以下は、日本婦人団体連合会編『女性白書2008』(ほるぷ出版、2008年)10~15ページに掲載されたものです。
特集タイトルは「女性と人権 世界人権宣言60周年」でした。
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女性の人権――2008年、日本で
「世界人権宣言」から60年
1948年12月10日、第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されました。第2回の国連人権委員会が、経済社会理事会を通じて国連総会に提案したものです。
「宣言」の第1条はこうなっています。「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」。そして第2条の1項は「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」としています。すべての人間の平等を実現する上で、性による差別の禁止は重要な位置を占めるとされていました。前年に施行された日本国憲法も、基本的に同じ考え方に立っています。
この「世界人権宣言」の採択から、今年でちょうど60年がたちました。この間に日本の女性の権利はどこまで高められたといえるでしょう。多くの前進があった一方で、まだまだ多くの課題も残っています。
男女の平等に抵抗する社会的要因はさまざまです。その中から、ここでは、私がその主力であろうと考える、①大企業・財界による広い意味での労務管理の政策――職場の中の労働者だけでなくその家族をふくむ労働者家庭の管理――と、②近年の改憲の動きのなかで再びクローズアップされた大日本帝国時代の日本を賛美する力の2つを、簡潔に紹介してみたいと思います。
職場と家庭の女性を大きくみると
職場と家庭を舞台に、女性のおかれた状況を大きくとらえてみると、まず男女の労働力率の格差が非常に大きいことがわかります。女性の労働力率が48・3%であるのに対して、男性労働力率は73・4%で、この二つの数字の比率は65・8%となっています。同じ数字がスウェーデンでは95・0%で、そこには男女の格差はほとんどありません。この日本の数字は、世界的にも男女格差が大きいと評価されている韓国(66・5%)やスペイン(66・4%)よりもさらに大きなものとなっています。
第二に、女性は今もなお、職場の中で多くの差別を受けています。あくまでも能力評価だと企業側がいう総合職で比べてみても、女性の多くが昇進格差を実感しており、それが結果的には、大きな賃金格差につながっています。管理職にしめる女性比率を見ても、アメリカが45・9%であるのに対して、日本はわずか9・7%となっています。
第三は、雇用形態の格差です。男性の全雇用者に占める非正規雇用の比率が17・7%であるのに対して、女性は47・5%に達しています。しかも、さらにその内訳を見ると、非正規の中でもっとも賃金が低いとされるパートの比率が、非正規雇用の女性の62・5%となっています。
こうしていくつかの数字を見るだけでも、現代日本の経済社会に、①女性の手から仕事(経済的自立の条件)を奪い、女性を家庭に追いやる力、②働きつづける女性に対しては、彼女たちを低賃金に追いやる力、この2つの力が強くはたらいていることがよくわかります。それによって生まれる男女の経済力の格差が、家庭の中に男性優位を生み出すひとつの土壌になってもいくわけです。
女性差別を武器とした野蛮な日本経済の型
では、この大きな2つの力の発信源はどこなのでしょう。それは日本の大企業であり、その経営者たちがつくる財界団体です。大企業・財界は経済的利益の最大化を求めて行動しますから、それが女性を低賃金に追い込もうとするのはわかりやすい話です。ですが、そうして低賃金に追い込んだ女性を企業社会から排除し、家庭に追い込んでしまうのはどうしてでしょう。この秘密を理解するには、①世界一の長時間労働に象徴される劣悪な労働条件と、②世界でもまれな女性差別が、現代の日本では一体のものとなっていることに注目が必要です。
戦後日本の財界は、長時間・過密・低賃金といわれる劣悪な労働条件を労働者たちに強制し、これを国際競争力強化の大きな武器としてきました。その中でも特に重要な要因となっている労働時間の戦後の変化を、いくつかの経済大国と比べてみると次のようになっています。
1950年――西ドイツ2326時間(年間)、日本2272時間、アメリカ2171時間、フランス1989時間、イギリス1958時間。
2003年――日本2273時間、アメリカ1929時間、イギリス1888時間、フランス1538時間、ドイツ1525時間。
見られるように、日本にはまるで変化がありません。しかし、その間に、大雑把にいってドイツで800時間、フランスで450時間、アメリカで250時間、イギリスで70時間の労働時間短縮が進んでいます。しかも、その間に日本では労働の効率化・過密化が進められていくのです。
