『男女平等』は労働運動の戦略課題
--財界は家庭をどう管理しているか--
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
(1)はじめに
「ジェンダー」問題への接近の個人史
私は最初から男性と女性の社会関係を視野に入れて研究をしてきたわけではありません。きっかけは幾つかあるのですが、95年の震災の年に女子大に就職しました。そうすると女性がこれから社会に出ていくということを念頭して経済学をしゃべらないといけないという課題につき当たったわけです。
幾つかの経験のなかで、1つ、深刻だと思わされたのは--私のゼミを卒業していく学生たちはほぼ 100%就職していくんですが--その就職活動のなかで、また、就職してからも差別を体験するわけです。セクハラで職場を追われたという卒業生もいます。こうなると、企業社会における男女の問題を語らないわけにいかなくなるわけです。そこから、男性と女性の社会関係の問題を考えざるを得なくなりました。
2つ目に、経済学の世界で学者の内部からも、女性学者からのある種、告発的な問題提起がありました。それは従来、労働者階級や労働者についての分析という場合に、多くのそれは男性労働者に実際上限定されてはいなかったかという問題提起です。労働者階級の本体は男性であって、女性労働者は特殊な周辺的な部分であるという位置づけ方が学者の間でも長くされてきたのではなかったか。こういう反省が90年代初頭に行われたのです。
可能な限りでの中間報告
うちの大学には,マルクスの『資本論』などをベースにして研究している人は、私の他には1人もいないんですが、同僚の女性たち(=フェミニストたち)とは、「自衛隊のイラク派兵反対」「自己責任論はおかしい」など、日常の政治課題ではかなり意見が一致します。ところが、女性の解放という大きなテーマになると、彼女らのマルクスやエンゲルスに対する評価は非常に辛いんです。誤解の側面もあるんですが、もう一方では、エンゲルスの『家族、私有財産及び国家の起源』が、100年の時代を経て社会環境がこれだけ変わったなかでおうむ返しされているという、われわれの側の知的怠慢という問題もあるのではないかと思わされました。
そこで幾つか啓蒙的なものも含めて、このテーマで論文を書いてきました。きょうの話は、私なりに研究を始めて日が浅いですので、中間報告的なものとして聞いていただければと思います。
(2)現代日本の「女性」がおかれた社会的状態-男性にない多様性
生き方の急速な「多様化」という現象のなかで
よく労働運動がどう発展するかという方向を考えるときには、いまある労働者がどういう位置、状態に置かれているかを見る必要があるといいます。女性たちの運動についても、女性たちのおかれた状態から見る必要があると思います。男性の場合には、学校を出たときに「働くか、働かないか」と考える人はほとんどいません。働かねばならないとずっと刷り込まれて育っています。その意味では人生の選択肢が非常に狭いんです。しかし女性たちは相当に違います。まず学校を出たあと働くか働かないか、家庭のゆとりの問題はありますが、これが選択肢のひとつになりえます。一たんは働いたが、その後何年働くかもひとつの選択肢です。結婚したら、出産したら辞めるなど、ある程度の年齢になったら辞めるという道があります。男性には一般に「寿退社」はありません。そういう具合に男性にはない選択肢が、女性にはさまざまあるわけです。
「労働者」であることの大変さ 「女性」であることの大変さ
働く女性については、労働者であることの大変さがあります。男女共通して日本の労働条件は先進国で最悪です。サービス残業をふくめて労働時間がいま年間で2200~2300時間です。ドイツの年間労働時間が1500時間ですから 700時間以上の差があります。ということは1年間に 250日弱働くとすれば毎日3時間ずつの差があるということです。相当に日本はいびつな国です。国際比較をすると日本のおかしさがつくづくわかります。
