新刊紹介「三砂ちづる著『オニババ化する女たち』--女性の身体性を取り戻す」
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
ジェンダーの概念については,フェミニストやジェンダー研究者の中にも多くの解釈がある。とはいえ,男女の肉体的な自然的側面の相違をセックスといい,歴史的に形成される男女の社会的地位の相違や配置をジェンダーという,このような説明が最大公約数としては許されているようである。
こうして男女の関わりを考えたとき,その関係の主体である個人は女であれ男であれ,いずれも自然と社会の総合からなる。だから,たとえば人は「健やかに生きる」ことを考えるとき,多くが心身の健康や肉体の機能――広くは自然環境とのかかわりもふくめて――と,自分をとりまく人間関係――家族・学校・職場・政治など――という2つの問題を視野にいれる。そして「家族関係のまずさで健康を害する」「心身を鍛えてストレスの多い人間関係を乗り越える」という具合に,両者の関わりにも日常的に知恵を及ぼしている。
このように考えるなら,生きた男女の関係をとらえる学問が,女や男の肉体やその歴史的な変化,また肉体についてもその大小や構造だけではなく,構造が果たしうる機能,さらには可能な機能を現実に発揮させる肉体制御の能力等を,研究の対象として自覚するのは当然のこととなろう。
私は「女性の身体性」を論ずる三砂ちづる氏の『オニババ化する女たち』を,このセックスとジェンダーの関連を問わせる材料,視角をふくむものとして興味深く読んだ。本書の構成はこうなっている。第1章・身体の知恵はどこへいってしまったのか,第2章・月経を「やり過ごして」よいのか,第3章・出産によって取り戻す身体性,第4章・女性はなぜオニババになるのか,第5章・世代をつなぐ楽しみを生きる。
著者の専門は疫学であり,辞書を引くとこれは「疾病・事故・健康状態について,地域・職域などの多数集団を対象とし,その原因や発生条件を統計的に明らかにする学問」と説明されている。ただし,わずか数世代前の女性たちに月経血の排泄を意識的にコントロールする力があり,あるいは現代世界における性や性行為の地域的・文化的な相違は大きく,また当人の身体能力の発揮を抑止する医療や生活の問題点など,話題の多くは特別な知識を持たずとも,楽しく読むことのできるものである。
月経・性経験・出産がもつ肉体への影響を軽視すれば女は「総オニババ化」するとか,子宮口にも心がある,子宮を空き屋にしてはいけない等,表現のいくつかには無用な摩擦のタネもあるように思う。また「セクシャルな関係を核にした,知恵の伝承機構」といった家族のとらえ方には,その一面性を突く文字通りジェンダー視角からの批判が可能であろう。しかし,本書の読み手が主として心がけるべきは,社会と身体との相互関係を歴史の中で,あらためて総合的にとらえようとする問題意識の立ち上げではないか。私はそう思いながら,この本を読んだ。
フェミニズムから多くの恩恵をこうむってきたと繰り返す著者は,女がみな子どもを産むべきだと短絡しているわけでない。「望む人はパートナーが持て,性生活があって,結果として子どもができたら子どもを産めて,ということは,人間として生きていく上でとても大切なこと」(p.155)だといい,それを望まない,あるいは行わない場合には「身体」をめぐるリスクがありうることを正しく理解して欲しいというだけである。リスクの有無や内容,程度については,より実証的で具体的な究明を,著者だけでなく多くの研究者に期待したい。
(光文社新書,2004年,253頁,本体価格720円+税)
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