以下は、総合社会福祉研究所編『現場がつくる新しい社会福祉』(かもがわ出版社、2009年1月23日)、147~171ページに収められたものです。
主に財務省のサイトからとった6つの図表は掲載されていません。書籍の現物でご確認ください。
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第7章・社会保障予算は本当にとれないのか
——経済学の角度から——
私は、いまほど社会福祉・社会保障の充実が求められているときはないと思っています。生活のたいへんな人が増えているからという理由が第一ですが、それだけではありません。元気をなくしてしまった日本経済を立て直すためにも、それはどうしても必要なことだと思っています。そして、福祉の現場で働き、福祉の充実を誰より願うみなさんにこそ、そのことをしっかり理解していただきたいと思っています。
1 ■ 「国民のくらし第一」の経済づくりを
福祉にかかわりの深いみなさんには、経済学はあまり評判のいい学問ではないかも知れません。世の中にはいろいろな事情で生活が大変になった人に「国に頼るな、自分で生きろ」「勝ち組、負け組も仕方がない」といったことを平気で語る「人に冷たい経済学」があり、また口をひらけば「財政赤字だから福祉予算はとれない」「福祉予算がほしければ消費税を増税するしかない」などと語る経済学者もいるからです。
しかし、そうした意見は、経済学者全体の一致した意見などではありません。経済学にもいろんな考え方があるのです。日本の現状を考えるとき、あらためて国民みんなでよく考えなければならないと思うのは、「大企業がもうかれば、経済全体の調子がよくなり、国民生活もよくなる」「だから、政治は大企業を応援せねばならない」「大企業の自由を拡大せねばならない」という「構造改革」の議論は本当に正しいのかという問題です。毎日の生活のなかで、この考え方が正しいと実感できる人はいったいどれほどいるでしょう。この考え方は「サプライサイド(供給者重視)の経済学」といわれ——「供給者」というのは、ようするに大企業のことです——、橋本首相以後の日本の政治が行ってきた「構造改革」路線の大きな理論的な柱となってきたものです。
私はいま「大企業のもうけ」を入口とするこうした経済政策に早く見切りをつけて、「国民のくらし」を政治が直接支援する経済政策への転換を行うことが必要だと考えています。そうしなければ、私たちのくらしはますます悪くなってしまいます。そして、そのように政治の流れを転換する上で、社会保障(福祉・医療・年金)の充実は、雇用制度の改善——非正規雇用の正規雇用への転換——とならんで、たいへんに重要な中身をつくるものになると思っています。
こういうことをいうと、「財政赤字だから社会保障予算はとれないのだ」と反論をする人が多いようです。しかし、日本政府の「財政赤字」はいま、本当に、社会保障をこんなにも削らねばならないほどに深刻なのでしょうか。ここではその問題を、一緒にジックリ考えてみたいと思います。
2 ■ 政府は「財政赤字」をどう説明している?
