以下は,基礎経済科学研究所『経済科学通信』第113号(2007年4月)の30~36ページに掲載されたものです。
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改憲をめぐる社会の対立が,次第に激しさを増しています。防衛省法や違憲教育基本法につづく改憲手続き法の提案に,6000を超える「9条の会」や憲法改悪反対共同センターの取り組みが対峙しています。ここでは自民党「新憲法草案」の問題点を,東アジアと日本の関係という角度から考えてみたいと思います。
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2004年から毎年夏休みに,大学の3年ゼミ生と韓国の「ナヌムの家」へ行っています。かつて日本の政府と軍により「慰安婦」(性奴隷)を強制された被害者が生活されている場所です。また今年(2006年)の夏には,4年ゼミ生といっしょに沖縄へ出かけ,普天間の米軍基地や,かつての戦争の傷跡が生々しく残る嘉数高台,ひめゆり平和祈念資料館なども見てきました。その場での学生たちの様子や私の感想もお話したいところですが,今日は時間が限られていますので,これは別の機会にまわしたいと思います。
Ⅰ 自民党「新憲法草案」の特徴と問題点
さて,2005年10月28日に自民党は「新憲法草案」を発表しています。したがって「9条があぶない」「憲法が変えられようとしている」というだけではなく,どのように変えられようとしているかを突っ込んで学び,また語ることが必要になっているわけです。ここでは「草案」の問題点を大きく4つ指摘しておきたいと思います。
(1)かつての戦争を正しかったとする国づくり
「日本国憲法」には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」(前文)と,侵略戦争への反省を前提とした不戦の誓いが記されています。しかし「草案」はこれらを完全に削除し,これにかわって「日本国民は,帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」と,この国が行う政治のすべてに無条件の賛意を評することを求めています。これは教育基本法「改正」案が,子どもたちに教え込む徳目のひとつに「愛国心」をあげていることとも合致することです。
戦争への反省が消されているというのはどういうことでしょう。それは「反省はもうしなくていい」という消極的な意図からの変更ではありません。「あの戦争は正しかった」と国民の誰もが胸をはって語る,そこにはそういう国づくりをしようとする攻勢的な狙いが込められています。自民党主流の歴史観がかつての戦争を肯定して恥じない靖国史観にもとづくことを,決して軽視してはなりません。
(2)国内外で軍事活動のできる自衛軍を
「草案」は第9条第2項を,さらに4つの小項目にわけています。その小項目の第2項で「自衛軍」の保持を明記し,第3項ではこれが自衛の活動のほか「法律の定めるところにより,国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」「緊急事態における公の秩序を維持し,又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」としています。
対外的な軍事活動の「協調」の相手が,年間二百数十日の共同演習をすでに行っている米軍であることは明らかです。そうした「活動」が国連の議決ともまるで無関係に行うことができるということです。「法律の定めるところにより」というのは,たとえば「イラク特措法により」ということですが,安倍首相はいちいち法律を制定するのは煩わしいから「恒久法」をつくれと言い出しています。また後半で,この軍隊が「公の秩序を維持」するために国内で活動できるとしていることも重大です。「公の秩序」という言葉は,この「草案」に何度も出てくる言葉ですが,その時々の政治といった意味になっています。となるとこれは,戦前の「国体護持のために」というのと大きくはかわらないものになってきます。
(3)人権の上に「公の秩序」を据える
憲法12条は国民の権利や自由の「濫用」にふれていますが,何が濫用かを判断する主体は「国民」だとなっています。しかし「草案」はこれを「常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し,権利を行使する責務を負う」と制約します。個人の自由や権利を保障するために政治があるというのではなく,反対に政治が個人の自由や権利を制約するものとして現れるというわけです。
