女性の地位向上にまるで反する財界の戦略
--家庭・労働・生活・憲法--
神戸女学院大学・石川康宏
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――今日は日本経団連など財界の21世紀戦略と,私たち女性のくらしや労働のかかわりについてうかがいたいと思います。先生には,以前にも「財界による家事と女性の管理戦略」(2004年3月号)で登場していただきました。
●私は,家族や女性の問題に目を向けるようになってからまだ日が浅いので,あの文章もヒヤヒヤものでした。あれから1年になりますが,いまも勉強するたびに自分の見解が変わっていくという,われながら頼りない状態がつづいています。
たとえば「ジェンダー」という概念ですが,この言葉をつかう人の多くは,社会構築主義という独特の認識論をもっています。そのことの重要さに,今頃になって気付かされているありさまです。こまかい話はひかえますが,この用語をどういう意味でつかうのかについては,唯物論の見地からの具体的な解明をかさねる必要があると思います。それには日本と世界における家族や男女関係の歴史を良く知らねばなりません。また『資本論』はじめマルクス等の研究に,これを考えるどれだけのヒントがあるのかも,キチンと整理する必要があるでしょう。こうした点について,『女性&運動』でも,専門家によるわかりやすい究明を掲載していただきたいと思います。
1,家庭責任を女性に集中させる労働者管理の戦略
――「研究の前進を学者まかせにするな」ということですね。ところで,今日の本題である財界の21世紀戦略についてはいかがでしょう。
●比較的最近の財界によるまとまった文書としては,2003年元日の「奥田ビジョン」がありました。しかし,2005年1月18日には日本経団連の「わが国の基本問題を考える」が出ています。これは憲法改悪のすすめだけではなく,彼らなりに広く日本の「基本問題」を検討したものになっていますから,これを見ていきたいと思います。ただし,その前に,今日までの財界による対女性管理戦略とでもいったものを,少しふりかえっておくことにしましょう。
●まず女性だけに「家庭責任」を集中させるというのが,戦後一貫した財界の戦略になっています。それが,エコノミック・アニマルと呼ばれる男性企業戦士を生み出す重要な条件となったことは,前回述べたとおりです。男は仕事に専念し,女は男(夫)と次世代の労働者である子どもの育成に専念させられます。パートなど短時間の労働をする場合にも,「労働力の生産と再生産」は女の家事労働にまかされたわけです。
しかし,70年代に入ると「高度成長」から「低成長」への経済の大きな転換が起こります。男性賃金の頭打ちの開始です。これに「女性の自立」という考え方の変化が重なり,80年代には女性の職場進出が進みます。しかし財界は企業社会のフルタイマーによる標準労働を,あくまで男性企業戦士の過酷な長時間過密労働にあわせていました。その結果,女性の中の専業主婦比率は低まりますが,多くは経済的に自立できない「企業内の補助的労働」と,帰りの遅い夫には期待のできない「家事労働」との板挟みとなるわけです。86年には雇用機会均等法が施行されます。しかし,フルタイマーの労働時間は短縮されず,家事の軽減につながる子育て・介護の公的保障も充実しません。そのため「企業内の補助的労働+家事労働」という多くの女性の人生に,大きな変化は生まれませんでした。
●さらに99年からの均等法改正は,女子保護規定の撤廃と抱き合わせで行われました。当時の総務庁長官・武藤嘉文氏は「(撤廃への)要望は,日経連とか経済同友会,日本自動車工業会など産業団体が中心だった」とのべています。平等をいうなら男並みにはたらけという「過労死の平等」の追求です。この時,女性の一部にも「男の保護をうけるのはいやだ」といって財界の主張に合流する議論が生まれました。そこは,きちんと総括しておく必要があります。男女の区別や関係を無視し,男性同士の労資関係だけで社会をとらえることは誤りですが,他方で,労資関係――もう少しいえば階級的な支配関係を見ずに男女関係だけで社会をとらえることも誤りです。
こうして戦後の歴史をザッとふりかえっただけでも,企業や家庭における男女平等が,性差別の意識や制度との闘いと同時に,男女双方の労働時間短縮と社会保障の充実を不可欠としていることは明白です。女子保護規定撤廃への賛成論は,特に労働時間短縮の重要性をとらえそこなうものでした。
2,アメリカによる労働条件破壊の戦略も
――平等を追求しているつもりでも,社会のとらえ方が浅いと,逆の結果を招くことがあるということですね。
●社会科学は実践の指針です。その学問による裏づけが浅ければ,善意が思わぬ結果を招くこともあるわけです。
さて,そのうえで,90年代半ばからの労働条件の破壊については,アメリカからの力が大きな役割を果たしました。この問題については,前回ふれることができませんでした。フルタイマーの大規模なリストラや「成果主義」賃金の導入,その一方でのパート・派遣・臨時・バイトなど不安定雇用層の急増はこの時期からのことです。これは誰にも止めることのできない「自然現象」などではありません。アメリカ財界の号令に,日本財界がとびついた結果の「人災」なのです。今日の財界による対女性労働力戦略も,基本的にはこの延長線上にあるものです。
総額人件費の削減と労働力流動化という,労働者とその家族にとっての二大害悪を直接によびかけたのは,日経連(当時)の「新時代の『日本的経営』」でした。この文書が出されたのは95年です。なぜ95年だったのか。ヒントは直前のサミット(先進国首脳会議)にありました。93年東京,94年ナポリ,95年ハリファックス。この3度のサミットで,先の二大害悪の国際合意がつくられていたのです。中心にたったのはアメリカでした。