最初に政府の財務省のホームページから「日本の財政を考える」を見ておきます*1。ここには「社会保障予算はとれない」と語る政府の「財政赤字」論が、とても要領よくまとまっています。その話の筋は、だいたい次のようになっています。
〔国民生活と財政の関係は〕税金の多くは社会保障や社会資本整備につかわれますが、いまは国民の税負担より「受益」がずっと大きくなっています。
〔国の家計簿の現状は〕国は必要な支出の六割強しか本来の税収でまかなえず、毎年三割以上を借金にたよっています。この借金分が毎年の財政赤字ということです。
〔国の借金の状況は〕借金は毎年たまっていきます。二〇〇九年三月末で、過去の借金の合計(残高)は五五三兆円と見込まれます。これを国の経済力をあらわすGDP(国内総生産)と比べた場合、日本の借金比率の高さは主要先進国で最悪です。
〔今後の財政は〕高齢者がふえるので社会保障費が増加し、借金返済額もどんどん重くなります。財政はますます厳しくなります。
〔現状を放っておくと何が困るの〕借金の返済額がふえて、社会保障や社会資本整備につかえるお金がなくなります。これが金利の上昇につながり、経済にダメージを与えるかもしれません。また借金返済の負担が将来の世代に押しつけられます。
〔財政健全化のためには〕二〇一一年度までに基礎的財政収支(別名プライマリーバランス)を黒字化し、二〇一〇年代なかばにはGDPに対する借金の比率を低下させていきます*2。
これが、政府が「日本の財政」について、いま考えていること——じつは国民向けに語っていること——のあらましです。その基本は、おわかりのように、毎年の税収と実際の支出の差(赤字)が大きいので、まず毎年の収支をなんとか黒字にもっていきたいということです。
同じことは、「構造改革」の司令塔と呼ばれる経済財政諮問会議の最新の「骨太の方針」でも述べられています*3。
「財政健全化に向け、安定した成長を図るとともに、『基本方針2006』及び『基本方針2007』を堅持し、歳出・歳入一体改革を徹底して進めることにより、まずは二〇一一年度には、国・地方の基礎的財政収支を確実に黒字化させ、さらに、二〇一〇年代半ばにかけては、債務残高GDP比を安定的に引き下げるなど、『進路と戦略』に定められた中期的な財政健全化の目標を確実に達成する」(二一ページ)。
このように政府にいわれると、社会保障予算の抑制は仕方のないことなのかもしれないと、なんとなく納得しそうになりますね。しかし、実はここに「待った」が必要なのです。政府の説明には、私たち国民に「本当に国の財政状況全体を知らせるものになっているか?」という大きな問題があるのです。次に、そこを見てみましょう。
3 ■ 政府が語りたがらない「資産」の問題
実は、財政学の専門家たちからは、政府の説明では、「日本の財政」の本当の姿はとらえられないという批判が出されています。なかには、これは国民をごまかそうとするものだという厳しい批判もあるほどです。言葉が少しむずかしくなるかも知れませんが、そのいくつかを紹介してみます。
まず菊地英博さんは、こういっています。
「政府には多額の債務(粗債務)があっても、多額の金融資産がある。粗債務から金融資産を引いた金額が『純債務』(ネットの債務、金融資産で債務の一部を帳消しにした後の債務)である。一国の財政状況は『純債務』で見るのが国際的にも一般的だ。粗債務だけで危機を煽っているのは日本だけである」*4。
つまり菊地さんは、先に見た財務省のホームページが語っていた借金の残高(国で五四七兆円)は、政府がもっている金融資産を考慮にいれない「粗債務」のことで、本当の財政状況をとらえるものではない、本当の財政状況をとらえるためには金融資産で債務の一部を帳消しにした「純債務」を基準にするべきだ、それが国際社会でも一般的なものの見方だというのです。
また、これと同じ問題を指摘した上で、さらに次のように話をすすめる議論もあるのです。山家悠紀夫さんは、こういいます。
「財政赤字を借金残高〔菊地さんがいう「粗債務」のこと——石川〕のみで論じてはならないことを、純借金残高〔同じく「純債務」のこと〕で見ると違って見えるという例で示してみましたが、もう少し言うと、政府のバランスシート全体で見る、という視点が重要です」「政府(国と自治体をあわせたもの)には巨額の借金がある。同時に、政府は巨額の金融資産を保有している、また、建物、道路、港湾などの固定資産や土地も保有している。その全てを合わせてみて、その中で借金残高の大きさの持つ意味を考えてみる、という視点です」*5。
