人口変動とマルクスの資本主義分析
2006年5月24日
神戸女学院大学・石川康宏
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1・人口の変動と社会のメカニズム
2005年から日本はいよいよ人口減少の社会となった。合計特殊出生率が1.25となり,また出産期の人口そのものが減少していることから,総人口の減少は加速度的に進むと見込まれている。今日の1億2000万人の人口は,後掲図表にあるように,2060年には約6000万人に半減するとの予測もある。加えて人口構成にしめる高齢者比率の上昇がつづき,経済活動や社会生活,年金や医療を支える財政問題にも大きな影響が出る。ここで現代日本の少子化を考える時,正確にとらえておくべき第一の点は,あまりに急なこの変化の速度の問題である1)。
第二に,少子化や人口減少は先進国に共通の現象だが,少なくない国が直接・間接の対応策をとる中で,日本は出生率の低下に一向に歯止めがかからぬ例外的な社会となっている。それが日本の人口減少に格別に急速な変化を生み出す中心的な要因となっている。表①の限りでは,日本と同じく急速な少子化が注目されたイタリアをふくめ,日本以外のすべての国が一度は出生率低下の底を打っている。もちろんいずれも人口置換水準の2.1にはもどっておらず,少子化そのものの逆転が実現されているわけではない。とはいえこれらの国は,出生率の一路低下をゆるさぬ社会的な力の形成に一定の実績をもっている。毎年出生率低下の記録を更新しつづけている日本には,いまだその力が生み出されていない。これもまた現代日本における少子化を考える際の重要な論点である。
第三に,2005年版『国民生活白書』によれば,日本で結婚している夫婦が回答する「理想の子ども数」は2002年で2.56人である。だが,比較される数値に若干のタイムラグはあったとしても,今日の実際の出生率はその半分以下となっている。個々人の願いを越えて,社会の制約が出生率低下に大きな役割を果たしていることは明らかである。実際,「子育てをめぐる社会環境の国際比較」を行う図①は,①雇用機会の均等度,②家庭内役割分担の柔軟性,③子育て費用の軽減などの点に,日本社会がはらむ格別に大きな課題があることを示している。そうした客観的な困難が「子どもはいらない」という意識をさらに広める土壌としても働いていよう。この社会環境の劣悪さの根底に,過度の大企業中心主義による,「先進国」とはいいがたい劣悪な労働条件や社会保障の貧しさがあることについては,多くの指摘が行われている2)。特殊に急速で歯止めのかからない日本の少子化傾向には,これからどういう社会を建設していくかという政治のビジョンの拙さが現れているといっても良い。
以下では,こうした日本の現状を念頭しながら,人口変動と資本主義社会との内的関係を,人口論の諸研究に学びながら,やや原理的に探ってみたいと思う。そもそも,いまなぜ先進国に共通して出生率低下の現象があらわれているのか。その一方で,なぜ途上国では「人口爆発」が継続し,地球人口を100億にさえ近づけようとしているのか。こうした問題を考えるには,そのような変化を生み出す社会の内的メカニズムが問われねばならない。また地球環境や水・エネルギーなどの資源と人類の数の適正なバランスという問題も,科学技術や社会のあり方――何を目的として,何を発展の主たる原動力とするかという社会の質の問題――を視野に含めて論じる必要がある。人口と社会というテーマは科学的社会主義・マルクス主義の学問にとって多くの先行研究がある分野ではない。しかし,現実が新たな解明と開拓を求める分野であることはまちがいない3)。以下,特にマルクスの「人口」論をヒントに若干の問題提起を行ってみたい。
1)地球物理学者の松井孝典氏は,人口研究者である大塚柳太郎・鬼頭宏両氏との討論の中で,「社会科学関連のいろいろな話しで一番の問題は,時間という概念が入っていないことではないかと思うんですね」「環境問題を議論しようとしたら変化率,時間変化を入れなきゃいけない。人口減少にしても,100年という人間の寿命に対して適応可能な穏やかな変化なら,ぜんぜん問題にならないわけでしょう。100年とか,これより短い時間でドラスティックに変わることこそ,問題の本質なんでしょう」(大塚柳太郎・鬼頭宏『地球人口100億の世紀』ウェッジ,1999年,大塚・鬼頭氏との討論「人間圏の限界と『人口』の意味」176ページ)と述べている。社会科学に時間の概念が「入っていない」とは思わないが,しかし,変化の速度に対する注意をより深めよという指摘は重要なものだと思う。
2)たとえば広井暢子氏の「少子化社会克服の道はどこにあるか」(『前衛』2006年6月号)は,ヨーロッパと日本の労働政策・家族政策の相違の影響解明に力点をおき,日本の社会構造をどう変えるべきかをていねいに論じている。
