2003年11月16日(日)……戦後の女性労働にかかわるいくつかの文献から。
1)桜井絹江『新しい労務管理と女性労働』(学習の友社,1991年)。第3章「日本経済の発展と女性の活用政策」が特に参考になる。63年経済審議会(会長・石川一郎)「経済発展における人的能力開発の課題と対策」が女性労働力の積極的活用に関するはじめての指針。しかし,あくまで家事・育児は女性が担うものとされている(160~3ページ)……以下,家事労働女性責任の立場が一貫する。背後には,それによる男性企業戦士労働力確保を第一義とする財界の男女労働力管理(家庭管理)政策がある。
2)50年代の生休取得率は80~90%。これへの攻撃が60年代に激化する。その一方で日経連などが女性の「能力開発」や,パートでの活用を主張(68年東京商工会議所「主婦労働力の雇用促進に関する政府への要望と企業・主婦への提言」)。背後には「高度成長」による労働力不足への危機感がある。70年には自民党労働問題調査会「新しい労働政策の確立--70年代労働力不足いかに克服するか」がし示される。しかし,そこでも,職業と家庭責任の両立が前提される(166~75ページ)……実際には高度成長は70年代初頭に終焉。しかし,その直前の労働力不足への対処においても,女性への家庭責任の強制は継続している。
3)72年4月経済審議会人的開発研究委員会労働力専門委員会「新時代の能力開発と労働福祉」が,低成長時代における女性「能力開発」とパート活用の推進を提起。「能力開発」は能力主義的な職務・職能給のなかで,男性並労働条件の女性をつくるとするもの(180~3ページ)。76年労働省「就業における男女平等問題研究会議」が「就業における男女平等問題研究会議報告について」,82年労働大臣諮問機関「男女平等問題専門家会議」が「雇用における男女平等の判断基準の考え方について」を発表(183~5ページ)。いずれも「母性保護」の縮小を主張……低成長下での能力主義の強まりのなかで,女性の男性なみ活用がすすむ。労基法の女性保護規定撤廃は当初からその重要な柱。
4)84年日経連は国連の差別撤廃条約の批准に反対,経団連や経済同友会,日商とともに「雇用平等法」に反対の意思を示す。基本的に雇用平等に反対,もし法を制定するら「母性保護」は撤廃と主張。その理由に企業活力の低下をかかげた。日経連85年「女子労働新時代と雇用管理の指針」,関東経営者協会人事・賃金委員会86年「男女雇用機会均等法とこれからの雇用管理の方向」で「母性保護」撤廃を強く主張(186~204)……企業活力とは,従来型の低賃金・長時間・過密労働。この最悪の男性基準に合致する以外の労働基準を排除する。その姿勢は戦後一貫している。
5)86年「均等法」施行後に女性の本格的な「男性なみ」戦力化がすすむ(208ページ)。あわせて低賃金のままでの戦力化を推進するパート政策も提起される(224ページ)……さらに「均等法」改正により女性保護は完全に撤廃され,「過労死の男女平等」が実現していく。あわせてパートの「長時間化」もすすみ,雇用形態が異なることを理由とした差別的低賃金での雇用が継続される。全体として,1)本格的な「戦力」としては男性なみのみを許す,2)家庭をかえりみない男性企業戦士確保のためにあくまで家庭責任は女性のみに強制,3)そのうえで「パート労働」として女性を差別的低賃金で活用する,これが戦後財界の女性労働力対策。
6)折井美耶子「高度経済成長と家族」(総合女性史研究会編『日本女性の歴史--性・愛・家族』角川選書,1992年)。65年中教審答申「期待される人間像」で「愛の場としての家庭」が強調される。三鬼陽之助『女房タブー集』(光文社)は「亭主は戦場たる職場で全力で闘い,女房は,その戦士たる亭主に仕え,かつ家を守る」と(253ページ)……「男は仕事,女は家庭」を政財界が意識的に推進することのひとつの現れといえる。その核心は労働力再生産(夫も子どもも)を女性に強要し,その産物としての「男」を最大限に搾り上げること。
7)80年代には関西経済同友会など財界団体が父権の復権をうたう企業研修を行い,健全な労働力供給を行う家庭の安定を求めた(257ページ)……パート活用の推進などには逆らう流れとなるが,ここには臨調行革路線による社会保障の削減と,それを埋めるための「日本型福祉社会論」の吹聴がある。結果として,女性には家計補助的差別的低賃金での労働と,家庭責任との双方の深刻化がすすめられる。
8)森岡孝二『企業中心社会の時間構造』(青木書店,1995年)。女性に強要される家庭責任には地域責任もがふくまれる(6ページ)。76~80年,86~90年の労働時間を比較した時,平均労働時間に大きな変化はないが,実は,超長時間労働者と短時間労働者がそれぞれ増加している。性別分類すると,前者は男性,後者は女性となっている(79ページ)。「夫は残業,妻はパート」「夫は仕事,妻は家庭」(154ページ)。週35時間未満の短時間労働をパートとみなせば,女性がパートの50%を越えるのは60年代後半以降。他方,雇用形態がバイト・パートであっても,現実に35時間未満は1/3程度。残りは長時間労働となっており,これは新しい「身分」である(大沢真理)(171ページ)……女性を含めた総労働力化の推進,男性労働時間の一層の長時間化(過労死推進),長時間パートによる女性の差別的活用。全体として労働力としての搾取強化が拡大し,そのツケが家庭生活にまわってくる。少子化と家庭機能の喪失へ。
9)川口和子「グローバリゼーション下の女性労働」(相澤與一・黒田兼一監修・労働運動総合研究所編『グローバリゼーションと「日本的労使関係」』新日本出版社,2000年)。95年ILO調査によれば,世界151ケ国中60ケ国が男女共通に1日の時間外労働の上限を定めている。これに1日の標準労働時間と最長労働時間をともに規制している国を加えると96ケ国となる。年間の時間外労働規制は120時間とする国が最多。しかし,日本では男女共通規制を法に明記することなく,女性保護は廃止された(132ページ)……先進国との対比においてだけでなく,途上国をふくめた世界的な標準に照らしても,日本の労働条件の野蛮さがわかる。この日本の現実を「仕方がない」などと肯定してはならない。
