財界による家事と女性の管理戦略
神戸女学院大学・石川康宏
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財界はなぜ「家庭責任」を女性におしつけるのか
ここでは,財界の女性活用戦略に焦点をあて,現代の企業社会における男女関係と労資関係のからみあいを考えてみたいと思います。財界の女性戦略というと,企業のなかでの「ポイ捨て活用」(無権利での低賃金労働)や不当な「性差別」の批判的な検討が多いと思います。もちろん,それは大変に重要な分析の視角ですが,ここではあわせて,財界がもっぱら「家庭責任」を女性に押しつけることの意味を考えてみたいと思います。それは,専業主婦を財界がどう位置づけているかという問題でもありますし,またパートなど,「男性なみフルタイム」以外の「短時間」ではたらく女性労働者の「家事労働」を財界がどう位置づけているかの問題にもなってきます。
「世界史的敗北」――それでもはたらきつづけた女性たち
最初に,少し女性の歴史をふりかえっておきます。「原始,女性は太陽」でした。そこに,階級社会の成立にともなう「女性の世界史的敗北」がやってきます。女性の権利や自由は奪われ,男性中心型の社会や家族がつくられます。ただし,ヨーロッパとちがい,日本での「敗北」は古代奴隷制の成立にピタリと一致はせず,鎌倉時代や室町時代の「武士社会」の形成・成立にまでズレこんでいきます。
しかし,これで女性がみんな「奥様」になってしまったわけではありません。支配階級から,はたらく階級に目をうつせば,女性は歴史のなかで大いにはたらき,経済の発展を支えてきました。農業は家族の共同で行われましたし,漁業でも,男性がとった魚を売って,お金にかえていたのは女性のようです。そして,貨幣経済にいち早く入り込んだ女性の中から,早い時期に金融業者がうまれてきます。夫婦のあいだで妻が夫に金を貸すこともありました。政治権力が,徴税の単位を家族(世帯)とし,その代表者を男性で記録したので,公的文書に残った歴史からは,はたらく女性は見づらいようです。しかし,実際には多くがはたらいていました。明治の繊維産業がたくさんの「女工」さんを雇うのも,養蚕が長く女性の仕事とされていたからです。
「主婦」の誕生から大衆化まで
いわゆる「主婦」の誕生は,明治に入ってからのことです。農林漁業や商業でも,あるいは武士の場合にも,それまでの家は「生活と仕事の場」をかねていました。しかし,大規模な生産の集中を特徴とする資本主義は,資本家や労働者や公務員などの世界に「職住分離」を生み出します。「家庭」は英語のホーム(home)の訳ですが,これには仕事の場ではない,家族の私的生活の場という意味が含まれます。まず,男性に高い収入のある支配層に「家庭」が生まれ,そこに使用人も使いながらもっぱら家事を担当する主婦が生まれます。「主婦」というのも,ハウスワイフ(housewife)の訳語で,この時期に初めてつくられた日本語だそうです。こうして「主婦」は資本主義とともに誕生します。ただし,明治には,徳川からの「三界に家なし」を徹底する民法がつくられますから,この時期の女性は,おそらく日本の歴史上もっとも無権利な状態におかれていました。
主婦が一般家庭にひろがるのは,戦後のことです。おもな推進力は,1955年からの高度成長でした。農業の機械化が農村に過剰な労働力をうみ,都市の労働力不足がこれを吸収します。中卒・高卒の子どもたちが,大挙して都市の工場・企業につとめていく「集団就職」の始まりです。何世代もが同居する農村の「大家族」はへり,都市に「核家族」が増えていきます。若い女性も,都市へと移動しました。
しかし,それにもかかわらず,はたらく女性を専業主婦が上まわります。専業主婦比率がもっとも高くなるのは75年で,そこに向かって比率は一直線に上昇します。主婦の大衆化の進行です。高度成長は,労働者の生活にも一定の改善をもたらしました。大企業の男性サラリーマンに「妻を養う」経済力がうまれてきます。一方,企業は女性を「若年定年」に追い込みました。結婚・出産だけでなく,25才や30才での制度としての定年制がありました。こうなると,すでに農家に帰ることのできない女性たちは,経済力のある男性と結婚して,専業主婦になる他ありません。
こうして増えた専業主婦は,戦前のような大きなお屋敷にくらす「奥様」ではありません。しかし,小さな団地であっても「妻の待つ家庭」「夫を家で待つくらし」は,人々の上昇志向を満たします。専業主婦比率が高かったアメリカのホームドラマの影響もあり,「妻をはたらかせない」ことが夫の力のあかしとされ,「女の人生は夫の給料(勤め先)しだい」と語られていきます。年に一度も化粧をしない農村のはたらく母に育てられた若い主婦は,それらしい化粧,ファッション,身のこなしを,主婦向け雑誌で学んでいきました。
「男は仕事,女は家庭」の財界戦略
