〔インタビュー〕 今,なぜ憲法改悪か
--日米関係の現状と改憲の理由--
神戸女学院大学・石川康宏
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第二次世界大戦敗戦から六〇年。今、憲法改悪の動きがかつてなく活発になっています。
誰が、どういう目的でこの改憲の動きをすすめているのか。それは私たち国民や、社会保障・社会福祉にとって何を意味するのでしょう。
石川康宏先生にお話をおうかがいしました。(まとめ・編集部)
憲法改悪は、誰が、どういう意図ですすめているのでしょう?
一言でいえば、現在、政財界がすすめている「アメリカいいなり、大企業いいなりの日本づくり」の政治を日本社会の最高法規とする。誰にも文句のいえないルールにしてしまおうというのが、今回の憲法改悪のねらいだと思います。
■アメリカによる 世界支配戦略の枠内で
政財界は、経済・軍事両面で、アメリカによる世界支配のたくらみを大前提として、疑いをもたずにこれについていこうとしています。
アメリカは第二次世界大戦後、一貫して世界支配の戦略をとってきましたが、ソ連崩壊の瞬間、いよいよ世界全体を自由に支配することができる時代が来た、ととらえました。そしてその具体的な戦略の一つが、多国籍企業を世界に強く押し出すことでした。
日経連が日本の終身雇用制を破壊すると言った、『新時代の日本的経営』という文書があります。これが出されたのは九五年ですが、実は九三年から九五年まで、三年間連続サミットで、アメリカは総額人件費削減、労働力流動化を先進国の合意にしています。アメリカの大企業が他の先進国へ出ていった時に、先々の国で労働条件が破壊されていればいるほどアメリカ資本がそこでもうけやすいわけです。
今、アリコや、アフラックなどをはじめたくさんのアメリカ多国籍企業が日本に来ています。彼らは日本では日本の労働者を雇う。その人件費は安ければ安いほど彼らはもうかる。つまりアメリカ多国籍企業を世界に進出させるために、「あなたの国の経済構造をアメリカの企業がもうけやすいように変更してください」、これが八〇年代の終わりからアメリカが準備した九〇年代日本の「構造改革」です。
■金融分野ではすでに市場の明け渡しが
金融の分野では、すでにかなりの市場をアメリカに明け渡していると私は見ています。アリコはアメリカ有数の生命保険会社です。アメリカを支配し尽くした大企業が日本に来ている。御堂筋の銀行街を歩いていると、カタカナ銀行がいっぱい並んでいます。これは九六年から始まった橋本内閣による金融ビッグバン以降の現象です。アメリカ資本がどんどん入って、日本の銀行や生命保険会社が競争で押されています。では、当時の橋本内閣は、なぜアメリカの銀行や生命保険会社を日本に入れたのか? 対米従属の政権とはいえ、銀行業界は毎年自民党に億単位の政治献金を献上するお客様です。それをなぜ危機に落とし込むようなことをしたのか?