10)「日本的経営」のもとで,女性労働者はその下支えの「縁辺労働力」として位置づけられてきた。それが低成長期以降,本格的な「戦力」化のなかで「男女平等」に組み込まれつつある(138ページ)……男性企業戦士の全労働力を企業内部で支出させるための必要条件として,女性労働力は「家庭内労働力」として位置づけられる。それは「日本的経営」の確立に不可欠なものではななかったか。低成長下での「戦力」化も,家事労働の女性への強制を大前提としているのではないか。
11)男女差別の問題は,従来「女の問題」あるいは「女性部まかせ」にされてきた(139ページ)……労資関係を資本と男労働者の関係としてのみとらえ,実は女性差別こそが男性労働者の労働条件引き下げの重要な要因となっていることに気づかずにきた。その視野の狭さの現れか。
12)川口和子「新・日本的経営戦略と女子労働者」(木元進一郎監修・労働運動総合研究所編『動揺する「日本的労使関係」』新日本出版社,1995年)。女子労働者は終身雇用,年功制とは無縁であり,その枠外「周辺」におかれてきた。それは短期勤続--単純・補助労働--低賃金の「周辺」労働者として,日本的経営を支える「内助の功」の役割をはたしてきた(170,193ページ)……「日本的経営」をどう定義するかによる。そこに世界最長の長時間労働を可能とする労働力再生産システムを含めてとらえるのなら,当然,企業の「周辺」に置かれた女性労働力は男性企業戦士排出の必要条件として「日本的経営」の内部に重要な位置をしめる。
13)「新時代の日本的経営」など政財界の女子「就業促進」策は,「就業形態の多様化」と「職業生活と家庭生活の両立支援」の必要を協調している(190ページ)……女性の「戦力」化においても,全体としての男性企業戦士の確保が優先されている。家庭責任はあくまで女性に強要されるのであり,女性にはその両方の板挟みの労働が求められる。
14)川口和子『「日本的経営」の展開における女性労働」(牧野富夫監修・労働運動総合研究所編『「日本的経営」の変遷と労資関係』新日本出版社,1998年)。欧米にない生理休暇の要求は,戦前の過酷をきわめた女性労働が生み出したもの(228ページ)……欧米では有給休暇がこれにとってかわるということか。
15)結婚退職制,妊娠・出産退職制,職場結婚の場合の妻の退職制,共働き夫婦の別居配転など,女性の勤続の長期化を意図的に抑制し,女性労働者を「日本的経営」の「枠外」に位置づけた(230ページ)……「妻の退職制」「別居配転」が象徴である。それらはあくまで「夫」の労働力をフルに企業内部で活用するための積極的な条件づくりとして行われている。女性の排除は「日本的経営」成立の必要条件。
16)女性労働者は「日本的経営」の「枠外」に置かれてきたとするのが通説だが,より広いフレームでとらえるなら,「枠外」よりもむしろ「日本的経営」の確立の一環であったといえるのではないか(231ページ)。女性労働者「活用」の協調は,高度成長期に「日本的経営」の「枠外」の下支えとされた女性労働を「新・日本的経営」にビルトインしたもの(239ぺージ)……評価がゆれている。ようするに「より広いフレーム」とは,資本による労働力の管理を,企業内部における労働力の支出過程においてとらえるだけのでなく,その家庭における再生産をも視野におさめるということ。それは,資本-賃労働関係をより広くとらえるということでもある。
17)「日本的経営」に不可欠な労資協調的企業内組合は,女性労働者の独自要求,特に性差別にたいする取り組みと反撃が弱いことを特徴としてきた(240ページ)……差別と闘わない男性労働者には,性差別を重視しない「思想」もあったのだろうが,結果的に,性差別を問題視しない「思想」は男性企業戦士の放出条件を温存するという意味で,労資協調主義の組合に相応しい「思想」であるということになる。
18)牧野富夫『「日本的経営」の崩壊とホワイトカラー』(新日本出版社,1999年)。資本家は人件費削減欲求のなかで,女性や高齢者をより安く,より自由に,より効率的に利用しようとしている(144ページ)……労資関係を企業の内部に登場した資本と労働力との関係としてのみとらえる視角。それは基本的視角ではあるが,基本であるということは,いつまでもそこにとどまっていいということを意味するものではない。
19)少数者である資本家が多数者である従業員を支配するには差別による分断が必要であり,男性を「味方」に取り込むかのようにして支配を維持する(145ページ)……意識的な分断の政策とともに,なぜその分断が受け入れられるのかという男性労働者の「思想」が問われる必要がある。なぜ女を「敵」にまわすことによって,「労資の男」が「味方」になりうるのか。労資関係分析にとってのジェンダー視角の有効性を実証するひとつのポイントである。
20)なお,以上の女性労働分析はほとんどがクリントン政権による,労働法制「改正」の強要を問題にしていない。他の章で論じられているからということなのかも知れないが,「新時代の日本的経営」に結実した「労働力流動化」の要求は,アメリカ多国籍企業の進出先労働市場の「改善」を求めるアメリカからの欲求に端を発している。女性労働力の「活用」もまた,日本政財界のみの欲求に還元されるものでなはない。そこにはアメリカによる経済介入と,これに従属的に一体化していく日本政財界との力の結合が見てとられるべきである。
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