3)経済学者の林直道氏が,日本の高度経済成長を分析しながら,それを可能にした重要な要因の一つとして「人口動態の劇的変化」をあげている。これは,数少ない先駆的な挑戦の一つといえよう。『現代の日本経済〔第5版〕』(青木書店,1996年)他。
2・歴史の中の人口変動
まず人類史的視野で見た人口変動の経過を簡単に確認しておきたい。湯浅赳男氏は『文明の人口史』(新評論,1999年)の中で,「狩猟採集」を主とした原始社会における地球人口の変化について,次の数字を紹介している(33ページ)。①200万年前(12万5000人),②30万年前(100万人),③5万年前(200万人),④1万年前(1000万人)。もちろんいずれも推計であり,数字の誤差は小さくないのであろうが,それでも人口増の速度が年を下るにつれて急速な上昇を見せていることは良くわかる。①から②への人口の8倍化に必要とされた時間は170万年だが,これに対して③から④への人口5倍化に要した時間はわずか4万年と短縮されている。
同じ傾向は,現代に近づくほどに一層顕著となる。表②には西暦元年以後の年平均人口増加率が示されているが,それは一貫して上昇を続けている。同じことは大塚柳太郎氏が世界の人口推移について示した図②や,総合研究開発機構(NIRA)がまとめた図③の日本の人口の長期的変化にも現れている。大局的に見て,世界でも日本でも,歴史の前進とともに人類が増加の速度を上げてきたことはまちがいないようである。
次に重要な問題は,この大局的な人口増の加速化傾向が,いつでもなだらかな姿をとって現れたわけではないという点である。人口研究の専門家たちは,長期的な人口増加の歴史の中に,いくつかの段階的な変化があるという。例えば図④を示しながら,先の大塚氏は人類社会に歴史上大きく4つの人口急増期があったという。「第一の急増期は,人類の祖先が誕生の地であるアフリカからユーラシアに進出したころである。第二の急増期が農耕の開始にあたっており,それぞれの時期における増加の程度という点では最も顕著であった。そして,第三の急増期はヨーロッパ諸国を中心とする人口転換の開始,最後の急増期は途上国における人口転換の開始を反映している」と1)。
この文章に登場する「人口転換」(あるいは人口革命)とは,出生率・死亡率がともに高い「多産多死」の社会から,両方の率が低位に落ち着く「少産少死」の社会への,人間社会の移行過程のことである。その開始の時期は,資本主義形成の時期に合致している。「少産少死」を特徴とする社会への移行にもかかわらず,それが人口の急増をもたらす謎は格別複雑なものではない。この転換は第一に死亡率の低下として始まり,これに第二の出生率の低下が遅れてつづく。その結果,両者の間に時間のズレが生まれ,死亡率は低下したがまだ出生率が低下しない「多産少死」の過渡期が生まれる。それがいわゆる「人口爆発」を出現させる原因となるのである。
日本の人口史を研究する鬼頭宏氏は,図⑤を示し,その点線によって区切られた4つの歴史段階に,4つの異なる「社会文明システム」の存在を見る。その内容を整理したものが表③である。氏によれば「日本列島の人口は,過去一万年間に四回の成長と停滞を繰り返しながら,波動的に増加してきた」。第一の波は縄文システムの展開とともに生じたものである。ただし,このシステムは自然環境の影響に左右されるところが大きく,平均気温が低下しはじめた縄文前期以後には,関東と中部で「人口が激減」することになる。弥生時代以降の第二の波は,水稲農耕化システムの展開によって生み出されたものである。この時期には大陸からの渡来者も多かった。しかし,平安時代に入ると,「可耕地の減少,荘園経済化による成長誘因の欠如,それに気候変動(温暖化にともなう乾燥化)」等の要因により,人口の成長が鈍化する。第三の波は14・5世紀から江戸前期に連なる経済社会化システムによって生み出されたものである。ここでいう経済社会化とは市場経済の大きな発展のことである。室町時代は日本の市場経済が,ようやく内発的に貨幣を必要とするにいたった段階であった。しかし,土地に基礎を置く経済の限界という形で,18世紀には人口増が停滞していくことになる。第四の波は工業化システムへの転換によるもので,この時期には人口の規模増大だけではなく,年齢構成,職業構成,世帯や家族の規模と構造など,前工業化期の人口特質とは異なる様々な特徴が生まれてくる。今日我々が直面している少子化は,大局的にはこの工業化システムの「成熟」によるものであり,これはより新しい社会経済システムへのいわば潜在的な移行期だと位置づけられている2)。