こうした深刻な条件で働かされた労働者の主力は男性です。「男は仕事」というわけです。その一方で、そうした男性労働者の生活を支え、男性不在の家庭――特に子育て――を支えるために、「女は家庭」が推進されます。日本で「主婦の大衆化」がすすむのは高度成長期でのことであり、女性たちの専業主婦比率がもっとも高くなるのは1975年前後のこととなっています。
多くのヨーロッパ社会では、戦後の経済成長過程で働く女性の比率が高まり、専業主婦の比率は下がっていくわけですが、同じ時期に日本ではそれが上昇していきます。この「主婦の大衆化」(増大)を促進する重要な要因となったのは、1955年頃に企業社会全体に整備されていった若年定年・結婚定年の制度です。その意味をもっとも鮮明に表したのが、職場結婚の場合には自動的に女性が退職するという制度でした。
ここまで来ると、話はかなりわかりやすくなります。なぜ低賃金で働く女性を、財界は若くして定年に追いやったのか。それは男性労働力をより深く、より長い時間、企業社会の中にとどめておくためです。男性を徹底した「会社人間」「企業戦士」「エコノミックアニマル」として育てるためには、彼らを家庭責任の一切から解放する必要がありました。そこで、その男性たちの世話と、未来の労働力である子どもの世話が、ひとえに女性たちに強制されていったのです。
こうした動きは、時の政府とも連携をとって進められました。たとえば1968年に出された文部省の『家庭の設計』は、家庭における女性の役割を次の5つにまとめています。①家庭管理者としての「主婦の役割」、②夫によりよき生理的・心理的再生の場を与える「妻の役割」、③子どもを育てる「母としての役割」、④自らも働く「勤労者としての役割」、⑤社会活動に参加する「市民としての役割」です。さらに、そうした役割を果たすべき女性が病気で倒れた時の備えとして、労働省は1960年に「事業場における従業員家族のための家事援助制度」をつくっていきます。職場の中のホームヘルパー制度です。これさえあれば、妻が病気になっても、夫が仕事を休む必要はないというわけです。
こうして戦後の日本では、大企業・財界の高い利益を追求するために、①世界最長の労働時間が「男」を主なターゲットに維持されていき、②これを達成する手段として「女は家庭」が推進されていったのです。現代日本の社会の中で働く女性の増加を抑え、「男は仕事、女は家庭」を「男女で仕事、男女で家庭」に転換することを押しとどめてきた最大の力は、以上のような財界の労務管理政策あるいは野蛮な資本主義の形づくりにありました。
政財界の「ワーク・ライフ・バランス」論
こうした財界の女性差別に対して、女性たちは特に60年代からの裁判闘争をもって闘いました。また世界的な差別撤廃運動の高まりを背景に、雇用機会均等法などの法的成果を勝ち取りました。しかし、財界は「平等をいうなら男なみの労働時間と条件で」と、雇均法「改正」にあわせて労働基準法の女性保護規定を撤廃してしまいました。そこには、財界に世界最長・最悪の労働時間や条件を手放そうとする意志がないことが良く表われています。
その財界が、いま「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)」を語りはじめています。ワーク・ライフ・バランスをうまくとって、①仕事による経済的自立が可能な社会、②健康で豊かな生活のための時間が確保できる社会、③多様な働き方・生き方が選択できる社会をめざすなどといっています。しかし、これまでの経過を見れば、これを文字通りに受け取るわけにはいきません。加えてこの話の出所は、労働ビッグバンの司令部である経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会なのです。
同委員会会長の八代尚宏氏は、ある会議でワーク・ライフ・バランス論を「ホワイトカラー・エクゼンプションを正しい形で導入するためのひとつのステップ」と説明しています。ホワイトカラー・エクゼンプションというのは、ホワイトカラー(サラリーマン)の給料を、労働時間によってではなく「成果」に応じて支払うとする、ただ働き促進の法律です。これは2007年に多くの国民の反発を受け、財界も一度は引っ込めざるを得なくなったものですが、ワーク・ライフ・バランス論はその「導入」のために国民の目をごまかす新しい隠れ蓑だというわけです。
ですから、財界の側には労働時間短縮などの意志はまったくありません。たとえば日本経団連の『08年版・経営労働政策委員会報告』は、「法により一律に労働時間の短縮をはかることは、ワーク・ライフ・バランスの実現にとって真の意味で有効策となるものではない」と述べ、あくまでも時短は労働者が短時間で大きな「成果」をあげる自発的な労働強化、すなわちホワイトカラー・エグゼンプションを通じて行うとしています。
