以下は、日本民主青年同盟「民主青年新聞」2010年1月11日、2762号、2面に掲載されたコメントです。
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金融経済の規制と資本主義の限界
金融の本来の役割は、ものづくりを発展させる手助けです。それが1970年代後半から金融経済の内部で儲ける、投機(バクチ)中心型に変わってきました。背景にあったのは世界の過剰生産(その裏返しが「金あまり」)と、さらには資本主義のとどまるところのない利潤追求への欲でした。この時期からアメリカは世界に金融の自由化を求めます。
投機には株や土地などの材料が必要です。投機の資金が膨らめば材料の不足が起こりますが、これを自分でつくったのが投資銀行などです。そのための技術が「金融工学」でした。つくられたのはサブプライムローンなどリスクの高い金融商品ですが、格付会社をつかってリスクを低く見せ、自分だけは損をしないようにと考えました。それは経済全体で見れば、破たんの避けられないものだったのです。結局、アメリカの5大投資銀行自身も、史上最大の損失をこうむりました。金融危機をきっかけに世界は、購買力の減退にはじまる生産の縮小、首切り、中小企業の倒産といった過剰生産恐慌に入ります。一握りの投機家たちが、世界中に多くの犠牲者を生みだしたわけで、民主主義の観点からして、投機の自由に規制を加えることは各国人民に共通する切実な課題となっています。
この中で「資本主義の限界」を指摘する世論が強くなっています。図にあるように、BBCの27カ国調査によれば、フランス人の43%が資本主義を超える「新しい経済システムが必要」だとしています。各国2万9000人の調査対象のうち、51%が資本主義には「規制と改革」が必要だとしていますが、世論はさらに先を見通し始めているわけです。
資本主義の「規制と改革」が深まれば、人々の認識は「利潤第一という資本主義のそもそもの仕組みに問題があるのではないか」というところに行き着かずにおれません。資本主義に民主的規制を求める取り組みは、現在の私たちの暮らしを守るとともに、未来に向けては資本主義の限界をあぶり出すものともなるのです。
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