資本主義の形成にともなう「人口転換」の歴史を,もう少し詳しく見ておきたい。まず資本主義への移行が最も早かったイギリスについてである。イギリスにおける死亡率の低下は,産業革命の開始直前の1750年頃から始まっている。その第一の要因は,産業革命に先行した農業革命による農業生産性の上昇と食糧供給の安定化であり,第二の要因が1880年代以降に広がる保健医療の進歩の貢献である。他方で,出生率の低下は同じく1880年代頃に開始される。その要因としては,農業社会から工業社会への移行にともなう労働力としての子どもの価値の低下,核家族化による子育ての困難の拡大,死亡率低下への社会的認知などがあげられる。両方の率が比較的近いレベルに落ち着く1930年頃にはイギリスにおける「人口転換」は終了したとされている3)。
より広く世界を見ると,「人口転換」はヨーロッパでは1900年代前半に終わり,アジアも今日全体として終わりに近づいている(インドの出生率は3.4,南アジアで3.6,東アジアで1.8)。またアフリカでの「人口転換」の終了は2060年頃と見込まれており(現在のアフリカの出生率は5.6,うち西アフリカ6.4),その結果,地球人口は先進国の少子化にもかかわらず,全体としてはしばらくの「人口爆発」をつづけ,2100年には100億人程度になるとの予測もある4)。なお,途上国全体の出生率は,1950~55年の6.17から1990~05年の3.30へすでに急速に低下しており,2015~20年には2.50にまで低下の見込みである5)。
次に,日本の「人口転換」についてである。18世紀半ばから明治・大正までの出生数は5人程度と安定していた。明治に入ると,特に都市部の労働・生活条件の悪化により出生率・死亡率が,ともに一時的に上昇する。しかし1920年頃には両率の低下がはじまり,大正生まれの女性から出生数が減り始める。1925年に5.11だった出生率は,1940年には4.11に下がる。侵略戦争中の1941年には,人口および出産を直接的な国家管理のもとにおこうと,「産めよ殖やせよ」の「人口政策確立要綱」が閣議で決まる。しかし,出生率がわずかに上がったところで日本は敗戦を迎える。戦後1947年から49年にかけて,敗戦と兵士の復員によるベビーブームが起こり,ここに「団塊の世代」が誕生する。この時の出生率が4.3である。そして図⑥に見られるように,それが50年代前半に驚くほどの急落を見せ,人口置換水準の2.1をあっと言う間に割り込んでいく。この過程で,48年の「優生保護法」が中絶を合法化していくが,実際にも55~61年には妊娠の4割以上が中絶されたという(公的統計の限りで)。1970年代は「団塊の世代」の出産期となり,第二次ベビーブームが生み出される。しかし,それでも出生率は上昇せず,以後今日まで,直線的で急速な出生率の低下がすすんでいる。第二次ベビーブームで生まれた世代はすでに出産適齢期に入っているが,第三次のベビーブームは到来しないままとなっている6)。
なお先進国を中心に,すでに少なくない国が人口置換水準を割り込んでいる。国連の推計によると,それは2005年時点で65の国・地域に及んでいる。地球人口65億人のうち,それらの国・地域は28億人(43%)が暮らす地理的範囲となっている7)。図⑦を見ても,あげられた7ケ国のいずれもが,1960年代から70年代にかけて,一斉に人口置換水準の2.1を割っており,その後,安定して2.1以上を回復している国はない。この図の限りで例外となりうるのはアメリカだが,表①のように2003年のアメリカの出生率は2.04に下がっており,いまだ安定した回復というには不安が残る。こうして相当に広範囲にわたって生まれている,死亡率が出生率を継続的に上回る現象は,近年「第二の人口転換」と呼ばれている。表④は,第一と第二の「人口転換」を整理したものである。
1)大塚柳太郎「人類生態学からみた人口」(大塚/鬼頭・前掲)66ページ。
2) 鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫,2000年)252~257ページ。
3)大塚・前掲「人類生態学からみた人口」55~59ページ。
4)大塚・前掲討論「人間圏の限界と『人口』の意味」150~160ページ。
5)大塚・前掲「人類生態学からみた人口」62~63ページ。
6)鬼頭宏「人口減少のメカニズムと先進国の行方」(大塚/鬼頭・前掲書)84~91ページ。鬼頭宏「経済教室・次世代育成は百年の計」「日本経済新聞」2006年5月18日付。
7)土谷英夫「少子化が地球を救う」「日本経済新聞」2006年5月22日付。
3・マルクスの人口分析(1)――生産様式と人口法則
