以下は、日本共産党『前衛』2008年4月号(第829号)195~231ページに掲載された、大門実紀史さん(日本共産党参議院議員)との対談の石川の発言部分です。
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対論・世界の中の日米関係と日本の進路
石川 康宏(神戸女学院大学教授)
大門 実紀史(日本共産党参議院議員)
目次
1 世界構造の大きな転換の中の日米関係(石川康宏)
2 アメリカ追従で思考停止の日本外交(大門実紀史)
3 日米関係と福田内閣・大連立問題(石川康宏)
4 経済面での対米追従がもたらしたもの―新自由主義「構造改革」(大門実紀史)
5 ドル体制の不安と日本の進路(石川康宏)
6 もう一つの「属国ニッポン」―日米軍事利権の構造(大門実紀史)
対論のおわりに
編集部 昨年の参院選での国民の審判により、参院での与党自民・公明の過半数割れという新しい情勢が生まれました。安倍首相の辞任と後継した福田内閣のもと、自民党政治の行きづまりがいろんな分野で噴出しています。一方で、海外派兵の恒久法や消費税増税、さらには憲法改悪などの基本問題を「大連立」によって反動的に打開しようとする動きも強まっています。
本日は、こうした動きの背景にある日米関係をどう見るか、世界の構造変化が大きく進むなかでの日本の選択はどうあるべきかを、経済問題、日米軍事利権問題などを深めながら論じていただきます。
1 世界構造の大きな転換の中の日米関係(石川康宏)
与えられた報告テーマについては、どれも少し問題提起的にやってみたいと思っています。まずは世界構造の大きな転換の中での日米関係、特にアメリカにおける外交戦略の新しい転換の兆しについてです。
アメリカは二〇〇一年九月一一日の「同時多発テロ」をきっかけに、アフガニスタンやイラクで「対テロ」を名目とする戦争を行ってきました。しかし、大統領選挙でも大きな焦点の一つになったように、これらの戦争政策に対する一定の見直しの動きがアメリカ支配層の内部に出てきています。
そうした見直し論が、単に戦争そのものがうまくいかないという理由からだけではなく、戦争に集中しているあいだに世界全体が大きな変化を遂げてしまった、これにアメリカがうまく対応できずにいるという問題意識から生まれてきているところが特徴的です。その根底には、アメリカの力の政策ではどうにもコントロールすることのできない世界のパワーバランスの変化、構造変化があります。
●安保・外交戦略の再編を語るスマートパワー委員会報告
ここで注目して取り上げたいのは、そのバランス変化に対するアメリカ支配層内部の新しい認識を示した文書です。二〇〇七年一一月六日に、リチャード・アーミテージ元国務副長官とジョセフ・ナイ元国防次官補を座長とする「スマートパワー委員会」(戦略国際問題研究所が設置)が、〇八年末の大統領選を前に、次期大統領の採るべき安保・外交戦略を提案しました。
同報告書の基本的な問題意識は、ブッシュ政権の対外政策はもっぱらハードパワー(軍事力)に依拠してきたが、それではうまく世界をリードできない、今後はもっとソフトパワー――それは外交・文化・理想などをつうじて“同意を形成する能力”などとも言われていますが――の活用に習熟し、ハードとソフトの二つのパワーを組み合わせたスマートパワー(賢い力)で世界をリードせねばならないというものです。
そうしたことを言い出すさらに一歩手前の問題意識としては、イラク戦争等によるアメリカの国際的な信頼の低下、国際的な孤立の進行という認識があります。
たとえば、こういう具合です。アメリカは二〇〇一年から「戦時下」にあり、その間に「恐怖と怒り」を世界に輸出してきた、それがアメリカのイメージと影響力を低下させた最大の原因である、いまや「イラクとテロに焦点をあてた狭い物の見方」でない世界全体をみた「より広い目標、戦略」が必要になっている。
そして、新しい戦略として次期大統領は誰であったとしても、次の五つに取り組まなければならない。①同盟関係の強化と国際機構の再編、②途上国への開発支援、③市民レベルの外交の推進、④国内外での経済的格差の是正、⑤環境問題での技術革新など。
①は、国連の同意なしに有志軍という非公式な集団で戦争を行ったことが不信感を広めてきたという問題意識にもとづいていますし、国際機構の改革という点もアメリカの方針を国連などにオーソライズさせることを目的としてのものです。
日米関係は、こうした同盟強化の対象となるものです。日本をふくむ東アジアとの同盟やNATOの強化も語られています。世界の意志を無視して、反対意見を振り切って力づくで何でもやるということではなく、できるだけ多く、世界の合意を上手に取り付けながら、力の行使も行っていくということです。これがソフトパワーとハードパワーの結合です。
②については、後にもふれますが、特に中国がアフリカ諸国等との関係を深めていることに注目し、これに対抗する行動の必要性を強調しています。
また、⑤については、地球温暖化問題での京都議定書など国際的な取り決めをたびたび拒否してきたことが、アメリカの信頼低下につながった、この点で姿勢の転換が求められているといっています。
ブッシュ政権が参加したCOP13(〇七年一二月)では、アメリカ、日本、カナダの姿勢に対して強い国際的な批判が起こりましたが、こうした批判をこそ鎮静化させる努力が必要だと、この文書はいうわけです。
こうした方向は、すでにブッシュ政権に浸透しているところもあります。この報告書が出された二〇日後の一一月二六日に――報告書はただちに議会の公聴会にも届けられているわけですが――ロバート・ゲーツ国防長官が「軍事力などの『ハードパワー』ではなく、外交や経済支援などの『ソフトパワー』を強化すべきだ」と、同じ用語を用いて、同じ趣旨のことを語っています。
「軍事費は引き続き確保する(が)『イラクとアフガニスタンでの戦争で最も重要な教訓は、軍事的な成功だけでは勝利できない』」だと述べ、さらに「米国の職業外交官の数は六千六百人で『空母打撃群一個の人員よりも少ない』」「軍隊は『文民や専門性の代わりにはならない』」と語っています(「しんぶん赤旗」一一月三〇日)。
こうして、もっと外交を重視すべきだということを、現役の国防長官が語らずにおれないところに、アメリカの戦争政策のゆきづまりが良く表れているといえるでしょう。
●二国間では米中関係を最重視
