以下は、「民主青年新聞」2008年2月4日号に、連載「Q&Aから考える科学的社会主義」の第4回分として掲載されたものです(1~3回は鰺坂真先生でした)。
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「Q&Aから考える 科学的社会主義
--第4回 「社会はかわるし、かえられる」ってホント?」
「なぜ科学的社会主義を学ぶの?」――連載では、科学的社会主義の学習や日常のくらしでぶつかるような疑問を出発点に、そもそもから学びます。今回から、歴史が発展する原動力の一つである経済について、神戸女学院大学教授の石川康宏さんに紹介してもらいます。(6回連載)
「がんばったって世の中はかわらない」「何回選挙をしても、自民党の政治もかわらない」。こんな言葉に、みなさんもグッとつまったことがあるかも知れません。でも、長い歴史を見ると、人間社会は大きな変化の連続です。いまの日本だけが「かわらない」なんて、決していえることではありません。今回は、その歴史に視野をひろげてみます。
経済のしくみから歴史をつかむ
みなさんは、中学校や高校の授業で、日本の歴史を学んだことがありますね。そこでは、日本社会のいろんな時期が「○○時代」と呼ばれる言葉で区切られていました。区切る基準はいろいろです。たとえば奈良時代や江戸時代は、政治の中心地がどこにあったかという地名をもとにしています。白鳳時代や天平時代のように、文化の特徴を主な基準とした区分の仕方もありました。そのように歴史は、いろんな基準で区切りをつけることかできるものです。
その中で史的唯物論は、経済のしくみ――特に、はたらく人と生産手段(道具、機械、工場、土地など)との関係を大きな基準に歴史を見ます。この基準は、思いつきで選ばれたものではありません。それは、人間の社会を成り立たせる根本が、生活に必要なものをつくる経済だという事実を、深くとらえた上での選択です。実際、食べるもの、飲むもの、着るものからはじまって、さまざまな生産物がなければ大きな都も、各地での戦争も、立派な文化も成り立ちません。人間の社会は、時代や地域に応じて多様な特徴をもちますが、その土台にはいつでも経済の活動があるわけです。
そうすると日本に限らず人間社会の歴史は、①文明も生産も未発達で、共同的な経済活動が行われていた原始共産制の社会、②はたらく人間や生産の手段が奴隷主の持ち物とされてしまった奴隷制の社会、③農具は農民のものになったが、一番の生産手段である土地は領主のもので、生産物の多くが年貢などの形で領主にとりあげられてしまう封建制の社会、④工場や建物をもつ資本家のもとで労働者がはたらく近代の資本主義という4つの型にわかれてきます。
歴史にせまる唯物論の方法
こういうとらえ方をはっきりさせたのは、マルクスとエンゲルスです。彼らは、遠く離れたそれぞれの社会に、大きく4つの型に分かれるこの歴史がつらぬいていることの不思議をつきつめます。そして、それは社会が内部に発展の法則をもっているからだという結論に達していきました。
たとえば日本とイギリスは、昔からメールや電話でつながっていたわけではありません。どういう社会をつくろうかとか、お互いの社会を参考にするといった相談ごとも何もなかったわけです。それにもかかわらず、地球の反対側にあるこの2つの国には、よく似た封建制の社会が生まれて、その次には仲良く同じ資本主義がうまれてきます。
(社会の発展法則をどうやって解明するかについて、エンゲルスは『フォイエルバッハ論』という本のなかで、こんなことを言っています。
①自然の歴史とちがって社会の歴史をつくる人間たちには意志がある、たくさんの人間がそれぞれの意志にそって行動し、それらの衝突や響き合いの結果としての「合成力」が実際の歴史をつくっている。
②では、その「合成力」にふくまれる、たくさんの人間を「大きな歴史的変動をもたらす持続的な行動にみちびくような動機」は、いったいどこから生まれるか、その原因の探究こそ、歴史法則の解明につながる「唯一の道」である。
③こう述べたエンゲルスは、さらに封建制から資本主義へのフランス革命の歴史をたどり、たくさんの政治闘争を分析しながら、「国家の意志」は最終的には「生産力と交換関係との発展」――つまり経済のあり方によって規定されていると結論づけます。
言葉が、少しむずかしいかも知れませんが、ここには社会の歴史を、唯物論の見地から、科学的にとらえていく方法が述べられています。)
日本史の中の歴史の法則
人類史に共通する4つの大きな歴史の型は、日本ではどのような形で現われているのでしょうか。日本では、外からの大きな侵略などがなかったため、社会発展の法則が他の地域に比べて、かなり純粋な姿であらわれています。
①日本列島に人類がやってきたのは数十万年も前のことのようですが、そこから縄文時代までが原始共産制の社会です。青森県の三内丸山遺跡のように、当時の生活の跡が各地に残っており、これが社会のしくみを解明する重要な手がかりとなっているのです。
②次に、邪馬台国の卑弥呼の時代にあたる3世紀頃から、奴隷を所有する支配者や政治権力が登場します。5世紀の大和王朝、8世紀からの平城京、平安京の時代などは、それがしっかり確立していく時期にあたり、その結果、各地の共同体(村)がまるごと政府の奴隷集団となっていきました。生産物が力づくで取り立てられたり、人々が大規模工事に強制的にかりだされるといったこともありました。
③12世紀の源平の合戦から鎌倉幕府の成立、14世紀の南北朝の内乱、戦国時代から1603年の徳川幕府の成立にいたる過程は、それまでの古い支配者たちと新たな支配をめざす武士たちが闘い、その武士たちが全国の土地と農民を支配する封建制の社会を形づくる時期となりました。農民は土地にしばりつけられ、ここでも強制的に重い年貢が取り立てられます。取り立ては漁業や狩猟、林業などにもおよびました。
④さらに、資本主義が生まれる大きなきっかけとなったのは明治維新です。日本では天皇制権力のもとで、最初から濃い軍事的な色合いをもって資本主義が成長します。そして第二次大戦後には「財界・アメリカいいなり」という、現代の私たちになじみの深い今日的な資本主義が形成されてくるわけです。
いかがですか? 社会は「どうせかわらない」ものでしょうか? そんなことはまったくありません。反対に歴史は激動に満ちています。これが実際の姿です。私たちがいきる現代もそうした激動の1コマなのです。(つづく)
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