人口と社会の関係を考えるとき,今なお話題になるのはマルサスの『人口論』(1798年初版)である。それはイギリスの「人口転換」が開始された直後の著作であった。ただし,マルサスは人口と社会の相互に依存する内的関係ではなく,むしろ次のように独立した両者の外的関わりを論じている。人口が幾何級数的に増加するのに対して,食糧は等差級数的にしか増えない。その結果,食糧に対する人口の絶対的過剰が生まれ,これが労働者たちの貧困の源となる。救貧法による貧困者の救済は,彼らの勤労意欲を低下させ,さらなる人口増を刺激し,結果として貧困を増加させることになる。したがって救貧法は廃止されるべきである。貧困問題の真の解決は,人口増を抑止する道徳的抑制を労働者たちに普及することである。初版から第6版にかけ,マルサス『人口論』の主張には力点の相違が生まれていくが,食糧の生産と労働者人口の変化を,このように互いに独立して変動する数値ととらえたことには変更がない1)。
こうしたマルサスの議論には,すでに紹介した人口論の専門家による批判がある。たとえば大塚氏は次のように述べている。①19世紀ヨーロッパの食糧増産は人口増を超えていた,②ヨーロッパの人口は幾何級数的には増えなかった,③マルサスの議論は運命論的であり,技術革新や社会システムの変革の重要性を軽視している,④貧困層ほど逆に多産だという傾向がある,⑤人口と食糧の直接的な関係に固執せず,地球の資源や社会(人間圏)システムとの関わりのなかで人口問題を論ずるべきである2)。
さらに,早い段階でマルサスの批判を行っていたのはマルクスである。マルクスは食糧生産と労働者人口を相互に独立したものではなく,資本主義的生産関係のもとで内的に不可分の関係におかれているものとした。マルサスが食糧生産に対する労働者人口の「絶対的」過剰を論じたのに対して,マルクスがその過剰を「相対的」だとしたことの意味の根本はそこにある。人口変動を資本主義の社会システムと不可分なものとしてとらえるマルクスの問題意識は,先の大塚氏のマルサス批判にも重なるものといって良い。以下,『資本論』によってマルクスの人口論の大枠を整理してみる。
第一にマルクスは「人口法則」が自然的永久的なものではなく,歴史的に変化するものであることを強調している。「第2版あとがき」で「マルクスは,人口法則がすべての時代,すべての場所で同一であるということを否定する」(新日本出版社上製版,第1部,27ページ,以下部数とページ数のみ)と,カウフマンによるマルクス評を肯定的に引いている。
また本文では次のように述べている。「労働者人口は,それ自身によって生み出される資本の蓄積につれて,それ自身の相対的過剰化の手段をますます大規模に生み出す。これこそが,資本主義的生産様式に固有な人口法則であって,実際に歴史上の特殊な生産様式は,いずれも,その特殊な,歴史的に妥当な人口法則をもっているのである。抽象的な人口法則というものは,人間が歴史的に介入しない限りにおいて,動植物にとってのみ実存する」(第1部1080ページ)。
マルクスの「生産様式」と先に見た鬼頭氏の「社会文明システム」には概念自体の相違があるが,それにもかかわらず両概念をもちいた具体的な日本史の段階区分には,かなり密接な対応関係がある。そこにはおそらく,一方で,人類史を生産様式の交替の歴史ととらえるマルクス(主義)の歴史観の有効性が示されており,他方で,最新の人口史研究に照らした生産様式概念のさらなる錬磨の可能性が示されてもいる。
第二に,マルクスはマルサスを批判し,資本主義における資本の大きさと労働者数の関係が,互いに独立したものではないことを主張する。
マルサスは「下僕として保守的利益に仕えていたため」,搾取が「労働者階級の大きな部分を『過剰』にせざるをえないということを,見るのをさまたげられた。この『過剰人口』を,自然の永久的法則から説明することは,資本主義的生産の単に歴史的な自然法則から説明するよりも,もちろんずっと便利」(第1部900~1ページ)である。
マルクスのマルサス評は,その学問に対する誠実さという点できわめて厳しいものとなっている。理論的には,ここでマルサスが資本主義を歴史的な存在ではなく,永遠の自然的社会ととらえていることへの批判が行われている。
「いわゆる『自然的人口法則』の基礎に横たわる資本主義的生産の法則が帰着することは,単に,資本,蓄積,賃金率の関係は,資本に転化された不払い労働と,追加資本の運動に必要な追加労働との関係以外のなにものでもない,ということでしかない。したがってそれは,一方では資本の大きさと,他方では労働者人口の数という,互いに独立するふたつの大きさのあいだの関係では決してなく,むしろ結局は,同じ労働者人口の不払労働と支払労働との関係にすぎない」(第1部1064~65ページ)。