これは、政府がいう借金(粗債務)を帳消しするものには、金融資産だけでなく、さらに固定資産や土地もあるとするものです。その上で山家さんは「国民経済計算」という政府の統計にもとづいて、次のように、その帳消しの具体的な数字を示しています。
「現在(二〇〇八年三月)のところ、公表されている最新の数字は二〇〇六年末のものですが、これによりますと、政府(国と自治体の合計)の負債残高は九九一兆円です」「これに対して資産の方をみますと、金融資産五四一兆円、固定資産三五〇兆円、土地一三四兆円、となっており、合計一〇二五兆円となっています。国民資産の総額が八五六二兆円ですから、そのおよそ八分の一、日本政府は結構、資産持ちです」「資産から負債を引くと正味資産、ということになります。その額三四兆円、日本政府のバランスシートは資産超過です」「借金残高だけを見ていてはわからない財政の姿が、こうして、政府のバランスシートを見ることから見えてきます」*6。
おわかりのように、菊地さんも山家さんも、政府がくりかえし強調する巨額の財政赤字——じつは「粗債務」の残高——だけを見ていたのでは、日本の財政の本当の姿は見えてこないとしています。そして、山家さんの場合には、借金よりも資産が多いのが日本の財政の本当の姿だとさえいうわけです。
もうひとつ、井手英策さんと水上啓吾さんの研究も見ておきます。そうすると、このお二人も「重要なことは、現在の財政状況をストック面から正しく把握し、政府の純債務を確定しておく作業である」と述べ、その作業を「国債及び借入金並びに政府保証債務残高」「国民経済計算(SNS)」「国の借金対照表」などの政府資料を使って行い、最後に次のように結論をまとめているのです。
「以上、各統計の政府資産および負債について確認してきたが、その金額は見方によって様々であることがわかる。国の貸借対照表は、財政収支改善のために行財政改革を進める、という問題意識を前提に作成された『一つの見方』に過ぎない。それゆえ、SNSよりも債務超過額を大きく算定する手法が選択されている。しかし、これと同様に地方政府の貸借対照表を作成し、国の貸借対照表と合算すると、今度は、資産超過の可能性さえ出てくる。これに、地方を除いた国レベルの純債務残高ですら、先進国の中では言われているほど高くないという点を勘案すれば、やはり、債務残高のみを見て議論するのでは充分ではないと言えそうである」*7。
ここでも結局、政府がいう債務残高だけを見た議論では「充分ではない」ということが確認されているわけです。また政府の資料に、特定の政治的な「問題意識」を前提した「一つの見方」にすぎないものがあることが指摘されているところも重要です。
以上、四人の専門家による三つの研究を紹介しましたが、この三つの研究は、じつは今後の日本経済と財政運営の方向については相当に違った主張をされています*8。しかし、それにもかかわらず、資産を無視して債務残高のみを強調する政府の財政についての説明が、現状を正確にとらえるものでないという点で、意見はまったく一致しています。こうしてみてくると、数百兆円の赤字という「粗債務」だけをふりかざし、「だから社会保障予算はとれない」という政府の説明が、相当あやしいものだということは明らかです。
4 ■ 経財大臣も財務省も「資産」を強調していたことがある
重要なことは、これと同じ理解を大臣や財務省も示したことがあるという点です。たとえば経済財政担当大臣に就任した直後の記者会見(二〇〇一年一月二三日)で、麻生太郎氏は次のように述べました。
「会社でいえば、金を借りるというときには、それに見合って債権、担保というものがあるわけです」「それに見合うだけの担保がなければ金は借りられないわけです。そういった意味からいくと、日本の今の六四五兆円というのは地方と国と突っ込んだ総債務の話で出てくるんだと思うんです。ところが、国としては海外に債権を持っています。日本は世界最大の純債権国ですから、その債権の分を引いて残りを計算して初めて純債務になる」「純債務の話をしていただかないと、例えば国有財産とかその他を含めて、債権というものがあるわけですから。それでいきますと、最近の数字は知りませんが、純債務で見たGDP比は四五パーセントぐらいだったと思うのですが。EUの平均が四七%ぐらいだと記憶していますので、その意味では、六四五兆円という国があたかも明日から破産するかのごとき状況ではない。それほどむちゃくちゃなわけではないというのがまず大前提です」*9。