その直前に強烈な円高がありました。九〇年に一ドル=一四五円だったのが、九五年には一ドル=九四円。それが九五年を転機に、九八年には一三〇円にもどる。アメリカは、日米の円とドルの交換の比率を政治的に操作する力を持っていますが、なぜこの逆転現象をつくったのか。実は九五年の二月に日米金融サービス協定が結ばれている。この協定にもとづいて金融ビッグバンが九六年一一月から始まります。円高圧力で日本財界の首を絞めながら、日本の金融市場を差し出したら円高をやめてやる、ということです。
最も首を絞められたのは日本財界の中枢、自動車と電気機械産業です。当時の経団連の会長はトヨタ会長の豊田章一郎氏です。自動車産業と電機産業は日本の産業のなかでも、アメリカ市場への依存度が非常に高い。たとえばトヨタ自動車は、全利益の七割をアメリカであげています。現会長の奥田碩氏は、新聞紙上で「われわれは今後米国市民企業になる」と言っています。トヨタが最も重視すべき市場はアメリカ市場です。つまり日本の財界に言うことを聞かせるには円高にして財界中枢の首を絞めればいいわけです。
■公共事業が高く、社会保障が低い――逆立ち財政
その一方で日本国内では公共事業費が高くて、社会保障費が低い、いわゆる逆立ち財政が継続します。他の先進国はみな逆です。アメリカでさえ逆なのです。州政府の公共事業費も含めて、アメリカ全土の公共事業費の二・七倍にあたるのが日本の公共事業費です。
日本はどうしてこんな逆立ちの国になったのか? 実はそこにもアメリカがからんでいます。敗戦後、日本はアメリカによって、経済的・軍事的に強い国家に育てられてきた。当時、アメリカは日本経済再生のためにアメリカにどんどん輸出させた。そして日本にドルを支払う。「これで復興しろ」「アジアから資源を買え」と。ところが七〇年代後半にアメリカは手のひらを返します。アメリカ経済のほうが弱ってきた。ご承知のようにアメリカという国は超自己中心的な国ですから、言うことがころっと変わります。カーター大統領が福田首相に対して、「これ以上アメリカに輸出するな」「もうおまえの国でなんとかしろ」「内需主導型に転換しろ」と。そこで始まった国内消費の拡大の方法が、無駄と環境破壊の公共事業です。ここから国内消費拡大に向けた公共事業最優先の政治が始まります。金額先にありきです。その事業が本当に必要かどうかは問題ではない。
そのあとの八九年から九〇年の日米構造協議で、パパ・ブッシュ大統領が「一〇年で四三〇兆円の公共事業をしなさい」と言う。九〇年に日本の公共事業費は三六兆円です。バブル経済をつくった中曽根首相時代の八五年には二五兆円でした。それが九三年には五一兆円になります。その結果、日本は財政赤字で先進国中第一位という不名誉を獲得したのです。九四年にはクリントン大統領から村山首相が、「一〇年で六三〇兆円」と言われた。つまり日本が社会保障や教育に金を出さないのは、こうした公共事業費確保のためなのです。
そしてそれでも足りない部分をうめるのが消費税です。消費税は二〇〇七年度から段階的にあげて、一〇%は軽く超えるであろうと、自民党や財界人たちは発言しています。
九〇年代、アメリカへの市場依存度は、ますます高まっています。こういう状況のなかで、対米従属的な軍事大国化、教育改悪も含めた戦争遂行体制が準備されているのです。
対米従属経済と、憲法「改正」とは、どう関係しているのでしょう?
日本は一九四五年の八月から五二年の四月まで、アメリカによって軍事占領されていました。その間に憲法をめぐってどういうことがあったか、ここでもう一度振り返ってみましょう。
■ポツダム宣言下の憲法制定――日本を平和な小国に
一九四五年から四七~八年までの間、アメリカは連合国側の合意であったポツダム宣言を実施しようとします。ポツダム宣言の中身は、日本を戦争をしない小国につくりかえる、というものでした。それまでの日本が、天皇権力のもとで侵略戦争を四回も繰り返していたからです。明治維新以後、東アジアで他民族を侵略して植民地をつくった国は日本だけです。帝国軍隊が解体され、戦争犯罪人が追及され、戦争に協力した財界人が公職を追放されました。戦争協力を理由に財閥の解体もすすめられます。占領下で九条を含む平和憲法ができたのは、この時期のアメリカが日本を「平和な小国」にする方針をもっていたからです。
憲法公布の四六年一一月三日から施行の翌五月三日までの時期は、アメリカの占領政策が転換を始める微妙な時期でした。完全に転換する前だったので、九条を含む、国連憲章の内容を反映した非常によい平和憲法がつくられたのです。
ところが国内では労働運動が高まり、民主的な団体が次々に結成されて、運動が始まります。占領軍はこれに対して非常に驚きました。自分たちのコントロールが及ばない勢いで民主化がすすもうとしている、これはまずいと思った。それで四七年の二月一日、いわゆる二・一ストで、米軍は銃剣を突きつけて労働運動にストップをかけます。
