「集団自決」を教科書から消す政府の動きに抗して、沖縄県民3500人が集会を行っている。
軍から手榴弾を渡された、それが爆発しなかったので生き残ることができた。
しかし、親戚たちはまわりでたくさん死んでいった。
これが軍の強制でないとなれば、県民の「自決」は「軍国美談」とされてしまう。
仲井真県知事も、はじめて「広い意味での軍命」があったとの認識を示した。
これは、南京や「慰安婦」をなきものとし、帝国軍隊の名誉を回復しようとする大きな動きと一続きのもの。
かつての侵略と加害を正義の戦争に塗り替えながら、憲法「改正」で「海外で戦争のできる国」をめざす。
そんな狂気は、なんとしても、食い止めなければ。
歴史 消させない/真実 次の世代へ(沖縄タイムス、6月10日)
「沖縄戦の書き換えは絶対許せない」「悔しくて、居ても立ってもいられない」。九日、那覇市の県庁前県民広場で開かれた、「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」には「集団自決」体験者をはじめ沖縄戦体験者や若者も多数参加し、怒りの声を上げた。壇上でも日本軍から手榴弾を渡された体験者が証言し、「集団自決」犠牲者の孫が決意表明するなど文科省に検定意見の撤回を求める熱気に包まれた。集会後には国際通りをデモ行進し検定に反対の声を上げた。
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生存者、孫のために証言/検定に怒り熱気あふれ
「腹が立ってしょうがない。教科書書き換えを許してはいけない」と憤る池原利江子さん(84)=那覇市=は渡嘉敷の「集団自決」から生き延びた。弟の持っていた手榴弾が爆発しなかったため、池原さんの家族は死ななかった。しかし、隣で輪になっていた父のいとこの家族は十数人、叔母一家は六人全員…、数え上げればきりがないほど親せきたちが命を落とした。「島から復員した兵隊だってみんな(斜面の)上の方から見ていたから知っている。それなのに…」ごまかそうとする国の姿勢に怒りが込み上げてくる。
「自分の人生は短いが、孫やひ孫に事実を伝えなければいけない」。腰が悪く遠出は難しいが、声を上げるために可能な限り出掛けていく。
慶留間の「集団自決」体験者の與儀九英さん(78)=沖縄市=は、「血の海の悲惨な話はもういい」と実体験については、あまり触れない。が、米軍上陸の一カ月半前に、日本軍の戦隊長が、集落の全員に「全員玉砕あるのみ」と力強く訓示した、と証言する。軍が狡猾に「自決」に追いやった手口を今のうちに残しておかねば、危機感を訴える。
座間味から参加した宮村肇さん(53)は、体験世代ではないが「すごく腹立たしい。悔しい」と国の姿勢に怒る。体験者の島のお年寄りたちは教科書の書き換えを「ばかにしている」と怒っている、という。
島袋浩さん(74)=豊見城市=は戦時中は疎開していた。弟は対馬丸で亡くなった。「当時は怖くても、行かないと言えなかった。あれも強制だったんだ」と、振り返る。最近の戦前回帰の風潮を恐れ「教科書だけでなく世の中おかしくなってきた。意思表示しなければ」。教員を目指して勉強中の宜野湾市の比嘉徳史さん(26)は「歪曲された事実を子どもたちに教えたくない」と参加。「本土の人たちも同じ気持ちが持てるよう、声を伝えたい」
祖父母は生きたかったはず/犠牲者の孫・宮城千恵さん
「祖父母は死にたくて死んだというのですか」。渡嘉敷島で起きた「集団自決」犠牲者の孫で、南風原高校教諭の宮城千恵さん(48)は登壇し、「本当は生きたかったはずの祖父母のためにも、歴史の書き換えは許さない」と語った。
宮城さんの母方の祖父母は、渡嘉敷島で「集団自決」の犠牲となった。当時、ずいせん学徒隊の動員で本島にいた母は戦後も両親の死を知らず、何度も手紙を書き続けたという。
多くを語らなかった母から詳しく話を聞いたのは約二十年前。宮城さんはそれを基に紙芝居を作り、留学先の北アイルランドやハンガリーなどで子どもたちに読み聞かせる活動を続けた。
宮城さんは「多くの子が、愛する家族同士がなぜ殺し合ったのか理解できない様子だった」と振り返る。
「沖縄戦体験者がどんどんいなくなっていくという焦りもある。事実をしっかり若い世代に伝え、命の大切さを訴えたい」
その思いから絵本制作を思い立った。母の体験を基にした英語の絵本「沖縄からの手紙」を七月に出版する。一度も会うことのなかった祖父母に思いを込めて作った。
「この世に肉親同士が手をかけ合うほど、悲しいことはない。小さな島で起こった悲惨な出来事を世界中に知らせ、戦争をなくすきっかけにしたい」
「手榴弾渡された」/瑞慶覧さん体験を証言
県民大会で社大党顧問の瑞慶覧長方さん(75)が自決用に日本軍から手榴弾を渡された自身の体験を証言した。
太平洋戦争最中は国民学校の六年を終えたばかりで十三歳だった。
戦時中は校舎を日本軍に接収され、公民館へ移ったがそこからも追い出された。授業どころではなかった。学徒動員で、軍の防空壕を掘った。
五月二十三日。大里村のひめゆり学徒隊の隣の壕に身を寄せていたが、軍によって追い出された。それから約一カ月半、玉城、東風平、摩文仁と激戦地の中をさまよった。まさに鉄の暴風だった。