六四五兆円というのは、二〇〇〇年度末で見込まれていた国と地方の「粗債務」の合計額ですが、ここで麻生氏は、日本の財政実態を正しく見るためには、そうした「総債務」(「粗債務」のこと)ではなく、そこから債権を差し引いた「純債務」で見なければならない、そうすれば「明日から破産するかのごとき状況ではない」ことがわかる、と述べています。これは先に見た今日の財務省による財政状態の説明とはまったく異なり、その反対に、財務省のような理解を批判している先の四人の研究者たちの見方にぴったり重なるものとなっています。
この発言に関連する数字やグラフを、もう少し細かく見ておくことにしましょう。いずれも財務省が作成している資料ですが、麻生氏がいう「総債務」で日本の財政赤字を国際比較したものが図1です。そして、そこから金融資産を差し引いて「純債務」で比較したものが図2です。日本の純債務のGDP比が四五%程度だったのは、実際には九八年(四六・六%)頃のことで、その点では麻生氏の「記憶」に若干の年次のズレがあるようです。しかし仮に二〇〇〇年度の数値で比較しても、日本の状態がEU諸国から大きく隔たるものでなかったことは、麻生氏が述べていたとおりです。
もう一つ、驚いたことに財務省自身が、日本政府の金融資産の大きさと、それをもっていることの意義を強調したこともありました。二〇〇二年二月にムーディーズやスタンダード&プアーズなど、最近のサブプライムローン問題で話題になったいわゆる「格付け会社」が、日本政府のデフォルトリスク(債務不履行の危険性)が高くなっているとして、日本の国債の格付けを下げたことがあったのですが、財務省はこれに反論する見解を発表し、そのなかで次のように述べたのです。
「格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである」「例えば、以下の要素をどのように評価しているのか」
——「マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国」
——「その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている」
——「日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高」*10。
つまり財務省は、日本政府の債務履行(借金返済の)能力を、債務残高が多いか少ないかという「財政状態」だけで見るべきではない、それは貯蓄が多いという日本経済の特徴や、対外債権や外貨準備など日本政府がもっている多額の金融資産を「考慮」して、「総合的に判断」すべきだといっているのです。これは、今日の財務省が、国民に対してもっぱら債務残高の大きさだけを理由に、財政の困難を訴えていることとはまったく異なる見解です。そして、それは、麻生氏の発言と同様に、先の研究者たちの財政の見方と、基本的に一致するものとなっています。
しかし、こうした主張は、その後、政治の表舞台からは消えてしまいます。それは一体どうしてなのでしょう。じつに不思議なところです。私は、そこには何とかして消費税増税についての国民の同意をとりつけたいという、政府の隠れた願望があるのではないかと思うのですが、その点については、もう一度あとでふれることにしておきます*11。
5 ■「構造改革」は大企業・金持ち減税で財政赤字を拡大した
見てきたように、「粗債務」の残高だけを強調する現在の政府や財務省の議論が非常に一面的なのは明らかです。金融資産だけでなく固定資産や土地の表記もある日本政府のバランスシートを検討した先の山家さんは、「日本の財政は結構まだ健全である」という評価を与えているほどです*12。
しかし、たとえ金融資産を差し引いた後の「純債務」で見ても、日本の財政状態が悪化の度合を深めているのは事実です(図2)。そこで日本の財政については、「まだ健全である」という指摘が可能な今のうちに、状態悪化の道を抜け出す策を取る必要があるということになってきます。次のその問題を考えておきましょう。
打つべき手を考える時に、まず正確にとらえねばならないのは、どういう理由で図2が示す「純債務のGDP比(純債務÷GDP)」が悪化している——数値が大きくなっている——のかということです。純債務に対してGDPの比率が大きくなっていけば数値は改善されるわけですが、現実はその反対になっています。なぜそうなっているのかを、見ていきます。