報告書は、世界各地の状況分析を行ったうえで、世界の安全保障にとって今日「最重要」な関係は米中関係だと指摘します。これは、いまある米中関係をそのまま重要だというのではなく、この関係をどれだけアメリカに有利にコントロールしていくことができるのか、それが重要だということでしょう。
一方で、北朝鮮の核問題への対応などに見られる米中の緊密化に一定の満足を示しながら、他方で、中国が「ソフトパワー」を活用してアフリカはじめ世界の各地や国際機関などへの影響力を拡大していることに警戒と対抗が必要だと述べています。
別の機会にアーミテージ氏は「中国はアジアの覇権を着実に握ろうとしており、中国の影響力は米国をしのぐ可能性もある」と述べ、その上で、ブッシュ政権がイラク問題のみに没頭し、その間に中国の台頭を許していると批判しています(AFPBP News、二〇〇七年九月三日)。
大統領選に名乗りをあげている民主党のヒラリー・クリントン上院議員は、内容上これに大きく重なる外交政策を発表しています。『フォーリン・アフェアーズ』〇七年一一・一二月号に掲載された論文「二一世紀の安全と機会」(邦訳は『論座』〇七年一二月号掲載)で、ポスト・ブッシュ政権の外交政策を広く展開したクリントン氏は、人権問題や通商問題などでの対立はあったとしても、米中関係は二一世紀の最も重要な二国間関係であり、両国の協力を深めていくことが第一義的に重要だとしています。
同論文は、イラク戦争についても、一人残らずの完全撤退は拒否していますが、政権発足から六〇日以内にイラクからの米軍撤退を開始するとして、イラク戦争の終結がアメリカの「指導力回復の最初の一歩」であると強調しています。基本的な問題意識は、スマート・パワー委員会報告とかなりの共通性をもつものです。
●自立した世界各国が生み出す加速度的な構造変化――ヨーロッパ・南米・アジア
以上のような戦略再編の大きな背景になっているのは、世界構造の急速な変化に対する認識です。アメリカの顔色をうかがう必要をもたない本当に自主的な内政・外交を展開する国々が増加し、またそれらの国々が縦横に交流しあう新しいネットワークを形成しています。
自分の国がどういう政治を行うかを決めるときに、いつでもアメリカの顔色をうかがっている日本は、世界の圧倒的な少数派です。こうした自主独立と連帯の政治の流れは、ヨーロッパ、南米、東アジア、南アジア、ロシア、アフリカ、中東と、世界のどこでも力を増しています。
昨年から今年にかけての大きな動きのいくつかを見てみると、ヨーロッパではEU(欧州連合)が二七カ国首脳会議による「ベルリン宣言」(〇七年三月二五日)で、さらに互いの統合を深め、新たにEU大統領(欧州理事会常任議長)や外相を置き、欧州議会の権限を強めていくことを決めました。
イギリスはイラク戦争でアメリカと肩をならべる役割を果たしましたが、有力なシンクタンク国際戦略研究所の「二〇〇七年版戦略概観」(九月一二日)は、アメリカのイラク政策は失敗だ、湾岸諸国やアジアで外交・安保でのアメリカ離れが始まっていると述べています。また同じくオックスフォード・リサーチ・グループは、多国籍軍はイラクから全面撤退することが必要だと述べています(一〇月七日)。
英仏独伊の四カ国有識者アンケートは、「今後重要になるEU以外の相手国は」との問いに、中国三九%、アメリカ二七%、インド一二%、日本九%と回答しています(調査は〇七年二~三月)。さらにEUは、フランスとベトナム、イギリスとマレー半島、オランダとインドネシアなどのかつての宗主国と植民地という大きな対立を乗り越えて、TAC(東南アジア友好協力条約)への加盟を表明しました(八月一日)。
中南米では、小さなスペースでは到底紹介できないほどの大きな変化が起こっています。「ボリバル代替統合構想」(ALBA)が〇四年にスタートし、キューバ、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグアが加盟していますが、これは単に共同市場をつくるというだけでなく、互いの連帯のなかでいかに貧困を克服していくかという強い意識に貫かれたものとなっています。
キューバとベネズエラの協力による白内障患者の無料手術は一〇〇万人を超えたといわれます。さらにオブザーバーの六カ国も参加して開催されたALBAの第五回首脳会議(〇七年四月)では、ベネズエラが中国と合意した「大戦略基金」(六〇億ドル)をALBAの事業に活用する見通しも語られました。
また第一回の「南米エネルギー首脳会議」(四月)、「ペトロカリベ」(加盟一七カ国)第四回首脳会議(一二月)と、中南米カリブ諸国のエネルギー協力が急速に成長しています。ベネズエラは二〇〇五年のハリケーン・カトリーナによる被災以後、毎年アメリカ国内の低所得者に対する暖房支援を行っています。さらに南米南部共同市場(メルコスル)に参加する五カ国による南米議会が、二〇一〇年に発足することになっています。加盟国はアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラです。
加えて、この地域では社会主義への挑戦をめぐる議論と実践が活発です。ベネズエラ、ボリビアの社会主義への挑戦。ガイアナの政権党である人民進歩党も「科学的社会主義」をかかげているそうですし、ブラジルの政権党である労働党も第三回大会(八月)で社会主義を多いに議論しています。かつての「アメリカの裏庭」は、いまや世界の激動の最大の焦点となっています。
アジアの動きでは、中国とアフリカ諸国との関係強化が目立ちます。胡錦濤国家主席がアフリカ八カ国を歴訪し(〇七年二月)、「中国・アフリカ協力フォーラム首脳会議」(〇六年一一月)で約束したアフリカ支援の具体化をすすめています。
その後、アフリカ開発銀行の総会が一九〇〇名という史上最大の規模で中国で行われ(五月)――加盟はアフリカ五三カ国、域外二四カ国となっており、中国は八五年に加盟しています――、さらに中国アフリカ発展基金(最終的には五〇億ドル)の創設(六月)、国連本部での中国・アフリカ四八カ国外相会議(九月)と続きます。またASEAN(東南アジア諸国連合)は二〇一五年の共同体実現に向け、一一月に「ASEAN憲章」への署名を済ませました。
さらにアメリカには、イラクの次はイランと戦争を求める動きがありますが、これに対抗して、第一四回南アジア地域協力連合首脳会議はイランを準加盟させていますし(四月)、カスピ海沿岸首脳会議五カ国(ロシア・トルコ・イラン・トルクメニスタン・アゼルバイジャン)は対イラン戦争に自国領土をつかわせないことを確認しています(一〇月)。