六月十七日には現在の糸満市、旧真壁村で壕を掘った。当時は学校でもどこでも皇民化教育が徹底されていた。天皇の子である日本人が、もし米軍の捕虜にでもなったらこれ以上の恥はない。だからいざというときには、自分で決死しなさいということで、日本軍から手榴弾を二個渡された。
知人の防衛隊が直接受け取った。うち一個が年長の自分に渡され、もし米軍が来たら壕の中の仲間十七人と一緒に自決しなさいと、その時を声を潜めて待っていた。幸い米軍は来ず、われわれは命拾いをし死体の中をくぐって真壁を突破した。
手榴弾は、軍の武器だ。それを軍が渡した。どんなことがあっても国民として敵の捕虜になるな、なるぐらいなら自決せよ。これが軍、国の命令だった。
皇民化教育は徹底されていた。大半の住人が捕虜になるよりはと、「集団自決」、「自決」に追い込まれた。
六月十九日朝、現在の平和祈念資料館の東側。住人を救うために捕虜になった沖縄の人が壕に来た。しかしその人まで日本兵が虐殺するという大変恐ろしい状況を目撃した。われわれは何度も軍命による自決を選ぼうとしたが、何とか終戦まで生き抜いた。
教科書から歴史を歪曲しようとする国の動きに対し断固として反対していかなければならない。
歴史歪曲 3500人抗議/「集団自決」修正 63団体が県民大会/検定意見撤回求め決議(沖縄タイムス、6月10日)
文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除、修正されたことに抗議する「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」(主催・同実行委員会)が九日、那覇市の県民広場で開かれた。約三千五百人(主催者発表)が参加。文科省に対し、検定意見の撤回を求める大会決議を採択した。
六十三団体でつくる実行委員会を代表し、あいさつした高嶋伸欣琉球大学教授は「生徒がこの教科書を使う来年四月までまだ時間がある。県民の声を文科省にぶつけて検定意見を撤回させることは一九八二年の前例もあり、十分可能だ」と強調。「会場の熱気に勇気づけられた。来週予定している伊吹文明大臣との交渉では、過去の経緯などを含めて厳しく追及し、成果につなげたい」と力を込めた。
沖教組の大浜敏夫委員長は「日本軍の命令がなかったことにされれば、住民自ら死を選んだことになり、軍国美談にされかねない。文科省による歴史歪曲に対し、県民の怒りは頂点に達している。大きなうねりを全国の世論へとつなげていこう」と呼び掛けた。
「文科省による教科書検定意見を撤回させる」「県議会に民意を踏まえた意見書をただちに採択させる」「沖縄戦の実相を子どもたちに伝えていく」の三項目を掲げたスローガンを採択。県政野党各党や労組、市民団体が連帯あいさつをしたほか、県外から出版関係者や日教組の代表らも駆け付けた。
参加者らは「ガンバロー三唱」で気勢を上げた後、「子どもたちに戦争の実相を伝えよう」「県民は沖縄戦の歪曲を許さない」などと訴え、国際通りをデモ行進した。
「軍命あったと思う」/「集団自決」知事が初言及(沖縄タイムス、6月8日)
仲井真弘多知事は八日午前の定例記者会見で、文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に日本軍が関与したとする記述が高校の歴史教科書から削除された問題について、「当時の社会状況から考えると、広い意味での軍命というか、そういうものはあったのではないかというのが個人の率直な気持ち」と述べた。
仲井真知事が、「軍命」の有無に具体的に言及するのは初めて。これまでは、日本軍関与の文言を削除・修正する検定内容に対しては「遺憾」との認識を表明する一方、「軍命」の有無については「専門家の検証が必要だろう」と述べ、コメントを避けてきた。
また、同検定の見直しを求める意見書採択が市町村議会で相次いでいることについては「それぞれの考えでなされているというのは、重く受け止めるべきではないかと考える」と述べた。
米空軍嘉手納基地内で大量のジェット燃料が流出した上、米軍の通報が遅れたことについて、仲井真知事は「対応の鈍さは極めて遺憾」と強い口調で批判した。
七日に県が基地内に立ち入った際、米軍が土壌などのサンプル採取を許可しなかったことについても「言語道断。民間事業者だったら少なくともしばらく、活動停止に値する」と述べ、今後も調査を求める考えを示した。
米海軍の掃海艦が与那国島への寄港を通知していることについて「米軍の艦船はホワイトビーチや那覇軍港など専用の港が決まっており、本来そこを使用すべきだ。民間の目的に応じて造られている港は使用すべきではなく、今回も自粛すべきだ」と主張した。
日米地位協定で管理者の県も寄港拒否できない実情に一定の理解を示した上で、「緊急事態など互いに、やむを得ないという理解が成立するラインというのはある。米軍の都合のいい時にいいように利用するのはいかがなものか」と不快感を示した。 大会決議は文科相、首相、知事、県議会議長あてに送付する。
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