06年4月施行の障害者自立支援法は,福祉施設の利用者に障害の重さに応じた料金を求める悪法ですが,これは「障害者は自立支援法に反しないように自由と権利を享受せよ」という,この「草案」の先取りになっています。先日まで「構造改革」推進の中心に立っていた竹中平蔵氏は,社会保障を「たかり」と非難していましたが,この条文はそのような「自己責任」論をかざしながらの公的保障の解体という,現在の自民党路線を憲法化するものともなっています。
(4)第二・第三の改憲をやりやすく
憲法96条は改憲案を国民投票にかけるには,国会議員の三分の二の賛成が必要だとしていますが,「草案」はこれを過半数で良いとしています。自民・公明だけで改憲の発議ができるようになるわけです。これは彼らの改憲が「草案」の限りにとどまるものではなく,第二・第三の改憲がただちに予定されていることを示すものです。かつて3%で導入された消費税が5%に税率を高め,さらにこれを10%以上に高める企みが行われているように,この改憲にも「小さく生んで,大きく育てる」思惑があるということです。
Ⅱ 自民党流改憲がめざすこの「国のかたち」の本音
改憲を繰り返すことの先に,自民党はどのような日本社会を展望しているのか。それについては2004年11月の「憲法改正草案大綱(たたき台)」を見るとよくわかります。これは大変露骨な文章です。
(1)天皇を元首に,生存権は守らない,大企業は野放しでいい
まず「大綱」は「天皇は,日本国の元首であり,日本国の歴史,伝統及び文化並びに日本国民統合の象徴として我が国の平和と繁栄及び国民の幸せを願う存在であって,その地位は,主権の存する日本国民の総意にもとづくことを確認する」としています。国民が選出することのできない天皇を「元首」にすることと,主権が国民にあるとすることの矛盾についてはまったく説明がありませんが,それでもここに国民から天皇への何らかの政治的権限の委譲がたくらまれていることは明らかです。
社会保障については「現行憲法の権利規定の一部(例えば,25条の生存権規定など)についてもこの節の中に位置づける」と述べ,こらに「この節」の内容を「『基本的な権利・自由』とは異なり,『権利』性が弱(い)」節だと説明します。生存権は国民の基本的な権利ではないというわけです。こういう考え方が根底にあるから,障害者いじめ,高齢者いじめ,弱いものいじめの政治が平気でできるということです。
経済の問題で重要なのは「企業その他の私的な経済活動は,自由である」と,あえて確認していることです。大企業の「自由」はむしろ度を越しているのが日本社会の現状です。企業の利益第一主義は,JR西日本の転覆事故を見ても,雪印乳業による賞味期限切れ牛乳の再利用を見ても,欠陥があって危険なことを承知でクルマを売った三菱自動車を見ても,外からの歯止めがなければ人間の命と健康を顧みる力さえ充分に持てないことは明白です。だからこそ企業の経済活動については「法的ルール」にもとづく規制を加えることが必要です。「ルールある資本主義」というのは,このむき出しの競争が大企業から引き出す危険性を,市民の安心できるくらしと両立できるようにコントロールしていくことですが,「大綱」は正面からそれに逆行するものとなっているわけです。
(2)「大綱」から「草案」へ,財界からの書き直し要請
これが「新憲法草案」の前にあった「草案大綱」です。これを先の「新憲法草案」へと書き換えるうえで重要な役割を果たしたのが,日本経団連の文書「わが国の基本問題について」でした。「草案大綱」が2004年11月,「新憲法草案」が2005年10月ですが,「基本問題」はその間の2005年1月に発表された文書です。日本経団連のこの文書は,改憲を9条第2項と96条に限定することを求めるものでした。とりあえず海外派兵さえ合法となれば,あとは第二・第三の改憲をつうじてやれば良いとの立場です。この財界の入れ知恵を受け入れて,自民党はあまりに露骨な「大綱」を形の上では撤回して,今日のよりスマートな「草案」をつくりました。改憲実施の内容や手順についても,財界は重要な役割を果たしているわけです。
Ⅲ 東アジア共同体の形成へ
