以下は、労働者教育協会『2009年・月報/勤労者通信大学/基礎コース⑤』に掲載されたものです。
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「【課外講座】 マルクス・恐慌・『資本論』-経済危機とブームのなかで」
マルクス・ブームを押し上げながら
2009年に入って、マルクスや『資本論』にかかわる講演の依頼が増えてきました。大きな本屋さんへ行けば、少なくないマルクス関係の新刊書を見つけることもできます。話題の『理論劇画・マルクス資本論』(かもがわ出版)は、出版早々に1万部を超えましたし、日本共産党付属社会科学研究所長の不破哲三さんが書いた『マルクスは生きている』(平凡社)も、ずいぶん売れているようです。
2008年には『蟹工船』が一大ブームとなりましたが、マルクスはそれにつづく09年のブームの主人公となるのかもしれません。
じつは私は、最近の講演で、依頼されたテーマにマルクスの名前がない場合にも、その言葉や考え方を、マルクスのものと明示してあちこちに組み入れるようにしています。そして、それがなかなかの好評を得ています。
たとえば、09年5月の岡山県労働者学習協会での講演では、準備されたメインタイトル「時代に生きる社会科学」に、サブタイトル「マルクスが今、この日本に現れたなら」をそえました。また、同じ5月に神戸で新入生歓迎企画として行われた講演タイトルは「大学で何を学ぶか」でしたが、サブタイトルには「マルクスくらいは読んでみよう」と書き込んでみました。
1つ目の岡山での講演のサブタイトル「マルクスが今、この日本に現れたなら」は、4月に神戸のとある「市民講座」が与えてくれたテーマです。それはいわゆる運動とは、まったく無縁な団体でしたが、そのあたりにもマルクス・ブームのきざしが見える思いがします。
講演のスライドにマルクスの科学を
パワーポイントをつかった岡山での話は、こんな順序になっています。①今日の話の流れ、②マルクス主義(科学的社会主義)の古典家たち、③いま世界経済に起こっていること、④世界の構造が変わりつつある、⑤経済危機への財界の対応と労働者の闘い、⑥「構造改革」による国民生活の破壊、⑦財界が政治に求めているもの、⑧うろたえる財界、転換の道を示せない政府、⑨必要なのは財界にもののいえる政治、⑩マルクスへの再注目。
パワーポイントには、画像や動画を組み込むことができますから、②では、マルクス、エンゲルス、レーニンの写真を紹介していますし、⑩では「おすすめの本」の表紙写真も示しています。また、ついでいえば⑤ではユーチューブから「年越し派遣村」の様子や、各地の労働組合のとりくみについての動画を紹介しています。
さて、マルクスの話ですか、講演の要所に「マルクスの学説に照らしてみれば」というスライドを1枚加えています。たとえば②の話の最後には、「資本主義」「根本矛盾」「恐慌」といった言葉の簡潔な解説を加えています。
③の話の終わりでは「資本主義の枠内での改革」「資本主義を越える改革」を、また⑤の終わりでは「あとは野となれ山となれ」「剰余価値生産」、⑥の終わりでは「貧困」「資本主義的蓄積の敵対的性格」、⑦の終わりではエンゲルスとレーニンから「富が政治に対してもつ権力」「国家独占資本主義」、⑧では経済再建のための内需拡大と環境問題の関係にかかわりマルクスの「物質代謝」の議論を、⑨では「労働者階級の成長」「民主共和制の必要」、階級的目覚めのない労働者は「資本家のしっぽ」「資本家の最左翼」にとどまるといったマルクスやエンゲルスの議論を、それぞれ紹介しています。
講演の本筋は、現代の世界と日本の動きを考えることなのですが、それを根元からとらえるためには、かつてマルクスが行ったような、深いものの見方が必要です、という具合につなげるのです。そうすると感想文には「わたしもマルクスを読んでみたいと思いました」というものが、必ずいくつも出てきます。
そうした要望に、講演の⑩での本の紹介が対応します。岡山では、先の『理論劇画・マルクス資本論』『マルクスは生きている』の他に、雑誌『経済』(新日本出版社)、不破さんの『古典への招待』(新日本出版社)、石川康宏『覇権なき世界を求めて』(新日本出版社)を表紙写真をそえて紹介しました。
恐慌を国語辞典で調べてみると
さて、以下では現代の世界と日本を考えるための重要な分析視角を提供する、マルクスの恐慌論を紹介してみます。今日の資本主義や世界経済危機を根本からどうとらえるかにかかわる議論です。