「むしろ資本主義的蓄積が,しかもこの蓄積の活力と大きさに比例して,相対的な,すなわち資本の中位の増殖欲求にとって余分な,それゆえ過剰または追加的な労働者人口を絶えず生産する」(第1部1079ページ)。
「マルサスは,その偏狭なやり方に従って,過剰人口を労働者人口の絶対的な繁殖過剰から説明し,相対的な過剰化からは説明していないのである」(第1部1086ページ)。
つまりマルクスによれば,①資本の大きさと労働者人口は外的に独立した存在ではなく,「資本主義的生産の法則」が内的に結びつける密接不可分の関係にある。②そして,その内的関係自体が「資本の中位の増殖欲求」に対して,過剰な労働者人口をいつでも用意しておくことを含んでいる。もしそうでなければ,資本の「蓄積の活力と大きさ」に応じた「追加的」労働力に対する周期的な必要は満たされず,景気の循環が成り立たなくなってしまうからである。③それゆえ,景気変動の周期に応じてしか資本に吸収されない「過剰人口」(貧困者層)は,資本主義の生産関係によってつくられたものであり,「絶対的な繁殖過剰」といった抽象的な「自然的人口法則」から説明されるものではない3)。
1)マルサスは『人口論』(初版)の第2章を次のように始めている。「人口は,さまたげられないばあい,等比数列において増大し,人間のための生活資料は等差数列において増大すると,わたくしはのべた」「この命題が正しいかどうかを,検討しよう」(永井義雄訳『人口論』中公文庫,1973年,26ページ)。なおマルサス研究者の手になる次の著作には,残念ながらマルクスからの批判についての正面からの検討は存在しない。橋本比登志『マルサス研究序説』(嵯峨野書院,1987年),中西泰之『人口学と経済学』(日本経済評論社,1997年)。
2) 大塚・前掲「人類生態学からみた人口」50~60ページ。
3) ただし,資本主義はその形成の最初から「過剰人口」を自由に利用することができたわけではない。機械制大工業が成立する以前の初期の資本主義は,次のような労働力不足に直面していた。「毎年,前年よりも多くの労働者が就業させられるのであるから,遅かれ早かれ,蓄積の欲求が労働の普通の供給を超えて増大しはじめる時点,したがって賃金上昇が起こる時点が到来せざるをえない。このことにかんする苦情の声が,イギリスでは15世紀中および18世紀前半を通じて鳴り響いている」(第1部1050~1051ページ)。
4・マルクスの人口分析(2)――「人口転換」と階級構成
第三に,しかし,マルクスの労働者人口論は「相対的過剰人口」論に限られるものではない。何よりマルクスは,資本蓄積の進行が労働者人口の増大を不可避とすることを指摘している。
「労働者階級の不断の維持と再生産は,資本の再生産のための恒常的条件である。資本家はこの条件の実現を,安心して労働者の自己維持本能と生殖本能にゆだねることができる」「社会的観点から見れば,労働者階級は直接的な労働過程の外部でも,死んだ労働用具と同じように資本の付属品である。彼らの個人的消費でさえも,ある限界内では,ただ資本の再生産過程の一契機でしかない」(第1部977~979ページ)。
「資本主義的生産過程は,同時に,本質的に蓄積過程である」「生産諸手段のこの増大には,労働者人口の増大が含まれている。すなわち,過剰資本に照応する――しかも一般につねにこの資本の需要をも超える――労働者人口の創出,それゆえ過剰労働者人口が含まれている」(第3部369~370ページ)。
資本の蓄積(拡大再生産)は,労働者階級の維持と再生産,労働者人口の増大を不可避とする。したがって,資本主義のもとでの生産力の発展は,結果として労働者人口を増大させるばかりでなく,自ら進んで必要な人口増を保障していくものともなる。それを可能にするのが労働者家族に対する「労働力の価値」の支払である。
労働力の維持と再生産を安心して「自己維持本能と生殖本能」にゆだねることができるのは,労働者とその家族に対する必要最低限の生活保障が行われているからである。そこで資本が労働者に支払う「労働力の価値は,労働力の所有者の維持に必要な生活手段の価値」だけではなく,「補充人員すなわち労働者の子供たちの生活諸手段を含む」ものとなる(第1部291~3ページ)。資本はそれをいつでも必要最低限にとどめようとするが,最低限ではあれその支払は何より資本にとって不可欠なものである。
ただし労働者人口の増大は,つねに社会全体の人口増に直結するわけではない。資本主義は労働者人口を,農民など他の階級の分解をつうじて生み出すことができ,したがって,社会の人口増を超える速さで労働者階級を生み出すことができるからである。
第四に,マルクスは賃金の高低と労働者人口の変化の関係についてもふれている。