この最悪の労働時間のうえに、女性には、差別という独特の苦労がかぶさります。私のゼミ生が、世界有数の自動車メーカーTで就職セミナーをうけました。人事の人が「この問題についてあなたたちはどう思いますか、この列の方、答えてくたさい」と言った。その列にいた私のゼミ生は、当てられると思って一生懸命考えます。しかし、彼女はとばされました。もう少し後ろにいた女性も。つまり、男性にしか回答するチャンスは与えられなかったわけです。午後の分散会で女子学生たちの「反乱」があり、人事の人は冷や汗をかいて謝ったそうです。これに日本を代表する大企業の実態です。
Sハウスに就職したゼミ生は、卒業論文では「ODAはどういうふうに役に立つのか」を問題にしていました。ところが、就職して一番先に教えられたことは、職場で個人別に出すお茶の種類です。「Aさんは日本茶,Bさんはコーヒー,Cさんはブラック,Dさんはミルクをいれて」といった具合に。これは、同期入社の男性にはお知えられず、女性だけへの「教育」です。研修差別,昇進差別,その結果としての賃金格差など、退職までに女性たちは、相当多くの余計な苦労を味わいます。
かりに、思想差別ではよくたたかうが、性差別ではたたかえわないという組合があれば、それは問題を人権問題だとしてとらえる観点が弱いということです。
「家事と労働」の両立の大変さ
女性の中には、パート・短時間雇用者がたくさんいます。そのなかで労働時間の二極化という現象が起こってきています。フルタイマーの平均労働時間はぐいぐい伸びて、限りなく3000時間に近づいています。その主流は男性です。もう一方で女性はパートタイムにどんどん入っており、女性全体の平均労働時間は下がっています。この変化の結果、全体の平均労働時間は変わらない。しかし、実態としては、労働時間の男と女の二極化という現象が起こり、男は限りなく3000時間=過労死ラインに近づいています。過労死する人がいま年間3万人ほどもいますが、調査によると、直前の1年間の労働時間が3000時間を超えると,人間はいのちの危機をむかえるようです。
そのような条件であれば、少なくない男たちは、自分の健康のこと、ストレスの処理するだけで精一杯となっていきます。だから家庭のことは「お前に任せてある」というタイプの男性になっていくわけです。子育てをふくめ家事の一切が、女性の肩にのってくる。しかし、それでも女性もはたらかなければ生活ができない。また、働きたいという女性の願いも高まっている。こうなると全体として男性よりは労働時間の短い女性が、かなりの長時間労働をしながらも、労働と家事の「二重苦」に陥ることになるわけです。
性犯罪の深刻さ
これもなかなか男性には、必ずしも理解が十分ではないことが多い問題です。被害者になるという経験がきわめて少ないことが大きな条件になっていると思います。私のゼミ生が、大阪の大きな病院に就職しました。ところが、複数の上司からの性的な誘いが、繰り返し行われ、被害者である彼女は職場を1年でやめました。「だれがあなたをモノにするかが職場の話題になっている」とも言われたそうです。セクハラは人間1人の経済的な自立の条件を奪い取り、その心に非常に深い傷を与えます。男性には多いに想像力の発揮が、「心を寄せる」努力が求められるところです。「それくらいガマンしろよ」などと無責任なことをいってはいけません。
今年の2月に学生たちと韓国に行く機会があり、高齢の元「従軍慰安婦」たちが住んでいる「ナヌムの家」に行きました。つくづく日本人であることが嫌になりました。日本軍は、第二次世界大戦中に、日本をふくむ各地に 400ヵ所を超える慰安所をつくったそうです。それを国家が,軍がやったという証拠の文書も残っています。被害に遭った彼女たちのその後の人生は悲惨です。韓国は日本以上に純潔思想がきつく、ひどい場合には「おまえのような女がうちの家系から出たのは恥だ」といったことも言われ、ようやく帰っても家族から見放されてしまうのです。日本軍に最大の責任があるわけですが、いまだに日本政府は公式の謝罪をしていません。そして、そのような政府をつくっているのが日本の主権者であるわれわれなんです。
女性にとって「よりましな社会」の多面的な内容
こうして考えると、女性に暮らしやすい社会のために、やらねばならないことはかなり多面的です。もちろん働きやすい労働条件、介護や子育てなど社会保障の充実も必要です。しかし、その他に、家庭のあり方に代表される性別分業の問題、おそらくそこでは男性の「教育」が重要な問題になると思いますが、そのような労資関係や政治のあり方に解消できない問題もあると思います。性暴力に関する対応も重要です。
