前回までの授業の振り返りをして、映像「証言・中国人強制連行」を見る。
グループ討論の後に出てきた質問・意見は次のとおり。
Aグループ キチンと食事をあたえた方が仕事の効率があがったのでは、事実が衝撃的、地元の人はどう感じていたのか、敗戦後どれくらい働かせたか(花岡)、敗戦後の中国に対する日本の対応は
Bグループ いまの日本政府の見解は、なぜ謝罪しないのか、私たちはどうするべきだろう(知って生きることが大切だと思うが)、北朝鮮の拉致問題は大きくとりあげるが、日本がやった拉致は話題にされない、ひとつひとつ政府が解決していくべきでは
Cグループ 遺骨返還の取り組みはあったが生き残った人は帰れたのか、戦争中強制連行をした他の国は
Dグループ 自分たちがつれてきたのにその人たちをいまも差別するというのはつらい、反日の意味がようやくわかった、岸信介はなぜ死刑にならなかったか、現場監督は裁かれなかったのか、強制連行を決めたのは政府か軍か、助かった人は何がきっかけで助かったのか
Eグループ 岸信介はなぜ総理になれた、いまなぜ謝罪しないのか、デメリットはなにか、事実を知らない政治家もいるのでは。
〔以下、映像についてのメモ〕
趙さん、劉さん、劉さん
鉱山、土木、港の荷役、軍需産業などに、4万人、7000人が死亡
北海道にもっとも多くの中国人連行者が
趙さん、44年冬に北海道・室蘭の港に、寒さ、過酷な労働、飢え、下痢、子どもたちが「シナ人くさいと雪だまを投げる」、海への転落
劉さん、九州、三池炭鉱に2400人うち400人死亡、医者が病気と診断すると食事が与えられない、栄養失調で失明するものも
秋田大館市花岡、800人全員が立ち上がった花岡事件、劉さんも、鹿島組、過酷な労働、寒さ、暴力、飢え、下痢、45年6月30日蜂起、どうせ死ぬ、大がかりな山狩り、つかまって拷問、死者100人に、鹿島組は敗戦後も強制労働を継続、さらに160人の死者、信正寺の住職が骨を集めて供養、遺骨収拾と送還の運動
松田解子、花岡出身、日本人のやったことが申し訳ない、遺骨送還の運動に、草を抜いたら根に骨粉が
遺骨を9回にわけて中国に送還、政府筋からの妨害、中国人強制連行を決めた大臣が戦後日本の首相なのだから
三井、三菱、鹿島、大成、戦後日本政府に損失があったと補償要求、被害者への補償はせず
栃木県足尾で新しい資料、足尾銅山に250人
元日本兵・矢崎さん、人間狩り・労工狩り・兎狩りの訓練、家族をひきさいて実際の行動も
劉さん、47年に室蘭から中国にもどった、母は死んでいた、晩年は誰をみても自分の息子だと思っていたと、親孝行がひとつもできなかった、一番悲しい、親を思うと涙がとまらない
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