以下は,日本共産党『前衛』2007年3月号(3月1日発行,第815号),84~105ページに掲載されたものです。
なお図表はアップできていません。
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「長時間労働・女性差別とマルクスのジェンダー分析──戦後財界による男女労働力の両極的活用」
1・「男は過剰労働,女は家庭責任」という財界の労働力政策
市民生活と民主主義の発展にとって,職場や家庭,各種団体における男女平等の実現は切実な課題となっている。ここでは特に職場や労働の問題に焦点を当ててみたい。「過労死の男女平等」を導く,空疎で形式的なものではなく,男女双方がより豊かな生活を享受することのできる実質的な平等の追求である。あわせてそれは,子どもや高齢者のゆとりある生活づくりにも貢献しうるものでなければならない。
この課題の達成にいたる社会構造の改革を考えるために,ここでは次の2つの作業を行ないたい。1つはマルクス等の資本主義分析に込められたジェンダー視角の探究である。すでに公表してある論文「『資本論』の中のジェンダー分析」を,さらに一歩前へすすめてみたい1)。
マルクスあるいはマルクス主義は「ジェンダー・ブラインドだ」という批判があるが,それは大きな誤りである。マルクスやエンゲルスは,親子や夫婦の関係を含む「家族」を,史的唯物論確立の当初から人間社会とその歴史をつくる主要な要素の一つに位置づけていた。そして,その視角は主著『資本論』の中にも貫かれている。19世紀を生きた彼らに様々な制約があるのは事実だが,そこには資本主義的生産関係が労働者家族のあり方をどう規定するかなどの重要な視角と成果がふくまれている。2)。
もう1つここで行ないたいことは,戦後日本資本主義のジェンダー視角からの検討である。特に焦点を当てたいのは男性中心の企業社会における世界にもまれな長時間労働と,これもまた世界にまれな企業社会からの女性排除が,不可分な依存関係に置かれているということである。男は徹底した「会社人間」に,女はそれに奉仕する「専業主婦」に。職場と家庭の双方への男女労働力のこうした政策的な配分が,男性中心の「過労死」型長時間労働と,女性差別,M字型雇用にみられる野蛮で未熟な日本資本主義の特質を生む。以下,いくつかの問題意識を先取りして紹介しておきたい。
第一は,男性労働者の企業への「囲い込み」と,その代償としての女性に対する景気の調整弁という位置づけである。労働者・国民による戦後の民主化闘争を乗り越え,「安定した労資関係」を目指す上で,財界は闘う労働者と労働組合への弾圧を繰り返しながら,終身雇用制と企業内労働組合の育成を武器とした労資の一体化をはかっていく。だが,終身雇用制には,景気の変動に応じた労働力の量的調整を不可能とするという問題がある。この問題の解決のために採られたのが,正規であれパートであれ,労働力の吸収と排除をもっぱら女性労働のみを手段に行なうという政策である。
第二は,人件費抑制の手段という女性労働力の位置づけである。女性に対する差別的低賃金は,それ自体が人件費抑制の手段であるが,あわせて年功序列賃金をともなう終身雇用の男性賃金を低く抑える重石,あるいは男性たちの不満のガス抜きの手段としても位置づけられた。女性に対する格別の低賃金の強要は,女性だけへの若年退職の強制としてもあらわれる。勤続年数の長期化による賃金の微々たる増加をも回避するためである。このような若年退職を前提とする女性雇用は,当然,女性を基幹職から排除する職務配置の差別にもつながるものとなる。若年退職の方針にしたがわない女性たちに対しては,徹底した差別と弾圧が繰り返された。
第三は,男性の「会社人間」化と,その保障としての女性に対する家庭責任負担の強制である。労働時間短縮という戦後世界の流れに反し,労働者の「囲い込み」に一定の成功を果たした財界は,労働の密度を上昇させつつ,くわえて世界最長の長時間労働体制を築いていく。世界第二の企業大国形成の対極に「会社人間・エコノミックアニマル・はたらきアリ・企業戦士」と揶揄される非文明的な労働者生活が形成される。こうして持てる労働力のすべてを職場に吐き出す男性労働者の支え手として,家庭の中の女性労働力が位置づけられる。その役割は男性会社人間の周到なメンテナンスと,未来の労働力である子どもたちの育成である。女性だけに対する若年退職の強要は,「男は職場で過剰労働,女は家庭に全責任」という財界の労働者家庭管理政策の一環でもあった。高度成長期後半の労働力不足に際して,財界は中高年女性のパート活用をすすめ,家庭責任と低賃金労働力の両方を強制しはじめる。この段階で今日的な女性M字型雇用の原型が形成される。
歴史の変化に即して,財界による女性労働力活用の具体的な形態変化を紹介することはさらに可能である。しかし,ここでは,①「過労死」大国日本の異常な長時間労働体制が,女性への一方的な家庭責任の押しつけに支えられていること,②他方で,企業社会の野蛮な女性差別が,若年定年と低賃金のいずれをとっても,男性たちの低賃金・長時間・過密労働を達成させる手段と位置づけられていることを確認するにとどめたい。職場の男女平等を求める女性たちの闘いの歴史は,戦後財界による男性をふくむ労働力管理政策との闘いという意味をもつ。また家庭生活における男女平等を進める上でも,女性に家庭責任のすべてを強制する歪んだ性別役割分業を構成要素とした戦後型労資関係の改革は不可欠である。以下,職場と家庭における男女労働力配置の現状,マルクスらの資本主義分析におけるジェンダー視角の検討,戦後日本資本主義のジェンダー視角からの鳥瞰の順で議論を進めてみたい。
1) 石川康宏「『資本論』の中のジェンダー分析──『マルクス主義フェミニズム』との関わりで」(鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』学習の友社,2005年)。
2) 「ジェンダー」という用語は,通常,男女の生物学的な性差を示すセックスに対比され,歴史的文化的に形成される男女の性差や関係を示すものとされている。セックスが相対的に不変なものであるのに対し,ジェンダーが歴史の中で可変であるとされることから,この用語は女性の社会的地位の向上を願う多くの人々に受け入れられ,様々な学問の発展にも新しい刺激を与えるものとなっている。
とはいえ,この用語にはいくつかの問題がまとわりついていることも事実である。その一つは,これが社会構築主義という一種の観念論的な社会観と一体のものとして使われることが多いという点である。この点については伊藤敬「構築主義と現実──反映論の視角から」(前掲『ジェンダーと史的唯物論』所収)を参照願いたい。
なお,マルクス等の到達点にとって男女や親子をふくむ「家族」が歴史的に可変であることは自明であり,それは科学的社会主義(マルクス主義)による家族研究のいわば出発点でもある。その意味でジェンダーという用語が与える問題提起は,科学的社会主義にとって本質的に新しいものではない。しかし,後のこの学問が十分にマルクス等の研究と問題意識を継承し,その発展に成功してきたとは言い難い。この領域にかかわる多様な学問の最新の到達点を良く消化し,これを史的唯物論の発展に実らせる大きな課題は今に残されている。