こうした侵略戦争肯定の動きと一体ですすめられる自衛隊(軍)海外派兵の動きに,東アジア各国が敏感に反応するのは当然です。これらの国は,日本の侵略行為によって2000万から3000万の命が奪われた地域であり,そして日本はその加害の承認と反省を今日まで曖昧にしつづけてきた国なのですから。
(1)すすむ東アジアの連帯と共同
東アジアでは平和の共同を土台に,経済の共同がすすめられています。ベトナム戦争の最中に,あえてアメリカ側につくことをしない「中立」の立場をとって結成されたASEAN(東南アジア諸国連合)は,現在,経済・安保・社会の3つの分野での共同体づくりをすすめています。発足当初の加盟国はインドネシア,マレーシア,シンガポール,フィリピン,タイの5ケ国でしたが,いまはミャンマー,ブルネイ,カンボジア,ベトナム,ラオスが加わり,東南アジアのすべての国を含むようになっています。
国際的な投機活動がもたらした97年のアジア通貨危機は,これら各国に深刻な経済的打撃を与えましたが,同時に,それはアメリカの経済的支配からの脱却をめざす強い意志を,ASEAN諸国にもたらすものともなりました。97年からは「ASEANプラス3(日中韓)」の会議が,毎年開かれるようになっています。
さらに2005年12月には,第1回の東アジアサミットがマレーシアで行われます。アメリカはこれに,アメリカを締め出すものであり反対だとの態度をとり,日本政府も参加するなと恫喝をしてきました。アーミテージ元国務副長官は,2005年5月前後に「日本がこの動きに同調することの実益はほとんどない」「米国を日本から引き離すことで,日米同盟を弱体化させようとの意図すら見受けられる」「中国は積極姿勢を見せている。米国を除いた協議に加わることには,非常に意欲的だ」とまでいいました。
しかし,ASEAN等の意志は固く,会議は揺らぐことがありませんでした。結局,ASEANの10ケ国に「プラス3」の3ケ国,これにインド,オーストラリア,ニュージーランドが加わった16ケ国で会議は開催されました。採択された「クアラルンプール宣言」は,東アジアにおける経済共同の推進をかかげるものとなっています。サミットへの参加資格としてASEANは,互いの「永久の平和」を約束する東南アジア友好条約(TAC)への加盟を求めました。当初この会議をアメリカと同じ立場から批判していたオーストラリアは,TACについてもテロの時代にふさわしくないと否定しましたが,会議の直前に手のひらを返し,TACへの加入を表明してサミットの一員に滑り込みました。
この東アジアには,すでに共通通貨を探求する動きも存在しています。東アジアは北米やEUよりも域内貿易比率が高い地域ですか,こういう地域での為替の変動は互いの安定した関係の障害物となります。2000年には「ASEANプラス3」蔵相会議で,加盟国間での「通貨スワップ(交換)協定」が結ばれました。さらに2002年の日中通貨スワップ協定では,日銀理事だった松島正之氏から「アジア通貨を育てていく意思表示」という発言も聞かれました。2006年5月に行われた日本経済新聞社主催の国際会議「アジアの未来」でも,複数の参加者から「域内の貿易をなぜドル建てで行う必要があるのか」「アジア通貨単位(ACU)を導入すれば,域内貿易決済の際の為替レートも安定する」「アジア開発銀行(ADB)は……ACUの役割について検討して(いる)」との発言がありました。
実は日本の財界も,たとえば2003年1月の奥田ビジョンの中で,「東アジア自由経済圏」構想の一環として「アジア通貨基金の創設」を明示しています。さらにビジョンを解説した奥田氏の『人間を幸福にする経済』(PHP研究所,2003年)は,長期的には「為替リスクのない通貨統合」が必要だと明快に述べていました。具体化はこれからのこととなりますが,東アジアの共同は,すでに通貨統合を視野にふくめるまでになっているのです。
(2)アメリカによる対中政策の大きな変化
もう一つ注目したいのは,先ほどのアーミテージ氏のような中国敵視の「力の政策」を,アメリカ自身が転換してきているという問題です。2002年のブッシュドクトリンは中国を,「あなどりがたい資源基盤をもつ軍事的競争者」になりうる国ととらえました。しかし,2005年秋以降,アメリカは中国に対する軍事カードを保持ながらも,他方で経済的パートナーとして接することを重視する,力と交渉の二面政策をとるようになってきています。