「恐慌」というのは、日常生活ではあまり聞くことのない言葉かも知れません。インターネットの「goo辞書・国語辞典」を引いてみると、こんなふうに書いてありました。
「景気変動の後退局面で、需要の急速な低下、商品の過剰、物価の下落、信用関係麻痺(まひ)、企業倒産、失業が急激かつ大規模に生じ、一時的に経済活動全体が麻痺すること。経済恐慌。パニック」。
これは、恐慌という現象の表面にあらわれる経済の混乱については、案外、良く書けているのかも知れません。ここには「商品の過剰」つまりモノがあまることで、経済が「麻痺する」という資本主義独特の不思議の問題もふれられています。
古くから人間たちの経済生活上の苦しみの大きな原因は、食べ物など生活に必要なものが足りないことによるものでした。天候不良で農作物がとれず、それで飢餓が起きてしまうといった具合です。ところが、資本主義のもとでは、生活に必要なものが「過剰」となることによって社会全体が苦しむという、妙な現象が起こってきます。しかし、この簡潔な国語辞典の記述には、「なぜ」「どうして」そんなことが起こるのかという、原因や理由はふくまれていません。そこは科学が担当せねばならない問題です。
恐慌の最初は1825年のイギリスから
なぜ、そんな不思議なことが起こるのか、その問題に挑戦するのが経済学の恐慌論といわれる分野です。歴史をふりかえってみれば、恐慌は1825年のイギリスに初めて起こり、その後も今日まで、次のように繰り返されています。
1837~38年、1847年――ここまでの恐慌はイギリスだけで起こりました、1857年――これから後は世界恐慌で、それは資本主義の発展が世界的な広がりを見せるようになったことの結果です、1878年、1882年、1890年、1900年、1907年、そして1914~18年までの第一次世界大戦をはさんで1920年、1929年(いわゆる大恐慌)、1939~45年までの第二次世界大戦をはさんで1957年、1974年、1980年、1991年、2000年前後、2008年以後(今日)といった具合です。
マルクスは、ディビッド・リカードウを頂点とする古典派経済学に多くを学び、それに根本的な改革を加えることで独自の経済学をつくった人物ですが、そのリカードウは、最初の恐慌が起こる2年前の1823年に亡くなっています。さらに、その先輩のアダム・スミスは1870年に亡くなっていますから、マルクスが「科学的」と評した古典派経済学には、本格的な恐慌の研究はどこにもありませんでした。マルクスは、ゼロから恐慌論の研究に立ち向かわねばならなかったのです。
スミスやリカードウが市場経済の安定性を強調することができたのは、市場経済の周期的な破綻(恐慌)を目にすることがなかったという歴史的条件によるものでした。
『共産党宣言』でのマルクスの分析
マルクスは1818年の生まれですから、1825年に世界最初の恐慌が起こった時には、まだ7才の子どもでした。1837~38年に起こったイギリスの恐慌も、ドイツの大学でヘーゲル哲学に熱中していたマルクスには、重大な研究や観察の対象にはなりませんでした。
そのマルクスが、恐慌をはじめて自分にとっての切実な研究対象とするようになったのは、1847年恐慌からのことでした。翌1848年に出版した『共産党宣言』(新日本選書版、58~59ページ)のなかで、マルクスは早くも恐慌を、資本主義の運命に深くかかわる重大な出来事ととらえています。
「近代ブルジョア社会は、自分が魔法で呼びだした地下の魔力をもはや制御することができなくなった魔法使いに似ている」「それには、周期的に反復してブルジョア社会全体の存立を疑わせるようにますますおびやかしている商業諸恐慌をあげるだけで十分である」「諸恐慌においては……過剰生産という伝染病が突発する」。
そして、マルクスは恐慌の発生が意味していることは、①現代社会の生産力が、もはやブルジョア社会の発展に役に立たなくなっているということ、②ブルジョア社会の所有関係が生産力の発展にとっての障害になっているということ、③それでも生産力が発展すれば、ブルジョア社会全体は混乱に陥るということ、④ブルジョア的な生産関係は、ブルジョア社会がつくりだした富の入れ物としては、すでに狭くなりすぎたということなどを指摘します。