二つは,それがセックスとの対比という素朴な規定にとどまり,概念の練り上げが進んでいないという問題である。例えば,ジェンダーを男女の歴史的文化的性差という場合に,その「男女」はセックスのレベルで区別されるものとなっている。つまり,ジェンダーは実際には,セックスと区別されながらも,セックスを前提し,内に含む用語となっている。それは「自然が与える性の相違を基準に,生活や労働の部面に歴史的社会的に形成される人間関係」などのように表すことも可能であろう。現実の具体的な分析に即して,ジェンダーの用語を科学的な概念として練り上げていく作業が求められている。
2・「家庭・低賃金・非正規雇用」に追い込まれている現代女性
ここでは今日の日本社会における男女労働力の分配を,いくつかの統計資料によって確認しておきたい。
1つ目の指標は,労働力の職場と家庭への配分である。表1は,表記14ケ国の男女別労働力率から,男性労働力率に対する女性労働力率の割合を出し,男女の労働力率格差を示したものである。その結果,65・8%という日本の数値は,これら諸国の中で第13位となっている。ここでの労働力率は職場での労働力発揮のみを扱うものとなっているが,家庭のそれ(家事労働)を視野に含めるなら,この表が示す日本の数値は,収入労働と家事労働のバランスにおいて,男性労働力が前者に,女性労働力が後者に,それぞれ大きな偏りをもって配分されていることを示すものとなる1)。
それは生活時間の男女差を示す統計から,より具体的に確認することができる。注に示した12ケ国での1日当たりの生活時間比較によると,日本人男性の収入労働・勉強時間は12ケ国中最長の7時間02分(週7日間の平均)であり,その一方で家事労働時間はわずか27分となっている。これは日本男性の次に家事労働時間が短いドイツ人男性1時間52分に大差をつけての最短時間である。実は日本人女性の家事時間(3時間)も12ケ国中最短なのだが,それにもかかわらず家事時間の男女格差は12ケ国中最大となっている。日本はこれらの国の中で「男は仕事,女は家庭」の性別役割分業を,もっとも典型的に体現している社会ということである2)。
ただし,右のことから日本人男性の家事時間の短さを,労働時間の長さだけに還元するのは正しくない。日本人男女の生活時間を雇用形態別に分類した別の調査によれば,正規雇用男性の平日のみの収入労働時間が9時間59分であるのに対して,パート男性の収入労働時間は6時間40分となっている。両者には3時間19分の格差があるが,パート男性がそれを家事労働時間に振り向けているのはわずか24分にすぎない(正規雇用男性の家事労働時間は15分,パート男性は39分)。残りはもっぱら睡眠などの生理的時間(正規雇用者より1時間32分長い)や余暇時間(1時間22分長い)に費やされている。男性労働時間が長かろうと短かろうと「家事は女」が,多くの家庭の根深い生活習慣となっているわけである3)。
2つ目の指標は職場の中での男女労働力の分配と,賃金格差,昇進の問題である。女性は今日,全労働力人口の4割強を占めているが,まず男女就業者(雇用者,家族従業者,自営業主の合計)の産業別分布を見ると,女性はサービス業と卸小売業・飲食業に7割が集中し,この分野では絶対数でも男性を上回るものとなっている。他方で男性はそれらの産業の他に,建設業,運輸・通信業に高い比率をもっている。これは全体として,非正規雇用が多く賃金の低い産業に女性が偏在していることを表している4)。
次に賃金格差の問題である。2004年の男性一般労働者(一般的な所定労働時間が適用されている常用労働者)の平均賃金を100とした時,女性一般労働者の賃金は65・7となり,パートを含む全男性労働者の平均賃金を100とした時,パートを含む女性労働者の賃金は51・3となっている。またこれを1時間当たり賃金で比較すると,男性一般労働者100に対して女性一般労働者は68・8,男性パート労働者は50・6,女性パート労働者は45・2となり,さらに男性パートを100とした時の女性パートは89・3となる。正規とパートの賃金格差に,正規内部,パート内部の男女格差がからみついているわけである5)。
男女の賃金格差は「男性なみ労働」の象徴とされる,正規雇用総合職の内部でも実感されている。あるアンケート調査(複数回答,2000年)によれば,総合職に働く女性が男性とのあいだに待遇差を感じる項目は,昇進(49.1%),給与(36.2%),仕事の与え方(32.8%)の順となっている。昇進のためには職務・部門を越えた仕事の経験が重要になるが,その「仕事の与え方」の格差が,昇進および給与の格差につながっていると思われる6)。実際「管理的職業従事者」に占める女性比率の国際比較を見ても,比較された11ケ国の中で日本は突出して低い比率を示している。トップはアメリカで45・9%,これにドイツ35・9%,カナダ35・7%,フランス35・6%とつづくが,日本は第10位のイタリア21・0%に大きく引き離されて9・7%の最下位にとどまっている。企業社会内部での女性の地位の低さは,均等法施行後20年を経過した今日にあっても,きわめて顕著なものとなっている7)。
3つ目は,職場の中での正規雇用か非正規雇用かという雇用形態の問題である。2005年時点での男女を含む全雇用者に占める非正規雇用者の比率は32・6%に達している。非正規雇用者が多い部門は,サービス,卸小売業にとどまらず,製造業,建設業などにも広がっている。非正規雇用拡大の要因を問うアンケート調査(複数回答,2005年)に,全事業所の80%以上が「労務コスト削減のため」とこたえており,これが近年におけるワーキングプア急増の根本原因となっている8)。さらにこの非正規雇用をさらに細かく雇用形態別にパート,派遣,契約,嘱託に分類すると(2003年),雇用の理由を「賃金節約のため」とする事業所側の回答は,パートが他の形態の2倍に近い高率となる9)。
さらにこれを男女別で見ると,2005年時点で全男性雇用者に占める非正規雇用の比率が17・7%であるのに対し,同じ比率が女性では47・5%と圧倒的に高くなっている。さらに細かく雇用形態別でこれを分類すると,男性では多い方からアルバイト6・0%,契約・嘱託5.2%の順になるが,女性はパート32・8%,アルバイト7・9%と,事業主が「賃金節約のため」と最重視しているパート雇用に最も多くが集中している。その比率は,全女性非正規雇用の62・5%,全女性雇用者の1/3に達しており,多くの女性がワーキングプアに追い込まれている10)。また表2はOECDによるテンポラリー(一時的)雇用者比率の各国比較を示したものだが,その女性への偏在が,先進各国に共通するものではなく,やはり日本的特徴となっていることが良くわかる。
なお,女性労働者の1/3が非正規雇用に集中している理由を,本人の希望のみに還元することはできない。この点は女性の勤労意欲と就業形態を分析した政府の『労働経済白書』でさえ,「仕事と家庭の両立の困難さが女性の非正規的な働き方を促進させていることがうかがえる」「高い就業意欲をもちながら実際は育児などにより働くことができないでいる女性が多いことがうかがえる」と,すでに認めていることである11)。