ところで,ここに,考えておくべき問題があります。差別的な低賃金ではたらかせている女性を,大企業・財界はどうして「若年定年」に追い込むのか。なぜ,最後の最後まで低賃金ではたらかせきらないのか,という問題です。たとえば60年の賃金格差は,男性100に対して,女性はわずか42.8です。この女性を企業から排除することの不思議を解決するカギは,家庭の役割にありました。たとえば高度成長まっただなかの65年,子どもたちを従順・有能・安上がりな労働力に育てようとした中教審の答申「期待される人間像」は,あわせて「愛の場としての家庭」を強調します。また,同じ時期,財界側から財界研究を行った三鬼陽之助は『女房タブー集』で「亭主は戦場たる職場で全力で闘い,女房は,その戦士たる亭主に使え,かつ家を守る」と力説します。こうした本は,女性たちによっても書かれました。そこには,戦前型の古い家庭観もあったでしょうが,それ以上に重要なのは,その経済的な意味合いです。
財界は,まず搾取の主軸に男性をすえました。男性は,長時間・過密・深夜・休日労働に耐えうる体力をもち,さらに生休や産休がいらない「安上がり」な労働力とみなされたのです。そして財界は,これを24時間型の企業戦士,エコノミック・アニマルに育てあげようとしました。しかし,そうなれば,男性たちには「家のこと」「子どものこと」を考えるゆとりはなくなってしまいます。その結果,男性労働者が不健康になってしまえば,財界・企業も困ります。また将来の労働力である子どもが育たなくなるのも困ったことです。そこで,押し進められたのが,専業主婦の大衆化です。男性労働力の毎日の再生と,健康な子どもの育成,この2つを核心とする「家事」をもっぱら女性におしつけ,それによって労働者階級全体への最大限の搾取を追求する。こういう脈絡で,財界は自分たちの望みにふさわしく,労働者家庭の性別役割分業をつくっていったのです。戦後初の女性労働力戦略である「経済発展における人的能力開発の課題と女性」(63年,経済審議会)が,女性の低賃金活用をいいながら,あくまで家事・育児こそが女の仕事であるとクギをさすのは,そのためです。
高度成長の終わりと「過労死の男女平等」
新しい転換は,高度成長の終わりとともにやってきます。74・75年には当時「戦後最大」といわれた不況が起こり,男性賃金の右肩上がりがストップします。女性収入の必要が高まり,専業主婦比率は75年をさかいに,ついに低下を始めます。ここから「男は仕事,女は家庭」という典型的な「近代家族」は変化をはじめ,「男は仕事と残業,女は家庭とパート」と,男女ともに生活の大変さが増していくことになります。80年代年には専業主婦より,はたらく女性が多くなっていきます。
同時に,この時期は「戦後第二の反動攻勢」の時期でもあります。全国に革新自治体を生み出した国民の闘いに対する,政財界からの巻き返しが行われます。春闘つぶしが本格化し,労働戦線の右寄り再編が進みます。「低成長時代」に応じたリストラが開始され,労働時間の延長が行われます。政治の舞台では,社会党が革新の旗を投げ捨てました。さらに増加する女性労働者には,「母性保護」縮小の攻撃がかけられ,「育児・介護は女の仕事」という「日本型福祉社会」論が叫ばれていきます。その結果,80年代には,「過労死」,子どもの家庭内暴力,高齢者の自殺など,新しい「社会病理」が注目をあびるようになっていきます。90年代には,アメリカのグローバリゼーション戦略を震源地とする,労働法制の改悪も進みます。こうして「女性の自立」「生活の豊かさ」につながるはずだった女性労働のひろがりは,なかなか本来の力を発揮することができていません。
財界は,今日,女性の役割をどう位置づけているのか。それをわかりやすく示したのが,「雇用機会均等法」と引き換えの「女性保護」規程の撤廃です。そこには,日本の標準的な労働をあくまで世界最悪の「過労死」レベルにおきたいという,財界の強い決意があらわれました。これを標準とすれば,男女の平等は「過労死の男女平等」にしかなりません。結果的に,これは,かえって女性を職場の基幹職から遠ざける力となりました。そして,それがイヤなら,「短時間」不安定雇用で,安く無権利にはたらけ。これが財界の方針の基本線だと思います。男女平等の要求に形式的に譲歩しながら,その中でどのようにして実質的格差を継続し,労働者家庭全体に対する支配を維持していくか,そこに財界の関心は集中しています。「男女共同参画」のかけ声にもかかわらず,政治は,労働時間短縮や「女性保護」の復活,社会保障の充実など,本当に「ゆたかな平等」に必要な政策には,まるで反しています。決定権の平等としての「共同参画」を,実りのある社会づくりにつなげるためには,政財界と労働者・勤労者家庭との対立をしっかり見すえ,政治や経済を国民本位に転換していく闘いの知恵と力が不可欠です。
「内助の功」にも科学のメスを