他方で、生き方を選ぶ能力の形成も、女性の重要な課題だと思います。男女平等は、家庭責任の分担の問題だけではなく、この社会や経済を維持し、発展させる仕事においても実現されねばなりません。そうなると、当然、女性たちの中にも社会を維持する担い手としての能力を育てる意欲が大いに求められるわけです。
男女関係にまつわる市民的・社会的道義を、運動団体の中や市民社会の中にちゃんと浸透させることも大切です。そこでは、男性の意識改革も大切な課題になりますが、同時に、いたずらに男性を敵にまわすのでなく、いまの社会のなかで女性が虐げられるということが男性の労働と生活の条件をきついものにしているということを正確に理解する、学び合うことが必要だろうと思います。
(3)戦後の経済発展と女性-労働と家事に焦点をあてて
戦後日本の資本主義社会のなかで男性と女性がどういう関係に置かれてきたかという問題です。男性と女性の社会的な関係にも歴史的な変化があるわけですが、その歴史的に変化していく社会的な男女関係のことをジェンダーといいます。ここは、そのジェンダーという角度から戦後の日本の資本主義を見たらどうなるかという話です。
長い日本の歴史のなかで
ときどき「女は昔から主婦だった」という人がいますが、歴史の事実はまるで違います。女性がもっぱら家事のみにたずさわるというのは、相当に社会的生産力があがってはじめて可能になることです。特に庶民のくらしを見るならば、全員が働いて食うや食わずやという状況のときに、女性だけが家におかれるといったことはあり得ません。
『女工哀史』という本や映画にありますが、繊維産業は資本主義の最初の花形産業です。この産業では、どうしてあんなにたくさん女性が雇われたのか。「女工さん」です。それは蚕を育てる仕事が日本では中世の昔からずっと女性の仕事だったからです。
では、もっぱら家事にたずさわる女性=「専業主婦」はいつごろから発生したのか。それは資本主義の歴史的形成とほぼ一緒です。それ以前は、農業であれ漁業であれ商業であれ、自分の住んでいる家は同時に職場でもありました。職住一致というやつです。そのもとで,たくさんの家族が同じ仕事に従事していた。
ところが資本主義になると、職住の分離がおきます。生産や仕事の巨大化・集中により、職場が家の外になる。「通勤」が生まれ、家の中から仕事が消えていくわけです。その結果、従来の、仕事の場であり私的な場であったという家の二重の性格がひとつだけにまとまります。純粋に「私的な家庭」になるわけです。これを英語でホームといいます。これの翻訳語が「家庭」です。「家庭」ということばがつくられ、普及されるのは明治に入ってからのことです。
そのなかで、たくさんのお金を稼いでいる男の妻が、家庭を取り仕切るという仕事に専念しはじめます。これが「専業主婦」のはしりです。ただし、最初の専業主婦=「奥様」は、お金持ちの「奥様」ですから、家庭に「召使」がたくさんいます。マルクスの『資本論』にもイギリスの労働者階級一覧表で一番多いのは召使階級だという数字が出てきますが、日本の戦前の「奥様」の家もに「召使の部屋」というのがありました。
憲法による明治民法の否定と「主婦の大衆化」
しかし、こうやって誕生してきた「主婦」は、明治民法によってしばられていました。たとえ金持ちであったとしても、女性には政治的な権利がなく、それどこか財産相続の権利もない。だから、生まれてから死ぬまでずっと男に依存し、男に従属しないと生きていけない。これが法律によって社会のすみずみにまで強制された。庶民の女はまだまだ農村で漁村で大いに働いていましたが、それでも社会的な権利がうばわれたことにはかわりがない。おそらく、この明治というのは、日本女性の社会的地位が、歴史のなかでもっとも低くなった瞬間です。
それが戦後になって、憲法ができて男女は平等だといわれるようになります。この瞬間、女性たちは一斉に社会へ、職場へ進出します。ところが、それを上回る比率で専業主婦が増えていきます。いわゆる専業主婦の大衆化です。特別なお金持ちではない、「サラリーマン奥様」の登場です。専業主婦比率がもっとも高くなったのは、1975年です。