隣接した地域の統合だけではなく、大陸をこえた交流も活発に進められています。インド・ブラジル・南アサミット(IBSA)は、第二回首脳会談(一〇月)で貿易や環境問題をめぐる先進国主導の動きに懸念を表明し、IMF(世界通貨基金)中心のアメリカ主導の通貨体制を改革するよう求めています。また同じ一〇月の第四回外相会議では「新興国サミット(G5、IBSAと中国、メキシコ)」を提案しました。
新聞で目についたものをザッと紹介するだけでこのようになっています。短期間に非常に大きな世界構造の変化が起こっている。だから、アフガンとイラクに没頭しているあいだに、アメリカは変化の波に乗り遅れてしまった、世界支配のための包括的な視野がもてなくなった、そういう先の報告書のような自覚が生まれてくるわけです。
アーミテージ氏等に、アフガンとイラクの戦争に没頭してきたブッシュ政権の視野の狭さを批判させ、より広い戦略をもつことの緊急性を語らせたのは、こうした世界の急速な変化です。
その間に、有志連合の主力であったイギリスやオーストラリアで戦争政策の転換が焦点となって政権交代が起こり、また日本でもテロ特措法が期限切れになるわけです。とはいえ、あくまで報告書は、アメリカの世界支配の再編を目的としたものであって、支配をあきらめるというものではありません。
●米国から日本への軍事的貢献強化の要求
さて、こうした世界の中での日米関係です。先のクリントン論文には、そもそも日米関係がどこにも登場していません。今年の一月二一日になってようやく対日配慮のために声明を出し、日米関係は「極めて重要」と述べた程度です。またクリントン政権が実現すればその国務長官候補だと報道されるホルブルック氏は、同じ日の講演で「日本は無視されたと感じるべきでない」と語りました。
このような日米関係の位置づけは、おそらく最重要問題である米中関係をコントロールする手段として日本を活用するのは当然なのだが、その日本の自由な活用という点については、取り立てて語らねばならない大きな課題はないということでしょう。すでによく出来上がった従属国だということです。
スマートパワー委員会報告も、ブッシュ政権のもとで日米同盟が強固になったことは評価していますが、日米関係に多くを費やしてはいません。
しかし、ジョセフ・ナイ氏は、日本に対して「ソフトパワーで周辺諸国を引きつけるだけでなく、自衛隊をつかって国際秩序維持に参加すること」「インド洋での給油活動はハードパワーの正当な行使だった」と述べ、特にハード面(軍事力行使)での対米奉仕強化を求めています(「朝日」二〇〇七年一二月五日)。改憲への圧力や、日米同盟強化、日本の対米従属的な軍事的一体化、米軍への奉仕の要求はますます強いものとなるでしょう。
こういう角度からみると、日本の外交上の進路については、自主独立と相互の協調や連帯を当然視し、アメリカにへつらうことのない世界に向かう大きな流れに日本が加わるのか、あるいはこうした動きに正面から歯向かい、アメリカによる世界支配をなんとか再編・維持していこうとするアメリカの従属者の立場に立ちつづけるのか、そこが大きく問われるわけです。
アーミテージ氏が共和党の大統領候補であるマケイン氏の外交顧問に就くという報道もありますが、ポスト・ブッシュに向けたアメリカ国内での安保・外交戦略論議の一つの大きな軸点として、スマートパワー委員会報告には注目が必要ではないかと思っています。
2 アメリカ追従で思考停止の日本外交(大門実紀史)
3 日米関係と福田内閣・大連立問題(石川康宏)
アメリカの安保・外交戦略の再編については、アメリカ国内の世論とのかかわりでもとらえる必要があるという大門さんのご指摘はそのとおりでしょうね。最近は、急速な経済危機の深刻化を前に、大統領選挙も争点が「戦争」から「経済」へと大きくシフトしてしまった感がありますが、そこも政治のリアリティなのでしょう。その中でも安保・外交戦略の変化には注目をつづけたいところです。
また、世界の変化に対する自公政権や民主党の理解の浅さというのか、無関心というのか――アメリカ追随を無条件に外交の基軸にすることの結果でしょうが、そこのお話はうかがっていて本当におそまつだと思いました。現代に生きる政治家としての根本の資質が問われるところです。
さて、次は日米関係と福田内閣・大連立です。これは大門さんにお話ししていただいたほうが良いように思いますが、マスコミ情報をつうじてしか政治の世界が見えないものには、またこの数年、学生たちと「慰安婦」問題などを学んできた者にはこう見えているということで、お話させていただきます。
●日米の靖国・「慰安婦」問題摩擦
この間の日米関係の変化の基本は、アメリカに対する日本の従属的な軍事一体化と、それを憲法に書き込む策動の強化、一言でいえば日米同盟の質的強化によって特徴づけられています。その方向自体は、小泉政権から福田政権まで一貫したものだと思います。その上で、取り上げたいのは、小泉政権末期から特に安倍内閣の時期に日米間でトラブルになった、靖国問題・「慰安婦」問題での日米摩擦です。
先ほどスマートパワー委員会報告の立場からする対日要求にかかわって、日本のハードパワーの増強を求めるジョセフ・ナイ氏の言葉を引きましたが、ナイ氏は日本のソフトパワーの発揮についても述べており、特に次のように「過去の歴史」理解について注文をつけています。
「ただし、日本のソフトパワーが過去の歴史の文脈で語られると危ない。国民や政治家が、周辺諸国に(日中戦争から太平洋戦争へと向かった)一九三〇年代を思い起こさせるような言動をとると、今とは全く異なる日本像が浮かび上がってしまう」(「朝日」二〇〇七年十二月五日)。
簡単にいえば、これは、かつての侵略戦争を正しい戦争だと肯定する靖国派の台頭は、アメリカの戦略にそったソフトパワーの発揮にならない、それではアメリカは困るということを述べたものです。
アメリカがこの問題で日本に対するはたらきかけを強めるのは、二〇〇六年頃からです。小泉首相は就任当初の二〇〇一年から靖国参拝をつづけましたが、アメリカ政府は当初これを問題だとはとらえません。ところが、〇六年になってブッシュ大統領が日米首脳会談でその中止を要請するようになり、さらに小泉氏がこれを拒否した後には、「ポスト小泉は靖国に行くな」と圧力をかけるようになる。
