以下は、新日本婦人の会「新婦人しんぶん」2010年10月7日、第2861号、第5面に掲載されたものです。
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第7回「学び、再び『ナヌムの家』へ」
2004年2月「慰安婦」問題とはじめて本格的に出合った私は、4月の最初の3年ゼミで、経済問題から「慰安婦」問題への研究テーマの変更を学生たちにお願いしました。
この時のことを、後に学生たちは「『慰安婦』という言葉を聞いたことがなかった」「先生が何をいっているのかわからなかった」とふりかえります。
基本的な文献を集め、それを読み、関連する資料や定期刊行物を手にいれ、各種の映像を見ていきます。「ずぶのしろうと」からのスタートでした。
しかし、学び始めてみると、幸運にも、日本近現代史を専門にする同じ学科の先輩教員が、「慰安婦」問題についての研究を発表していることがわかりました。灯台下暗しとはこのことです。
早い段階で、そういう方に、いくつかのことを直接教えてもらうことができたのは、大変にありがたいことでした。
時々、誤解されることがあるので述べておきますが、私は「慰安婦」問題の歴史をめぐる研究はしていません。
私がしていることの基本は、歴史家たちの研究成果を、学生といっしょに学ぶということです。「慰安婦」問題そのものについては、私はあくまで学習者です。
「ハルモニからの宿題」をつくる
同じ年の9月、私はゼミ生たちと、再び韓国を訪れました。しかし、今度は卒業旅行ではありません。「ナヌムの家」の訪問をメインとしたゼミの学習旅行です。
日本軍「慰安婦」歴史館に学び、被害者の「証言」をうかがい、日本大使館に問題の解決を求める「水曜集会」にも参加しました。
そして、帰国後はただちに、ゼミ生といっしょに『ハルモニからの宿題』(冬弓舎、05年3月)をつくります。
以上が、ハルモニの目を見ることができなかった私のその後1年間の取り組みです。47歳のこの1年は、私の学習と活動の幅についても、学生の教育についても、小さくない転換の年となりました。
「慰安婦」問題の全体をとらえる
なお、私は「慰安婦」問題を、ジェンダー視角だけでとらえきれるとは思ってはいません。
そこには、軍と政府による国家犯罪という面があり、また多くの被害者に対する民族差別の面もあり、さらには、物資の補給や休養もなく、ただ「聖戦」のために死ぬことを強いられた日本兵の格別に異常な環境もありました。
私は、その全体をあまさずとらえる姿勢が大切だと思っています。
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