こうした非正規雇用比率の高さは,女性たちのM字型雇用の内実にも反映する。表3を見れば,若年期に正規雇用が多いが,結婚・出産によって退職し,中年期以降にパート労働で復職するという女性が多いのが旧来のM字型であった。しかし,今日ではM字型の底をパートやアルバイトなどの非正規雇用が押し上げる一方,若年期の正規雇用比率が低下させられている。M字型から逆U字型(北欧など男女平等先進国の特徴)への見かけ上の接近はあっても,ワーキングプア増大という内実の評価を抜きに,これを北欧型への接近ととらえるわけにはいかないのである。
最後に,こうした男女労働力の分配と格差に対する,国民と企業での評価の相違を見ておきたい。まず内閣府による世論調査(2004年)である。「夫は外で働き,妻は家庭を守るべき」という考え方について,これを肯定する意見(「賛成」と「どちらかといえば賛成」の合計)は,女性41・2%,男性49・7%となっている。他方で,これを否定する意見は女性53・7%,男性43・3%であり,男女に意見の逆転がある。しかし,より長期的に見ると、これを肯定する意見は,1979年の男性75・6%,女性70・1%,1992年の男性65・7%,女性55・6%,そして2004年の男性49・7%,女性41・2%と,男女とも着実に低下をつづけている12)。また,男性の仕事中心のライフスタイルを変更すべきかとの調査に対しても,1993年で女性77・3%,男性72・8%,2000年で女性76・9%,男性75・3%が賛成の回答を寄せている13)。「男は過剰労働」という現実の改善を願う男女世論は明確であり,「女は家庭責任」についてもその支持率は急速な低下を示している。
だが,この期待にこたえようとする企業の動きはきわめて鈍い。コース別雇用は大企業ほど採用率が高いものだが,2003年度の採用で総合職に男性のみを採用した企業は45・0%,逆に一般職に女性のみを採用した企業は52・0%に達している。依然として,総合職を男性職,一般職を女性職とし,能力や本人の意欲を口実にしながら,男女の待遇格差を継承する力は強く働きつづけている14)。
くわえて,雇用,賃金,昇進,退職など企業内部の不合理な差別撤廃に意識的に取り組むポジティブ・アクションについては,2003年時点で「すでに取り組んでいる」29・5%,「今後取り組むことにしている」8・8%に対して,「今のところ取り組む予定はない」28・7%,「わからない」33・0%となっており,結果として全体の61・7%が未定・不明となっている15)。「すでに取り組んでいる」企業の実態についても調査が必要だろうが,そもそもこれを重視しないと公言する企業が全体の過半数に達している。ここに男女平等の推進に対する大きな抵抗の壁がある。なお政財界が導入を企むホワイトカラー・エクゼンプションは,男性中心の正規雇用者にさらなる「長時間・低賃金」労働を強制し,結果として現在の歪んだ性別役割分業を,さらに強く固定する役割を果たすものである。
1) 日本を含み労働力率格差の大きい下位4ケ国は,以下のように出生率が極端に低いという特徴も共有している。日本1・26(05年),イタリア1・33(04年),スペイン1・29(03年),韓国1・08(05年)。
2) 独立行政法人国立女性教育会館『男女共同参画統計データブック2006』(ぎょうせい,2006年)71ページ「表5─4 性,行動の種類別雇用者1日あたりの生活時間の国際比較(1998~2004年)」。比較の対象となる12ケ国はベルギー,ドイツ,エストニア,フランス,ハンガリー,スロベニア,フィンランド,スウェーデン,イギリス,ノルウェー,アメリカ,日本である。
3) 同右,69ページ「表5─1 性,雇用形態,行動種類,平日・日曜日の1日あたりの生活時間(2001年)」。
4) 同右,41ページ「図3─4 性,主要産業別就業者の推移(1955~2002年)」。
5) 同右,51ページ「表4─2 性別一般労働者とパートタイム労働者の1時間あたり所定内給与額と格差の推移(1989~2004年)」。
6) 井上輝子・江原由美子編『女性のデータブック第4版』(有斐閣,2005年)87ページ「図38─5 総合職女性が男性と比べて差を感じる項目」。
7) 前掲『男女共同参画統計データブック2006』42ページ「表3─11 性,主要国別就業者数・管理的職業従事者数・女性割合(2002~2003年)」。
8) 厚生労働省『平成18年版・労働経済白書』(国立印刷局,2006年)90ページ「第2─⑴─14図 非正社員の割合が上昇している要因」。
9) 同右,149ページ「第2─⑶─8図 非正社員の雇用理由」。
10) 全労連・労働総研編『2007年国民春闘白書』(学習の友社,2006年)48ページ「⑴ 3人に1人が非正規雇用労働者──10年間で1・6倍に増加」(原資料は総務省)。
11) 前掲『平成18年版・労働経済白書』128~130ページ。
12) 前掲『男女共同参画統計データブック2006』180ページ「図12─1 『夫は外で働き,妻は家庭を守るべきである』という考え方についての性別構成割合の推移(1979,1992,2004年)」。
13) 独立行政法人国立女性教育会館『男女共同参画統計データブック2003』(ぎょうせい,2003年)162ページ「図12─2 『男性が企業や仕事中心のライフスタイルを変えることについて』の性別賛否割合(1993,2000年)」。
14) 前掲『男女共同参画統計データブック2006』55ページ「図4─5 コースの内容別新規学卒者採用状況の推移(1998,2003年度)」。
15) 同右,56ページ「表4─6 企業規模,ポジティブ・アクションの取り組み状況別企業構成割合の推移(2000,2003年度)」。
3・『資本論』に含まれる家族分析の理論的指針
次に,こうした日本の実態をとらえる理論的指針をマルクス等に探ってみたい。
〔経済学が解剖する「市民社会」は家族を含む〕
まず史的唯物論が家族をどう位置づけていたかという問題である。これについては,牧野広義「マルクスにおける家族と市民社会」を紹介しておきたい1)。
マルクスとエンゲルスが史的唯物論を確立していく時期の代表作である『ドイツ・イデオロギー』(1845~6)は,「本源的な歴史的諸関係の4つの契機,4つの側面」の一つに,「自分自身の生命を日々新しくつくる人間たちが,他の人間をつくり繁殖しはじめるということである──夫の妻との、両親と子どもとの関係、家族」をあげている2)。これは後にエンゲルスが『家族,私有財産および国家の起源』で,「歴史を究極において規定する要因」として「生活手段」と「人間自体」の二重の「生産」をあげたことに合致する。
「唯物論の見解によれば,歴史を究極において規定する要因は,直接的生命の生産と再生産とである。だが,この生産と再生産はそれ自体また二重の性質のものである。一方では,生活手段の生産,つまり衣食住の用品の生産とその生産に必要な道具の生産,他方では,人間自体の生産,つまり種の繁殖が,それである」。また,つづけてエンゲルスは「特定の歴史的時期と特定の国との人間がそのもとで生活している社会的諸制度は,両種の生産によって,つまり一方では労働の発展段階によって,他方では家族の発展段階によって,制約される」とも述べている3)。
つづいてマルクスは「アンネンコフへの手紙」(1846年)でも,次のように家族を位置づけている。「もし生産,交易,消費の一定の発展段階を前提にするならば,そこにはそれに照応する社会的秩序が,それに照応する家族や諸身分や諸階級という組織が,一言でいえば,それに照応する市民社会があるでしょう」4)。
