テキスト第3章「動きだした人民元改革の未来」を終えていく。97年のアジア通貨危機を中国が免れた最大の要因は,厳格な資本取引と為替の管理。それを自由化していくためには,同種の危機を回避しうる別の条件の形成が不可欠。
アジアにおける共通通貨の形成と,ドル依存度の低下はその1つとなる。東アジアの生産ネットワークは,域内貿易における為替レートの安定を各国に求めさせる。EUが経済統合からユーロ創設に進んだように,EU以上に域内貿易比率が高い東アジアにも同種の要望が生まれてくる。実際,日本経団連など財界はすでにアジア通貨の創設を視野にふくめて経済戦略を練っている。
アジア共通通貨をめぐるこれまでの動き。①97年アジア危機直後に日本政府からAMF構想が提起される。これは投機対象となった国に外貨を融通し,これを支援する多国間機関をつくるものだが,アメリカの反対にあった頓挫した。②00年には「ASEAN+3」で2国間の通貨スワップ協定の合意が生まれる。これは特定の機関をつくらずに,各国への外貨融通を可能とするもの。③02年には日中間にドルを媒介しない円と元のスワップ協定がつくられた。これを当時の日銀の担当者は「アジア通貨を育てていく意思表示」と述べている。
05年夏の国際交流会議「アジアの未来」では,より具体的にACU(アジア通貨単位)を模索するための発言が相次いだ。アジア開発銀行はすでにその役割の検討に入っており,為替市場を監視するための指標として定期的にACUの実態を公表しはじめている。加えてACU建て再は数年以内に実現することが可能だともいう。その先には時間はかかったとしても共通通貨の形成以外に段階はない。
アメリカがこうした動きに反発を強めるのは,それがドル特権の侵害につながっているから。世界の貿易や投資にドルが多用されることにより,アメリカは保有外貨に制約されない商品輸入を可能としてきた。しかしユーロの誕生は,域内におけるドル保有の必要性をさげ,またアジアに共通通貨ができればこれも各国におけるドル保有の必要度を低めることとなる。アメリカと東アジアの力関係は,すでにこれを阻止する力をアメリカがもつ状態ではないが,最大限の抵抗・妨害がつづくものと思う。
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