どうしてそんな現象が起こったのかというと、農村から都市への人口移動があったからです。政財界は、高度経済成長のためにその労働力の移動を意識的に行いました。これだけだと女性の労働力比率は高まるはずですが、ここに問題が起こるのです。若年定年制という女性特有の定年制度です。今日では信じられないことですが、女性だけの25歳定年制、30歳定年制というのが就業規則に明記されて存在していたんです。男は55歳や60歳くらいまでなのですが、女は違うのです。中学を出て15歳で都市へきて、早ければ25歳で定年です。その後どうやって食うんだとなれば、「田舎に帰る」以外は、結婚して、夫の給料で暮らすしかないわけです。
夫の給料にも、一定の変化がありました。経済成長のなかで、とくに大企業の正規職員は給料が右肩上がりです。妻を家に置おくことのできる経済的ゆとりが生まれてくるわけです。ある社会学者によれば、さらに主婦のいる家庭に対するあこがれもあったそうです。家に妻がいるのは戦前のお金もちの象徴です。そこで「そういう家庭をついにオレも持つことができる」「ワタシもついに『奥様』になれる」というようなあこがれです。これが大企業労働者の中に生まれてきます。「妻を家に置いておくのは男の甲斐性だ」ということも言われだします。こういういくつかの条件が重なって、「男は仕事、女は家庭」型のいわゆる近代家族が、戦後の日本にはどんどん増えてくるわけです。
1945年から52年まで日本を占領し、その後も支配的な影響をあたえたアメリカ文化の影響もありました。まだ専業主婦比率の高かったアメリカのホームドラマが、「洋風の家でケーキを焼いて子どもと夫の帰りをまつ妻」へのあこがれをひろげます。新しく大量に発生した主婦たちは、「主婦らしい身だしなみ」を、大量に創刊された主婦雑誌から学んでいきます。
低賃金にもかかわらず女性を「家庭にかえす」
さて、ここで重大なのは、1960年で男性賃金を 100とすると女性は42.8という低賃金にもかかわらず、財界はなぜ女性を最後まで使い切らないで、若年定年制に追い込んだのかという問題です。そこには、「亭主は戦場たる職場で全力でたたかい、女房はその戦士たる亭主に仕えかつ家を守る」という考え方がありました。この手の世論操作が、60年代には大量に行われます。1965年の「中教審答申」でも、子どもたちに「期待される人間像」という一方で、わざわざ「愛の場としての家庭」を強調しています。一体このとき財界は、どのような労働力政策を考えていたのか。恐らく、かなり意図的に女性は職場から排除されています。
その目的は、男性企業戦士の確保なんです。日本の財界は、搾取しがいのある労働力は何といっても男だと、まずここにターゲットをしぼります。平均的に見れば男のほうが丈夫です。夜遅くまで働かせることができるし、生理休暇も産前産後休暇も必要がない。男は安上がりな長時間労働の提供者として選ばれたのです。
ところが、男たちを職場のなかでフルに働かせた場合にどういう問題が起こってくるか。朝早く起きて職場に行って、フラフラになるまで働いて、夜遅く家に帰って、バッタリと倒れて眠るとなるわけです。しかし、会社はそういう従順で、よくがんばる労働力には、明日も元気で来てもらわねばならない。そうでなければ、思い切った搾取ができない。そこで、この労働力としての男たちのメンテナンスをする人間が必要になるわけです。これが「サラリーマン主婦」の役割です。
「メシ,風呂,寝る」にこたえてやり、あわせて将来の労働力である子どもたちの世話もする。年寄りの介護も一手にひきうける。そういう主婦を家庭に送り込むことによって、男労働者たちを職場に24時間釘付けにするという作戦をとったわけです。当時「内助の功」という言葉がありましたが、それは、直接には夫のためですが、社会的には経営者のためでもあったわけです。
75年を転機に「はたらく女性」が多数派に
ところが1975年をピークにして専業主婦比率は低下をはじめ、80年代半ばには働く女性が成人女性の多数派になります。この変化は一体どうして起こったのか。
1つは、高度経済成長が終わったということです。19年連続の高度成長のなかで、労働者階級の生活にもかなりの改善がありました。その改善がいつまでもつづくことを前提にした消費計画がつくられました。長期のローンを組んで家を買うなどです。ところが高度成長が終わり、夫の給料の右肩上がりにブレーキがかかり、70年代半ばからはリストラが強化される。さらに社会保障の切り捨てが始まり、学費の高騰がすすんでいく。そこで家庭生活がもたくなって、女性たちはどんどん職場に出ていきます。これが専業主婦比率低下の直接のきっかけです。あわせて、その直前に、ウーマンリブがあり、「専業主婦でいいのか」と、女性たちの生きかたが問われもしました。そうやって女性は一方で生活のために、他方で自分の経済的・精神的な自立のために、職場に出ていくことになりました。