牧野氏はここで,論文前半でのヘーゲルの家族論の検討を想起させながら,マルクスとヘーゲルの家族のとらえ方の相違について次のように述べている。「なぜマルクスは,ヘーゲルのように『家族』と『市民社会』とを区別しないのであろうか。それは,家族もまた,従来の歴史の中で,人間の生産だけでなく,家族ぐるみの農業生産や家内工業などにおいて,物質的生活手段の生産をも担ってきたからであると考えられる。つまり,家族もまた生産活動における人間関係として『交通形態』という意味をもってきたのであり,したがって,家族形態も生産活動のあり方に照応してさまざまに変化してきたからである」5)。
さらに『経済学批判』の「序言」(1859年)で,マルクスは「市民社会」の解剖学は経済学に求められねばならないと述べ,その市民社会のことを次のように「生産諸関係」ではなく,物質的な「生活諸関係の総体」と述べている。
「私の研究の到達した結果は次のことだった。すなわち,法的諸関係ならびに国家諸形態は,それ自体からも,またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解できるものではなく,むしろ物質的な生活諸関係に根ざしているものであって,これらの生活諸関係の総体をヘーゲルは,18世紀のイギリス人およびフランス人の先例にならって,『市民社会』という名のもとに総括しているのであるが,しかしこの市民社会の解剖学は経済学のうちに求められなければならない,ということであった。この経済学の研究を私はパリで始めた…」。その先でマルクスは「物質的な生活の生産様式が,社会的,政治的,精神的生活一般を制約する」とも書いている6)。
より詳しくは,牧野論文に直接あたっていただく他ないが,『ドイツ・イデオロギー』が「現実的な生活過程」を論じた思想は,「人間生活の社会的生産」「物質的生活の生産様式」「物質的な生活諸関係」などの概念で「序言」にも引き継がれており「これらの概念の中に,生活手段・生産手段の生産や,資本と賃労働などの生産諸関係だけでなく,人間の生産や家族の生活を含めて考えることは,十分に可能であろう。実際,人間の再生産を無視した生産様式など,どの社会でも成り立たないのである」と,氏は結論する7)。こうしてマルクスは経済学が解剖する「市民社会」の中に,家族や人間の再生産を含み込んでいた。それは次の『資本論』の検討によっても明らかである。
〔共働き家族に対する搾取の問題〕
以下,『資本論』の資本主義分析から,現代日本のジェンダー分析に有用と思われる理論的枠組みのいくつかを紹介したい。
第一は共働き家族における賃金の分析である。マルクスは賃金の本質を労働力の価値ととらえ,その一番の基本は「労働力の所有者の維持に必要な生活手段の価値」だとする。そしてただちに「労働力の生産に必要な生活手段の総額は,補充人員すなわち労働者の子どもたちの生活諸手段を含む」と補足する8)。
この箇所を根拠に,マルクスは男性労働者が家族全員の生活費を受け取るべきだという「家族賃金思想」の持ち主だと批判する見解もあるが,それは抽象から具体へという『資本論』の叙述の展開を,まったく理解しない議論である。労働力価値の具体的形態に対する分析は,「機械と大工業」の章で,さらに次のように深められている。
「機械が筋力を不要にする限り,それは,筋力のない労働者,または身体の発達の未成熟な,しかし手足の柔軟性の大きい労働者を使用するための手段となる。それゆえ,婦人労働および児童労働者は,機械の資本主義的使用の最初の言葉であった! こうして,労働と労働者とのこの強力な代用物は,たちまち労働者家族の全成員を性と年齢の区別なしに資本の直接的支配のもとに編入することによって,賃労働者の数を増加させる手段に転化した」。「機械は,労働者家族の全成員を労働市場に投げ込むことによって,夫の労働力の価値を彼の全家族に分割する。それゆえ機械は,彼の労働力の価値を減少させる」9)。
論理のこの段階にいたってマルクスの賃金論は,女性,少年,児童など成人男性以外の労働者を含む,一家族の複数収入という事実を分析の俎上に載せていく。いまや労働する「全家族」の労働力の維持に必要な生活手段の価値,および家族の中に労働しない「子ども」がいるならは,その「子どもたちの生活諸手段」の価値もふくめて,この家族に対して支払われる労働力の価値は,労働する「全家族」の賃金の合計という姿をとる。家族の生活費をいつでも男性成人労働者が手にするべきだという「家族賃金思想」が,マルクスの理論とまるで無縁であることは明白である。
しかし,こうした理論の展開が,現代においてより重要な意味を持つのは,むしろその次の点である。焦点は,こうした複数の収入をもつ労働者家族に対する搾取の分析にある。マルクスはこう述べている。
「たとえば四つの労働力に分割された家族〔の労働力〕を買い入れることは,以前に家長の労働力を買い入れた場合よりもおそらく多くの費用がかかるであろうが,しかしその代わり,四労働日が一労働日に取って代わるのであって,それら労働力の価格は,四労働日の剰余労働が一労働日の剰余労働を超過するのに比例して下がる。一家族が生活するためには,いまや四人が,資本のために,労働だけでなく剰余労働をも提供しなければならない。こうして機械は,はじめから,資本の人間的搾取材料すなわちもっとも独自な搾取分野と同時に,搾取度をも拡大するのである」10)。
わかりづらいところもあるが,述べられていることの骨組みはおおよそ次のようである。
①従来「家長の労働力」を買うことで得られた剰余労働は,家長一人分のそれでしかなかったが,「四つの労働力」を購入する今では,四人分の剰余労働を資本は手にすることができる。だが,肝心な問題はそれによって,四人に支払う賃金(必要労働)と四人から得られる剰余労働の比率がどのように変わるかという問題である。
②四人に支払う賃金の合計が,家長一人に支払うものより増えたとしても,四人の合計賃金(必要労働)に対する四人の剰余労働の比率が,家長一人の賃金に対する家長一人の剰余労働の比率より高くなっていれば,この家族全体に対する資本の「搾取度」は拡大したことになる。そして,女性や子どもの賃金は「家長」の賃金よりも低いのが通例であるから,実際にも女性や子どもを賃労働者に巻き込む機械の登場は,資本による労働者たちへの搾取を深めるものとなってくる11)。
同じことを,マルクスは「名目的な日賃金または週賃金が騰貴しても,労働の価格の不変あるいは低落をともなうことがありうる。労働者家族の収入についても,家長によって提供される労働分量に家族員の労働がつけ加わるやいなや,同じことが言える」。「婦人・児童労働者の大量導入もまた,たとえ家族全体に与えられる労賃の総額は増えても(決して一般的にそうなのではないが),家族全体が以前より大きな総量の剰余労働を資本に提供しなければならない……」と繰り返している12)。