●91年のソ連崩壊以後,アメリカは軍事的には「国連を活用するが,国連の合意に縛られない」,経済的にはアメリカの大企業・大銀行をいっそう世界各地に押し出していくという「経済・軍事グローバリゼーション戦略」をとりました。その一環として,先進各国の労働条件の破壊がもくろまれたのです。
たとえばテレビを見ているとアリコのコマーシャルがものすごく目につきます。あれはアメリカ有数の生命保険会社ですが,日本に進出すれば,当然日本の労働者を雇います。そのときに,日本人労働者の権利が弱く,彼らをどうにでも安使いすることができるようになっていれば,それだけアリコはもうけを大きくすることができるわけです。新生銀行も,アメリカン・ホームダイレクトも,アフラックも同じです。そして,このアメリカ側の提案に「そうなれば私たちももうかります」とばかりに,日本の財界がとびつきました。そうしてつくられたのが「新時代の『日本的経営』」であり,それ以後の政財界あげての労働法制改悪の路線です。この10年間の急速な労働条件の破壊については,このようにアメリカの経済戦略に対する日本政財界の従属と協調という角度からもとらえる必要があるのです。
●この点について,もうひとつ大切なのは,サミットの合意にもかかわらず,ヨーロッパでは労働条件の破壊がアメリカの思うようには進まなかった事実です。ヨーロッパも日本と同じく大企業中心の社会です。しかし,日本ほどに大企業やり放題がひどい社会ではありません。
労働条件の破壊はヨーロッパの財界にとっても嬉しいことであるわけですが,それを許さない社会の力がヨーロッパにはありました。労働運動や市民運動の力であり,それらと一緒にスクラムを組む政治家や政党の力などです。ヨーロッパなみの「ルールある資本主義」をつくろうというスローガンの実現には,財界に対する労働者(市民)家族の力関係での前進が必要です。そして,その力関係の変化は,アメリカの要請に対しても是々非々で対応するという当たり前の政治を日本につくる一歩にもなるでしょう。
3,女性の負担を重くしていく財界戦略
――日本経団連の最新の文書では,どのように書かれていますか?
●今日のテーマにそっていうなら,第一に,労働時間の短縮については,何の提案もありません。世界最長の労働時間がフルタイマーから家庭をかえりみるゆとりを奪っているわけですが,この現状の改善については何の提案もないということです。それだけではなく,労働条件全般についてほとんど何の言及もありません。つまり,これは何らかの検討が必要な「基本問題」などではないということです。今のままの路線でいいということでしょう。
第二に,社会保障の問題ですが,これはますます抑制の方向です。財政の改革にかかわって「歳出改革における最重要課題は社会保障制度改革である」と述べ,文書は「『自助・自立・自己責任』を社会保障の原則」とするとさえいっています。これでは子育てや介護など女性が背負わされている家事労働の負担は,ますます重くなるばかりです。「少子化対策」という言葉は出てきますが,結果的に待機児童を増やしている現在の政治に対する批判はどこにもありません。
第三に,男女平等の推進についても,文字通りただのひとこともありません。これもまた財界にとっての「基本問題」ではないということです。もっとも,フルタイマーから女性を締め出す長時間労働を放置し,子育てや介護をもっぱら女性に押しつけるこの文書の基本姿勢からすれば,男女平等への道はどこからも出て来ようがないのですが。
第四に,さらなる労働者(市民)家族いじめの策として,「消費税拡充による歳入の確保」がいわれています。無駄な公共事業や軍事費の削減にはひとこともふれず,また大企業の税金については「引き上げの余地はない」と断定し,そのうえで「2007年度頃までに10%程度にまで引き上げ,そのあとも段階的に引き上げ」ていくとしているのです。これではもう踏んだりけったりです。
全体として,これが女性の社会的地位の改善にも,老若男女をあわせた一般市民の経済生活の向上にも,まるで反していることは明白です。こうした方針の実施にストップをかける,労働者・市民の力が急いで形成されねばなりません。
4,改革の指針として憲法を守る
――最後に,憲法問題についてはいかがでしょう。
●日本経団連の文書でも,焦点は第9条にあてられています。自衛隊を正式な「軍隊」として認め,アメリカへの従属的な軍事同盟のもとで,世界各地へのアメリカの介入戦争を軍事的に支援する。それを可能にするというのが最大のもくろみです。「集団的自衛」というわかりづらい言葉がつかわれますが,ようするにアメリカ主導のもとでの日米軍隊の一体化をすすめていくということです。これが日本の多くの国民にとってだけでなく,アジアや世界にとっても,たいへんな迷惑となることは明らかです。
●改悪にストップをかける取り組みについてですが,私は「憲法を守ろう」というだけではインパクトが弱く,また今の日本社会を擁護する保守的な動きだと誤解される可能性があると思います。そこで「憲法どおりの社会をめざそう」「その改革の指針として憲法を守ろう」。こういう改革者の立場からの憲法実現論を展開することが大事だと思っています。実際,国際紛争を平和的に解決する(前文),世界平和の先頭に立って戦争と軍隊を放棄する(第9条),男女平等を社会のすみずみにまでつらぬく(第24条),社会保障などをつうじて,すべての国民の生存権を国家が保障する(第25条),リストラ野放しではなく,国民の勤労権を国家が守る(第27条)など,憲法どおりの日本をつくっていくことは,それ自体,日本社会の相当に根本的な改革を行うことになるものです。
新婦人のみなさんには,せまい意味での「女性問題」ではなく,女性の地位や視野を拠点にして,そこから日本と世界の全体をつかまえにいく。そういうスケールの大きな学びと取り組みを,ぜひ期待したいと思います。
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