こうした転換の1つの要因は,東アジアに対する恫喝がすでに効果をもたなくなってきていることですが,もう1つ,より重要な問題は,中国の胡錦濤政権が「第11次5ケ年計画」で内陸部開発に本腰をいれ始め,これによって中国の消費市場が新たに数段拡大する可能性が生まれてきており,その市場にアメリカ財界が食い込みたいということです。この中国の政策変化を受けて,スノー財務長官はただちに中国に飛び,内陸部重視の政策を称賛しました。間髪いれず11月にはブッシュ大統領が訪中を果たし,両国関係を「建設的パートナーシップ」と表す共同声明を発表します。同じ時期にシーファー駐日大使も「米国がアジアに参加できる限り,誰も米国をアジアから排除しようとしない限り,たとえ米国を含まなくても,どんなフォーラムや何かにも特別な問題があるとは思わない」と,東アジアサミットの開催と,これへの日本の参加を承認していきます。
こうしたアメリカの対中政策の転換や,繰り返される米中の首脳会談を日本のマスコミがあまり報道しないことの背後には,日本政府の対中強硬外交の孤立を浮き立たせたくないという政治的な配慮があるのかもしれません。
Ⅳ 日本財界の東アジア政策
(1)アメリカとの連携のもとでの対東アジア経済政策
日本経団連による2005年1月の「わが国の基本問題について」は,アメリカを「わが国の繁栄を支える最大のパートナー」としながら,中国を「経済面では,米国に次ぐ重要なパートナーとなりつつある」ととらえました。ここでは「東アジア自由経済圏の構築と日米同盟の強化」が外交の2本柱とされています。この時期はまだアーミテージ流の反中国論的姿勢がアメリカ政府に強くあった段階ですが,それでも財界は自らの利益を考えて,東アジアへの経済的接近を考えずにおれなかったということです。
また中曽根康弘元首相を会長とし,「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者でもある伊藤憲一氏が議長をつとめる東アジア共同体評議会(2004年5月成立)は,東アジアの共同体形成を「不可逆的なうねり」ととらえ,その中でいかに日本の国益を追求するかという立場から東アジア研究を深めるものとなっています。この会議には「参与」の形で,文科省,外務省,財務省,経産省の現役官僚も名をつらねています。
この会は2005年7月に政策報告書「東アジア共同体構想の現状,背景と日本の国家戦略」を採択しましたが,そこには日本のめざす東アジア共同体構想は,日米関係を発展させ,この地域におけるアメリカの貿易・投資を促進するものだという文章が含まれています。あくまでもアメリカの対東アジア政策との連携をとって日本の国益を追求するということです。なお報告書は5月発表とのことでしたが,予定が2ケ月ずれこみました。5月はまだアーミテージ氏が先のような態度を表明していた時期でしたから,政治的に微妙な問題という判断があったのかも知れません。
(2)経済同友会やアメリカの批判と『美しい国へ』
これに対して経済同友会は,かなり自由にアメリカ離れの必要や日本政府への批判を行っています。2005年2月の「日本の『ソフトパワー』で『共進化(相互進化)』の実現を」は,これまでの「米国一辺倒」をやめ,アジアの中に新しいパートナーを探すことの必要を語り,アメリカに「苦言を呈す」国になるためにインドや中国,韓国等との友好を深める必要があると言いました。これは時期的にはアメリカの東アジア政策の転換が明らかになる前の段階でのことですが,それでも直前に発表された「わが国の基本問題について」との温度差は明瞭です。
また2006年3月「東アジア共同体実現に向けての提言」,5月「今後の日中関係への提言」は,日本政府に対して「相手側にとって,疑心暗鬼に繋がるような言動は慎むべき」「近現代史の教育を充実させ,若者に過去の戦争という事実を正視させる努力が必要」「『不戦の誓い』をする場として,政教分離の問題をふくめて,靖国神社が適切か否か,日本国民の間にもコンセンサスは得られていない」と大胆に述べています。今後かなり長期に渡る東アジアとの経済交流の深まりがあることを展望して,靖国問題にとどまらずもっと根本のところから「歴史問題」を解決することが必要だと考えているのでしょう。金儲け第一主義からのことではありますが,儲けのためにはそれが避けられないというのが今の世界の力関係だという認識です。
