以下は、新日本出版社『経済』2010年9月、第180号、124~5ページに掲載されたものです。
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書評・森岡孝二著『強欲資本主義の時代とその終焉』(桜井書店、2010年)
二〇〇八年以後の世界恐慌と、これをきっかけとした資本主義改革の模索の必要が、あらためて「現代」資本主義の総括的な把握を求めている。
しかし、それは簡単なことではない。そこには、資本主義の「現代」性を構成する要素は何か、「現代」とは一体いつからいつまでのことか、「現代」はどこからどこへ発展しているのか、発展の原動力は何か、さらに事柄は資本主義全体の新しい変化をどう捉えるかという、経済学の方法論にもかかわってくる。
課題の達成には多くの論者の意欲的な挑戦と、冷静な意見の交換が必要だろう。
ここに紹介する森岡孝二氏の『強欲資本主義の時代とその終焉』は、「現代」をとらえる方法論の問題に、「現代」を「現代」たらしめる具体的な特徴の分析を結合し、さらに「現代」を乗り越える「新しい経済社会」の特質を展望するという、タイムリーな問題提起を行なっている。
以下、右の問題意識にもとづいて、章ごとに内容を要約する。
「序章 現代とはどんな時代なのか」では、これに「企業、それもグローバルに活動する巨大株式会社が、ほとんど社会的規制を受けずに利潤と権力をほしいままに追求してきた時代」という「暫定的な答え」を与え、それを「強欲資本主義」と総括する。時期的起点は一九七〇年代末とされ、〇八年恐慌はその終焉の開始と位置づけられる。
本書は大きく二部にわかれている。その中で「第一部 現代資本主義の全体像と時代相」は、とりわけ「現代資本主義」の理論的把握を、強く意識した部分となっている。
「第一章 現代資本主義論争によせて」では、経済理論学会のシンポジウム「現代資本主義分析の理論と方法」の検討の上で、「資本主義の一般理論は、資本主義の全歴史の上に立ち、資本主義が生みだしてきたあらゆる経済関係を内包している現代資本主義の有機的総体を再現するもの」であり、「現代資本主義の構造と運動の総体を資本主義の一般的原理の発展として理論的に写しだす」ものでなければならないことが強調される。
「第二章 現代資本主義の現代性と多面性」では、そうしてとらえられるべき「現代」の資本主義が「グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義、株主資本主義などの諸相を併せ持(つ)」ものであり「(その)いずれもが一九七〇年代末以降に起点をもっている」ことが確認される。
「第三章 雇用関係の変容と市場個人主義」では、特に「フリーター資本主義」に注目し、「労働時間の二極分化と雇用形態の多様化」が「市場個人主義」の政策・イデオロギーとの関わりで分析される。他方、多くの労働者が「市場個人主義を受容」する「現実的基盤」として、「消費資本主義」の展開があるとの指摘もされる。
「第四章 株式資本主義と派遣切り」では、「フリーター資本主義」が「株主資本主義」とのかかわりでとらえ返される。「株主資本主義は、配当の増加や株価の上昇を意図して、企業に対してコスト削減による利潤の増大を求める」。それが労働者の生存さえ考慮しない格別の「強欲」につながっていくとされる。
「第二部 日本経済と雇用・労働」では、「現代」日本における労働条件の悪化が、さらに突っ込んで、幅広い実証研究をもとに分析されていく。
「第五章 バブルの発生・崩壊と一九九〇年代不況」では、バブルによる不況の準備過程が検討され、「日本的経営の自己破綻」を重視する立場から、九〇年代不況が「システム不況」と呼ばれる。
「第六章 悪化する労働環境と企業の社会的責任」では、労働者のはたらきすぎやワーキングプアに対する企業の責任が問われ、自己利益にあわせた労働法制の手前勝手な改革を要求する財界・大企業の無責任が告発される。
「第七章 労務コンプライアンスとサービス残業」では、コンプライアンス欠如の象徴とされるサービス残業の実態が明らかにされ、それが賃金だけでなく、労働者と家族の時間の喪失として自覚されることの重要性が説かれる。
「第八章 非正規労働者の増大と貧困の拡大」では、非正規労働者の過酷な労働と生活の実情が暴かれ、「社会の豊かさがその人々の低賃金労働に依拠していることをわたしたちが理解すること」の大切さが強調される。
そして「終章 新しい経済社会のあり方を求めて」では、このような内実をもって展開された「強欲資本主義」が、〇八年世界恐慌をきっかけに「終焉」の時を迎え、それが新自由主義にもとづく金融・雇用政策の破綻を主な内容とすることから、金融投機の規制と労働者保護の強化へ進まずにおれないことが展望される。あわせて資本主義改革の重要な焦点として株式会社の改革が指摘され、著者が指導的な役割をはたしてきた株主オンブズマンの取り組みが紹介される。
以上、「フリーター資本主義」あるいは労働・雇用条件の分析に、本書全体を貫く格別の執着が見られる点は、経済学における労働分析の大切さを語ってきた著者年来の主張の有形化といってよい。
私なりに考えさせられたことを一点あげれば、それは生成から死滅にいたる資本主義の生涯を捉えようとしたマルクスの方法である。『資本論』は、絶対的剰余価値生産から相対的剰余価値生産へ、平均利潤法則の成立以前と以後など、資本主義の様々な側面の歴史段階をすでに含んでいる。資本の抽象的な概念からの展開過程にそれらを位置づけたマルクスの方法は、現代資本主義の理論に、どのような構成を求めるものとなるだろう。著者の投じたボールを受けとめ、考えつづけたい。
三七〇㌻に近い内容濃密なこの本は、読みごたえ十分の力作である。
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