不破哲三『「資本論」全3部を読む』第1~3冊
--大胆な提起を含む深い研究の書--
神戸女学院大学・石川康宏
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この本については「読みやすい」「わかりやすい」という声を,良く耳にします。そのようにして,この本に多くの読者が得られることは,とても嬉しいことです。しかし,あわせて,読者のみなさんには,この本が従来の『資本論』研究にはない,大胆かつ斬新な提起と解明をふくむ深い研究の書であることも,ぜひ知っておいてほしいと思います。
この本の第一の特徴は,『資本論』を完成したものとはとらえず,むしろ補足と訂正の必要な著作だとして,その補正を実際に行っていくところにあります。現行『資本論』には書かれるべくして書かれなかった事がらもあれば,エンゲルスによる編集の失敗もあり,またマルクスがより進んだ研究によって置き換えたいと願った箇所もあれば,重要な概念なのにそれを説明する言葉の不足を補えなかったところもある。だから,今ある『資本論』をもって,そこにマルクス本来の研究の高みが十分反映しているということはできない。この間の不破氏によるこうした一連の研究の上に,いよいよマルクスの草稿を活用した新しい『資本論』像の提示が試みられる。それが,この本の何よりの特色です。
すでに示された『エンゲルスと「資本論」』の内容からは,第3部における信用論と地代論の少なくない補足が予想され,また『マルクスと「資本論」』は,第2部での再生産論の補正の必要を示しましたが,その成果はすでにこの本の第4・5冊に盛り込まれています。第1部には,直接にはそのような大きな補正はありません。しかし,たとえば商品論の解説で,商品流通における恐慌の可能性を「商品世界論のもっとも重要な」「結論」と位置づけるあたりには,すでに再生産論・恐慌論の補足による新しい『資本論』像から逆算した第1部の「読み」が現れているのかも知れません。早く,その全体像を目の前におきたいものだと思います。
この本の第二の特徴は,『資本論』の全構成をつらぬく「発生論的方法」への強いこだわりにあり,そのこだわりによって『資本論』の理論内容への理解を具体的に深めているところにあります。一方で『資本論』を篇や章ごとに輪切りにしてしまう断片的な読み方を避け,他方で抽象から具体へと進む理詰めの展開方法を抽象的にだけではなく,あくまで『資本論』の内容に即して語る。これを全3部を通じて余さず行う本は,他に見当たりません。
『資本論』はバラバラに切り離して読まれた篇や章への理解を順にならべるだけではわかりません。それでは篇や章の重なりのなかでの,理論の育ちが読めないからです。たとえば,第4篇「相対的剰余価値の生産」で行われる協業,マニュファクチュア,機械制大工業の生産力分析が,第7篇では新たに「独自の資本主義的生産様式」の発展という角度から豊富化され,また同じ第4篇での「結合された全体労働者」の発生と発展(それによる「類的能力」の発展)の分析が,第7篇のいわゆる「否定の否定」の論理のなかでは,生産手段の社会的所有の主体という新しい役割を獲得していく。これらの重要な理論内容の意義を,不破氏はそれぞれの概念が篇や章の個々の枠組みを越えて,『資本論』体系全体のなかにどのように貫かれ,どのように豊かに成長するかという角度から明らかにします。先の2ケ所は方法へのこだわりが,具体的な内容への理解を新たに深めることの良い実例になっていると思います。
第三の特徴は,『資本論』を「普通の意味での『経済理論』」に痩せ細らせることなく,弁証法,史的唯物論,社会主義論など,その多面性・全一性のままにとらえきろうとする点です。資本主義を歴史的にとらえる視角の有無は,マルクスと古典派との「経済学の中身」を違わせる重要な要因となりました。たとえばマルクスは価値法則を,社会的労働を各部門に分配する「自然法則」の商品経済社会における歴史的現れととらえます。それは,剰余価値論や恐慌論とのかかわりといった資本主義経済理論の内部だけに,狭く閉じ込められたものではないのです。また,この本は資本主義の内部に社会主義の条件がどう準備されるかという問題に,ひとつの焦点を定めていますが,それは「肯定の中に否定がつらぬく」という『資本論』の弁証法を,やはり具体的な資本主義解明の論理に即して明らかにするものとなっています。
他にも,『資本論』の個々の読み方に学ばされるところは多々あります。宿命論的な貧困化法則の否定や,労賃と労働力価値との関係の指摘も刺激的です。読者のみなさんには,こうした数々の画期的な意義にも思いを及ぼしながら,「わかやりすさ」を楽しんでほしいと思います。お互い最後まで,しっかり学びましょう。
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