そこには、まだ恐慌が起こることについての法則的な解明はありません。しかし、早くも、それを生産力と生産関係の矛盾を象徴するものととらえており、そこには現実社会をとらえるマルクスの鋭い観察力と直観がはたらいていたといっていいでしょう。
市場経済における恐慌の可能性
その後、マルクスは経済学の研究を急速に進めますが、その途中で、1857年の恐慌を体験します。観察は、より本格的となり、日々の新聞などから莫大な記録ノートもつくっていきます。そしてマルクスは『資本論』全3部の草稿を書き上げた1865年の段階では、次のようなマルクスなりの恐慌論の骨格を示すまでになるのです。
マルクスの恐慌論は、大きく3つの内容からなっています。
1つは、恐慌の可能性という問題についてです。もし、生産された商品aと商品bが、お金をつかわずに直接交換される物々交換の経済が生きているとすれば、そこでは、商品aを市場に出すこと(供給)と、商品bを自分のものにすること(需要)は、いつでも同時に起こります。社会全体でみても、需要と供給にズレは起こらない経済になるわけです。
しかし、お金(貨幣)をあいだにはさむ今日の市場経済(貨幣経済)では、商品aの交換は、①売る(まず貨幣にかえる)ことと、②買う(ほしい商品bにかえる)ことの2つの部分にわかれてしまいます。
そして、その結果、商品aが売れなければ、商品bを買うことができないだけでなく、商品aは売れたが、お金をためこんで商品bを長く買わないとか、今回は商品aを売らないけれど、以前にためていたお金で商品bを買うといった、新しい現象が生まれてきます。需要と供給にズレが起こる経済になったということです。
そして、このようなズレが起こりうるということが、売れもしない商品を大量につくることから経済の破局(恐慌)がはじまる「可能性」ともなるわけです。これが第1の内容です。
恐慌を引き起こす根本の力
しかし、可能性は「起こるかも知れないし、起こらないかも知れない」ということにとどまりますから、実際に恐慌がくりかえし起こっていることを説明するためには、商品の過剰生産を引き起こす、もっと生き生きとした動因の発見が必要になります。
それが、2つ目のマルクスが「現実の恐慌の究極の根拠」といった問題です。マルクスは、それを、一方で、商品をできるだけたくさん売るために、どこまでも生産を拡大しようとしながら、他方で、生産の経費を削減するために、商品の主な買い手である労働者にできるだけ少なく賃金を支払おうとする資本主義的生産の衝動であるとしています。
そこから、全社会的な規模で、生産力〔供給〕と消費力〔需要〕の格差がひらき、それが、大量の商品の売れ残りや、売れない商品をつくった企業の倒産、失業者の大量発生などにつながってくるというのです。
資本主義の経済では、生産は直接には人びとの幸福のためにではなく、資本による利潤追求のためにおこなわれますが、このマルクスの指摘は、そうした資本主義の根本の特徴こそが恐慌を引き起こす動因になっているとするものです。つまり資本主義の経済である限り、恐慌を引き起こすこの「究極の根拠」は、いつでも作用せずにおれないものだというのです。
なぜ市場の調整力がはたらかないのか
しかし、現実の恐慌の発生を説明するには、さらに次の疑問に応えることが必要です。それは、どうして資本は破局にいたる前に、「そんなにつくっても売れないよ」という市場のシグナルに気づき、生産をあらかじめ抑制することができないのかという問題です。商品が売れなければ、生産を控えるのは当たり前のことではないのか、どうしてそんな常識的なことがおこなわれないのかという問題です。この問題を解明するのが、3つ目の恐慌の運動論といわれる領域です。
ここで重要な役割をはたすのは商人資本です。商人資本というのは、生産者から商品を買い取り、それを消費者に販売することでもうける資本のことで、私たちに身近なものをあげれば、デパートや家電製品などの量販店、それから街角のコンビニなどもふくまれます。
商人資本は、それまで消費者への販売も行っていた生産資本から、商品をまとめて買いつけます。生産資本にとってはありがたい「お客さま」というわけです。しかし実際には、それは商品を生産資本の手から商人資本の手にうつらせただけで、本当の消費者への販売が終わったことを意味するわけではありません。商人資本が買った商品が本当に売れるかどうかは、これから市場で試されなければならないのです。