同じ変化が「慰安婦」問題についても起こってきます。じつは「慰安婦」問題で日本政府を批判する決議案は、これまで何度もつくられてきた。しかし、それは一度も議論さえされませんでした。ところが、それが〇六年に下院の外交委員会で初めて議論され、ただちに決議される。さらに〇七年には外交委員会で可決(五月二六日)されるだけでなく、下院本会議でも決議された(七月三〇日)。明らかに急速な姿勢の転換がありました。
結局「ポスト小泉」には靖国派「期待の星」であった安倍晋三氏が就きますが、安倍首相は靖国参拝ができないだけでなく、反対に就任直後には中国・韓国への謝罪訪問を余儀なくされます。
また二〇〇七年三月に国会で「狭義の強制性はない」「謝罪の必要はない」と、「慰安婦」問題で靖国派としての本音を口にして世界を驚かせますが、これに対してアメリカは非常に強い圧力をかけました。
シーファー駐日大使は「このままでは、北朝鮮の拉致問題で日本を支援できなくなる」と警告し、これをうけて安倍首相は四月三日に電話で「河野談話」の継承をブッシュ大統領に伝え、事態の収拾をはかります(「東京」二〇〇七年十一月八日、韓国「中央日報」十一月九日)。
そして、安倍首相は四月二十七日の日米首脳会談で、アメリカに対する謝罪を行うわけです。安倍氏は拉致問題の解決を重要公約として首相の座についたわけですが、アメリカはこれを逆手にとって「拉致問題」と「慰安婦」問題のどちらをとるのだと厳しく安倍政権に迫ったわけです。
●ブッシュ政権の目論見と財界内部の声
もちろん靖国「慰安婦」問題でのアメリカ政府や議会の動きは、様々な要因によっており、単純にどれかひとつに還元することはできません。
たとえばそこにはあらゆる戦時性暴力の根絶を求める国際世論の高まり、これと結びついて「慰安婦」問題の解決を求める独自の取り組み、元「慰安婦」を含む侵略の被害者が生存する東アジアの政治的発言力の拡大、太平洋戦争の正当化に対するアメリカ国内の反発、そして日本政府内での靖国派の台頭を抑制したいブッシュ政権の目論見など、多くの力がかかわっています。
その中から特にブッシュ政権の目論見に注目すれば、次の二つが重要だろうと思います。
一つは、アジアでの日本の役割をよりアメリカの国益に合致させていきたい、そのために靖国「慰安婦」問題の解決あるいは収束を日本政府に求めたいという欲求です。
元駐日大使特別補佐官のケント・カルダー氏は「『米国一辺倒』だけでは米国も困ってしまう」(『週刊東洋経済』〇六年七月一日号)という文章の中で、「何より、米国から見て、アジアにおける日本のリーダーシップは重要であり、それが道義性の喪失〔首相による靖国参拝のこと――石川〕によって損なわれるようなことになれば、日米両国、日米同盟にとってもマイナスになる……米国も困ります」と述べています。
背景には中国をはじめとする東アジア経済の急成長――アメリカにとって中国はすでに第二の貿易相手になっているわけですから、この関係を自らに有利に導きたいとの思いがある。しかし、東アジアはアメリカをふくむAPECを主体とした経済統合ではなく、ASEANを中心的な推進力とする東アジアサミットによって統合ルールをつくる方向に進んでいる(この点については拙稿「自立と平等の『東アジア共同体』に向けた日本の役割――『脱ドル』の動きに注目して」『前衛』二〇〇五年九月号、「前進する東アジアの共同とアメリカによるアジア政策の転換」『前衛』二〇〇六年九月号を参照)。
そこでそのルールをアメリカ多国籍企業に有利なものとするための「日本のリーダーシップ」を期待せずにおれない、そのためにリーダーシップ発揮の障害となっている露骨な侵略戦争肯定をやめさせたいとなるわけです。
もう一つは、日本の政権内部で靖国派が強くなりすぎると日米同盟自体が危険にさらされるという懸念です。
下院議員に配布された議会調査局報告書「日本軍慰安婦システム」を作成したラリー・ニクシー氏は、韓国紙のインタビューに対して「日本国内の歴史修正の動き〔靖国派の動きのこと――石川〕は、長期的に日米同盟にも悪影響を及ぼす恐れがある。もし彼ら(の)日本での影響力が大きくなり、日本人が自分たちは戦争当時起こったことに責任がないと考えるなら、戦争責任はだれが負うことになるのか。米国が有罪になると修正論者〔靖国派〕たちは主張する。そのような態度は、日米同盟にとっても危険なものとなりうる」と述べています(「東亜日報」二〇〇七年四月二十四日)。
靖国派はかつての戦争の責任をアメリカに押しつけ、またアメリカを「鬼畜米英」と呼んで嫌ったわけですから、この勢力が日本政府内に拡大すると日米同盟に軋みが生まれるのではないか、そこをアメリカ側は危惧したわけです。
加えていえば、経済同友会も東アジアでの経済活動を拡大するためには、靖国路線のかなり大きな修正が必要だとする文書を発表しています。「今後の日中関係への提言――日中両国政府へのメッセージ」(〇六年五月九日)、「東アジア共同体実現に向けての提言――東アジア諸国との信頼醸成をめざして」(〇六年三月二九日)の二つです。
前者は「首脳レベルでの交流を早急に実現する上で大きな障害となっているのは、総理の靖国神社参拝問題である。この問題については、わが国が国際社会の中で占めている重要な地位と担っている責任に鑑み、自らの問題として主体的かつ積極的に解決すべきことであると考える」「『不戦の誓い』をする場として、政教分離の問題を含めて、靖国神社が適切か否か、日本国民の間にもコンセンサスは得られていないものと思われる。総理の靖国参拝の再考が求められると共に、総理の想いを国民と共に分かち合うべく、戦争による犠牲者すべてを慰霊し、不戦の誓いを行う追悼碑を国として建立することを要請したい」といった具合です。
これは財界主流の意見とはいえませんが、こうした見解が財界内部から出されている事実は重要です。
●古典的・原理的靖国派と現実主義的靖国派
安倍内閣が短命であった最大の理由は、七月の参議院選挙での国民の審判でした。審判の基準となった問題は、第一にあまりの貧困化に対する国民の強い不安と不満、第二に戦前社会を「美しい国」として美化する安倍内閣のもとでの改憲に対する不安と不信であったと思います。しかし、これに加えて靖国派主導での改憲路線に対するアメリカからの懸念と批判も、小さくない役割を果たしたものと思います。
安倍首相は、九月八日の日米首脳会談直後にテロ特措法延長に「職を賭す」と述べ、四日後の九月一二日にはテロ特措法延長のために自分が首相であることが障害になっていると辞任を表明します。一国の首相が外国の軍艦に石油を渡すために首相の地位をなげうつのは、本当に異常な事態であり、ここにも対米従属的同盟関係の強化を求めるアメリカ側の圧力の強さがあらわれています。