そうすると1980年代から困ったことが起こってきました。いわゆる「家庭のきずなの崩壊」です。出てきたのは、1つは家庭から姿を消した男たちの過労死です。高度成長が終わり、リストラが始まると同時に、男の労働時間が伸びていく。それから子どもたちの荒れの問題、熟年離婚、高齢者の自殺が出てくる。小さな子どもがたった1人で食事をとる「孤食」という現象も出てきます。これは、長すぎる労働時間や子育て・高齢者福祉のまずしさなど、男女双方がはたらくために必要な社会的条件がととのっていないことが大きな原因でした。しかし、政財界は「女が家にもどるべきだ」と,責任を女性たちになすりつけました。
「男女平等」への闘いの前進と政財界の対抗戦略
それでも女性の職場進出はすすみます。さらに、男女平等へのたたかいも進みます。今日の男女共同参画社会というスローガンもそのなかから出てくるわけです。ただし、日本の政府は正面から男女平等の条件整備をしているようには見えません。男女雇用機会均等法と同時に、労働基準法などの女性保護規程を撤廃し、「過労死の男女平等」を推進したのは典型です。
今日の政財界の男女労働力政策は、1つには異常な企業戦士基準の労働時間を大前提にするというものです。だから時短はしない。男並みにやれる女だけがフルタイマーで働けという方向です。「強い女は企業戦士なれ」ということです。その結果、政府資料でも総合職の女性比率は3%しかなくなっています。むしろ総合職に占める女性比率は下がっています。
卒業生にも民間の総合職に入っていく人がいます。しかし、体がもたず、早ければ数ヵ月、長くても数年で辞める人が多いです。一番印象的だったのは、クロスカントリーの選手で秋田の国体にも参加したという“つわもの”が、自動車関係の総合職に就きながら、5月には早くも退職を考え出したという例です。「辞めてもいいと思いますか」と家に電話がかかってきました。「夜2時ごろまでチームで仕事をして、私は女だから12時に帰されるけど、体はもうボロボロです。男の人たちは2時までやっており、その人たちに申しわけなく、また体力的にももたない」と。
たくさんの男たちが「過労死」するような条件で、女も同じようにやれといってもできるわけがないです。この世界一の長時間労働を野放しにしているかぎり、職場における男女平等はあり得ません。
2つ目ですが、「この企業戦士基準に耐えられないものは一般職へ行け」となるわけです。一般職へ行くと、総合職に比べて給料は抑え込まれます。そうなると男女の賃金格差はなくなりません。女性の経済的自立は困難です。3つ目に、さらにそれ以外の女は不安定雇用(パート、派遣、臨時、バイト)にまわれというわけです。そして、4つ目に失業して、職につくことのできない女たちには--これは男も同じですが--「自助努力で生活しろ」となるわけです。本当に踏んだりけったりです。そして、5番目に、こうまで女性労働力を好き勝手につかいながら、最後に、財界は家庭責任はあくまで女性に取らせようとしています。
政財界は「個人単位化」ということばだけで、なにか男女の平等が実現されるような幻想をふりまいていますが、このような労働条件を放置し、子育てや介護といった社会保障をまとめにつくらないなら、男と女を同じように「個人単位化」しても、誰も食ってはいけません。憲法25条にある、すべての国民の生存権を国家が保障する。そういう社会的な連帯の土台がキチンとあってこそ、人間は各人の個性や能力を、互いに競い合いながらでも健全に育てていくことができるのです。
(4)よりマシな社会をめざして-問題提起
たたかいの大きな方向
課題のひとつは、職場と家庭の両方を視野に入れて労資関係をとらえることです。職場だけでとらえてはいけないということです。男であれ女であれ、職場で搾取される労働力は家庭で再生されるんです。財界の労働者家族支配の政策とたたかう必要がある。そこから労働者と主婦の連携もうまれるし、はたらく女性と主婦との闘いの連携もうまれてきます。「家族」の全員が財界の家族政策とたたかう必要がある。具体的な課題としては、一つ重要なのは男女共通の労働時間の短縮です。短縮しないと男女同じようには絶対に働けない。2つ目に、男女ともに自立できる賃金を、社会保障の拡充をといった柱があります。