このように個々の労働者だけでなく,労働者家族の搾取率の高低を論ずるマルクスの視角は,家族の複数収入化をどうとらえるかについての基礎理論を与え,女性労働力の上昇や男女の労働力率格差の縮小を,搾取率の変化という労資関係の根本から分析する指針を与える。一時間あたりの賃金が,男性一般労働者,女性一般労働者,男性パート労働者,女性パート労働者の順に低くなっている現代日本の状況下では,女性労働力率の上昇はいつでも労働者家族と階級全体の搾取率の上昇をともなうものとなる。したがって,女性への差別賃金を是正し,非正規雇用者の大幅賃上げを求める労働運動の取り組みは,労働者階級とその家族の生活向上を目ざす階級的労働組合運動の本道に位置づけられるべきものとなる。
〔労働力の維持と再生産を担う家庭という場〕
第二は,労働力の生産と再生産にかかわる家庭の機能の問題である。マルクスは家族や家事労働を,それが市場経済の外にあることを理由に「分析の範囲外」に置いたという見解がある。だが,それは『資本論』を正確に読んだ上でのものではない。
マルクスは「生産過程は,その社会的形態がどのようなものであっても,継続的でなければならない,あるいは周期的に絶えず新たに同じ諸段階を通過しなければならない。社会は,消費することをやめることができないのと同様に,生産することをやめることはできない」と「再生産過程」を研究することの必要性と意義を語り,同じ章のなかで「資本にとってもっとも不可欠な生産手段である労働者そのものの生産および再生産」について,次のように言葉をつづけた。
①「労働者の個人的消費は,それが作業場や工場などの内部で行われように外部で行われようと,労働過程の内部で行なわれようと外部で行なわれようと,資本の生産および再生産の一契機であって,それはちょうど機械の掃除が,労働過程中に行われようとその一定の休止中に行われようと,資本の生産および再生産の一契機であるのとまったく同じである」。
生産が日々継続されるためには,部品の補充や機械の修理が必要だが,それとまったく同じように,日々搾取されるに相応しい労働者の生産が必要となる。その労働力の日々の生産を担うのが「労働者の個人的消費」だというのである。
②「労働者はその個人的消費を自分自身のために行なうのであって,資本家のために行なうのではないということは,事態になんのかかわりもない。たとえば,役畜の食うものは役畜自身が享受するとはいえ,役畜の消費が生産過程の必要な一契機であることには変わりはない」。
役畜自身は,畑や田んぼや,土木工事における明日の「仕事」のために毎日飼料を食べるわけではない。それは自らの空腹と渇きを癒すためである。そのことは人間である労働者にとっても,基本的には同じである。労働者は自らの欲求にしたがって食べ,飲み,テレビをながめ,家族とすごして布団に入る。だが当人の自覚がどうあれ,多様な生活手段の私的な消費は,同時に,明日の職場で搾取される労働力生産の行為である。それを物理的に保障する場が,資本主義的生産における労働者家庭の意義となる。
③「労働者階級の不断の維持と再生産は,資本の再生産のための恒常的条件である。資本家はこの条件の実現を,安心して労働者の自己維持本能と生殖本能にゆだねることができる。彼が心を配るのは,ただ,労働者たちの個人的消費をできる限り必要物に制限することだけ」である。
今度は個々の労働者ではなく「階級」としての労働者の維持と再生産の問題である。現役労働者たちが年をとり,搾取するに相応しいとの評価を失ったとき,資本はこれを若々しい次の世代の労働力に交代させる。したがって,現役労働者の「維持」と同時に,次世代の労働者の「再生産」が資本にとって不可欠となる。とはいえ資本には,この「維持と再生産」を達成する格別の苦労はいらない。労働者たちは自らの欲求にしたがって,自身の健康と体力を維持し,子どもをつくり育てようとするからである。この点で唯一資本が配慮するのは,労働者とその家族に,労働力の「維持と再生産」という目的を越える贅沢を許さないことだけである。
④「したがって社会的観点から見れば,労働者階級は直接的な労働過程の外部でも,死んだ労働用具と同じように資本の付属物である。彼らの個人的消費でさえも,ある限界内では,ただ資本の再生産過程の一契機でしかない」「個人的消費は,一方では彼ら自身の維持と再生産のために配慮し,他方では生活手段を消滅させることによって,彼らが絶えず労働市場に出現するように配慮する。ローマの奴隷は鎖によって,賃労働者は見えない糸によって,その所有者につながれている。賃労働者の独立という外観は,個々の雇い主が絶えず替わることによって,また契約という“法的擬制”によって維持される」13)。
資本主義的生産のもとでは,労働者とその家族は,経済的に資本から独立した存在ではありえない。労働者階級の「維持と再生産」に必要な最小限度に抑え込まれた賃金は,いつでも労働者をすすんで「労働市場」に復帰させるものとなる。こうして労働者家庭は,多くが労働力の「維持と再生産」の場であることを,世代をこえて継続していく。
〔家事労働力への支払いの転倒した形態としての「扶養」〕
マルクスの研究は,労働者家族の内部関係にも,解明の重要な基礎を与えている。その一つは,主婦と家事労働の位置づけという問題である。すでに見たように賃金の受け取り窓口が一つであれ二つ以上であれ,労働者家族はそれら賃金の合計額によって,一人あるいは二人以上の現役労働者の労働力を「維持」し,加えて未来の労働者たちの「再生産」を行なっている。その家族の中に家事労働に専念する構成員が含まれるなら──注11に紹介したように,『資本論』には家事労働という言葉が登場している──,その個人の生活手段もまた労働者家族の合計賃金によって賄われる他はない。
現代の専業主婦による家事労働が,誰による支払いも受けないのはなぜなのかという議論がある。確かに主婦の家事労働に対する法的で制度的な支払いは誰によってもなされていない。しかし,それにもかかわらず,家事労働の形で発揮される主婦の労働力は,その個人的消費をつうじて「維持」されつづけている。その生産に必要な生活手段を購入するための原資は,家族内の労働者が受け取る賃金であり,それを支払っているのは資本である。
資本が支払う賃金によって生活手段を購入し,その消費をつうじて労働力を「維持」する限りでは,専業主婦の個人的消費は現役労働者のそれと何も異なるところはない。生産された労働力が,直接にか間接にかの相違はあったとしても,資本の再生産の円滑な進行のための手段と位置づけられる点も同様である。だが日常の常識的な意識の世界にあっては,賃金は労働者本人に対する「労働の対価」として支払われる。この支払いの法的形式は,主婦と家事労働の社会的意義を覆い隠し,結果として主婦や子どもを労働力の「維持」とも「再生産」とも無関係な,単なる「扶養」の対象におとしめる。
賃金の本質は労働力の「維持と再生産」に必要な生活手段の価値だが,本質がそのままの姿で現象するなら,現象の背後に本質を探る科学の苦労はひとつもいらない。「ブルジョア社会の表面では,労働者の賃金は,労働の価格,すなわち一定分量の労働にたいして支払われる一定分量の貨幣として」,つまり一定の労働に対する対価として現われるのである14)。このような賃金の現象形態が,主婦の労働力や子どもの成長に対する資本の支払いを,夫による妻と子どもの「扶養」という観念に転化させ,それが労働者家族における「家長」の権威の根拠ともなる15)。