安倍首相辞任の後、麻生氏と福田氏を候補者とする自民党総裁選が行われ、靖国色が相対的に薄く見える福田氏が選出されました。「創氏改名」を朝鮮人が望んだと語る(〇三年五月)など靖国派としての「前科」が鮮明な麻生氏より、福田氏の方がマシである。アメリカも日本の財界もそうした判断をもちました。それが自民党国会議員を短期間に福田支持へと導いた大きな理由となっていきます。
総裁選当日の「朝日新聞」は、福田氏選出に対するアメリカ政府関係者の声を次のように紹介しました。
「グリーン前米国家安全保障会議(NSC)上級アジア部長は福田氏を『現実主義者だ。日米同盟の重要性を理解している』と評価。『北朝鮮や中国に対し、より実際的な対応をするのではないか』と期待する」。つまりアメリカにたてつくことはないだろうし、東アジア外交もアメリカがすすめる対話路線に接近するだろうということです。
さらに「上院外交委員会のスタッフは、福田氏が靖国神社の参拝や従軍慰安婦問題など、近隣諸国を刺激する問題と結びついていない、と指摘。『日本の近隣外交に柔軟性が出れば米国にも日本にも良いことだ』と見る」(「朝日」二〇〇七年九月二十三日)。ここでも日本の外交政策の内容を、アメリカの国益に照らして判断していくというアメリカ側の姿勢は明白です。
ただし福田氏は、俵義文氏の調べによると「日本会議国会議員懇談会」や「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーで、その限りでは明らかな靖国派です。また「安倍お下がり内閣」の一八人も、やはり一五人が靖国派関係の諸団体に属しており、その点では安倍内閣時代とかわりがない。
そこで注目したいのは、靖国派も一色ではなく、かつての戦争を丸ごと正しかったとする古典的・原理的な靖国派から、日本の軍事大国化のためには対米従属の枠内での靖国派であらねばならないとする現実主義的靖国派まで、歴史観と対米従属とのバランスに関する様々なバリエーションがあるという問題です。
政治家の中には、時流に応じて自らの立ち位置をコロコロ変える「日和見」主義者も少なくないわけですが、少なくとも現在の福田氏は、より後者に近い立場をとっています。対米従属を上位においたうえで、歴史観も否定しないというやりかたです。かつて官房長官として小泉首相の靖国参拝に同行した福田氏は、内外からの批判に「信教の自由」だと反論を加えましたが、いまはそのような主張はせず、在任中は靖国参拝はしないと述べています。
また現官房長官の町村信孝氏は、外相時代に、外務省のホームページにある南京大虐殺や「慰安婦」問題での一定の反省に異議をとなえた人物です(〇五年一〇月)。その町村氏も在任中には靖国参拝をするつもりはないと表明している。
ここには日米関係の重要な今日的特徴が現われています。アメリカ政府の後ろ楯のもとに日本の権力者であろうとする者、あるいはアメリカ政府の後ろ楯なしに国民の批判をかわすことができなくなっている政治家たちは、アメリカが許容する範囲での靖国派でしかありえないということです。
中川昭一・元農水相や平沼赳夫・元経産相等による派閥横断的な「健全な保守」をめざす「真・保守政策研究会」の設立といった動きがありますが、このような日米関係、あるいはアメリカが東アジアの政治的主張に配慮を欠くわけにいかなくなった世界構造のもとで、従米への一定の批判意識をもつ「健全な保守」が大きな影響力をもっていくのはむずかしいことだと思います。もちろんこれは最終的には日本国民が決着をつけるべき問題ですが。
●アメリカ追随の姿勢をアピールする民主党
他方で、参議院選挙での自民党の大敗は、ナイ氏が「ハードパワーの正当な行使」と呼んだインド洋での米軍への給油に新たな課題を生み出しました。テロ特措法延長に反対する民主党が参議院で第一党となり、延長反対勢力が参議院の多数派となったためです。
その後、テロ特措法は十一月二日午前〇時をもって期限切れとなり、インド洋の自衛艦はついに日本にもどされました。
また、国会では給油相手の米艦船がアフガンでの「対テロ戦争」だけでなく、イラク戦争に加わっていることも明らかにされ、各種の世論調査では給油再開に反対する声が国民の過半数を越えるまでになっていきます。
しかし、給油の継続を求めるアメリカの要請は強く、これに応えようとする日本政府の執念もすさまじいものでした。安倍氏の辞任表明がこれを理由としていたことはすでに述べましたが、後を継いだ 福田首相も十一月十六日の日米首脳会談で、新テロ特措法の早期成立に「全力を尽くす」と表明し、給油再開を国政の最優先課題と位置づけます。そして臨時国会を二度延長し、二〇〇八年一月十一日新テロ特措法を衆議院での再議決によって強行成立させていくわけです。昨年秋以降の日本の政治は、いかにしてアメリカの軍艦に石油を供給するかを軸に動いており、到底独立した国家の政治とは思えません。
民主党が自民党のテロ特措法延長に反対しながら、別の形で自衛隊海外派兵を拡大しようとしている点も重要です。
テロ特措法延長への賛成を求めたシーファー駐日大使と小沢代表との会談(八月八日)は平行線に終わりましたが、一〇月発行の「プレス民主」や雑誌『世界』で、小沢氏は、国連決議があれば日本国憲法下でも海外での武力行使は可能だと述べ――本当によく分からない議論ですけれども――、民主党が政権につけば自衛隊をISAF(アフガニスタン国際治安支援部隊)に参加させると表明します。これはアメリカが求める「ハードパワー」の発揮に、民主党はキチンと応えていく、むしろ自民党以上にしっかり応えていくというアメリカ政府への売り込みです。
小沢氏側近は「ブッシュは(これを)受け入れないだろうが、(米国の)民主党やアメリカのシンクタンクには評価するものが現われている」と述べています。ポストブッシュ政権との関係では、この路線でうまくいくというわけです。「(日本)政府はこのチャンスを無視してはいけない。意味ある前進で憲法にも抵触しない」(コーエン元国防長官)、「米政府当局者は、非難するのではなく採用すべきだ」(スナイダー・アジア太平洋研究所副所長)というアメリカ側の発言も出ています(「しんぶん赤旗」二〇〇七年十二月十一日)。
また、民主党が十二月に小沢代表を団長とする約四五〇人での大規模な訪中を行ったことも、自分たちに胡錦濤政権と話し合える関係があり、アメリカの意を汲んで「ソフトパワー」を発揮する用意があることをアメリカ政府にアピールする意味が込められていたでしょう。
