以下は,『女性のひろば』2006年11月号,№333,78~86ページに,「シリーズ・学ぶということ」の第1回として掲載されたものです。
座談会参加者は「神戸女学院大学石川康宏ゼミナールのみなさん」となっています。
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シリーズ・学ぶということ①
人はなぜ学ぶのだろう。
本当の学びってなんだろう。
学校で、そして社会で
それぞれの「学び」と幸せな出会いをした
人々のドラマをシリーズで紹介します。
「慰安婦」問題と出会い 、学びと出会った私たち
神戸女学院大学石川康宏ゼミナールのみなさん
坂下美季子さん(21)/川元理恵子さん(21)/濱野智加さん(21)
石川康宏さん(神戸女学院大学教授)
今年二月『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(新日本出版社)という本が出版されました。「慰安婦」問題にとりくんだ神戸女学院大学の石川康宏さんとゼミ生たちが共同でつくったこの本は,女子大生が侵略と加害の歴史に正面から向きあい,学び,行動した記録の書として広い共感をよんでいます。その彼女たちの心にまかれた学びの種とは‥。
〔本を出版してからどんな反響がありましたか?〕
●坂下美季子さん 本を読んだ友だちから「今まで歴史にも政治にも興味なかったけど、これからはきちんと考えようと思った。教えてくれてありがとう」っていうメールをもらったんです。「慰安婦」関連の本も「注文してきたよっ」ていわれてもうめっちゃうれしかった。
●石川康宏さん 今年もゼミで「ナヌムの家」(※)にいってきたけど、今回はこの本を読んだ京都の学生たちと,事前にも,現地でも交流ができた。「『ナヌムの家』にいってきました」と周辺の人に声をかけられることも多くなったし、けっこう反響がある。教育実践の本として読んでくれる人もいるし,他大学の学生から「大学での勉強の仕方を教えてください」といわれることも増えた。君たちへの講師依頼も多くなったよね。
※ナヌムの家 韓国のソウルから一時間半ほどのところにあるかつての「慰安婦」被害者たちが暮らす施設。「日本軍『慰安婦』歴史館」を併設しており,訪れる日本人は少なくない。
●川元理恵子さん 先日、兵庫県の歴史教育者協議会に呼ばれて、ゼミで学んだことを話してきました。会場には中学・高校の歴史の先生たちが集まっていて「どうやったら学生は歴史の授業に興味をもってくれるのか」ってすごく悩まれていましたね。
●濱野智加さん 雑誌や新聞の取材を受けることも多いのですが、記者さんたちからは「学生時代全然勉強しなかったからすごくうらやましい」とよくいわれます。私は大学に入って勉強しないほうが不思議で(笑い)。
〔どのように学びはじめたか〕
石川さんが「慰安婦」問題にとりくむことになったのは、二年前のゼミの卒業旅行のさいにご夫婦で「ナヌムの家」を訪れたことがきっかけでした。その時のことを石川さんは本にこう書いています。
それまで「『慰安婦』問題をまるで知らなかったわけではありません。しかしそれは底の浅い、字面を追っただけのものでした」「再現された『慰安所』の狭く重苦しい部屋に入り込み、軍が配給していたコンドームや、被害者たちがからだを洗った金だらいの現物を見る」「『もし、これが自分の身におこったことであれば』。そう考えると、男の私であっても、身のすくむような怖さがあったものです」。
兵士の性欲を処理するために、数万とも数十万ともいわれる若い女性を誘拐し、監禁し、レイプする。知識としては知っていたつもりの「慰安婦」問題がこれほどまでに残酷な問題だったとは…。
「もっとしっかり知っておきたい」という強い思いから、石川さんは「慰安婦」問題を次のゼミのメインテーマとし、学生たちといっしょに学ぶことにしました。
石川 「慰安婦」問題は政治的なテーマにもなっている。君たちのやっていることをネットなどで批判する人もいる。そういう「重たいテーマ」にもかかわらず、みんながこのゼミを選んだのはどうしてかな?