少しだけ理論的な問題にもふれておきます。80年代以降「労働時間の二極化」が進みました。「短時間」の女性労働者の増加にもかかわらず,日本の平均労働時間は短くなりません。それは,男性中心の長時間労働が,さらに「超長時間」化しているからです。こうして,女性を相対的「短時間」の枠に閉じ込め,「家庭責任」を女性に押しつけることが,男性労働の「超長時間」化の支えになっており,他方で,男性労働の「超長時間」化が女性の経済的自立を妨げ,家庭の困難を深める要因にもなっている。このように両者は互いに支えあう関係にあります。したがって,女性差別は「女問題」であり,労働運動全体の課題ではない。こういう考え方がいまだにあるとするなら,それはこうした社会の仕組みをとらえそこなう,誤った社会理解にもとづくものです。
労資関係をとらえるときに,直接的な搾取の場を問題にするのは当然ですが,搾取の分析はその枠内で終わってしまうものではありません。搾取される労働力がどのようにして再生され,未来の搾取を保障する子どもがどのように育てられているか,階級闘争の焦点はそこまでの広がりをもっているのであり,私たちの分析と闘いもそれを視野に入れないわけにはいきません。ですから,たとえば「日本的経営」が女性を「周辺」労働力としか位置づけなかったという場合,実は,生産の場で「周辺」にしか位置づけないことが,逆に男性労働力への強い搾取の条件づくりとなっていた。そこまで分析をひろげる必要があると思うのです。労働者家庭での「内助の功」は,その夫への「功」にとどまらず,夫を搾取する資本のための「功」でもあった。こういう視角をもつことが「家庭」や「家事労働」をどうとらえるかという基本的な視点の獲得につながり,また資本(財界)が自らにふさわしい性別役割分業を,どう形成するかの分析にもつながります。そうした理論発展の努力は,女性の権利の向上を願う多くの人々の対話と交流を広げるものにもなるでしょう。
学習と研究の深まりへの期待
最後に,みなさん方の運動への期待を述べておきます。1つは,みなさん方の学ぶ活動の位置づけは十分ですかということです。学びは闘いのエネルギー源であり,また,学びがつくる豊かな知性は,まわりの人には大きな魅力とうつります。反対に,これがおろそかであれば,どんな運動も大きな力に成長しません。ここで,特に考えていただきたいのは,個々人の毎日の独習の問題です。何かの学習会に参加するということではなく,毎日「自分で学ぶ」という習慣の問題です。どうも,日本の各種の運動は共通して,ここの取り組みが弱くなっているように思うのです。「忙しさ」を理由に学びをおろそかにすれば,私たちの運動は,永遠にいまの到達点を抜け出すことができません。この点では,「時間がないから」という言い訳をゆるさず,「こうやって時間をつくっている」「この本がおもしろかった」と,前向きに「学びの風」を起こしていく姿勢が必要です。
関連して,学びを深めることは,若い世代とのむすびつきを強める力にもつながります。若い世代にとって,活力と個性に満ちた個人はあこがれだからです。自分の判断にもとづき,自分の信念をつらぬき,自分の情熱をそそぎ,自分の言葉で語る。それこそが若い世代にとってのあこがれです。ぜひとも,他のだれにも負けずに良く学ぶ個人と集団をつくってほしいと思います。
もう1つは,組織的な研究の問題です。『家族,私有財産および国家の起源』を書いたエンゲルスがなくなって,100年以上がたっています。その後の研究と運動の発展のなかで,21世紀に女性の地位向上を求める運動にはどのような新しい可能性が開かれているのか,また,それを実現していくためにはどのような取り組みが求められているのか。これを探求する旺盛な活動の先頭に,みなさん方が力をあわせて立ってほしいということです。運動の大きな成功には,学問の成果にうらづけられた,社会の変化と発展にたいする見通しが必要ですが,その学問の発展を刺激する取り組みにおいても,みなさん方には積極的な構えを期待したいと思うのです。ぜひ,研究者を組織して下さい。
おしまいの方は,いささか挑発的にすぎたかも知れませんが,この短い文章がみなさん方の運動の発展に少しでも役立つことを願っています。
〔付記〕
この文章は「第48回・はたらく女性の中央集会」での記念講演(2003年11月23日)の一部にもとづくものです。不足を補うには,次のものを参照していただけると幸いです。
1)石川康宏「第5章・主婦とはどういう存在なのか」「第7章・仕事にまつわるジェンダー・ギャップ」「コラム・労務管理のジェンダー分析」(森永康子・神戸女学院大学ジェンダー研究会編『はじめてのジェンダー・スタディーズ』北大路書房,2003年)
2)石川康宏「マルクス主義とフェミニズム――フェミニズムの問題提起を受けとめて」(関西唯物論研究会編『唯物論と現代』文理閣,第31号,2003年5月)
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