■米ソの冷戦時代の始まり――日本の再軍備
その後の四七年三月、アメリカはトルーマン・ドクトリンという外交政策を明らかにします。中味は、アメリカに都合のよい世界をつくる、そのための最大の目の上のタンコブであるソ連を封じ込めることです。マスコミは冷戦戦略と呼びました。これをアジアでも遂行する。それにはどうしても出先の基地が必要です。アメリカは最初、中国が使えると思っていましたが、中国では毛沢東による革命がすすめられていく。そこでアメリカはポツダム宣言を一方的に放棄し、日本をアメリカいいなりの経済・軍事大国にすることへと決定的に方向転換します。ロイヤル陸軍長官は、四八年に早くも憲法改悪を求めます。
ただちにアメリカは、日本の軍事力を再建します。自衛隊の出発点は、一九五〇年の朝鮮戦争です。米軍が日本から朝鮮半島に飛び立ちました。日本占領の最高責任者のマッカーサーは、「心配は米軍が韓国へ行っている間に、日本国内で反戦運動が高まらないかということだ。治安維持部隊をつくれ」と要求しました。
これで警察予備隊がつくられる。彼らに武器を与えたのは米軍です。訓練も米軍キャンプでやる。これが、五二年に「保安隊」、五四年に「自衛隊」と名称が変わります。自衛隊はそもそもアメリカの戦争を応援するためにつくられたのです。
アメリカはサンフランシスコ講和条約(五一年九月調印)で、日本を世界のアメリカ・サイドに取り込み、さらにその同じ日の会議で「日米安保条約」を結びました。この旧安保条約の目玉は、アメリカに軍事基地を提供するというものです。それまでの七年間の全面占領状態を事実上、温存するということです。五一年にはアメリカのアジア支配に奉仕する日米経済協力も開始されました。
■安保条約改定と憲法改定
五五年には、憲法改正のために自民党が結党されます。憲法を変えるために国会で三分の二の議席を取る必要があったからです。このためにアメリカのCIAが金を出したことも明らかになっています。五七年に岸内閣は、自衛隊と米軍がセットになって戦争するための「日米安保条約改定」と、「憲法の条文を書き換える」という二つの政治スケジュールをもちました。そして六〇年、日米安保条約の改定が行われました。
この安保条約改定の時の日本国民の闘争は激烈でした。五八〇万人を超える集会が行われ、国会をとりまくような大統一行動が二〇回以上も行われます。日米支配層はこれに非常に大きなショックを受け、憲法改正はできない、と判断を変えます。六〇年代以降、日米政府は、解釈改憲路線に萎縮していくのです。萎縮させたものは、ほかでもない、私たちの先輩たちのたたかいでした。
自民党は憲法をどのように「改正」しようとしているのでしょう?
■自民党の改憲草案
自民党は昨年一一月に、「憲法改正草案大綱(たたき台)――『己も他もしあわせ』になるための『共生憲法』を目指して」という文書をつくりました。ここに自民党中枢部のホンネが示されています。
大きな問題の一点目は天皇の地位を「元首」にする、です。明らかに国民主権を踏みにじる、あるいは軽視する方向です。そして二点目は基本的人権の軽視です。社会保障の理念はまず「自立」だと言う。国家責任とか公的責任は登場しない。憲法二五条の生存権規定の第二項には、はっきりと国がこの原理を保障する主体だと書いてある。それを曖昧にする。三点目、生存権の権利性を軽くするとなっています。竹中平蔵氏は社会保障のことを、「タカリだ」と発言し、繰り返し本にも書いています。その考え方の憲法化です。
四点目は教育問題。これは教育基本法の改悪と非常によく似た脈絡です。「愛国心」を明記するかどうかは、教育基本法改正の動きと関連して判断するとしています。五点目は、「企業その他の私的な経済活動は、自由である……」とあえて言っている。これは企業の社会的責任を問うとりくみに対する反撃です。六点目は、集団的自衛権の確立の問題。自衛の枠を超えて、国際貢献のために武力行使する、集団的自衛権を認める。「集団的」の集団とは、「日米」ということです。アメリカが戦争を始めたら、どこでも日本は出ていくということです。グローバル・パートナーシップの憲法化です。
七点目は、緊急事態の際に「基本的な権利・自由は……制限することができる」と。反戦平和運動への抑圧が考えられます。八点目は、「自衛軍を設置する」と。小泉首相は、「イラクに命がけで行ってくれる自衛隊員を軍人と呼べないのは気の毒だ」と何回も言っています。それを憲法で決めてしまうということです。九点目は、国会から国民を遠ざける国会改革の構想です。衆議院は小選挙区を憲法で公認し、参議院については国民が直接選べなくする。一〇番目には、国会欠席の合法化、一一番目は憲法改正手続の簡略化で、これによって憲法を次々と変えることができるようになります。
財界・アメリカいいなりの独裁的な国づくりが、この改憲案によってすすめられようとしているのです。
私たちはこういう動きに対して何をすればいいのでしょうか?