●福田・小沢会談と民主党のジレンマ
最後に、福田・小沢両氏の密室会談を軸とした大連立の騒動が、民主党と自民党の同類ぶりをあらためて表面化させるきっかけとなった問題です。
そもそも民主党は財界がめざす「二大政党制」づくりに同意し、自民党と「財界いいなり」ぶりを競ってきた政党です。しかし、自分たちが政権につくためには、政治に対する国民の不安と不満を追い風にする必要があり、そのために自民党への批判ポーズをとる必要があった。その戦略が見事に成功したのが昨年夏の参議院選挙でした。国会での力を弱めた自民党はただちに大連立の呼びかけをします。しかし、国民の批判を恐れた民主党はこれに乗ることができませんでした。
ただし、小沢代表は一度これに同意しています。二度の話し合いで簡単に同意できるところに自民党と民主党との基本姿勢の近しさが現われています。結局、それでは衆議院選挙に勝てないという民主党執行部の批判を受けて大連立は実現しませんでしたが、一一月四日の記者会見で、なぜ連立しようとしたかを説明した小沢氏は、理由のひとつに、「政権担当能力がないと思われている」ことをあげました。
誰がそう思っていると小沢氏は考えたのか。それは財界とアメリカです。二度目の福田・小沢会談が行われた一一月二日に、日本経団連は最新の財界通信簿の原案を発表しますが、これは「税・財政改革」「雇用・就労」「道州制・地方」「通商経済協力」「外交・安保」などの諸項目で民主党への評価を下げるものとなっていました(別表参照)。またテロ特措法延長への同意を求めたシーファー駐日大使は、小沢氏との会談に強い失望と苛立ちを示していました。
その後の民主党は国民世論にすりよる以上に、「財界・アメリカいいなり」の基本姿勢を強く表面化させるようになります。
「民主党税制改革大綱」は消費税増税と法人税減税の必要を語って「財界いいなり」の姿勢を再確認しますし、新テロ特措法への対案である「アフガニスタン復興支援特別措置法案」は陸上自衛隊のアフガン派兵、インド洋での海上阻止活動、海外派兵恒久法の早期実現など、軍事分野での自民党以上の「アメリカいいなり」ぶりを強くアピールしたものです。
自民党政治に対する国民の批判が参議院選挙での民主党大勝につながったわけですが、その民主党が政権党になるためには自民党政治との同質性を内外にアピールせねばならない。ここに現在の民主党が抱える根本的なジレンマがあります。
なお福田・小沢会談では、福田氏が、国連決議があれば現憲法下での武力行使が可能であり、武力行使は国連決議がある場合に限るべきだとする小沢氏の議論を呑んだともいわれています。福田氏はこれについては無言の姿勢をとっていますが、はっきり否定もしていません。一一月一六日の日米首脳会談が極めて短時間で終わったことの背後には、これに対するブッシュ政権の怒りがあったのかも知れません。真相は闇の中ということなのでしょうが。
4 経済面での対米追従がもたらしたもの―新自由主義「構造改革」(大門実紀史)
5 ドル体制の不安と日本の進路(石川康宏)
アメリカからの年次改革要望書は、大門さんが二冊の著書で大いに批判的に分析されたところですが、〇七年一〇月の最新版でも、日本は本当に「属国」扱いです。アメリカからの要望が日本で実施されるのは当然だという態度です。
特に郵政民営化については、今回も銀行・保険・宅急便市場の徹底した開放を求めています。「米国は、日本郵政公社の民営化と改革に引き続き重大な関心を払っている」「銀行、保険、エクスプレス便市場で、日本郵政株式会社およびその子会社(日本郵政グループ各社)と民間の競争相手との間に対等な競争条件が整備されることが不可欠である」といった具合です。
●世界経済構造の量的変化と質的変化
世界の経済構造の大きな変化の中での日本経済の進路について考えてみます。実物経済とマネー経済の二つにわけて、まず実物経済の方からいくとBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国の総称)に代表される、いわゆる「有力新興国」の急成長が注目されています。
BRICsはゴールドマンサックスのレポート“Dreaming with BRICs: The Path to 2050”(〇三年一〇月)が命名したものですが、これらが生産でも消費でも、二一世紀経済の主力になっていくということについては、大きな反論はないようです。
いくつかの予測を紹介すれば、二〇〇五年の名目GDPはBRICs四カ国四・六兆ドル(一七%)、G7二七・一兆ドルとBRICsはG7の六分の一ですが、二〇三五年にはBRICs 六二・六兆ドル、G7六二・〇兆ドルに逆転するとされています。四カ国で七カ国を追い越すわけです。
名目GDPの国別順位で見ても、二〇〇五年に、①アメリカ、②日本、③ドイツ、④中国、⑤イギリスであるものが、二〇三五年には、①アメリカ(三八・二兆ドル)、②中国(三六・五)、③インド(一五・九)、④日本(七・七)、⑤ブラジル(五・九)、⑥ロシア(四・三)に変わるとされています。
ただしその段階でも一人あたりGDP(生活水準)は、まだ日本にも追いつきません。二〇三五年の日本を一〇〇として、ロシア五五・四、中国三九・三、ブラジル三七・六、インド一六・五です。それだけまだ大きな発展の余地があるということでもあるわけですが。
これらの国でなぜ高成長がつづくかについては、①全体として天然資源が豊富、②労働力、特に生産年齢人口が豊富、③低賃金労働力の活用を目的とした外資の積極的な導入に成功、④そして外資が集中的に投入された部分から「中産階級」が形成され、国内消費が拡大するといった前向きの連鎖が指摘されています。
これらの地域は「世界の工場」にとどまらず「世界の消費地」としても注目を集める段階に入っています。クレディ・スイスは、二〇一〇年に中国がアメリカ日本に次ぐ第三の消費市場となり、二〇一五年には日本を抜いて第二の消費市場になると予測します。
戦後長く「世界の胃袋」はアメリカの役割とされ、アメリカは貿易赤字のもとでも輸入をつづけ、世界経済を支えてきました。しかし、サブプライムローン問題後の最近の状況を見れば、BRICs等がこの面でもすでに大きな役割を果たしていることは明らかです。ドルへの不信が強まれば、この傾向はさらに急速に進むでしょう。