「出生数および死亡数だけでなく,家族の絶対的大きさも,労賃の高さに,すなわち労働者のさまざまな部類が使用できる生活諸手段の総量に,反比例する。……この法則は,個体としては弱い,絶えず狩り立てられる動物の種の大量再生産を思い起こさせる」(第1部1100~1ページ)。
賃金の上昇による生活の安定が,労働者家族の出生数・死亡数を低下させるというのである。これは先の大塚氏によるマルサス批判が含んだ,貧困層ほど多産であるとの指摘に合致するものであり,また資本主義への突入によって第一に死亡数の低下が起こり,つづいて出生数の低下が起こるという「人口転換」のメカニズムにも直接にかかわるものとなっている。歴史的にはマルサス同様マルクスも,「人口転換」における出生数低下の現実を十分に見ることはできなかった。しかし,その事実は,逆にマルクスによるこの分析の先駆性を浮き立たせるものとなっていよう1)。
第五に,マルクスは労働者階級が「短命」であるという,この階級に独自の「法則」について述べている。
「われわれは,大工業の労働者こそもっとも短命であることを知る。『マンチェスターの衛生官吏リー博士が確言したところでは,マンチェスター市においては富裕階級の平均寿命は38歳であるが,労働者階級のそれは17歳でしかない。リヴァプールでは,前者のそれが35歳で,後者のそれが15歳である。したがって,特権階級は,より恵まれないその同市民たちより2倍以上の長命をもっていることになる』。こうした事情のもとでは,プロレタリアートのこの部分の絶対的増大は,その構成分子が急速に消耗するにもかかわらずその数が膨張するという形態を必要とする。すなわち労働者世帯の急速な交替。(この法則は人口中の他の諸階級には妥当しない)。この社会的必要は,大工業労働者の生活環境の必然的結果である早婚によって,また労働者児童の搾取が労働者児童の生産につけるあの褒美によって満たされる」(第1部1098ページ)。
ここには人口法則を,具体的現実の具体的分析に即してとらえようとするマルクスの姿勢が良くあらわれている。新たな実証による裏付けが必要だが,おそらく20世紀における労働者たちの一定の生活改善の獲得は,先進国におけるこの「短命」の法則の失効をもたらしつつあり,他方,途上国においては,今日でもこれが人口分析の重要な視点の一つとなりつづけているのであろう。
第六に,マルクスは,資本主義の発展が,社会の内的編成における非農業者比率を高めることを強調する。「資本主義的生産様式が農耕人口を非農耕人口に比べて絶えず減少させるということは,資本主義的生産様式の本性に根ざすことである。なぜなら,工業においては……不変資本の増大は,可変資本の相対的減少をともないながらも,その絶対的増大と結びついているが,これにたいして,農業においては,一定の地片を利用するために必要な可変資本は絶対的に減少するのであり,したがって可変資本が増大しうるのは,新たな土地が耕作される場合にのみ限られるのであるが,これはまた,非農業人口のさらに大きな増大を前提するからである」(第3部1125~26ページ)。
以上,主だった論点を抜き出してみた。確認しておきたいのは,人口をめぐるマルクスの議論が,何より資本主義における人口変動を,内的な構成の変化もふくめて,一般的な自然法則からではなく資本主義に固有な生産関係から分析しようとするものになっていることである。それは労働者の中の格別の貧困層を「相対的」過剰人口として分析するだけでなく,労働者人口の増大を資本蓄積の不可欠の条件ととらえ,他方で,大局的には賃上げによる生活改善が労働者階級の死亡数と出生数の低下につながることを説いている。これらは今日の人口研究の成果に大きく重なり,それだけでなく社会システムと人口変動との関係を具体的に分析したものとして,その成果を精緻に補強する役割さえ果たしうるものとなっている。
他方で,資本蓄積が飛躍的に発展した20世紀の独占資本主義段階に,「少産少死」への「人口転換」が完了していく謎についても,マルクスは「資本の有機的構成の高度化」という重要な解明の指針を与えている。生産設備の発展によって,資本蓄積に必要な可変資本(労働力)比率の相対的な縮小がもたらされる。それによって「有機的構成の高度化」は,巨大な蓄積を継続する先進国に,少子化を可能とする物的基盤を与えるものとなる。こうしてマルクスの資本主義分析の成果をいかし,その後の資本主義の歴史的変化と「第一・第二の人口転換」を全面的に研究していく作業は,今日の人口変動の解明に当たり大きな役割を果たすものとなろう。
なお,表⑤は,戦後日本における労働力人口の構成変化を示すものである。1950年から2000年にかけて,労働力人口は1.8倍に増加するが,その間に労働者階級の人口は3.8倍となっている。これを可能とした主な要因は,マルクスがすでに指摘していたように,社会全体の人口増ではなく自営業者層とりわけ農林漁業従事者の階級分化である。特に高度成長期には,農村から都市への労働力移動が政策的にも追求された。
