以下は,「民主青年新聞」(2006年9月18日,25日)に掲載されたものです。
「『勝ち組・負け組』を乗り越える」という特集の第Ⅱ部です。
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「青年が『人間らしく』働ける社会でこそ」
〔第1回〕若い世代のたたかいの発展を願って
今回あらためて「勝ち組・負け組」論を考えるにあたり,編集部にお願いした民青新聞の過去の記事や民青同盟32回大会の発言のいくつかを読んでみました。
そこで感じたことが2つあります。1つは,みなさん若い世代の生活が本当に大変な状態になっているということです。私も若い時にはかなりの苦労をしましたが,それよりもひどい,あるいはそういう大変な苦労がもはや特別ではなく,当たり前のことになってきている。そんな実情に,本当に驚かされました。
しかし,もう1つ,心強く受け止めることができたのは,その大変な現実を打開しようとするみなさんの運動が,大きく成長しはじめているということです。05年6月の「円山青年一揆」には「政府は青年の努力がたりないとかいうけど,そんなことはない。努力がたりないのは,政府のほうや!」と,キッパリとした政治への反撃の声がありました。同じ11月の全国青年雇用集会では「サービス残業アカーン」などの各地のことばでのアピールウォークに「たたかう人たちをはじめてみました。がんばって」と語る高校生がいたそうです。他にも各地に青年ユニオンの結成があり,企業を相手にした個人の闘いがあり,それをはげます連帯の輪のひろがりがあります。いずれも本当にすばらしい取り組みです。
以下,みなさんの勇気ある闘いがさらに大きく成長することを願い,①財界・政府の悪だくみの実態やそのゆきづまりの様子,②未来に希望をもってはたらくことのできる社会を願うみなさんの闘いの大義について考えてみたいと思います。ぜひ討論の材料にしてください。
〔青年の雇用の悪化は財界の金もうけのため〕
まずは政治と生活のかかわりの問題からです。みなさんの雇用やくらしの今日のような悪化は「構造改革」の政治によってつくられました。大きなきっかけは,日本経営者団体連盟が95年に「新時代の『日本的経営』」という文書を発表したことです。これは「終身雇用制をやめて不安定雇用をふやそう」「年功序列賃金をやめて成果主義賃金にかえよう」。そういう内容をもった全国の大企業へのよびかけであり,必要な法律の改悪を政府にもとめるものでした。
その後,実際に政府は,派遣労働者をどの職場でも雇用できるようにするなど,労働法制の改悪をすすめていきます。それらによって派遣・パート・臨時・バイトなどの不安定雇用が広がり,正規雇用の人にも成果主義による労働強化が押しつけられました。もちろんそれ以前にも雇用をめぐる問題がなかったわけではありません。しかし,終身雇用制は,一度入社すれば特別のことがないかぎり,誰でも定年まで働くことができた制度です。女性には,結婚・出産退職などの若年定年制や肩たたきといった差別的な制度や慣習がありますが,それも86年の雇用機会均等法に象徴されるように,少しずつではあっても改善の方向に向かっていました。ところが,その方向性が根本からくつがえされたのです。背後には,日本に進出しようとするアメリカ大企業の要請もありました。
財界がこの号令をかける理由としたのは,日本の労働者の人件費が世界一高いということでした。しかし実際には労働者の生活は,そんなに豊かなものではありません。賃金が高く見えたのは異常な「円高」のためでした。これによって全労働者にしめる非正規雇用者の比率は,90年20.2%,95年20.9%から,2000年26.0%,04年31.4%と急上昇を見せていきます。なかでも被害が集中したのは若い世代です。24才以下をとると,非正規雇用の比率は2004年ですでに50%に近くなっています。その一方で,大企業のもうけは史上最高を記録しました。
みなさんに「職がない」「いくら働いてもまともに食えない(ワーキングプア)」という状況が生まれたのは,こうした大企業の強欲とこれに奉仕する誤った政治の結果です。それは誰にも止めることのできない自然現象ではなく,ましてや若いみなさんの責任などではありません。
〔「青年いじめ」は社会こわし〕