こうした変化の中で、アメリカ資本による資源と市場への支配や、ドル支配からの脱却を目指す意識的な動きが各地に強まっています。これについては最初の報告で指摘しておきました。そうした経済構造の世界的な変化があるので、フランスのサルコジ大統領が、G7にインド・中国・ブラジル・メキシコ・南アを加えてG13にするべきだといった提案を行ったりもするわけです(〇八年一月)。
ただし、こうした角度からの構造変化の把握は、いくつかの観点から補足される必要もあります。その中心は、アメリカの相対的な後退の影で浮上してくる国々は、どのような質の経済をもっているかという問題です。
これは世界経済そのものの質に深くかかわる問題です。たとえば中国は資源・環境をめぐる世界的な問題を抱えるだけでなく、依然として国内に貧富の格差や民主主義にかかわる深刻な問題を抱えています。またロシアは、チェチェン問題に象徴される政治の独裁化と経済的利益の少数支配者への集中を進行させています。こうした国々の政治的・経済的影響力の拡大が、世界の民主主義や世界経済の民主的管理にどのような役割を果たすのか、その点についてはもう少し突っ込んだ評価が必要だろうと思います。
他方で『週刊東洋経済』(〇八年一月一二日)には、「北欧はここまでやる。格差なき成長は可能だ!」という特集がありましたが、これらの国は福祉や民主主義、女性の社会進出で高く評価されるだけでなく、一人当たりGDPでも、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランドの四カ国ともが日本やイギリス、ドイツ、フランスを上回っています。ノルウェー、デンマークはアメリカよりも上位です。こうした内実をもつ国々の形成と発展の過程に、もっと注目が必要です。構造変化の内容を、社会の質という角度からもとらえる必要があるということです。
●サブプライムローン問題と中東・東アジアの融資
マネー経済の問題に移ります。目前の問題としてはサブプライムローン問題をきっかけとした世界的な金融危機と景気後退の危険があります。
この問題は〇七年八月に表面化し、連邦準備理事会は九月に四年数カ月ぶりの利下げを行いました。しかし、一一月にはアメリカからの資本の流出、円高・ドル安が起こり、一二月にはブッシュ大統領がサブプライムローンの金利上昇五年凍結などを示し、追加的な利下げも行います。国内消費の冷え込みを防ぐための莫大な財政出動も行われ、一二月一二日には欧米五行(米連銀、欧州中央銀行、イングランド銀行、カナダ銀行、スイス国民銀行、いずれも中央銀行)が異例の協調行動をとり、二月九日のG7は「金融機関による資本の増強が正常な市場機能の回復に重要」という声明を出します。
この問題での損失額は正確にはわかりません。OECDは〇七年一一月時点で合計三三兆円と発表しましたが、これにとどまる保障はなく、二月のG7も金融機関に損失額の公表を求めています。実際、シティ・グループは当初七三〇〇億円という発表でしたが、現在の発表は二兆五〇〇〇億円となっています。メリルリンチやモルガンスタンレーもこれに近い規模の損失と見られます。日本ではみずほ銀行が三〇〇〇億円の損失を発表しました。
今回の問題の発端は、担保とされた住宅価格の下落によるサブプライムローンの焦げつきですが、それがここまでグローバルで深刻な問題となったのは、このローンの債権が他の金融商品とあわせて証券化され、市場で販売されていたためです。「信用度の低い債権を、それとわからないようにして売ってしまう」という無責任の結果です。
返済できなくなったローンの借り手は、住宅を取り上げられてしまいます。また損失の大きな金融機関は貸し渋りを行うことでアメリカ全体の消費を萎縮させ、これが海外からの輸入の抑制をもたらし、巨額の財政出動はアメリカの財政赤字を拡大します。実物経済への波及です。
ここで注目されるのは、損失の大きなアメリカ金融機関を、中東や東アジアの政府系ファンドが支えているということです。シティにUAE(アラブ首長国連邦)のアブダビ投資庁が八五〇〇億円、メリルリンチにシンガポール系が五〇〇〇億円、モルガンスタンレーに中国系が五七〇〇億円の融資といった具合です。金利はアメリカ国債の約三倍にあたる一一%の高率ですが、中国は輸出の二割がアメリカ向けですし、中東には巨額のオイルダラーの急速なドル安による目減りを避けたいという思いもあります。ここには世界経済の相互依存の深化とともに、経済のパワーバランスの変化が反映しているといっていいでしょう。
新興国や途上国が集まるG24の〇七年一〇月一九日の声明は、金融危機がわれわれの経済に与える影響は大きくない、IMFは先進国のマネー経済をしっかり管理せよと言っています。一月には中国やインドの株価も大幅な下落を見せますが、それでも需要に大きな変化はなく、世界経済の中でアメリカの需要後退を補う役割を果たしています。
●なぜマネーゲームが拡大するのか
現在、証券市場を離れた投機マネーは、石油や穀物などの実物商品に向かい、それらの価格高騰を招いて人々の生活を圧迫しています。こうしたマネーゲームが可能なのは実物経済での必要を超える「金あまり」と投機の自由があるからです。対極に莫大な貧困があることを見れば、これが利潤第一主義の深刻な欠陥を示すものであることは明白です。
なぜマネーゲームは拡大したのか。第一に、世界の消費に対する生産の過剰があります。富の蓄積は、他方における貧困の蓄積を条件としますが、その貧困が消費の制約につながり、富の生産を制約する。こうして生まれた資本の相対的な過剰がマネーゲームの原資になるというわけです。大量のワーキングプアに象徴される現代の貧困は、日本の大企業にバブル期を越える利益をもたらしていますが、それもまた投機マネーの拡大につながる可能性をもっています。途上国からの資源や農産物の買いたたき等による南北格差の拡大も、同じ役割を果たしました。世界的には、戦後の高度成長が終わった七〇年代後半から「金あまり」が次第に顕著になってきます。
第二は、貿易赤字にもかかわらずアメリカがドルを散布しつづけている国際的な通貨制度の問題です。国内通貨であるドルで海外からいくらでもモノが買えるというアメリカの「ドル特権」が、世界の「ドルあまり」現象を助長しました。日本はこうしてためこんだドルでアメリカ国債を買い、アメリカの財政赤字と軍事予算を支える「属国」ぶりを示していますが、中東諸国や中国などは政府系ファンドをつくり、運用益の獲得に向かっています。
第三は、情報通信技術と「金融工学」の発達によるもうけの手法の発達です。今回のサブプライムローン問題でも明らかように、金融商品の複雑化は、もはや誰にもそのリスクを正確にはかることができない市場の無政府性を拡大しています。