まずGDPについていえば、その伸び率が非常に低いというのが特徴です。二〇〇二年以後、アメリカや中国などへの輸出によって、ゆるやかな拡大がつづき、これを政府は戦後最長の景気拡大局面と呼んできましたが、実態としての伸び率はきわめて低いものにとどまりました。最近では、その低い伸び率も維持することができず、内閣府も景気後退局面への転換を語るようになっています。なぜこの伸び率が長く低かったかといえば、国内需要の最大勢力である個人消費が押さえ込まれてきたからです*13。
より決定的な問題は、もう一方の「純債務」の急拡大です。それは、図1で見た「債務残高」——先に見た「粗債務」——のあまりに急速な拡大によるものです。日本政府の金融資産は先進国の中でもGDP比で最大で、なおかつ毎年増えているのですが、その伸びを上回る「粗債務」の拡大が、結果として「純債務」の急拡大を生み出しています。では、このような「粗債務」の急拡大は、一体何によってきたのでしょう。
注目しておきたいのは、「構造改革」の一環として「財政構造改革」が開始された年である一九九七年が、その掛け声とはまったく反対に、その後の財政状態悪化の重要なスタートラインになってきた事実です(図2)。二〇〇七年度末の国債残高——政府の「粗債務」残高——は五四七兆円ですが、九六年度末の残高は二四五兆円にとどまっていました。つまり橋本内閣が「財政構造改革元年」を宣言して以降、その残高は二倍以上にふえてしまったということです。さらに二〇〇〇年度末の残高が三六八兆円でしたから、二〇〇一年に登場した小泉内閣以後に、今日の全残高の三分の一が積み増しされていることがわかります。これは重大な問題です。「構造改革」は、財政赤字を縮小させるのではなく、反対に急拡大させてきたのです。
では次に、その原因は、いったい何だったでしょう。九〇年代は「無駄と環境破壊」と評された不要不急の大型公共事業が最大規模に達した時期でしたが、公共事業費の削減を進めた小泉内閣以降の時期にも、財政赤字は拡大をつづけています。その最大の要因は、税収の減少でした。図3を見ると、国の一般会計の支出が二〇〇〇年度をピークとしているのに対し、税収は一九九〇年度をピークに早々と減少し、それが、国債発行の急増を招いていることがよくわかります。
さらに、では税収減少の中身はどのようなものだったでしょう。図4は、税収の増減を項目別に見たものですが、それによると、①所得税は九一年をピークに大幅に減少しており、②法人税はそれより早く八八年をピークに減少しています。その一方で、③消費税は九七年の増税(三%から五%に)をきっかけに増加しているという具合になっています。つまり、九〇年度をピークとした税収減——つまり財政赤字の急拡大は、主に所得税と法人税の減少によっていたわけです。
では、この時期に、所得税と法人税は、どうして大きく減少したのでしょう。バブル経済のピークが一九九〇年ですから、その後に、一定の景気後退があったのは事実です。しかし、法人税がバブルの真っ最中に減少を開始しているように、この二つの税収の減少をもたらしたのは、政府による税率の引き下げでした。財務省の資料「所得税の税率構造の推移」によると、所得税と住民税をあわせた最高税率は、八七年(七八%)、八八年(七六%)、八九年(六五%)、九九年(五〇%)と下がっています*14。これが、いわゆる金持ち減税です。他方で法人税を見てみると、図5が示すように、これも八七年の引き下げ以後、急速な税率の低下がつづいています。特に九八年、九九年の二年連続引き下げは、「社会保障構造改革」が強力に推進されていくなかでのことでした。
先の図4には、二〇〇二年を底にして、法人税収がふたたび増大していることが示されていましたが、これは税率の引き上げによるものではなく、大企業の利益が拡大したことによるものです。この間、資本金一〇億円以上の企業の経常利益は、図6のように、二〇〇三年度以降急速に伸びており、その金額はバブルの絶頂期をはるかに超えるものとなっているのです。
このように「構造改革」の政治というのは、大企業・金持ちへの減税政策をすすめることで財政赤字を拡大させながら、それを理由に社会福祉や医療、年金、教育などの予算を抑え続けるものであったわけです。何ともひどい話です。
6 ■「財政健全化」の最後のねらいは消費税増税?