なお最近はアメリカも,東アジアでの日本のリーダーシップの回復という角度から,靖国問題の解決を日本政府に迫っています。東アジアの共同体をアメリカ財界にとって有利なものとするために,日本のリードが不可欠だという判断です。安倍晋三氏は『美しい国へ』(文春新書,2006年)でも,土下座外交はダメだと繰り返し,靖国史観に対する反省はどこにも述べていませんが,侵略戦争の肯定によって東アジアとの友好を害するこの立場は,いまや財界からもアメリカ政府からも批判の対象となっているわけです。財界・アメリカいいなりを売り物とする自民党政治が,この軋轢にどう対処するかは日本の今後を占う大きなポイントの一つとなるでしょう。
Ⅴ 「新憲法草案」と日本経済
改憲が日本経済にどういう影響を及ぼすかについて,国内の問題と,東アジアとの経済交流に新たな障害を生み出す問題との二つの角度から考えてみます。
(1)技術の破壊,消費の破壊,軍需産業の成長とアメリカ企業のさらなる参入
国民の生存権を否定する「草案」や「大綱」の方向は,27条の労働権の変質にもつながっています。まっとうな賃金は労働者の生存に不可欠ですが,生存権の否定はまっとうな賃金のますますの解体をすすめるものとなっています。「ワーキングプア」の合法化です。
すでに非正規雇用の拡大による貧困の増大については,政府内部からさえ不安の声が上がっています。2006年7月の『経済財政白書』は「構造改革」推進の司令塔からの「白書」であり,「構造改革」の礼賛を大前提としています。しかし,その中からは現実を分析する官庁エコノミストたちの深いため息が聞こえてきます。
その1つは「ワーキングプア」を生み出す非正規雇用の拡大が,ベテランから若手への技術の継承を破壊しているという問題です。「白書」は「終身雇用(は)日本の技術分野における比較優位の構造と密接な関係をもっている」との表現で,非正規雇用が増大していく現状への強い不安を語っています。
もう1つは,貧困者の拡大による国内消費の長期にわたる巨大な冷え込みという問題です。生産と消費のギャップの拡大です。賃金は生存権の保障を考慮せず,社会保障もますます衰弱していく。他方で,相対的に収入の高い団塊の世代がゴロッと年金生活に抜けていく。そうなれば国内の個人消費の萎縮はあまりに明白です。さらに,将来に希望の見えない社会にあって,貧困を本人責任に還元し,社会問題を個人問題にすりかえるイデオロギーが,若い世代のやる気を奪っていくことも重要です。
ただしこれらの問題を部分的には指摘しながら,「白書」はあくまでも「構造改革」推進の立場を転換しません。ここに現在の政財界が陥っている客観的な行き詰まりと,主観的なある種の陶酔感,また無責任な自暴自棄の気分が表れているように思います。ついでにいえば『少子化社会白書』や『労働経済白書』が長時間労働を問題視しながら,やはり労働法制「改革」をすすめる立場にあるというのも同じことです。
他方で,先の「私的な経済活動」の自由は,規制緩和のますますの推進を憲法上の方針とするものですが,それは日本の労働力や技術力,消費力をアメリカ大企業に明け渡すものともなっていきます。また海外派兵や武器輸出拡大をつうじて日本の軍需生産が伸びることがあるかも知れませんが,それは非正規雇用拡大政策のもとでは,衰退する消費の穴を埋めるものとはならないでしょう。他方で,戦争があれば儲かるという経済の軍事化の推進は,決して選ばれてはならない道です。
(2)成長する東アジアとの経済交流に新たな障害
2006年5月の「アジアの未来」で,たとえばシンガポールのリー・クアン・ユー顧問相は「中韓は日本と協力したい気持ちをもっている。日本の投資や技術,市場を必要としている。しかし,いらだちの種が何度も表面化すればそうした動きは鈍化するだろう」「日本の指導者が,本当に反省や過去の清算をしていないと中韓が感じるかぎり,問題が表面化して不必要ないらだちや摩擦を生む」と述べました。小泉首相の靖国参拝に対する率直な批判です。見られるように東アジアには日本経済への期待がないわけではありません。しかし,投資・技術・市場といった期待どおりの働きをするには,前提として歴史問題の解決が必要になってきます。侵略の反省を消し去り,自衛軍の海外派兵をすすめる改憲は,ここにさらに大きな障害を生むものとなるでしょう。
戦後日本の財界は,アメリカ市場への過度の依存によって急成長を果たした歴史を持ちます。しかし,アメリカへの過度の依存はドルによる日本経済への恫喝をアメリカ政府に可能とさせ,実際円高回避のために日銀は巨額のドルを保有しつづけ,しかもそのドルをアメリカ政府の財政赤字を埋めるための国債購入に使うという格別のアメリカ奉仕を余儀なくされています。本来であれば,新しい巨大な輸出市場としての東アジアの登場は,過度のアメリカ依存とこのドルの軛からの解放への一歩となりうるものですが,改憲への動きはせっかくのこの道にも自ら障害を据えるものとなっています。