のちにエンゲルスはこう述べている。「夫は今日,少なくとも有産階級のあいだでは,大多数の場合,稼ぎ手,家族の養い手でなければならず,そしてこのことが夫に支配者の地位をあたえるのであって,この地位に法律上特別な特権をあたえることは必要でない」16)。「稼ぎ」の少ないことに比例し,その「地位」もまたより低いものとなるのだが,同様の傾向は労働者家族の中にも強く現われるものとなる。このことから,賃金を労働の価格として現象させる歴史的関係そのものを廃棄するのでない限り,「家長」の権威からの女性の解放は,女性の経済的自立を土台とするしかないものとなる17)。
1) 牧野広義「マルクスにおける家族と市民社会」(前掲『ジェンダーと史的唯物論』所収)。
2) マルクス/エンゲルス『〔新訳〕ドイツ・イデオロギー』(新日本出版社,1996年)36~38ページ。
3) エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』(新日本出版社,1999年)「第一版序文」(1884年),12ページ。
4) マルクスからアンネンコフへの手紙(1846年),『マルクス・エンゲルス全集』(大月書店)563ページ。
5) 前掲・牧野広義「マルクスにおける家族と市民社会」77ページ。
6) 久留間鮫造編『マルクス経済学レキシコン・4 唯物史観Ⅰ』297ページ。
7) 前掲・牧野広義「マルクスにおける家族と市民社会」79ページ。
8)『資本論 』上製版(新日本出版社),第1部291~293ページ。
9) 同右,第1部680~681ページ。
10) 同右,第1部681ページ。
11) 同右,第1部681ページ。この本文に付した注の中で,マルクスは家族の多くが「資本によって徴用」されることには「家事労働の支出の減少」がともない,それは「貨幣支出の増大」によって埋め合わされると述べている。「労働者家族の生産費が増大して,収入の増大を帳消しにする」ということである。681~682ページ。
12) 同右,第1部927ページ,第3部395ページ。
13) 以上,同右,第1部966ページ,977ページ,979ページ。
14) 同右,911ページ。
15) この点については,前掲・牧野広義「マルクスにおける家族と市民社会」90~91ページを参照のこと。また,ここに取り上げなかった論点をふくめて,ジェンダー視角からする『資本論』の検討については,牧野論文および前掲・拙稿「『資本論』の中のジェンダー分析」を参照のこと。
16)前掲・エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』101~102ページ。
17) 現代日本の賃金における「扶養手当」は,「扶養責任」のある労働者本人に対する賃金の追加補助でしかなく,労働者家族の再生産費という賃金の科学的理解に基づく支払いなのではない。それは実際の「扶養手当」だけでは,専業主婦や子どもの生活がまるで成り立たないことにも現われている。
4・一貫した男性中心の長時間労働と女性の差別
話を日本の資本主義にもどし,戦後の歴史の中で財界・大企業が長時間労働と女性差別の結合体制をどのように形成し,今日もなおどのように維持しようとしているかを具体的に見ていきたい。
〔女性労働力率の上昇をはばむ若年退職制〕
日本国憲法は「両性の本質的平等」を定め,高度経済成長は家族の共同労働から独立した女性雇用者を拡大した。それにもかかわらず,女性労働力率は戦後大きな上昇を見せていない。国勢調査によれば,15才以上の女性人口に占める労働力率は1920年(53・3%),30年(49・0%),40年(52・5%),50年(48・6%),60年(50・9%),とジグザグの変化を示す1)。さらに戦後の状況をより細かく,総務省「労働力調査」によってまとめたものが表4である。女性雇用者の実数は55年から05年までの50年間に4倍以上に増えているが,自営業主は90年代以後の減少が顕著で,また農林水産業などにおける家族従業者も一貫した減少をつづけている。全体として見ると,女性労働力率は55年から75年にかけて低下し,それ以後若干の上昇と停滞を示すものとなる。ただし,この間の最高(56・7%)と最低(45・7%)の格差は11ポイントにとどまっており,労働力人口と非労働者力人口の比率が,1対1の割合を大きくはずれることはなかったといえる。
同じ時期の専業主婦比率の推移については表5を見ていただきたい。調査方法の変更により数字の連続には一貫性がないが, それでも70年から80年にかけての時期が比率のピークであろうことは予想される。それは女性労働力率が,75年に最低の比率となったこととも合致する。
多くの先進国で女性労働力率が上昇するこの時期に,日本女性の労働力率に大きな変化がなかった理由は何か。それは,女性の就業先としての比重を急速に高めた「雇用者」部門で,財界・大企業が,あくまで女性を低賃金の短期雇用者として活用し,あわせて男性中心の長時間労働体制を形成していく政策的な意図によるのである。高度成長期における女性労働の特質を分析した竹中恵美子氏は,女性たちが最初から「単純労働分野への職場配置と短期雇用管理」の下におかれ「賃金資源を節約する手段」と位置づけられたと述べながら,さらに55年頃から,女性だけの若年定年制・結婚定年制が導入されていくことの意義を次のようにまとめている。「1955年までは,こうした新陳代謝(女性若年労働者の入れ替わりのこと)は,しだいに女子労働者の定着化と労働権の主張によって,その自動的な内転機能を麻痺させていった」「これに対応して生まれた女子若年定年制や結婚退職制は,いわば女子労働者自身の自発的新陳代謝機能の衰退のもとで,これを補強する制度的措置にほかならなかった」2)3)。
〔男性長時間労働と女性への家庭責任の強要〕
戦後日本の労働時間は大きくいえば,①敗戦直後の民主化闘争による急速な短縮(45~49年),②アメリカの占領政策転換による反動攻勢をきっかけとした時間延長(50~60年),③高度成長と労働者運動・市民運動の一定の高揚のもとでの短縮(61~75年),④高度成長の終焉につづく減量経営のもとでの延長(76~88年),⑤国際的な批判とバブル経済のなかでの短縮(89~94年),⑥労働法制改悪と短時間雇用者増大の中での停滞(95年以後)といった推移を示すものとなっている4)。
こうした一進一退の結果,日本は国際的な労働時間短縮の動きに取り残され,世界にも例を見ない長時間労働大国となった。G5諸国の年間労働時間(2003年)を比較すれば,日本2273時間(サービス残業込),アメリカ1929時間,イギリス1888時間,フランス1538時間,ドイツ1525時間となる。また週労働50時間以上の労働者の割合(2000年)でも,アメリカ20・0%,イギリス15・5%,フランス5・7%,ドイツ5・3%に対して,日本は28・1%と突出している。同じ経済大国にあっても「新自由主義」政策の影響が深い米英日と,「社会的資本主義」を誇る仏独には大きな格差がある。日本はその前3者の中にあっても格別の地位をしめるものとなっている。
しかし,これらの格差は戦後初期から顕著であったわけではない。1950年時点での年実労働時間は,西ドイツ2326時間,日本2272時間,アメリカ2171時間,フランス1989時間,イギリス1958時間であった。ところが,これが1979年には,日本2129時間,アメリカ1973時間,フランス1727時間,西ドイツ1719時間,イギリス1617時間と変化する。この間の労働時間の減少率は,西ドイツ25・8%,イギリス17・4%,フランス13・2%,アメリカ9・1%に対して,日本は6・3%にとどまっている5)。