先に見たように、政府や財務省は、現在の財政赤字を改善する「財政健全化」のために、二〇一一年度には基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字にするといっています。これを黒字にするということは、要するに、その年の社会保障を含む国の施策への支出を、その年の税収の枠内に抑えていくということです。
これを実現するために、政府は、①毎年の施策への支出を減らすこと、②税収を増やすことが必要だとして「歳出・歳入一体改革」の必要を強調しています。その「改革」の具体的な方針を決めた二〇〇六年の「骨太の方針」は、①と②の合計で必要となる「対応額」を一六・五兆円だと計算し、そのうち一一・四兆円から一四・三兆円を支出の削減で、残りの二・二兆円から五・一兆円は増税で埋めるとしています*15。そのための支出削減にたくさんの項目があげられましたが、社会保障は中心的な柱の一つとされ、失業保険への国庫負担の見直し、生活保護基準の引き下げ、介護の内容・範囲・報酬の見直し、医療保険制度の効率化などが示されました。これらはすでに二〇〇七年度から実施の段階に入っています。
しかし、実際にはプライマリーバランスの黒字化は、政府の計画どおりに進みそうもありません。二〇〇八年七月二二日の経済財政諮問会議には、景気後退による税収減で、二〇一一年度の赤字幅が当初見込みよりかなり大きくなるとの報告がありました。これに対して、自民党幹事長だった麻生太郎氏が、景気対策の手がしばられるから二〇一一年の目標達成は先送りすべきだと述べたことを、元幹事長の中川秀直氏が批判するなど与党内の見解のずれも大きくなっています。そこには、支出削減の一環として行われた障害者自立支援法や後期高齢者医療制度などに対する、国民の強い批判も大きな影響を与えています。
しかし、そのなかで、まったく意見のブレが見られないのが消費税増税という方向性です。この点は民主党も意見がほとんど変わりません。自民党は二〇〇七年一二月の「2008年度税制改正大綱」で、社会保障費の主な財源は消費税だと再確認しましたが、民主党も同じ月に発表した「民主党税制改革大綱」で消費税を社会保障目的税としながら増税するとしています*16 *17。
しかし、消費税をもっぱら社会保障にあてるというこれらの議論には、重大な問題がふくまれます。
その一つは、消費税以外の税収が社会保障費から引き抜かれてしまうことで、現在の社会保障費をまかなうために必要な消費税率はおよそ一〇%になるということです。しかも、そこまで増税しても社会保障に使われるお金はただの一円も増えません。その一方で、引き抜かれた消費税以外の税収は、公共事業費や軍事費などにまわされ、あるいは法人税や所得税の最高税率などのさらなる減税財源として活用される可能性も出てきます。つまり、これは「構造改革」の転換ではなく、それをいっそう深めるものでしかないのです。先にふれたところですが、私は、政府や財務省が、たくさんの「資産」をもつことを軽視して、「粗債務」の拡大のみを強調することの最終的な目的は、この消費税増税の実現にあるのではないかと思っています。
消費税を社会保障目的税とすることのもう一つの大問題は、それによって社会保障の充実が、いつでも消費税増税との天秤にかけられるようになるということです。福祉・医療・年金の充実が必要なら、さらなる税率アップを受け入れなさい、それがいやならそれらの充実はあきらめなさい。いつでもそういう問題の立て方がされるようになってしまうということです。そもそも消費税は、お金持ちにも、生活の苦しい人にもまったく同じ税率がかかる税制です。そうであれば、消費税率のアップは生活に困っている当人自身に一番重くのしかかるものとなっていきます。つまり「社会保障のために消費税増税を」というこの議論は、結局、国民の暮らしを支えるために、生活が大変な人ほど納税で苦労しなさいという「弱いものいじめ」あるいは形をかえた「自己責任」論の展開でしかないのです*18。
7 ■ 本当の財政再建は社会保障と雇用の充実でこそ
ここまでの話をふりかえっておきましょう。第1節では大企業応援をスタートにおく「構造改革」の考え方への疑問を述べました。第2節では年々借金が拡大していくことについての財務省と政府の説明を紹介しました。第3節では政府の財政赤字論が、資産を考慮しない「粗債務」を基準としていることに対する専門家たちの批判を紹介しました。第4節ではその専門家たちと同じことを述べた、かつての経済財政担当大臣(今は総理大臣ですが)の発言や財務省の見解を紹介しました。第5節では債務が急拡大した最大の要因が大企業や高額所得者への減税政策にあったことを指摘しました。そして、第6節では政府の「財政健全化」策が結局は消費税増税を目的としたものではないかということを述べておきました。