Ⅵ 憲法どおりの国づくり
最後に,憲法を守る取り組みは,改憲の動きに身をかたくして耐えるだけの受け身の取り組みなどではありません。「憲法どおりの国づくり」をすすめようという,社会の新たな改革に向けた合意を広げる取り組みです。すでに全国には6000を超える「9条の会」がつくられ,多くの学習,署名,宣伝活動が行われています。決してその取り組みは孤立を深めているわけではありません。それが孤立しているかに見えるのは,大手マスコミがこれを「黙殺」しているからです。この意図的な意気消沈策に乗せられないことが大切です。
国会の中の護憲派の力は弱いですが,政治は国会の議席の数だけでは決まりません。改憲をすすめようとする政府に,たくさんの国民が立ちはだかっています。その国民の取り組みが,国会内部の護憲派の動きと結びつけば大きな力を発揮します。実際,2006年春の国会では,政府が最重視した医療改革,教育基本法,共謀罪,改憲手続き法の4つのうち,成立したのは医療だけです。為政者もまた国民の運動の様子を見ながら状況をコントロールせずにおれません。改憲手続き法の中には国民投票法がありますが,これは秋の国会で成立しても施行は2年後の2008年末となるものです。憲法擁護を願う国民との力比べのなかで,改憲派のスケジュールも思うとおりには動いていないのです。日本経済の健全な発展のためにも「憲法どおりの日本」をめざす声を大いに広げていただきたいと思います。
Ⅶ 補足・2007年1月の時点で
以上は,2006年9月の講演を基本的にはそのまま原稿にしたものです。以下,いくつかの情報を付け加えておきます。
①安倍首相は,財界・アメリカを含む内外の批判を前に,靖国史観派としての信念を前面に打ち出すことができなくなりました。10月の中国訪問に際してはこう述べずにおれなくなっています。「日本は歴史上、アジアの人々に大きな損害と苦痛を与えた。歴史を深く反省するという基礎に立ち、平和的発展の道を堅持するというのは日本の既定政策であり、変わることはない。日本側とわたし自身は、両国関係に影響を与えている政治的困難を克服し、両国関係の正常で安定した発展を促進するという両国の共通認識にしたがい、歴史問題を適切に処理する」(人民日報日本語版,2006年10月9日)。2007年1月6日に明治神宮参拝を行い「保守主義者」ぶりをアピールしていますが,靖国史観の時代遅れと孤立はますます深まっているといえるでしょう。
②12月15日に,憲法が保障する内心の自由に反した違憲教育基本法が成立しました。同じ日に,自衛隊の本来任務に海外派兵を加える防衛省法も成立しています。しかし,社会全体の状況は,一路改憲をめざすものではありません。安倍内閣の支持率は「読売新聞」で2006年10月の70・0%から07年1月の48・4%へと急落しました。20代の若者では不支持が多数派となっています。1月4日から10日までの「ヤフー」の投票では改憲反対53%,賛成45%と反対派が多数を占めました。
③1月4日の年頭会見で安倍首相は,改憲を7月の参議院選挙の争点にすると述べました。参議院選挙の結果は4月の一斉地方選挙に大きく左右されることになるでしょう。自民党以外にも公明党が「加憲」,民主党が「創憲」の立場をとり,若干の条件の違いはあっても海外派兵に賛成の態度をとっています。実際,年末の防衛省法には,出席した民主党の全議員が賛成票を投じました。他方,社民党は「護憲」を主張しながら,参議院選挙で民主党との選挙協力を行うとしています。改憲が争点となる選挙で何を一致点に「創憲」の党と協力することができるのか,厳しい目をもって注目したいところです。
〔参考文献〕
①拙稿「安倍改憲内閣と『もう一つの日本』」(『月刊・全労連』2007年1月号)。
②拙稿「憲法九条こそ日本経済再生への道」(『経済』2005年1月号)
②拙稿「自立と平等の『東アジア共同体』に向けた日本の役割」(『前衛』2005年9月号)。
③拙稿「前進する東アジアの共同とアメリカによるアジア政策の転換」『前衛』2006年9月号)。
(いしかわやすひろ 神戸女学院大学)
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