つまり、消費者が市場から実際にものを買うのが社会の「現実の需要」であるのに対し、商人資本は生産資本に対して社会の「架空の需要」を示すのです。その結果、生産資本は実際の消費の動向に鈍感になり、商人資本同士の販売競争にもあおられて、商品の過剰生産に突き進むということになるのです。
銀行の発達と世界市場も
さらに、そうした傾向を後押しするものとして、マルクスは銀行や信用制度の発達と世界市場の形成をつけくわえます。
より多くの商品を買いつけようとする商人資本への銀行融資は、そのまま「架空の需要」を拡大するものとなりますし、これに応じて生産の拡大をおこなう生産資本に融資をおこなうことは、過剰生産への道を一層大きく掃き清めるものとなっていきます。
また市場が一国の枠を越えて世界に広がることは、商品の最終的な需要の動向を、商人資本にも生産資本にもますますとらえづらいものとしていきます。
こうして商人資本の活躍、銀行と信用制度の発達、世界市場の形成といった諸条件が生まれることで、マルクスが恐慌の「究極の根拠」と呼んだ衝動は、需要と供給のバランスを回復させる市場の力を実際に打ち負かし、商品の過剰生産にもとづく経済恐慌を生み出すようになるわけです。
現代の世界経済危機のなかにも
以上のようなマルクスの恐慌論は、決して古い昔の理論ではありません。それは、今日の世界経済危機をとらえる重要な導きとなっているものです。世界経済危機は、2007年のアメリカにおける住宅バブルの崩壊、08年の金融バブルの崩壊と世界同時恐慌への突入という順序で発生しましたが、それに先立つ経過は次のようなものでした。
①根本にあったのは、最終的な消費力(現実の需要)をはるかに上回る住宅建設の熱狂(住宅バブル)でした。サブプライムローンと呼ばれる低所得者への悪質な高利での貸し付けは、この住宅建設の熱狂をあおり、架空の需要をどんどん拡大していく役割を果たしました。
②そして、その上に危うい「カジノ経済」が拡大します。サブプライムローンの債券(融資の返済を求める証書)が、いくつものごまかしをつうじて見かけの立派な金融商品に仕立てられ、これが世界各地で優良な資産として売買されていったのです。
危機を生み出す直前の世界経済の実態は、このようなものでした。ですから危機は、アメリカで住宅建設の過剰が明らかとなり、住宅の値崩れが始まったことをきっかけに、サブプライムローンを含む金融資産の価格崩壊がはじまり、これを所有していた金融機関や大企業が巨大な損失を計上し、これに連鎖して経済の危機的状況が世界に広がるという道筋をとることになりました。
生産者や金融業者、投資家たちの利益第一主義がもたらしたこの経済危機には、架空の需要、融資と投機の拡大、金融の世界市場など、マルクスが指摘した恐慌発生の諸要因が、新しいかたちをとりながら基本的にはすべて登場しています。今日の事態のなかでマルクスの恐慌論は、ますますその輝きを増しているといっていいでしょう。
『資本論』とマルクスの恐慌論
最後にひとつ補足をしておきます。資本主義経済を研究したマルクスの主著は『資本論』ですが、じつは『資本論』には、先に紹介したマルクス恐慌論の、1つ目の恐慌の可能性の問題と、2つ目の恐慌の根拠の問題は書かれていますが、3つ目の運動論の問題はまとまったかたちでは書かれていません。
そこには、『資本論』の第2部・第3部をまとめる前にマルクスが亡くなってしまい、それが後にエンゲルスによってまとめられたという事情がありました。エンゲルスは『資本論』第2・3部を世に出し、この点で、マルクスの経済学を後世に伝える重要な役割を果たしましたが、膨大なマルクスの草稿の一部にふくまれた運動論の意義には、残念ながら充分気づくことができなかったのです。
そこで、その欠落を補うために、ぜひ読んでいただきたいのが、不破哲三さんの『マルクスと「資本論」』①②③(新日本出版社)です。この本は、こうした『資本論』形成の歴史問題を正面から受け止め、マルクスが残した『資本論』草稿に可能な限り目をとおし、いまある『資本論』の枠を越えて、マルクス本来の恐慌論の再生に挑戦したものです。
最初に紹介した『マルクスは生きている』にも、その簡単なエッセンスは紹介されていますが、もっと深く、しっかりつかみたいという方には、ぜひ、こちらに学んでいただきたいと思います。
みなさんの学習の前進を期待しています。
(いしかわ・やすひろ/神戸女学院大学教授・労教協常任理事)
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