刷新にも、活動の場を広げています。
この原稿を書いている時点で、衆議院選挙は、まだ時期が確定していませんが、中央で、全国各地で、すでに共闘の候補者づくりが進んでいます。市民と野党がしっかり力をあわせることができるなら、2017年を、市民の安心と安全が回復される方向へ、政治を転換していく画期的な年にすることは可能です。
2 立憲主義の回復から、憲法どおりの日本へ
私は、2016年4月のインタビューで、安保法(戦争法)の強行採決(2015年9月19日)以後、その廃止だけでなく、待機児童の解消、奨学金問題の改善、最低賃金1500円の実現など、「個人の尊厳が尊重される政治」に向けて、市民運動がますます声を大きくしていく状況について、次のように述べました。
「これらは現実の深刻さに余儀なくされた怒りの表出だけでなく、憲法で保障された権利の実現を国に求める国民の主権者意識の高まりをもつ」ものです。
「日本社会の現実はこれ〔憲法がさだめた生存権・教育権・労働権など、国家が国民の社会権を保障すること〕とかけ離れています。個人の尊厳を守る責任を負った政府がそれを放棄し、問題を国民の『自己責任』に解消する姿勢をもっているからです。いま急速に広がっている市民の運動は、ここに最大の問題があることを見抜いています」。
「立憲主義の回復を求める現在の運動は、その制約〔自らがもつ社会権に対する国民の理解の弱さ〕を超える歴史的な意義をもっていると思います。それは憲法を楯に悪政から生活を守るという受動的な運動ではなく、憲法の本格的で全面的な実施をめざす攻勢的な社会改革、社会建設の運動の端緒となっています」(「しんぶん赤旗」2016年4月22日)。
ここで社会権というのは、憲法がさだめた基本的人権の中で、国民が国家に対して、自分たちの生活や教育や労働の最低限を保障せよと命ずる権利のことですが、今日のように、自由権だけでなく社会権──直接、そのような言葉を用いてはいませんが、内実として──の尊重を求める広範な市民運動が巻き起こったのは日本史上初めてのことです。その点の強調はいまも大切なことだと思います。
しかし、ここでの私の語りには、「市民と野党の共闘」という政治改革をすすめる具体的な運動の進め方にふれたところがありません。当時の私には、3ヵ月後の参院選で、32の1人区で11議席を獲得し(前回選挙での野党の勝利は岩手と沖縄の2議席のみ)、その威力を存分に発揮することになる、こうした新しい闘い方の意義が十分とらえられてはいなかったのでしょう。
3 市民と市民運動の成長が根本に
このインタビューから7ヵ月、参院選から4ヵ月が経過した今、私のまわりには「市民と野党の共闘」を、どのように発展させていくかという話し合いがあふれています。
全国革新懇は、10月22日に「市民と野党の共闘の発展をめざす懇談会」を行いましたが、そこでコーディネイターをつとめた私は、最初と最後の発言で、次のように述べました。
「2年半前、『「一点共闘」と政治を変える共同の発展をめざす懇談会』というものを、やはり全国革新懇の主催で行いました。面白いんですね。フロアから、東京革新懇の方だったと思いますけれど、国政選挙でなんとか革新の共同候補を立てることはできないのか、という声があり、それに対して共産党の志位委員長から、現状ではなかなか難しいが、何とかそこに変化をつくりたいという回答がされていました。それから2年半たっての今日の懇談会は、すでに国政では初めての市民と野党の共闘が行われ、1人区で前回参院選の2議席から11議席へという飛躍を生み出した、そういう歴史的体験を共有したうえでの懇談会になっています」(最初の発言)。
「最初にお話をさせていただいたときに、2年半前の『一点共闘』についての議論を紹介し、そこから短期間のうちに大きな変化があったことを確認しました。この先、2年後にこのような企画が3度あるのかどうかは分かりませんが、もしあるとすれば、2016年の懇談会ではまだあんな議論をしていたんだね、そんなことを懐かしく語り合えるような、さらに大きな前進を、市民と野党の共闘の一層の発展を通して達成していきたいと思います」(閉会のあいさつ)。
同じく全国革新懇が11月に行った都道府県事務室(局)長学習交流会では、市民と野党の共闘を可能にした「市民運動の『質的変化』」について、次のような分析と問題提起がされました。