■憲法を日本の改革の指針に
国民はただ指をくわえて待っているわけではありません。「九条の会」は全国どこで講演会を開いてもたいへんな集まりです。すでにたたかいは始まっています。
「憲法を守る」というとき、日本国憲法がめざす社会は、もっとはるかにすばらしい社会なのだ、そのすばらしい日本に向けた民主的な改革をすすめるためにこそ、憲法は守っていかなければならない、そういう角度からの憲法論が必要です。そのためにも、憲法の中身をよく知らねばなりません。平和の問題だけでなく、ゆとりをもって生活できる社会をどうつくっていくかについても、男女の平等についても憲法は非常に豊かな内容をもっています。
二五条は、すべての国民の生存権を保障しています。子どもたちはみんなお金持ちの家に生まれてきたかった。けれども現実はそうならない。それでも不幸な子がいても、仕方がないとはしないというのが日本国憲法です。その子がもっている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を、国家がこの子に保障しなければならない。この理念を破壊してはなりません。
■アジアとの連帯・世界との連帯
またアジアと連帯し、ともに成長する社会づくりを実現していくためにも憲法は大切です。日本の憲法は前文で、他国を犠牲にした平和ではなくて、全世界の平和へ貢献する責務があると書いています。
九七年から毎年、「ASEAN+3」という会議が行われています。「+3」は中国、韓国、日本です。中国はASEANとの間で、共同市場をつくるということをすでに決定しています。力を合わせてアジアから貧困をなくしていく、ということです。東南アジア諸国連合が提起しているTAC(東南アジア友好協力条約)という「絶対に戦争はしない」という平和条約も広がっています。
日本がこのままアメリカいいなりの軍事大国化を続けるのか、それともアジアや世界の人々との平和的で友好な関係をつくっていくのか、そこが大きく問われているのです。
アメリカから独立しても、本当に日本はやっていけるのでしょうか?
軍事的には北朝鮮との緊張は緩和され、話し合いの可能性が広がります。経済的にもアメリカへの依存度を下げるための条件がアジアにどんどん広がっています。中国は人口が一三億人いて、今、市場を開放しています。ASEANには五億の人がいます。我が国がいいものを安くつくります、買ってくださいと言う。こういう関係づくりは日本の不況解決にも非常に大きな力になります。
アメリカいいなりをやめ、日本がアジアの平和と貧困の克服に貢献する国になるなら、日本経済は今の不況から脱却するための新しく大きな条件を手に入れることになります。もちろん売るだけではなく、安くて良いものを買うことも必要です。そのための国際的な分業が必要です。
日本国憲法どおりの日本社会をつくっていくことは、現状を容認することなどでは決してありません。いまの日本を民主的にどんどん改革していくということに他ならないのです。自民党の改憲案をリアルに語り、憲法が示す日本改革の展望をリアルに語るたたかいが必要です。
――ありがとうございました。
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