以上のような話の流れの上に、では私たちは、政府にどのような財政政策を対置していくべきなのでしょう。最後に、これを確認しておきます。
第一に必要なことは、二〇一一年にプライマリーバランスを黒字にもっていくといった、国民生活や経済の状況を無視した無茶な政策をやめることです。そのようなやり方で無理やり収支の帳尻をあわせようとすれば、国民生活や経済の破壊が進み、それによって財政状態はその後さらに悪くなってしまいます。すでに見たように、そんな一か八かの政策を急がねばならないほど、日本の財政は悪い状態になっているわけではありません。
第二に、そうはいっても、財政状態の改善に向けた努力は必要です。ただし、それは国民生活の改善という政治や財政の本来の役割を果たしながらのものでなければなりません。そうであれば、まず税収増のために、消費税ではなく、あまりに低くなりすぎた法人税率や所得税を引き上げ、その一方で支出の無駄を削っていくべきです。
いま日本の大企業の内部留保は、過去最大の規模に達しており、税率の引き上げに耐える体力は充分すぎるものとなっています。また支出については、年間五兆円という大きすぎる軍事費や依然としてGDP比で世界最大の公共事業を節約するべきです。緊急性の低い空港や高速道路をつくるために、生活保護の水準を引き下げたり、「後期高齢者」を差別医療の対象とするなどは、ただちに止めるべきものです。
第三に、生活の改善のためにも、財政状態の健全化のためにも、国民の家計をあたためることに目的をおいた経済政策を、政府がしっかりとっていくことが必要です。その当面緊急の大きな柱は、社会保障の削減ではなく拡充であり、そして非正規雇用ではなく正規雇用者の拡大です。
そうした家計収入の上昇に支えられた——個人消費は国内最大の消費力です——安定的な経済成長は、税収の自然増にもつながりますし、また、その結果としてのGDPの拡大は、財政状態の良し悪しを評価する純債務のGDP比を引き下げることにもつながります。
第四に、こうした政策を腰をすえて進めるためには、「大企業がもうかれば、国民生活もよくなる」という「構造改革」の根底におかれた考え方の誤りをはっきり認め、これと決別する政治をつくることです。この間の大企業の利益を第一とする政治は、確かに大企業には史上最大の利益を生み出しましたが(図6)、その一方で経済成長は低調で、国民生活は貧しくなり、財政面でも赤字を拡大させるという、どうにもならない現実を生みだしました。日本における「構造改革」の歴史は、そうした「負の実績」をすでに充分に示しています。それを転換することには、何の未練もいりません。
※ ※ ※
おしまいに、社会保障の現場ではたらくみなさんには、職場でのがんばりだけでなく、この本全体がとりあげている「国や経済の形」といった大きな問題にも、いつも目を向けてほしいと思います。より良い社会をつくるためには、主権者である国民の高い政治的教養が必要です。みなさんにはそうした力を、とくに社会保障の分野でゆたかに発揮していただきたいと思います。そのためにも、まずはみなさん自身に、学ぶことを毎日のくらしのなかに位置づけていただきたいと思います。
*1 「日本の財政を考える」 http://www.mof.go.jp/zaisei/index.htm
*2 基礎的財政収支というのは、収入(歳入)から借金をのぞき、支出(歳出)からは借金と金利の返済をのぞいた場合の一年間の収支のことです。これは税収など本来の収入で、必要な行政サービスへの支出がどこまでできるかを見る指標だと説明されています。
*3 「経済財政改革の基本方針2008」 http://www.keizai-shimon.go.jp/cabinet/2008/decision080627.pdf
*4 菊地英博『増税が日本を破壊する——本当は「財政危機ではない」これだけの理由』ダイヤモンド社、二〇〇五年、六ページ。
*5 山家悠紀夫『暮らしに思いを馳せる経済学——景気と暮らしの両立を考える』新日本出版社、二〇〇八年、一四四〜五ページ。
*6 山家悠紀夫、前掲、一四五〜七ページ。
*7 井手英策・水上啓吾「資産・負債管理型国家の提唱——財政再建至上主義を超えて」神野直彦・井手英策編『希望の構想——分権・社会保障・財政改革のトータルプラン』岩波書店、二〇〇六年、一九七〜二〇〇ページ。