川元 先生のゼミは厳しいので有名ですから、勉強したくてあえて選びました。「重いテーマだから避けたい」という友だちもいましたが、ゼミが正式にスタートする直前に『従軍慰安婦』(吉見義明著・岩波新書)と『歴史教科書と日本の戦争』(不破哲三著・小学館)の二冊を読んで、内容を要約するという課題がありましたよね。歴史の事実をめぐっていろいろな意見があることをこの本で知りました。そしてもっともっと知りたいと思ったんです。
坂下 中学の歴史の教科書に「慰安婦」の方の写真が載っていて、授業で説明された記憶はないんですが、ずっと気になっていました。私の住んでる地域は在日の韓国・朝鮮人が多くて、なぜ日本に韓国の人が多いんやろう、戦争と関係あるんかなとも思っていて。韓国併合とか満州事変とか習ってはいたのですが、不破さんの本を読んではじめて「ああそうか、これを侵略というのか」と。それまでの歴史の授業では、日本が侵略戦争をしたという事実が見えなかった。
濱野 不破さんの本はすごく読みやすかったです。「慰安婦」ってご飯作ったり、洗濯したりしていた人たちかな、と思っていたんですよ。それやのに、吉見さんの本を読んで,えー、こんなん‥。なんの疑問もなく生きてきたけど、歴史の事実を知って、逃げずにいようと思いました。
〔何が正しいのかを自分で探す〕
ゼミは毎週一度に五時間。テキストを事前に読み、そのなかで各人が関心をもった事柄について調べ、互いに報告しあって議論するという方法です。ゼミの最初の日には早くも日韓基本条約・天皇制・教科書問題・クマラスワミ報告など、キーポイントとなるテーマが学生たちからたくさん提起されました。その後「慰安婦」問題はなかったとする立場の『新しい日本の歴史が始まる』(新しい歴史教科書をつくる会・幻冬社)や『国民の油断』(西尾幹二・藤岡信勝著・PHP研究所)、また日本・中国・韓国の研究者が共同で執筆した歴史教科書『未来をひらく歴史』(高文研)なども学んでいきます。
石川 テキストというのはどれも正しいことが書いてあると思っていて,その内容に疑問をもたない学生が少なくない。だから最初のころのみんなに対するぼくの質問は「それ本当なの? 確かめた?」ということばかりだった。「A級戦犯」ということばが出てきたら「戦争犯罪人ってどういう人たちなの?」「東京裁判は戦争に勝った人たちの勝手な裁きだという意見があるけどどうなの?」というように。するとその場では答えられないことが多いから、みんな持って帰って調べてくる。そして次のゼミでは東京裁判について,異なる意見がたくさんあるといったことが報告される。そうすると今度は「それぞれの主張の根拠は何?」「どの意見が妥当?」「その理由は?」とより突っ込んだ学習に進んでいく。ぼくは質問しているだけで、勉強はみんなが勝手に深めていったという感じ。家でどんな本を調べればいいかについても,ぼくはほとんどなにも紹介しなかった。まあ君たちは大変だったと思うけど。
川元 最初はしんどかったんですよ。でもそのうちにゼミのある日が楽しみで楽しみでという気分になって。先生やみんなから「ほんとにそうだったの?」と聞かれて、答えられた瞬間が本当に楽しかった。そういう体験ははじめてだったので。
坂下 聞かれて答えられなかったら、もっと知りたいと思うようになって。
川元 どんな意見でも根拠があるでしょ? その根拠探しがはまるんです。ちょっとした探偵気分というのかな、「それにはこんな理由があるんだ」という。高校のときまでは与えられた正解を覚えて、それを答えるという世界ですよね。でもゼミでは自分でどう考えたかが問われていく。