財界による労働法制の改悪、雇用制度の改悪を大きくとらえるならば、ワーク・ライフ・バランス論には、非正規労働者の拡大という第一段階から、正規雇用者の権利を破壊していく第二段階へと、労働ビッグバンをさらに前進させるねらいが込められています。それは一方で働く女性の労働条件を悪化させるものとなり、他方で男性の労働条件悪化をつうじて、ますます多くの家庭責任を女性に覆いかぶせるものとなるでしょう。
ただし、財界がこのような隠れ蓑を使わずにおれなくなっているのは、国民の闘いの力が強くなっているからです。日本経団連の会長企業であるキャノンが、非正規雇用の拡大から減少へという路線転換に踏み切らざるを得なくなっているのは、それを象徴的に表すものです。
こうした財界流の「ワーク・ライフ・バランス」論に対して、国民の側からの「ワーク・ライフ・バランス」論を積極的に対置することが大切になっていると思います。そこには男女差別の撤廃、男女共通の労働時間の短縮、希望する非正規雇用者の正規雇用への転換、フルタイムとパートタイムの権利の同一化、子育て・介護など社会保障の充実が含まれなければならないでしょう。多くの議論を期待したいところです。
靖国派による男女共同参画社会の敵視
もう一つ、現代の日本で男女平等の推進を阻む大きな力となっているのは、戦前の大日本帝国時代の日本を「美しい国」と讃える動きです。2007年5月に、「新憲法制定促進委員会準備会」という国会議員グループが「新憲法大綱案」を発表しました。これは、かつての侵略戦争を正義の戦争だったとする靖国派の中心グループ「日本会議」に所属する議員たちの取り組みです。
そこには「家族の保護規定」の新設が述べられており、それによって保護されるべき家族は次のようなものとされています。「祖先を敬い、夫婦・親子・兄弟が助け合って幸福な家庭をつくり、これを子孫に継承していくという、わが国古来の美風としての家族の価値は、これを国家による保護・支援の対象とすべきことを明記する」。
この「新憲法大綱案」は、前文を「大日本帝国憲法」の歴史的意義をふまえたものにすると述べ、また「天皇がわが国の『元首』であることは、政府見解においても国際慣例上も明らかである」とも書いています。つまりここで「わが国古来の美風としての家族」といわれているのは、大日本帝国時代の日本、つまり明治から昭和の前半にかけての日本の家族のことなのです。
しかし、この時期の明治民法は、女性たちを「女三界に家なし」といわれるような、日本の長い歴史の中でももっとも無権利な状態に追い込みました。その時代の家族を「新憲法大綱案」は「美風」と賛美するのです。靖国派の議員たちはこれまでも2002年の夫婦別姓の民法改正の動きをつぶし、07年には再婚禁止期間の見直しの動きをつぶしてきた「実績」をもっています。「新憲法大綱案」が言葉だけのものでないことに、十分注意が必要です。
またホームページの副題に「男女共同参画社会基本法の廃棄をめざして」と書く「美しい日本をつくる会」が、2007年に設立されたことも重大です。06年10月に書かれたこの会の設立趣意書は、「援助交際や中絶の権利」「青少年の性の淪落を勧め」「男らしさ・女らしさを否定」する教育が進められているとして、「こうした社会や学校の乱れの原因は、共産主義的フェミニズムに根ざした男女共同参画社会基本法」にある、「個人の人格を破綻させ家庭を壊す男女共同参画社会基本法を廃棄しなければ、遠からずわが国は亡国の危機に直面する」と述べています。
さらに、この会は07年2月に、明治天皇を祀る明治神宮で「発会式」を行っています。そこでこの会の共同代表である桜井裕子氏が講演を行い、「(男女共同参画社会基本法)の背景にあるフェミニズム思想は、マルクス・レーニン主義に根ざしたものであり、フェミニズムがこれほど定着した国は世界中に見られないこと、『男女共同参画』という言霊が人々を幻惑し家庭崩壊に拍車をかけていることを具体例をあげて説明いたしました」となっています。
なんともあきれた議論ですが、こうした動きが強くなっていることも日本社会の現実です。安倍内閣の退陣で、靖国派の動きは一時の勢いを失ったかのように見えますが、油断は決して許されません。そして、靖国派の中に男女平等を正面から敵視する、こうした時代錯誤の論調が含まれていることは、もっと広く理解されて良いことです。
私は、女性の権利のいっそうの向上を実現するうえで、以上のような財界の利益第一主義とのたたかいにあっても、靖国派とのたたかいにあっても、日本国憲法がめざす日本づくりの理想をあらためて高くかかげることが大切ではないかと思っています。それは、ここでふれることができなかった「慰安婦」問題や米兵による無法など、性暴力を許さぬたたかいにとっても有効だろうと思っています。
戦後財界による労働者課程の管理政策について、より詳しくは石川康宏「長時間労働・女性差別とマルクスのジェンダー分析」(日本共産党『前衛』2007年3月号)をご覧ください。
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