以下は、新日本婦人の会「新婦人しんぶん」2010年8月5日、第2853号、第5面に掲載されたものです。
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第5回 性の多様性、人の多様性
私なりのジェンダー研究をすすめる上では、実際の体験が大きな役割を果たしたこともありました。
たとえば、2006年に「私はゲイです」「私はレズビアンです」とカミングアウトしながら、その問題を研究している人たちの話しを、直接聞く機会をもったこともその一つです。
それは「人と性の多様性」に、思いをめぐらせる大切なきっかけとなりました。
人間の性を「男女」や「両性」など二種類に限定するのではなく、現にある様々な性のあり方を、人の多様性としてそのままに受け入れ、当たり前のこととしてその人たちを尊重する。そのことにあらためて目を向けさせられたのです。
ふりかえって見れば『はじめのジェンダー・スタディーズ』(2003年)には、この問題をとりあげる「セクシュアリティ」の章がありました。「セクシュアリティ」というのは、どういう性――肉体や精神――に「恋愛感情」をもつかという、人の性の一面を指した言葉で、「性的指向」ともいわれるものです。そこでは、男と女に限られない、性の多様性を前提とした議論が行なわれていました。
もう一つの身近な体験は、自分の性をどうとらえるかという「性的自認」(ジェンダー・アイデンティティ)にかかわるものでした。男の体に生まれたが心は女だ、女の体に生まれたが心は男だ、というような問題です。いずれにせよ人間の性は、生まれもった肉体の仕組みに、機械的に制約されるものではないのです。
その後、私も「女性学」の授業や学外での講演などで、こうしたテーマにふれる機会が増えましたが、そうすると、学生や市民運動の仲間の中から、「じつは、私もそうなんです」と、声をかけられるようになりました。彼らは、以前から私のすぐそばにいたのでした。
長くこれらの問題に気づくことができなかったのは、私が、ある種の「常識」にとらわれていたからで、他方では、この社会が、彼らを「あってはならない者」だと強く抑圧していたためでした。
しかし、世界は大きく変わっています。この7月5日の新聞には、アイスランドの女性首相が「世界初の同性婚首脳」になったという記事がありました。あらゆる人の人権尊重が、性の多様性の領域にも深く及びはじめているわけです。
ジェンダー研究会などでの学びと、関連するこれらの具体的な体験から、私は憲法24条が記した「両性の平等」も「あらゆる性の平等」と、内容を深めて読むことが必要だと考えるようになりました。それは50歳を前にした時期のことです。
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