銀行の資金運用にはBIS規制などのルールがありますが、ヘッジファンドや運用資金でそれを上回る政府系ファンドには規制のルールがない。そこで世界の巨大銀行がヘッジファンド等への投資になだれ込む。ハイリゲンダム・サミット(〇七年六月)では、ドイツがこれらのファンドへの規制を提案しましたが、米英日が反対しました。しかし、九月には世界銀行が政府系ファンドを集めた初の会合を行い、一〇月のG7でも政府系ファンドへの一定の監視の必要が議論されています。
●世界のドル離れと通貨多極化への動き
このような中で、もうひとつ注目されるは、各地でのドル離れの動きです。日本では円の価値がドルとの対比でしか話題にされませんが、ユーロに対して円とドルは共に大幅な下落を見せています。日本は莫大なドル資産をもっているわけですが、それはすでに大きな為替差損を生んでいるということです。ドルの対ユーロ相場は、一番高い時には一ドル一・二ユーロ(〇二年二月)でしたが、〇六年一一月には〇・六六八ユーロといった具合です。五年で四四%もの低下です。これは今回の金融危機によって急に始まったことではありません。
莫大なオイルダラーをもつ湾岸諸国は、石油代金をドルで受け取る都合上、為替安定のために自国通貨をドルにあわせるドルペッグ制をとってきました。しかし、クウェートが〇七年五月に通貨バスケット方式(複数の外貨に連動したレートでの固定相場制)に移行します。またOPEC(石油輸出国機構)の加盟国は、ドル預金をユーロや円に分散しはじめました。
さらに、〇七年一一月のOPEC首脳会議では、原油価格のドル表示を通貨バスケット表示に変更するとの提案がベネズエラとイランから行われ、かなりの議論になったようです。
イラクのフセイン政権は石油取引をユーロ建てに転換していましたが、占領後にアメリカがドルに戻しています。また次の標的とばかりに敵視されているイランも、すでに原油輸出の八〇%以上をドル以外の通貨で受け取っています。こうした産油国のドル離れの阻止も、戦争のひとつの要因になっているのでしょう。ロシアは〇六年六月からルーブル建てでの石油輸出を開始しています。
また紙幣流通量でユーロは、〇六年一二月にドルを超えたと言われます。EU関連だけでなく、貿易の必要からロシア・ウクライナ・ベラルーシなどがユーロ圏に接近しており、かつてのフランス植民地を中心に使用されている共同通貨のセーファーフランはユーロに対して固定されています。
その一方で、長く「ドル圏」といわれた東アジアや南米にも、東アジア通貨基金や共同通貨の構想が生まれ、南米基金や南米銀行など明快な「IMF離れ・ドル離れ」の動きも進んでいます。
中国も対EU貿易が対米貿易を上回るようになっていますから、ユーロとの関係はますます強化されていくでしょう。
高くなりすぎたユーロは域外への輸出競争力を下げますから、EU諸国はアメリカのドル安放置に対する強い不満をもっています。つまり、ユーロがただちにドルに代わる力をもっているわけではありません。
とはいえ、なだらかなドル安は、アメリカに輸出競争力の強化、対外債務の目減りなどの利益も生みますが、問題が基軸通貨としてのドルの不安につながり、「ドル特権」の侵害につながるようになれば、アメリカも落ち着いてはいられなくなるでしょう。
●日本経済の進路を考える
最後に、こうした世界経済の状況変化のなかで、日本はどういう政策をとるべきかという問題です。
第一に、過度のアメリカ市場依存を低め、アメリカ経済との運命共同を抜け出すことが必要です。
日本の最大の貿易相手はアメリカから中国に移りました。しかし、中国に輸出された部品がそこで組み立てられてアメリカに輸出されるという「三角貿易」をへたアメリカ依存は深く残っています。また自動車や電気機械など多国籍企業のアメリカでの現地生産比率も極めて高くなっています。
これを変えていくためには、東アジア各国との共同を深め、この地域の需要をよりしっかりしたものにすることが必要です。この見地からFTAの交渉なども、相手国の国民生活向上に役立つことを大きな柱とせねばならない。東アジアの国内消費・個人消費を拡大する方向で、東アジアの共同に積極的にかかわっていかねばならないということです。
第二は、巨額の外貨を目減りしつづけるドルのみで保有するドル擁護一辺倒、アメリカ支援一辺倒の「属国」通貨政策を転換することです。アメリカ市場への依存が高い日本経済にとって、ドル安が不利益につながるのは事実でしょうが、中長期的に見てリスクの分散は不可欠です。これを行わずに国民の財産をズルズルと減価させている現在の政府の罪は、もっと強く問われて良いものです。
第三は、投機マネーの規制をはじめ、世界経済のルールづくりに積極的に貢献するということです。アメリカ追随ばかりでなく、経済政策主権を自覚的に打ち立て、世界経済の無政府性を世界各国の共同の力で可能な限りコントロールしていく。そういう姿勢をもつことが必要です。
第四は、なんといっても個人消費の激励にもとづく内需の拡大、安定した内需を土台にもつ国民経済づくりの政策です。世界経済には今後も激動の要因が少なくありません。そうした激動の時代だからこそ、安定した内需が必要です。また食糧自給率の上昇など危機に対処しうる経済づくりが必要です。これは「構造改革」による国民の貧困化推進政策を転換し、労働者や中小業者、農漁民の経営と生活の安定をはかり、消費の最大勢力である個人消費の激励を土台にすえていくということです。
6 もう一つの「属国ニッポン」―日米軍事利権の構造(大門実紀史)
対論のおわりに
石川 対論を準備しながら、世界の中の日米関係という視角の重要性をあらためて痛感させられました。大門さんのお話からは、孤立するアメリカに追随する以外の道をもたない自公政治のあまりの無策に驚かされました。世界の情勢や構造の変化といった話題に、自公政治がまったく鈍感だという指摘は非常に印象的です。
北欧やEU諸国に照らした後進性にとどまらず、日本の政治は新興国や途上国に比べてさえ大きく遅れたものとなっています。そこを国民の側がしっかりと考えて、政治転換の推進力にしていくことが必要なのでしょう。研究であれ、政治であれ、新しい問題に創造的な精神で立ち向かう姿勢がますます大切になっていると思います。
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