こうした異常な長時間労働の体制を,家庭で支えたのが主婦である。自営業主や家族従業員の比率が低下するもとで,若年退職を強要された女性雇用者たちは,結婚し,主婦として生きる道を選ぶほかはない。これが「男は仕事,女は家庭」型の性別役割分業を含む「近代家族」の大衆化を押し進める力となった6)。こうして家庭に追いやられた女性には,「内助の功」とも呼ばれる,新しい経済的な役割が求められる。横山文野氏によれば,1962年の中央産業教育審議会「口頭学校家庭科教育の振興方策について」は,家庭を「女子がその経営にあたることはおのずから要請される」」ものだとし,家庭科教育を「近い将来みずから家庭生活を営むという心構えが芽生えつつある高等学校の段階」には不可欠のものだと断定する。また68年の文部省『家庭の設計』は,家庭における女性の役割を次の五つにまとめている。「第一は,家庭管理者としての『主婦の役割』,第二はストレスの多い社会に生きる夫に,よりよき生理的・心理的再生の場を与える『妻としての役割』,第三は子どもの成長を正しくあらしめる『母としての役割』,そして第四は,みずかも働く『勤労者としての役割』,最後は社会活動に参加してよりよい社会をつくる『市民としての役割』である」7)。五つの役割の中で優先されているのは,「主婦/妻/母」としての役割であり,言葉をかえれば,それは労働力の「維持と再生産」の役割である。
労働力不足が露呈し,「婦人労働力の積極的活用」がいわれるようになった高度成長期後半にも,事態は基本的に変わっていない。1963年の経済審議会「経済発展における人的能力開発の課題と対策」は,アメリカの既婚者女性の再雇用を模範に,中高年女性のパート就労を奨励する。ただし,そこでも家庭責任が女性にあるとの指摘は忘れられていない。他方,女性の正規雇用については,1964年の日経連『女子従業員管理の考え方と実際』がこう述べる。「一般論としては,既婚者より未婚者が適当であり,有夫有子の女性よりも独身の女性が歓迎されることは常識」であり,根本的には「主婦としての家事,母や妻としての諸責務」が働きながら果たせるようにならない限り「既婚女性がそのまま職務に就くことは,無理であり,不自然である」8)。正規雇用の女性には,やはり若年退職を強要し,これを家庭に追い込んでいくということである9)。
さらに財界は男性企業戦士の「銃後」を手厚くするために,主婦が倒れた場合に備える「事業内ホームヘルプ制度」をつくる。労働省の通達「事業場における従業員家族のための家事援助制度の推進について」(1960年)は,この制度の趣旨をこう説明している。「労働者の家庭生活の安定向上を図ることは,労働者の福祉はもとより,労働生産性の向上に極めて大きな意義をもつものであることにかんがみ,労働者家族福祉対策の一環として,労働者家庭に対する家事援助の制度を次の方式により広く全国の事業場に普及することによって,労働者家庭の安定をはかり,あわせて婦人の新しい職業分布の開拓ならびに近代的家事サービス職業の確立に寄与しようとするもの」。ここにはこれが「労働生産性の向上」を目的とする制度であることが露骨に表明されている。また労働省『主婦の病気・出産時の静養に関する調査──調査結果報告』(1960年)は,妻が病気で3日以上床についたさいに,半数の家庭で夫が勤務を休んで家事を行っており,妻の病気一回についての夫の欠勤数が平均3~7日になると述べていた。このような男性欠勤者を企業に生まないことが,制度創設の目的だったわけである。1960年にはヘルパー養成講座が開催され,修了者は本田技研,日立製作所,日本長期信用銀行,東京瓦斯,関西電力などに就職した。この制度は少なくとも80年代にまで存続していたという10)。
〔差別の扉をこじあける〕
こうした財界の政策は,女性を「銃後」に追いやることにいつでも成功してきたわけではない。そこには働く権利を求め,この政策に正面から立ち向かう女性たちの闘いがあった。闘いが裁判の形で行なわれるようになるのは1960年代に入ってからのことである。最初の裁判は,1966年に結婚退職制は憲法違反との判決を勝ち取った住友セメント裁判である。これをきっかけに,30才定年制や出産解雇との闘い,男女定年差別との闘いなど,血のにじむような差別撤廃の闘いがつづいていく。
名古屋放送(現名古屋テレビ放送)の定年差別との闘いでは,会社側は「生理と出産で休養を必要として深夜業も禁止。女性労働は高くつく」と,差別の目的が人件費抑制にあることを露骨に語っていた。また唐津赤十字病院における男女定年差別裁判の一審判決は「もともと女子は,50歳から生理機能が著しく低下し,55歳女子の機能は70歳以上の男子のそれにひとしい」とする驚くべき内容を含んでいた。これほどに資本の政策は横暴であり,これに影響された司法の常識も深刻であった。長く粘り強い闘いが,このいずれの障壁をも乗り越えていくが,個々の企業における差別の背後に財界・大企業全体による女性への家庭責任強要の政策があり,それが闘いをつねに重く厳しいものとする大きな理由となっていた11)。
〔女性保護撤廃を前提とした雇用機会均等の承認〕
その後1975年を転換点として,女性労働力率の一定の上昇がはじまる。専業主婦比率のゆるやかな低下の開始である。ただし変化は直線的ではない。労働力率は75年45・7%から90年50・1%へ上昇するが,その後,戦後最悪の不況と労働環境悪化の中で,95年50・0%,2000年49・3%,05年48・4%と再び低下する。86年には雇用機会均等法が施行されるが,それは女性労働力率の向上をもたらすものとはなっていない。そこには男女平等という法的形式のもとに,依然として女性に家庭責任を強制し,また低賃金労働者としてのみ女性を活用したいとする財界の周到な企みがあった。
1977年には政府の婦人問題企画推進本部が「国内行動計画」の中で,男女の雇用平等をすすめる前提として,女性保護の見直しを提起した。また労働力不足の中で女性パート労働が拡大する1969年に設置されていた労働基準法研究会は,78年の報告書で次のように述べていく。「早い機会に男女平等を法制化することが望ましく,そのためには早急に男女の実質的平等についての国民の基本的合意を得ることが必要であり,同時に保護規定について合理的理由のないものは解消しなければならない」12)。雇用の平等と引き換えに女性保護の「解消」をすすめる姿勢が,早くもこの時点で表明されていた。
労働基準法第4条はこうなっていた。「使用者は,労働者が女性であることを理由として,賃金について,男性と差別的取扱いをしてはならない」。その上で女性の保護について,①時間外労働の制限,②休日労働の禁止,③深夜業務の禁止,④産前産後6週間ずつの就労禁止,⑤生理休暇の承認などを定めていた。女性労働の広まりと,男女平等を求める内外の取り組みに対応して,財界・大企業は利益の重石となるこの保護の撤廃を真剣に追求しはじめていた。日本財界がその動きをつねに「参考」とするアメリカでは,1964年の公民権法第7篇で男女の雇用差別を禁止し,同時に州法にふくまれた女性保護(坑内労働禁止,長時間労働の制限,深夜業・重量物運搬の制限,産前産後一定期間の就業禁止など)が廃止されていた。また71年の雇用機会平等法設置に際して雇用機会平等委員会が示した「性差別に関する指針」は,従来の女性保護を「女性個人の能力や好みを考慮に入れないものであり,したがって性に基づく差別」だと正面から否定するものになっていた13)。