*8 菊地さんは、今後の日本経済と財政のために必要なのは積極的な投資減税と公共投資だとしています。これに対して山家さんは、雇用と社会保障の充実、大型公共事業と軍事費のカット、大企業の増税などを強調します。井手さんと水上さんは、財政管理の国際比較もしながら資産と負債を一括管理する専門省庁を設けるという提案を行っています。社会保障について、菊地さんは特にふれていませんが、山家さんは拡充が景気と財政の両面から必要だとする立場をとり、井手さん・水上さんも慎重な表現ながら「社会的なセーフティネット」の「弛緩」を批判する姿勢を示しています。
*9 「麻生経済財政政策担当大臣記者会見要旨」 http://www5.cao.go.jp/minister/2001/0123kaiken1.html
*10 「外国格付け機関宛意見書要旨」 http://www.mof.go.jp/jouhou/kokusai/p140430.htm
*11 最近格付け会社のムーディーズが、日本国債の格付けを一段引き上げました。注目されるのは、その理由として、多額の債務はあっても日本は「構造上の強みにより、極めて高水準の債務を維持していくことが可能」だと述べていることです。少なくとも今回の判断にあたっては、ムーディーズもまた日本政府の債務履行(借金返済)能力を、債務残高の多少だけでは評価しないことを示したものといえるでしょう(「産経新聞」二〇〇八年六月三〇日付、http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080630/fnc0806301809008-n1.htm)。
*12 山家悠紀夫、前掲、一四七ページ。なお二〇〇八年四月に、政府から「二〇〇六年度国民経済計算」の確定数値が発表され、日本政府の正味資産は山家氏が紹介していた三四兆円から、さらに五三兆円に増加しました http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/teisei/080411/18si3_jp_new.xls。
*13 世帯あたりの収入と社会保障給付から税と社会保険料を引いた、国民の家計可処分所得の平均は、九七年をピークに減少しています。政府は、そうした国民生活の実態を無視して、景気が拡大局面にあると評価してきましたが、内閣府が二〇〇八年八月一三日に発表した数値では、第2四半期(四〜六月期)のGDPは年率換算で二・四%のマイナス成長となっており、いよいよ景気が後退の局面に転換したことを認めずにおれなくなってきています。その後、世界的な金融危機の発生が、これに追い討ちをかけています。
*14 「所得税の税率構造の推移」 http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/035.htm
*15 「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/0707/item1.pdf
*16 自民党「二〇〇八年度税制改正大綱」 http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2007/pdf/seisaku-031a.pdf
*17 「民主党税制改革大綱」 http://www.dpj.or.jp/news/files/071226zeiseitaiko.pdf
*18 一方で社会保障を削減し、もう一方で消費税増税を押し進めるという、政府の「財政健全化」政策は、あらたに大量の生活困窮者を生み出します。それは、仮にプライマリーバランスの黒字化を一時的に実現できたとしても、ただちに税収の不足と社会保障予算拡大の必要を生み出し、景気と財政をますます困難に陥れるものとなるでしょう。なお、こうした政策の実施を政府に強く求めているのが、日本経済団体連合会(http://www.keidanren.or.jp/indexj.html)などのいわゆる財界団体です。日本経団連の中枢をしめる役員企業は、現在、利益の多くを海外であげる多国籍企業となっており、日本経済の健全な発展に強い関心をもたなくなってきています。
〔もう少し理解を深めたいという人に〕
この章がとりあげた問題への理解を深めるために、もっとも適しているのは、脚注でもとりあげた山家悠紀夫さんの『暮らしに思いを馳せる経済学——景気と暮らしの両立を考える』(新日本出版社、二〇〇八年)です。たいへんに読みやすく、また日本の経済や財政の状態がとても良くわかるものになっています。
また、財政についてのそもそも論を学びたいという方には、山家さんと多少意見は異なりますが、神野直彦さんの『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、二〇〇七年)がわかりやすいと思います。ぜひともしっかり学んで下さい。
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