石川 高校までは与えられたものを飲み込む「学習」が多く、それを自分で確かめていくという訓練はほとんどできないからね。ネットの情報でもテキストでも「ここに書いてあることはほんとなの?」と疑問をもち、信頼に足る情報かどうかを確かめるというのは大切な作業。それから学生たちには,教師が望む答えを見つけて語ろうとする傾向がある。それは君たちも同じだったかも知れない。だから,ぼくとは意見が違ってもいいし、どんな意見をぶつけても許されるんだ、ということを実感して納得してもらうのに時間がかかる。もっとも,それは君たちの責任じゃなくて、そういうふうに育ててしまう「教育」の問題なんだけど。まずはそこのよろいをとくことが必要になる。
濱野 大学に入ったとき、正解がないのがフラストレーションでした。それまでは答えがあるのが当たり前だったから。高校の先生に「大学は学問をしにいくところやで」っていわれたんですよ。それってどういうことなんだろうって思っていて。大学はなかなかなじめなかったんです。でもゼミはざっくばらんに話し合えるし、答えのないことを調べるのが、慣れてくると心地いいんですよ。はじめて大学って楽しいなって思えました。
〔「ナヌムの家」をおとずれて〕
坂下 「慰安婦」問題をめぐっては、いろいろな議論があって、その一つにこの制度をつくって運営したのは民間の業者だったのか、それとも当時の政府と軍だったのか、というのがありました。『従軍慰安婦資料集』(吉見義明編・大月書店)に政府の方針だったことを示す証拠文書がまとめられていて、論争の余地もないくらいはっきりしていることがわかりました。「慰安婦」は金もうけで売春したんだ、とか、戦争にレイプはつきものだ、とかいう議論もあるんですけれど、すごく感情的な意見が多いんですよ。実際に「慰安婦」だったと名乗りでているハルモニ(※)がおるのに、なんでそれをうそというんやろうと思って。おかしいじゃないですか。いてるのに、いてへんって。
※ハルモニ 朝鮮語で敬意をこめて「おばあさん」を呼ぶことば,この場合は元「慰安婦」の方のこと。
石川 ハルモニたちのことを,政治的な悪意をもった「職業的な発言者だ」と中傷する人もいるからね。
坂下 それはハルモニたちに会ったことがない人たちでしょう? 会ったら人としていえないですよ。そんな‥。
濱野 みんなでナヌムの家にいったやんか。私、ハルモニに会う前にむっちゃ緊張しててん。で、いってみたら普通のおばあちゃんだった。でも戦争は昔のことだと思っていたのに、目の前に「慰安婦」だった人が生きてここにいる。それで自分のなかで歴史がつながった感じがした。
石川 歴史館にいって再現された慰安所を見るあたりで,ふらふらと倒れてしまった学生がいた。歴史観のスタッフは日本からくる若い女性にはよくあることで、体がこれ以上実感することを拒もうとしているんだといっていた。それからナヌムの家にいった翌日の水曜集会(※)では「つないだ手がすっごいちっちゃくて‥、私もすごいちっちゃいけど、その私の手よりも、すごいちっちゃかった。その瞬間に、この人がされたこと、どんな屈辱やったんやろうって。私よりもちっちゃいハルモニの上に、おっきい軍人さんが何人ものっかっていったのかなって思うと、すごいイヤな気持ち、ほんまに胸が痛みます」といった大西さんの発言があった。本人も聞いてる人も泣かずにいられなかったけれど,ぼくはこのどちらにも「ああ、こういう感じ方をするんだ」と教えられた。
※水曜集会 毎週水曜日、日本政府の謝罪や補償を要求してソウルの日本大使館前で開かれている集会。
坂下 私もハルモニに会ったときは「普通の人やん」って思ったけど、あれだけのことがあったら自分は普通には生きられへん。普通に生きているのに,すごく力がいるんやと思った。
〔学びを自分の生き方にむすぶ〕
石川 かんじんなことは「昔ひどいめにあった人がいた」で終わらせないで、その問題を今の自分の責任と結び付けて考えてみることだった。老いたハルモニたちが毎週、1時間以上もクルマに乗って日本大使館に抗議しに行く。それをさせる怒りと痛み。それをかかえたハルモニたちに謝罪しない今の日本の政治と,自分たちはつながっている。だってわれわれはこの国の主権者なんだから。そうやって政治や社会と自分を結んでとらえる思考が育てられるかどうかが学びの重要なポイントになる。