他方で1979年には国連で「女子差別撤廃条約」が採択される。その第11条は1項で「締約国は……雇用の分野における女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとる」,2項で「締約国は,婚姻又は母性を理由とする女子に対する差別を防止し,かつ,女子に対して実効的な労働の権利を確保するため,次のことを目的とする適当な措置をする」と述べ,その措置の中に母性休暇の保障や,仕事と家庭の両立に必要な補助的な社会的サービスの提供(特に保育施設),妊娠中の女性に対する特別の保護がふくまれていた。それは財界が求める保護なし平等とはまったく内容の異なるものであった。
政府は,内外の世論に押され,85年にこの条約を批准する。しかし,これに前後する財界の議論は,批准に消極的なものであった。「平等の前提として保護の見直しが必要という点では4団体(日経連,経済同友会,経団連,日商)の考え方が一致していた」。日経連は83年に「男女平等の法制化は,労働基準法の女性保護規定の撤廃が先決であり,現状のまま法制化を強行すると,わが国の労働慣行を根底から覆し,終身雇用制にも影響を及ぼす恐れがある」という。これは男性長時間労働体制を支える性別役割分業への執着といえる。経済同友会は84年に,やはり「早急な法律の規定によって解決できる性格のものではな」く,人材育成は「企業戦略上の重要な柱」であるから,これを「画一的に制度化してはならない」とした。また84年に日経連はあらためて「婦人少年問題審議会の建議に対する所感」を発表し,「現在我が国の女子労働者の扱い方は,我国の社会通念や女子自身の職業意識・就業形態を反映したものであって,それなりの合理性をもって続いてきた」,その急激な変革は「企業に重大かつ無用の混乱を起こし,ひいては企業活力を減殺することになる」と,女性の権利拡充の上に,はっきりと企業利益を置く姿勢を打ち出していた。労資の対立の中で政府は,差別の撤廃については企業の努力に下駄を預け,母性保護の一部を拡充しながら一般女性への保護規制を緩和する雇用機会均等法を85年に成立させた。それは女子差別撤廃条約が本来の理念として追求するものには,遠く及ばぬものである14)。
95年には日経連が「新時代の『日本的経営』」を発表し,終身雇用制と年功序列賃金の見直しによる総額人件費削減,労働力流動化の政策を打ち出した。95年に39・2%だった女性の非正規雇用比率は,05年までに52・5%へと拡大する。また99年実施の均等法改正は,財界悲願の労働基準法からの女性保護撤廃と抱き合わせで行なわれることになった。その結果は「過労死の男女平等」を招き,一時的には総合職にしめる女性比率を低下させるものとさえなった。
財界は戦後,一貫して男性中心の長時間・低賃金労働の維持を労働力政策の基本にすえてきた。女性に対する家庭責任の強要と男性以下の低賃金での活用は,これと一体となるものである。均等法の制定に際して,財界が女性保護の撤廃に執着した根本の理由は,第一にこの長時間労働体制をくずしたくないこと,第二に女性雇用のコストを引き上げたくないことであった。中でも前者により重要な位置づけがあたえられたことは,99年施行の労基法改正論議の中で,財界が均等法への禁止規定の導入と労基法の中の女性保護規定の撤廃との事実上の取引に応じたことに明らかである。長すぎる労働時間に手をつけない限り,法的平等の強化は現実の平等を進める大きな力とはならない。そのことを良く理解したうえでの財界の行動であった。限りなき労働時間延長の危険をはらむホワイトカラー・エグゼンプションを逆手に取って,労働時間短縮に向けた世論を喚起することが,男女平等推進のためにも重要な課題となっている。
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すでに字数は尽きた。第4節を十分整理・展開できなかったことが残念である。女性の家庭における「内助の功」を支える側面をもった配偶者(特別)控除や主婦年金など社会保障制度の評価,生産手段の「共同所有」への移行を男女平等実現の根本条件にあげたエンゲルス『家族,私有財産および国家の起源』の検討などとともに,今後の課題としておきたい。
1)竹中恵美子『戦後女子労働史論』(有斐閣,1989年)229ページ「表7─1 女子労働力率」。
2) 前掲・竹中恵美子『戦後女子労働史論』246ページ。
3) 1955年時点での男女賃金の格差(男性を100とした場合の女性賃金の比率)は,フランス87・4,西ドイツ57・9,イギリス51・7,日本43・6となっており,また65年時点での格差は,フランス83・1,西ドイツ68・1,イギリス48・8,日本47・8となっている。そもそもの賃金格差が大きいことと,高度成長の10年間に格差の縮小がほとんどなかったことが日本の大きな特徴となっている。同右,201ページ「表6─18 男女賃金格差の国際比較」,261ページ「表7─10 各国における男女賃金格差の推移」より。
4) 以上は,大須賀哲夫・下山房雄『労働時間短縮』(お茶の水書房,1998年)10~11ページ「表0─2 戦後工場労働者労働時間」,前掲『平成18年版・労働経済白書』318ページ「第15表 1人平均月間実労働時間数及び出勤日数の推移」,労働総研労働時間問題研究部会編『非常識な労働時間』(学習の友社,2006年)などによる。
5) 藤本武『世界からみた日本の賃金・労働時間』(新日本出版社,1991年)31ページ「表2─2 年間実労働時間の変化」,前掲・全労連・労働総研編『2007年国民春闘白書』90ページ「データでみる国際比較」など。
6) 落合恵美子『21世紀家族へ〔第4版〕』(有斐閣,2004年)は,高度成長期に大衆化したサラリーマン家庭の「近代家族」を,先進国に普遍的な「20世紀型近代家族」が,日本的独自性をもちながら成立したものととらえている。98~114ページ。
7) 横山文野『戦後日本の女性政策』(勁草書房,2002年)32~34ページ。
8) 同右,84ページ,87ページ。
9) 同右,387ページ。「高度成長期以降,働く女性の数は増えている。当初は若年未婚女性が中心だったが,徐々に既婚女性の労働力化が進み,勤続年数も伸びて行った。しかし,政府の女性労働力政策は女性に家族的責任を負わせながら,安価な縁辺的労働力として労働市場への参入を促進するものだった…」。
10) 清水美知子『〈女中〉イメージの家庭文化史』(世界思想社,2004年)192~200ページ,207ページ。
11) 中西英治『輝いてしなやかに──物語男女差別裁判の40年』(新日本出版社,2002年)。
12) 前掲・横山文野『戦後日本の女性政策』144ページ。
13) 前掲・竹中恵美子『戦後女子労働史論』123ページ。
14) 前掲・横山文野『戦後日本の女性政策』217~219ページ。
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