日本国憲法27条は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」となっています。その「勤労の権利」を保障するのは政治です。その前の25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いています。いわゆる「生存権」の規定です。そして27条の「勤労権」は,この25条の「生存権」を保障する中心的な手段の一つと位置づけられています。はたらきたい,はたらかねばならない人に,もし仕事がなければ,それでは人間らしい暮らしは保障されないからです。
そう考えると「リストラ結構,非正規雇用結構」という今の政治が,憲法の精神にまるで反していることは明白です。憲法というのはどの政党,どの個人であれ,必ず守らねばならないこの国の最高のルールです。そのルールを守ろうとしない政治に対して「それはまちがいだ」と抗議をするのは当然のことです。「国民に勤労の権利を保障しろ」と政府に迫るみなさんの取り組みには,そうした大義があるのです。それは決して個人のわがままなどではありません。
さらに,若者に雇用と生活を保障し,また労働者・国民の暮らしを豊かにすることは,日本経済の健全な発展にとっても欠かせない条件となっています。そのことは,7月に内閣府が出した2006年度版『経済財政白書』にもあらわれています。この白書は「構造改革」推進のいわば司令塔が出したものですが,それにもかかわらず,そこには正規雇用の破壊,若者から仕事を奪うことへの不安が表明されています。
1つは技術力にかかわる問題です。国際競争の中で日本企業の優位を支える大きな力は技術力ですが,それは終身雇用制に支えられていた。いまはそれが失われつつあるという指摘がされています。もう1つは,非正規雇用に閉じ込められた若者が,低賃金のまま中高年になれば,莫大な所得の損失が生まれる,つまり国内の消費力がどんどん弱くなっていくという問題です。そこから白書は「非正規雇用から正規雇用への転換の機会を提供する施策が求められる」といわずにおれなくなっています。
技術が衰え,国内消費の最大勢力である個人消費が衰えたのでは,日本経済の発展はありえません。正規雇用と生活できる賃金をもとめるみなさんの取り組みは,経済社会の健全な発展の条件を切り開くものともなっているわけです。
〔第2回〕人間を大切にする経済づくりを展望して
〔労働者と資本家には客観的な利害の対立が〕
今回は,資本主義社会の仕組みとみなさんの闘いの関係を,少し理論的に考えてみます。
最初の問題は、資本主義社会には,経済的利害の相違による大きな内部対立があるということです。たとえば日本で最大の利益をあげているトヨタ自動車は,下請中小企業から性能のいい自動車部品を買い上げ,それを勤勉で優秀な技術をもった労働者に組み立てさせることで自動車生産を行っています。このときトヨタのもうけは,自動車部品をできるだけ安い値段で買い上げ,労働者の賃金をできるだけ低く抑えこむことによって拡大します。実際にもトヨタの下請企業はとても厳しい経営状態におかれ,またトヨタの労働者は賃金につりあわないたいへんな長時間・過密労働をおしつけられています。さらにトヨタにもうけを吸い上げられた下請企業は,それを自分の職場の労働者に低賃金を押しつけることでカバーしようとしますから,結局,大企業でも中小企業でも,労働者の闘いがなければ,賃金は低く抑え込まれてしまいます。
こうした労資の根深い対立は,政治の世界にも深く浸透しています。大資本家たちは財界団体を結成し,保守的な政治家や政党を「財界いいなり」へと導いています。他方で,労働者たちは自分たちの生活をまもる政党をつくり,その政治家たちを国会に送り込む努力をしています。
こうした経済や政治の中での労資の対立は,資本主義社会の一番の根本である生産関係から生まれてくるものです。それは資本主義では誰もそれから自由ではありえない,客観的で必然的な対立であり,たんなる誤解や思い込み,何かの偶然によって生み出されるものではありません。
〔資本主義の発展にはたたかいが不可欠〕
労資関係のなかで優位に立っているのは資本家です。しかし,これに対して労働者の闘いは決して無力ではありません。何より労働者には「多数者」の力があり,したがって民主主義の力によって,一握りの大企業等の横暴を抑え込んでいくことができるのです。