そういえば濱野さんは「神戸女学院大学9条の会」を立ち上げた最初のメンバーの1人だよね。
濱野 先生が授業で「9条の会」のことをしゃべっていたんですよ。それで私たちもやろうよって西村さんに声をかけられて。
石川 日米経済関係の授業の最後に「アメリカは日本の憲法を変えようとしている」「すでに自民党の改憲案(たたき台)も出ている」という話をしたんだね。あわせて「9条の会」という,みんなからみたらおじいちゃん,おばあちゃんの年齢の人たちが日本の平和を守ろうと立ち上がっている、それに呼応して全国に「9条の会」ができているという話だった。そうしたら学生の一人が,ぼくのところに走ってきて「9条の会は私たちでもつくれますか」って聞いたらしい。それがいっしょにこの本をつくった西村さんだったらしいけど,ぼくは全然覚えていない(笑い)。
濱野 「だれでもつくれるよ」といわれたので早速ホームページをつくったんですよ。
石川 そのあと君たちは、あっという間に兵庫県の「イラク戦争開戦一周年集会」の実行委員会に入って、会の結成から2ケ月もたたないのに集会では「神戸女学院9条の会」のプレートを出して,テントの一角をまかされていた。川元さんもテントにいた。まわりのテントの大人たちも喜んでいたけど、あれはぼくにとっても驚きだった。学生たちにはさまざまな社会問題にとりくむ力があるし、その力は短期間に育つものだということを教えられた。
濱野・川元 へえ~,そうだったんですか。
石川 話をもどすけど,この本はささやかではあっても「教室と現実社会をつなぐ学び」の実践の本になっていると思うし、「今どきの若者」にも大きな変化がつくれるんだと,教師仲間に向けて一石を投ずる本にもなっていると思う。
〔ふりかえってみて,そしてこれから〕
坂下 ゼミで学んだことは、まず自分がいいたいことを頭のなかでまとめるくせがついたこと。聞かれたことには誠実に答えたいと思うし、知らないことは調べる。そして人の意見に耳を傾ける柔軟性を身につけることができたと思います。就職したら、直接に「慰安婦」問題にかかわることはないかもしれないけれど,でももし話す機会が与えられたら、この経験をみんなに聞いてほしいと思っています。
川元 自分が変わった、という実感はあまりありません。それがわかるのはきっともっと先のことなんだと思います。でも私はこのゼミに入っていなければ選挙にもいかなかったし、韓国語がうまくなりたいとも思わなかったと思う。いまは自分で地域のことを知ろう、もっと政治にかかわろうと、いろいろなことを考えているんですけれど、それをまわりの人に伝えていけるくらい変わりたいな、と思っています。
石川 3月にはみんなは卒業だけど,何が本当のことかを徹底して自分のあたまで考えるという体験は今後の君たちの大きな力になると思う。この大学には「9条の会」があって、平和憲法を投げ捨てる国づくりでいいのか、ということを考える場所がある。卒業して社会人になっても、「9条の会」は地域や職場、行く先々にたくさんあるので,そういうところで力をいかしてほしい。もちろんよりましな社会づくりのためには,職場の労働条件など,他にもいろんなことを考えていかねばならないだろうけど。ぼくは君たちのような若い世代に希望と可能性をたくさん感じている。もっともっと大きな人間をめざして育ち,しっかり生きてほしいと思う。
〔追記〕
今年も石川ゼミは「ナヌムの家」を訪れ,「水曜集会」に参加してきました。9月11日から14日までの日程でした。この旅行の詳しい内容は,私のブログにたくさんの写真とともに紹介してあります( http://walumono.typepad.jp/ )。ぜひご覧ください。(石川)
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