表⑥は,今日,日本の他,アメリカ・イギリス・ドイツにおいても,労働者階級が労働力人口の約8割を占めるに至った事実を示している。社会内部での労働者階級とその家族の比率の増大は,社会全体の人口変動における労働者人口の変動の影響を大きくする。この現実は現代社会の人口分析におけるマルクスの労働者人口論の役割を高めるものであり,今日の人口研究において,マルクスが根底にすえた階級関係という社会分析の視角をますます重要とさせるものである2)3)。
1) マルクスには,賃金の上昇が労働者人口の増加をもたらすという次のような指摘もある。しかし,これは資本主義が内部にどのようにして相対的過剰人口をつくり出すかのメカニズムを分析した文章の一部であり,賃金上昇が労働者人口の変化全体に与える大局的な影響を論じたものではない。「過剰資本の,それの指揮下にはいる労働者人口に比べての一時的過剰は,二重の仕方で作用するであろう。それは,一方では,労賃の高騰によって,それゆえ労働者の子女を激減させ絶滅させる諸影響の緩和と結婚の容易化によって,次第に労働者人口を増加させるであろうが,しかし,他方では,相対的剰余価値を創造する諸方法(機械の採用および改良)の使用によって,さらにはるかに急速に人為的な相対的過剰人口を創出するであろう――この相対的過剰人口は,それはまたそれで(というのは資本主義的生産では貧困が人口を生み出すから)実際の急速な人口増加の温室になるのであるが」(第3部370ページ)。
2)松井氏は前掲討論「人間圏の限界と『人口』の意味」で,次のように述べている。「ということは,人口学にかかわるさまざまな分野の人が集まって,これからの人口論をつくることは重要だし,何かできるんじゃないかと思うんですが,どうですか。マルサスの時代というのは,マルクスの時代,ダーウィンの時代にも重なっているわけですよね。お互いにそれぞれ影響を及ぼしている。ということは,今の時代でそれらを全部含めた新しい議論があってしかるべきではないか」「今こそグローバルな意味で本質をとらえれば,相互に関連しあった議論ができると思う」(202~203ページ)。人口についての学際的な研究が必要であり,その中にマルクスのような社会関係の研究がふくまれるべきとのこの認識は重要である。
3)速水融氏は日本における歴史人口学の形成の過程を振り返りながら,次のように述べている。「1960年代当時の日本の学会では,まだいわゆるマルクス主義の歴史観・経済史観が強く,私の場合はそうではない上に,テーマが人口ということもあって(マルキシズムで取り扱うのはいわゆる過剰人口で,歴史人口学のような研究自体行わない),経済史家のあいだからはあまり反響がなかった」(速水融『歴史人口学で見た日本』文春新書,2001年)。かつての歴史学会への評価の当否は私にはわからないが,ここにまとめたような人口をとらえるマルクスの視野の広さからすれば,速水氏によるこうした「マルキシズム」への評価は大変に残念なものといわねばならない。
6・資本主義的人口法則の社会的制御に向けて
冒頭に見たように,少子化は今日の先進国に共通した現象となり,それは「第二の人口転換」とも呼ばれている。直接の要因にあげられているのは,未婚化・晩婚化の進行,離婚率の上昇など,結婚や出産にかかわる「文化」の変容の問題である。個々の論点の当否についてはさらに検討が必要だろうが,大きく見ればこれらの背後にあるのは,女性の再労働力化による家族の生活スタイルの変化と,本来それに応じて必要とされる労働と子育ての両立を可能とする施策整備の遅れという事情であろう。この社会的条件の未整備は,経済的自立や時間のゆとりの喪失をもたらしかねないものとして,結婚に対する女性の価値観の変化にも深い影響を及ぼしている。最後に,この問題を資本主義の歴史的発展とのかかわりで,まとめておきたい。
第一に,資本主義は子育てを支える旧来の社会的条件を掘り崩していく。封建制から資本主義への移行の中で,農業経営に典型的な家族による共同労働が解体され,生産手段を失った農民たちは賃労働者へと転化していく。それにより職住一致の生活条件は失われ,都市工業地帯への移住が家族の規模を縮小させ,さらに地域の共同体的結合を希薄なものへとつくりかえていく。こうして資本主義の発達は,多くの大人の間接直接の協働を背景にもったそれまでの子育てを,もっぱら個々の家族の力に任せるものへと変化させる。