そのことを典型的にあらわしたのが,19世紀のイギリスにおける工場法づくりの闘いでした。1日の労働時間は,資本主義の最初の時期からはっきり決まっていたわけではありません。繊維産業を中心に機械が導入された確立期の資本主義には,子どもや女性もふくめて1日15時間といった大変な長時間労働が行われていました。これに対して労働者たちは,労働組合をつぎつぎと結成し,1日の標準的な労働時間を法律で定める工場法の成立と,その拡充をもとめる闘いを行っていったのです。
この歴史は一方で,環境の悪い職場での長時間・過密労働により労働者が命を落としていくことに対して,資本家とその仲間の政治家たちがまるで無頓着であることを明らかにしました。労働時間短縮のもとめに,資本家たちは「そんなことをすれば利益か減る」と平然と答えています。しかし,それでも労働者たちの闘いは着実な成果をあげていきました。1834年には児童と年少者の労働時間を短縮させ,44年には女性労働時間を12時間に,48年には10時間に,そして53年には男性をふくむおおよそすべての労働者を10時間労働の規制のもとにおいていくことに成功します。
今から考えると,これは決して十分に短い労働時間ではありません。しかし,それでもこの闘いは,資本家やそれと一体の政治が支配する社会であっても,労働者の団結した反撃があれば,労働時間や労働条件に関する法的なルールをつくり,労働者の権利を拡張していくことができるということを見事に証明するものでした。それは「ルールある資本主義」をもとめる今日の闘いに,歴史的にも理論的にも重要な根拠をあたえるものとなっています。
あわせてもうひとつ重要な問題は,この10時間法が,その後のイギリス資本主義にめざましい発展をもたらす力になったということです。労働条件と生活の改善は,個々の労働者に労働への新鮮な意欲をもたらし,また新たな消費の力をあたえます。それが資本主義の新しい発展を切り開く条件となっていったのです。力強い消費の力なしに,豊かな生産力は発展しません。ここにも現代日本の資本主義が,本来重要な教訓として学ぶべき歴史的な教訓があるといえます。
〔たたかいの力をひろげる〕
話をもとにもどしましょう。「勝ち組・負け組」論というのは,90年代半ばから意図的な雇用破壊をすすめた財界・政府が,労働者からの反撃をあらかじめ抑え込むために行った世論操作というべきものでした。仕事がない,生活ができないという怒りが政治に向かうことのないように,それを個人責任にすりかえるための先手が打たれたということです。
しかし,すでに「格差社会」は誰の目にも明らかな社会問題となっています。このままで良いのかという不安はマスコミにも,前回紹介した政府の『経済財政白書』などにもあらわれています。その中で,自民党新総裁の最有力候補である安倍晋三氏は,最近出版した『美しい国へ』でも,いまだに次のようにしか書くことしかできません。「企業の方も,賃金が低く,人員の増減がしやすい非正規雇用者を必要としているという事情がある」。その事情に対して,安倍氏は,それはもうできることではないのだと,政治のリーダーシップを発揮する意志をもってはいないのです。それは今日の自民党に,経済の健全な発展を主導する能力が,すでに存在しないことの証明ともなっています。
今この国に求められているのは,国民・労働者の社会的な反撃です。非正規雇用の苦しみを格別に深くなめさせられている若いみなさんの取り組みは,全労働者の反撃を大いに励ますものとなるでしょう。その闘いは,①みなさん自身の生活改善にどうしても欠かすことのできない闘いであり,②同時に,日本の社会と経済の民主的な発展に貢献するための闘いです。③さらに,その闘いは勤労権を定めた憲法27条が守られる日本をめざすことで,日本国憲法の全面的な実施を求める取り組みにも直結しています。これらの闘いの大義,正義がみなさんの側にあることを良く理解して,大いに取り組みを発展させてほしいと思います。
最後ですが,ここに述べたことをより深く理解するために,仲間どうしで,ぜひとも『資本論』の学習にとりくんでほしいと思います。知は力です。学ばない労働者が重大な闘いに勝ったためしはありません。毎日の生活に必ず学習の時間をつくりだしてください。それがみなさんの闘いを広げる原動力となっていきます。
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