①共通の要求として安倍政権打倒をかかげ「政治」や「政府」の問題に接近した、②労働組合、各種の民主団体、政党との本格的な連携が生まれた、③反共的な意識の乗り越えがすすみ、「共産党を除く」という壁が崩された、④候補者一本化の名目で「ともかく共産党が候補を降ろせ」という一方向的な議論が乗り越えられた、などなどです。
30年ほど前には、与党も野党も同列視して、野党との連携をあたまから否定する「既成政党」論や「既成左翼不要」論が、一部の市民運動に大きな影響力をもっていましたが、主権者にふさわしい市民運動の成長は、こうした面でも急速です。
また、私が暮らす兵庫県では、2017年夏に県知事選挙が行われますが、11月に立候補予定者を発表した「憲法が輝く兵庫県政をつくる会」は、前回2013年の知事選挙の際には発足していなかった、あるいは発足したばかりだった各種の団体・ネットワーク──安保関連法に反対するママの会、学者の会、あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)、学生たちなど──との交流と共同を、決定的に重要な問題のひとつと位置づけています。
同時に兵庫県は、複数の議員が当選する選挙区だったため、2016年の参議院選挙では具体的な野党候補の「調整」を体験していません。長年の「オール与党」政治がいまも継続し、また民進党の組織的な崩れが大きく──地方議員の離党がつづいています──、反面、維新の会が一定の影響力をもっているという「土地柄」の中で、いかにして「市民と野党の共闘」を切り拓き、発展させていくべきか、その道筋をめぐる議論も様々な形で行われています。
4 「個人を活かす」組織・団体づくりを
2004年に発足した「9条の会」の取り組みを土台におきながら、2011年からの「脱原発」「原発ゼロ」を求める「一点共闘」をきっかけに加速した市民運動の成長、主権者意識の高まり、政治参加の姿勢の深まりはきわめて大きく強い流れです。安倍政治の暴走に対する不安や怒りを背景に、広範な市民の政治的成長にもとづく「市民と野党の共闘」は、2017年にもますます大きな発展を遂げていくでしょう。
この発展を加速するために、目前の衆議院選挙に向けた野党間の政策合意を深めていくこと、選挙共闘だけでなく政権共闘についても前向きの合意をつくっていくこと、それぞれの野党に対する国民の支持に応じた本格的な「相互」協力の体制をつくっていくことなど、全国革新懇の「懇談会」でも、多くの課題が指摘されました。
それに加えて、ここで『学習の友』らしい問題提起をしておけば、日本の労働組合運動全体を、労働者やその家族の利益をしっかり守り、組合員それぞれの政党支持の自由を擁護するものへと成長させる取り組みの重要性と緊急性が指摘できます。
労働組合に、資本からの独立、政党からの独立、共通の要求にもとづく行動の統一が必要だということは長く指摘されてきたことですが、いま「市民と野党の共闘」を発展させる上で、日本の労働組合の最大組織である「連合」に、そうした労働組合本来の姿を獲得する脱皮が求められるようになっています。
最大の野党である民進党の主要な「支持母体」となり、しかも民進党と共産党の共闘に水を差すという「連合」の役割が、広範な市民によって批判的に見られるようになっているのです。
こういう状況だからこそ、労働組合とはそもそも何か、それは現在の日本社会でどういう役割を果たすべきかを、これまで以上にわかりやすく、広く市民に向けて問題提起をしていくことが必要です。それは健全な労働組合に、新しい加入者を迎える取り組みとも相乗効果をもつものになるでしょう。
もうひとつ、労働組合・民主団体には、加入する個人のアクティビスト(よりましな政治・社会をめざす活動家)としての能力を高め、成長を支援する活動が、ますます強く求められています。
「若者の組織ぎらい」が言われることがありますが、その一因は、組織と個人の関係で、個人が組織の「指導に従う」ことが主とされ、組織が個人の成長を支援し、個人の発意を尊重しながら力をまとめるという、「個人を活かす」関係が主になっていないところにあるように思います。それが、個人が組織に埋没するという傾向や、個人が組織にしばられるという実感を生み出すもとになっているように思います。
こういう「組織と個人」のあり方も、市民と市民運動の今日的な成熟の段階を考慮して、積極的に検討していく必要があるでしょう。
新しい時代の新たな課題に意欲をもって挑戦し、2017年を「平和と安心の日本」に向けた大きな転換の年としていきましょう。
最近のコメント