第二に,この新しい家族の中で子育ての中心的な担い手となるのは,同じく資本主義が生み出した「専業主婦」である。生産手段の集中による職住の分離は,「家」を仕事から切り離された純粋にプライベートな「家庭」につくりかえていく。19世紀には,もっぱらこの家庭の管理に専念する専業主婦が,夫の所得の高い世帯に誕生する。「男は仕事,女は家庭」という「近代家族」の発生である。これが20世紀には一般のサラリーマン世帯を含む,すべての社会領域に広がっていくことになる。しかし「近代家族」の寿命は短く,20世紀の後半には高度成長による労働力不足や,その終焉による男性賃金上昇の頭打ち,また経済的・人格的な自立を求める女性の願いなどを原動力に,早くも解体の過程を進むことになる1)。
第三に,こうした専業主婦の減少と働く女性の多数化は,当然のことながら子育てを支える新しい社会的条件を必要とする。核心は,仕事における男女平等の推進,子育てのゆとりを保障する男女共通の労働時間短縮,出産休暇や育児休暇の充実,両親の労働と子どもの豊かな成長をともに保障する公的保育の拡充,児童手当など子育てへの家族負担の軽減といった諸施策である。だが,これは利潤追求を根本原理とする資本の論理から,自動的に生まれ出てくる施策ではない。そこで,これらの実現には労働運動や市民運動など社会の力による大企業や政府への外的強制が必要となる。冒頭に紹介した,日本とヨーロッパでの少子化に対する社会的抵抗力の格差は,実は,ゆとりある労働と豊かな社会保障を求めるこの社会的な力の格差によっている。より一般的にいえば,それは資本主義の「ルールある経済社会」としての成熟度の格差ということである2)3)。
第四に,世界には,まだこの少子化傾向の制御に本格的に成功している「先進国」はない。「第二の人口転換」ともいわれる少子化の傾向は,資本主義的人口法則の「先進国」における現段階的な現れといえようが,活力ある経済の維持とその一層の発展を願うなら,利潤第一主義の一定の抑制にもとづく「ルールある経済社会」づくりをさらに先へ進める他に活路はない。21世紀はこのような意味においても,資本主義の大きな変化が避けることのできない時代となっている4)。
1)「近代家族」の形成過程や,プライベートな空間という外観のもとに労働力の維持と再生産が行なわれる労働者家族の社会(公)的機能については,拙著『現代を探求する経済学』(新日本出版社,2004年),「『資本論』の中のジェンダー分析」(鰺坂真編著『ジェンダーと史的唯物論』学習の友社,2006年)などを参照のこと。
2)2006年5月14日,川崎厚労相は千葉市でのタウンミーティングで,2050年の出生率を1.39にまで「回復」させる考えを明らかにした。また日本経団連「産業界・企業における少子化対策の基本的取り組みについて」(2005年5月10日),経済同友会・人口減少社会を考える委員会「個人の生活視点から少子化問題を考える」(2005年3月)なども示されている。しかし,いずれも労働者の低賃金を進める「労働力流動化」政策の転換は提起できず,反対に社会保障支出の削減や消費税増税による労働者家族の生活圧迫を深めるものとなっている。日本経団連「欧州統合と日欧経済関係についての基本的考え方」(2006年4月18日)は,「日欧は少子化・高齢化問題を抱えているが、日欧が工夫を凝らしながら、互いの制度の利点と経験を学び合うことは有用である」と述べている。もし本気でそれをいうのであれば,何より自由競争の欠陥を「連帯」の力で補おうとするEU諸国の「社会的資本主義」の理念と努力にこそ学ぶべきである。
3)日本とヨーロッパ諸国との子育て支援政策の格差については,汐見稔幸編著『世界に学ぼう! 子育て支援』(フレーベル館,2003年),男女共同参画会議・少子化と男女共同参画に関する専門調査会「少子化と男女共同参画に関する社会環境の国際比較」(2005年9月)(http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/syosika/houkoku/index-kokusai.html)等を参照のこと。
4)地球人口全体の現状を視野におさめるなら,①「先進国」での少子化対策とともに,②途上国の人口爆発への対応が必要である。環境と資源の主たる消耗者である「先進国」がそれとの調和を急ぎ進めることは,増加する途上国の人口に環境と資源の消費の余地を広げるものとなる。他方,南北格差の縮小を急ぐことは,結果として途上国における「人口爆発」を早期に収束させることにもつながっていく。また環境保全技術の普及や効率の良い食糧生産技術の普及は,途上国援助の中でますます重要な地位をしめるものとなろう。戦争のない平和な地球づくりが,これらすべての前提となることはいうまでもない。
〔新日本出版社『経済』2006年9月号,№132,2006年9月1日発行,84~100ページ〕
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