他方で、運動の側からすれば「男女差別は女問題」といった非科学的な思い込みをやめ、実は女性の社会的地位が男性労働者の労働と生活に深刻な影響をあたえていることをしっかり学ぶことが必要です。一昔前だと、家庭を犠牲にすることを当然視するような、「滅私奉公」方の運動家もいました。そういう資本に都合のよい思想も乗り越えていく必要があります。
ドイツの労働時間がいまの年1500時間にまでたどり着く過程でつくられた有名なスローガンは、「夕方のパパはボクのもの」です。大きな炭鉱労働者が頭にヘルメットをかぶってポスターに写っている。肩の上にちょこんと子どもが乗っかって、お父さんにしがみついてる。2人とも笑っています。これが労働運動のポスターなのです。「ゆたかな家庭づくり」「ゆたかな夫婦関係の条件づくり」「子育ての条件づくり」、それが正面から掲げられているのです。そういう豊かな家庭生活は人間の権利であり、その権利をせばめる経営者たちとは、労働者家族がみんなでたたかうという姿勢です。その労働運動の視野や質によく学ぶことが必要です。
必要な研究の発展を組織する
男性と女性の社会的関係について勉強してみると、スウェーデンなど北欧の「福祉国家」は日本とは比べものにならない。すばらしく充実している。労働時間は短く、保育所は5時ぐらいに閉まりますが、お父さんやお母さんのどちらかは、5時に保育所に迎えに行けます。労働者のほとんどがセカンドハウスを持っています。年次有給休暇は5週間で、これはほぼ 100%の消化率です。
日本の女性には、若いときに就職して、結婚や出産で職場をはなれ、子どもが自立するとパートで復活し、年をとって仕事をやめる。こういういわゆるM字型雇用の人が多いです。ところがスウェーデンは逆U字型です。結婚・出産で女性は職場をはなれません。子育てや介護のための「社会政策」が充実しているからです。そして、男女とも労働時間が短いからです。
実は、スウェーデン女性の本格的な職場進出は1960年代で、日本とあまり変わらない。高度成長で労働力不足が起こって女性は職場に進出します。その瞬間、スウェーデンの人たちは子育てをどうするか、介護をどうするかと考えて、公的な力、社会の連帯の力で子どもを育てる、高齢者の介護もするとなっていった。それをつくり上げた国民の高い能力に学ぶ必要があると思います。
たとえば北欧では労働運動はどうなっているのか、女性たちの団体はどういうふうにたたかっているのか。そういう課題を労働運動自身がかかげて、これへの協力を学者たちに求めていく。そういう積極的に研究運動を組織する力量が労働運動には問われています。
「独習」を組織活動の第一の課題に
いかにして、豊かな社会をつくる、教養豊かな国民をつくり上げていくのか、これにも正面からの挑戦が必要です。市民的教養のレベルを引き上げていく運動です。これに労働運動が本格的に取り組むためには、何より労働運動のメンバー自身が勉強せねばなりません。知的輝きが必要です。
その点で懸念されるのは、各種の運動団体における「独習の風化」とでもいったような傾向です。学習会には一定の参加があっても、毎日自分で本を読んで学ぶ習慣がすたれているように見えるのです。しかし、忙しさを理由に労働者が賢さを失えば、それは世の中を変える力を失うということです。それは、結局自分の首を絞めることになるわけです。小さな子どもが毎日6時間も勉強しているのに、「世界の平和」を語る大人が、たった1時間も勉強していない。それでは日本が変わるわけがないのです。いかにして日本中のすべての運動家、組合員が毎日1時間の独習をする状況をつくり上げていくかということです。なによりも知性を鍛え、知的な輝きを武器にして世の中を変えていく。そういう運動のスタイルに習熟する必要があると思います。「男女共同参画」はその重要なテーマのひとつです。みなさん方の運動の発展に期待しています。
【文責編集部】
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