以下は、『経済』2010年11月、第182号、11月1日発行、84~86ページに掲載されたものです。
「往復書簡=内田樹/石川康宏 もし今、マルクスが生きていたら 『若者よ、マルクスを読もう』によせて」がタイトルです。
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内田先生、こんにちは。
今日のぼくは東京仕事だったのですが、新幹線の中でツイッターをながめ、「おっ、今日の内田先生は、2本目がこの往復書簡なんだな」と確認し、それから午後の仕事を終えて品川駅までもどってメールを開くと、原稿がすでにこちらに届いていました。さすがに、書き始めから終わりまでが早いですね。
じつは、今日は『経済』編集部に顔を出してきたのです。おもしろい偶然ですね。では、ぼくも新大阪までの新幹線で、なんとかこの書簡を書いていきましょう。
『若マル』に対する、たくさんの読者からの反応については、ぼくが受け取ったものも、内田先生が紹介されたものとほとんどかわりがありません。「おもしろかったです」といううれしい声の後に、必ずといっていいほど「はじめてマルクスを読みました」とつづきます(ぼくのマルクス主義仲間はもちろん違いますけどね)。
三〇代や四〇代の大学教員でもマルクスをまったく読んだことがないとのことで、それにはちょっと驚きました。しかし、これがこの社会の現実なんですね。
直感的には、ソ連崩壊とそれに前後して行われた「マルクス主義・共産主義は終わった」という大キャンペーンが、ここにいたる大きな転期をつくったのかなあなんて思いますが、そこは、少しずつでも変えていきたいところです。
さて、先日、『若マル』を出版してくれたかもがわ出版の催しで、この本をネタにしゃべりあう懇談会が開かれました。
それこそ「若者」がたくさん来てくれて(元若者もいっぱい)、ずいぶん心強く思いました。中には「『若者よ マルクスを読もう』は、おじさんが書いてもダメなんだ」「ぼくたち若い世代が書いてこその本なんだ」なんていう威勢のいいことばもあって、これを書いた一方のおじさんとしては、涙がちょちょぎれる思いがしたものです。
当日、執筆者の一人として何かを話せといわれて、懇談の前に、しゃべってしまったことの中身から、今、ぼくが一番大事だと思っていることを紹介します。
それは「理論的に正しいマルクスの読み方」をガシガシ議論しあう空間の他に、「マルクスを様々な角度から自由に論ずることのできる」ふうわりとした知的空間を広げることの大切さを、マルクス主義者はキチンと自覚すべきではないかということです。
西暦二〇〇〇年を前にして、イギリスのBBCが国内外の視聴者に「過去一〇〇〇年間で、もっとも偉大な思想家は誰だと思うか」というアンケートをとりましたが、それに対する回答の第一位は圧倒的にマルクスで、第二位がアインシュタイン、第三位ニュートン、第四位ダーウィンといった結果でした。
ぼくは、マルクスがこのように多くの人から敬意を払われている国々では、仮にはっきりした自覚がないとしても、その思想は、社会の不公正や貧困の解決にとりくむ人々の意志を支える大きな土壌になっているのではないかと思います。
そういう角度から今の日本をみると、悲しいかな、それが裏返しの形で現われているように思われます。
労働法制や社会保障制度を弱体化させ、その当然の帰結として生まれる貧困や生活の困難を「勝ち組、負け組」論や、「自己責任」論で合理化する、そうした野蛮な攻撃に大きな抵抗力を示すことがなかなかできない、そのような弱さをもったこの社会と、マルクスを教養として読むことを知らないこの社会とは、深くリンクしているように思えるのです。
このぼくの着想は、内田先生がいわれる「マルクシストの道」「マクシアンの道」にどこかでつながっていないでしょうか。
また、もうひとつ、これは今朝送った別の原稿に書いたことなんですが、内田先生が一九世紀と今日とでマルクスの学び方には違いがあるといわれる点について、同じようなことを書いています。そのまま引いておきますね。
「読者のみなさんの中には、二一世紀になる今日、なぜ一九世紀の古い古典を読み、研究する必要があるのかと疑問に思われる方もあるかもしれません。その種の問いに対して私は、こう答えることにしています。
当時の現実に立ち向かったマルクスとエンゲルの真剣な姿勢と分析の深刻さを肌で学び、二一世紀の現実世界に立ち向かう自立した精神と変革者としての気概、あわせて現実を分析させる理論的な導きの糸を得ること、そこにこそ古典を学ぶ重要な意義があると」。
ぼくも一九世紀の「個別的・具体的な政治的主張」を、そのまま現代に持ち込むことには反対で、その「主張」を導いた「ものの考え方、とらえ方」を汲み取ることが大切だと思っています。その点まったく同感です。それをここでは「理論的な導きの糸」と表現してみたわけです。
こんなところを見ていくと、ひょっとするとぼくは、内田先生がいう「『マルクシストの道』の他に『マルクシアンの道』があること」を、内田先生とは反対の「マルクシスト」の側から模索しようとしているのかも知れません。なんだかそんなふうに思いました。
現時点でひとつだけ、違うところがあるとすれば、内田先生が二一世紀にマルクスが生きていたら、それは「マルクス主義」とはちがう枠組みで(でいいですかね)現代の問題の解決に向けた提言をするはずだといわれるのに対して、ぼくはそれがマルクスによるマルクス主義の発展という形で提起されるだろうと思っているところです。
とはいえ、これも「ちがう枠組み」と「発展した形」の具体的な中身を論じていけば、実際の違いはそれほど大きくないのかも知れません。
おもしろいですね。今回のこの手紙のやりとりをつうじて、ぼくは勝手に、考えていることの中身についての内田先生との親近性を、あらためて強く感じています。
ここから先のあれこれは、『若マル』パート2をつくる過程で、お互い楽しく書いていきましょう。ぼくの側がスタートを遅らせていますね。そう遠くないうちにパート2の第一書簡をお届けするようにします。
では、また大学でお会いしましょう。[2010/8/31 22:30着信]
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